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異聞・妖刀百物語  作者: 痴れ者ラボ
怪談長屋騒動記
48/76

絵怪ノ一.松屋の絵怪




 廻り同心・宇喜田宗虎の家は、日本橋から更に北、寛永寺の門前町である下谷にあった。


 辻斬りの一件により負傷した宇喜田は流石に役に就く事も出来ずこの自宅で療養しており、その日の朝も床から離れる事が出来ずにいた。

 傷は背を斬られる不覚傷であったが、辻斬りを捕らえるという汚名をそそぐ活躍は、彼の評判を悪くするものではない。

 逆に庶民達からは諸手を挙げて讃えられ、治療を受けて床に伏せってからしばらくは、付け届け(贈りもの)をもって訪れる者が後を絶たなかった。

 しかしそれも十日もすればなりを潜め、ここ数日は暇を持てあますようになった宇喜田である。

 唯一出来る慰みと言えば、妻・ハツが開け放った戸の向こうに見える庭を床の中からぼんやりと眺める位か。

 未だ痛む背に難儀しながらも朝餉を食し、再び伏せったばかりであった宇喜田は暗澹として取り留めの無い思考を始めた時。

 ととと、と足音が聞こえて来て、妻が視界に入ってきた。


「旦那様。客人がお見えになりましたが……」

「む。通せ」

「……誰かも聞かずにそのような事」

「誰でもいい。こう、暇を持てあましてはたまった物では無いからな」

「まぁ」

「ハツ、茶の用意を。すこしでも長居してもらわなきゃならん。この際町人でも構わんからこの場に通せ」

「……客人は浪人者といった風体で、立花陣衛門と名乗られました」

「おお、立花殿か。では尚更ここへ。はよう」

「もう、旦那様ったら。ではお通しします。……体を起こす事は出来ますでしょうか?」

「うむ」


 言って、宇喜田は上体を起こした。

 背に激痛が走ったが、妻の手前呻くわけにも行かず、しかしその顔は苦痛に歪む。

 ハツはそんな宇喜田の表情を見なかった事にしながら、立ち上がりしゅるしゅると衣擦れの音を残してその場を後にした。

 程なく、ハツに案内され見覚えのある浪人が宇喜田の伏せる部屋に案内されてくる。

 浪人はハツが伝えたとおり、立花陣衛門であった。


「では、ごゆるりと」


 ハツは陣衛門が座るのを見届けた後でそう言い残し、茶の用意をすべく去って行く。

 陣衛門はその後ろ姿を見送った後、改めて床に伏せ上体を起こした宇喜田を見た。


「傷の具合は……良くも悪くも、無いようだな」

「ああ。だが、最初の数日よりかはマシだ。熱がでるわ、塗られる軟膏が痛いわで散々であった」

「医者はなんと?」

「命に別状はないが大怪我には間違いない。一月は体を動かさぬように、と言っておった」

「それは良かった」

「良くあるものか。あの藪医者め、二両も金をせびった割に痛み一つなくすことも出来ぬのだぞ」

「二両……“乗物医者(人気のある高級な医者)”を呼んだのか?」

「与力の斉藤様が呼んで下さったのだ。勿論、金も斉藤様もちでな」

「ほう?」

「……今回の件、下手人の“アレ”を見て斉藤様も立花殿の事を信用する事にしたらしい。いや、どこまで信用して頂けたのかはわからぬが」


 “アレ”とは、どうやったのか木乃伊のようになった辻斬りの脚の事であろう。

 表向きには辻斬りは宇喜田が仕留めた事として処理されたが、唯一宇喜田から真相を報告されていたのが斉藤真之介という与力である。


「信用など……何でしたら一晩、妾が“あの”斉藤某の所へ赴き骨抜きにして差し上げましょうかや?」


 突如割り入って来たのは、艶めかしい女の声であった。

 宇喜田はぎょっとして声の方へ視線を移動させると、何時そこに座ったのか、陣衛門の隣には妻であるタキの姿が見て取れる。

 タキは長屋で見た地味な服装では無く、豪商の娘でも身に纏ってはおらぬ艶やかな着物を纏っており、一瞬目を奪われてしまった宇喜田であった。


「必要無い、タキ」

「うふ、それは嫉妬でしょうや?」

「宇喜田殿の前だぞ。控えろ」

「ほんに、つれないのぅ。……じゃが、そこがいいのだけども。宇喜田様も命の恩人である妾の粗相くらい、目を瞑ってくれましょうや?」


 タキはそう言いながら陣衛門にしなだれかかり、宇喜田に悪戯っぽい視線を投げた。

 たまらないのは宇喜田である。

 その、甘くねっとりと纏わり付くような視線に思わず背を伸ばしてしまい、結果激痛が全身に走る。


「ほほ、いまだ少々痛むようじゃの。あな口惜しや、あの侍をもう少し妾に喰らわせて頂ければ、そのような傷立ち所に直してしまえたのに」

「い、いや。タキ殿、そのお心だけで十分でござる。下手人を殺してしまうのはあまり褒められた物では無い故」

「どうせ死罪であろ?」

「それはそうであるが……陣衛門?」


 助けを求めるように、それまでとは違い名を呼んできた宇喜田に陣衛門は思わず苦笑いを浮かべた。

 若かりし頃、まだお互いに立場を意識していなかった時分には名で呼び合う仲であった二人である。

 先日十数年ぶりの再開を果たしていた二人であったが、生真面目な宇喜田は同心という立場上、陣衛門にも他人行儀で接していたのだった。

 そんな宇喜田に合わせ陣衛門も距離を置いた接し方をしてきたが、この一言により己も再び歩み寄ろうと受け取ったのであろう。

 固く言葉少ない口調は、やや氷解してゆくのである。


「タキ。宇喜田をからかうな」

「あーいー」

「拗ねるな。……宇喜田の痛みを消してやれるか?」

「うふ、旦那様次第では、痛みどころか傷さえ如何様にも……」

「そうか。ならば頼む」

「おい! 陣衛門、それは――」

「かまわん。実はここへ来る前、お忍びの斉藤様と会ってきてな」

「斉藤様と?」

「ああ。昨日の事だ。俺の“素性”はお主から聞いたと言っておられてな。まあ、俺を一応は信用して下さったのは本当のようだ。ただ――」

「ただ?」

「もう少し俺の人となりを見定めたいと仰られてな。一仕事、請け負ったのだよ」

「それは、どのような――」

「のぅ、旦那様。妾は待っておるのだけども?」


 相変わらず、人目を憚らず陣衛門にしなだれかかっていたタキが、少しふて腐れたように会話に割り入ってきた。

 何を期待しているかわからないが、どこかそわそわとして唇をとがらせている。

 そんなタキに陣衛門はもう少し待てと目配せを行い、再び宇喜田の顔をみやった。


「斉藤様から請けた仕事は、日本橋室町三丁目の、三井越後屋の前を過ぎた辺りにある書物問屋の一件だ。知っておるのだろう?」

「ああ、まあ、そうだが。しかしあの件は――」

「確かに聞いた話によれば、単なる噂話に過ぎんような話だ。が、紛れもなく事実でもあるらしい。その書物問屋もほとほと困り果てて、連日祈祷師を呼んでは胡麻を焚かせているのだとか」

「それは拙者も知っておる。だが、書物問屋の件は幾人も真相を確かめようとして何も起こらなかった故、たんなる噂話だと思っていたが」

「その辺の経緯は俺にはわからん。ただ、斉藤様の口ぶりからはあまり良くはないらしい」

「そうか……」

「だから、宇喜田。気にするな。今回の一件を解決できればタキには後で“返して”貰えるからな」

「しかしだな。いくら何でも……拙者の方は時間はかかろうが、その内傷も癒えるであろうし、陣衛門もこのような場所で身を削る必要はあるまい?」

「いいや。いくら斉藤様の紹介とは言え、得体の知れぬ浪人者を大店がそうそうに信用するものかよ。お主にも付き合って貰いたいのでな、今日は“そのつもりで”来たのだ」

「旦那様、そろそろ、いいかや?」


 頃合いと見て取ったのか、先程よりも更に甘くさえずる様にタキが再び割り入ってきた。

 陣衛門は今度は咎めもせず、徐に腕を捲ってタキへと差し出す。

 タキは差し出された腕をウットリと見つめ、しばし愛おしげに白い両の手でさすっていたかと思うと、ついと舌を這わせ始めた。

 赤い蛭のように滑る舌は腕から手の甲、指へと伝い、やがてぴちゃぴちゃと卑猥な音を立て指先をねぶり始めるタキ。

 表情は恍惚として、端から見る宇喜田などは身の置き場が無くなるほど淫靡な光景であったが、それも束の間の事。

 心ゆくまで陣衛門の指を舐め上げたタキは、再び舌を腕に這わせて次の瞬間、勢いよくその腕にゾブリと噛みついたのである。

 女の小さな口に噛みつかれた腕は、まるで桃を囓るかのようにあっさりと肉が噛み千切られ、半月状にそぎ落とされて見える傷口からは白い骨が顔を覗かせていた。

 ほどなく、囓り取った肉をタキは二度三度咀嚼した後、こくりと喉を鳴らして呑み込んでしまう。


「ふふ、なんと甘露な……」

「旨いか? タキ」

「ええ、旦那様。とても」

「――そうか。なれば、宇喜田を頼む」

「あーいー」


 異様な光景である。

 男は女に肉を食いちぎられるほど強く噛みつかれたにもかかわらず、平静を保ち続けている。

 また女は口の端から己の物で無い血を垂らしながらも、男の肉を咀嚼しながらウットリとしていた。

 目にするのは二度目の宇喜田でさえ、おぞましさに身を凍らせる光景だ。

 タキは口に含んだ肉の味を反芻しながら陣衛門の腕を放し、しばしそのまま夫の肩にしなだれてウットリとしていたが、徐に腕を上げて宇喜田の方へしっしと何かを払うような仕草をする。

 刹那、宇喜田は背から痛みは消えてゆくのを感じ取った。

 陣衛門も宇喜田の表情からそれを読み取ったのだろう。

 徐に脇に置いてあった刀を手に取り、再びしなだれてくるタキなど無視するかのように立ち上がって剣を腰に差した。


「一週間後、また伺う事にしよう。昨日の今日で、いきなり連れ出しては御内儀(おないぎ・他人の妻)に要らぬ詮索をされようからな」

「あ、ああ。しかし、陣衛門。前回も不思議に思ったのだが……その腕は本当に大丈夫、なのか?」

「心配はいらん。些か体に虚脱感が出るが、傷は一時の見てくれ以上では無い。そらこの通り」


 陣衛門はそう言って、先程タキに食いつかれた腕を差しだして見せた。

 腕にはぽっかりと半月状にそぎ落とされた傷は見当たらず、逞しいがすこし青白い腕が見えるばかりである。

 そこへ宇喜田の妻・ハツが茶と茶請けを持って現れた。

 が、しかし彼女は目を白黒させるや否や、そそくさとその場を引き返してしまう。

 確かに一人案内した筈の客人が、もう一人増えていたからだ。

 それも“居る筈の無い客人”が高貴な身なりの凄艶な婦人であった為、強い混乱を来して誰か問いただすより前に、もう一人分の茶を用意しに戻ったのである。

 陣衛門と宇喜田はそんなハツを見て互いの顔を合わせ、思わず苦笑いを浮かべてしまう。


「これは早く帰った方がよさそうだな」


 そう、共通した認識を確認するように陣衛門は言って部屋を後にした。

 見送る宇喜田はそこではじめて、タキの姿が跡形も無く消えて居る事に気がついたのである。



 書物問屋の『松屋』には、一人娘がいた。


 名はおかる。

 歳は十四程になり、快活で近所でも評判の娘であった。

 そのおかるが病に伏せてしまったのが半年ほど前での事。

 始めは風邪か何かと思って居た両親であったが、ある夜、“とんでもない”物を見てしまう。

 夜中、父親である善兵衛が尿意を催し、厠から自室へ戻ろうといった折。

 途中通った娘が伏せっている部屋から、うめき声が聞こえて来たのだ。

 あわれ、愛娘がうなされて居るのだろうと思い、様子を見る為障子を開け放った善兵衛であるが。

 彼が見た物とは、病に苦しむ娘の姿では無く、あられも無く男と睦む女の痴態であった。

 当時の価値観から言えば、十四になる娘が性行為を行う事自体は問題は無い。

 また、夜這いの風習が残るこの時代から言えば、娘が何者かを“呼ばう”事も決して異常な行為では無い。

 だが、そうであっても善兵衛もまた人の親である。

 そもそも、おかるはいまだ未通女であり、夜這いなど言語道断であるとして善兵衛は娘に近寄る男には常に目を光らせていた。


 その善兵衛が見てしまったのは、娘の裸体を組み伏せる、とある役者の姿。

 男は間違いなく、最近売り出しの道外方(笑いを誘う役所の役者)・鶴屋与一であった。

 鶴屋与一は舞台に上がれば道外方として観客を沸き立たせ、一度舞台から降りればその美貌から数多の婦女子の好意を受ける優男として有名な役者で通っていた。

 善兵衛の娘・おかるも鶴屋与一に熱を上げる娘の一人で、彼の役者絵を購入し肌身離さぬほどの入れ込みようである。

 その為姿を一目みてわかる程、善兵衛は幾度となく鶴屋与一の姿を確認し、娘に近付かないかやきもきとしていたのだが。

 この夜、善兵衛の悪い予感は見事に的中し、あまつさえその現場まで目撃してしまう。

 善兵衛は見てしまった娘の痴態に我を忘れ、夜中にもかかわらず大声を上げて男に殴りかかった。

 が、男は善兵衛の拳骨をひらりと躱すと、不気味に笑いながら一言、“また来るよ、おかる”と言い残して夜風の如く闇が広がる庭へ走り去ってしまったのだった。


「ここまでは良くある話なのですが、ここからはそうはいかないわけでして」


 善兵衛はそう言って、ほとほとこまったといった風に深くため息をついた。

 彼の目の前には廻り同心の宇喜田と浪人・立花陣衛門が座している。

 陣衛門が宇喜田邸を訪ねてより丁度一週間後、昼四ツ(午前十時頃)の時分であろうか。

 二人の前には茶が供されて、特に宇喜田の前には彼が好きな甘い饅頭菓子がうずたかく置かれていた。


「私とて人の親でございます。確かに未通女であった娘を傷物にされ、だまってはおれませんでしたし、早速次の日に采女ヶ原の馬場の、芝居小屋まで怒鳴り込んだのでございます」

「それは、鶴屋与一に会うため、ですな?」

「ええ」

「見間違いであったとは?」

「いえ。当時は、間違いなくあの者だと思うておりました。見間違えようも無い程顔は幾度も見ておりましたし……いや、いまとなってはあの者であった方がどれだけ救われたか」

「……それで?」

「はあ、それでですな、当然と言いますか、鶴屋与一は知らぬ存ぜぬと申しまして。恥ずかしながら、それはもう、一騒動起こしてしまいました」

「その折にこの善兵衛と鶴屋与一を仲裁したのが拙者と斉藤様でな、立花殿。後日、ある女の証言により鶴屋与一の無実は証明されたのだ」

「その話を宇喜田様から伺った時は、それはもう信じられぬ心地でした。なにせ、あの夜、確かに私は鶴屋与一を見たのです」


 項垂れ、茶をすする善兵衛。

 一方、いかめしい表情を保ったまま、小ぶりな饅頭を一つ摘み上げ囓る宇喜田である。

 陣衛門は二人の話に耳を傾けながらも、うむ、と喉の奥で唸った。


「大体の経緯は分かり申した。つまり、善兵衛殿は何かの拍子で鶴屋与一……いやこの場合は偽者の鶴屋与一か。これの正体に気が付いたと言う事ですな?」

「はい。お恥ずかしい話となりますが、その後も幾度か娘と“アレ”の密通を目撃してしまいまして」

「ふむ」

「ある時、断腸の思いでこれの邪魔をせず、偽の鶴屋与一の後をつけた事がございましてな。そうしたら、驚いた事に娘の部屋に入っていくではありませんか」

「む? 娘御の部屋は別にあるのですかな?」

「はい。何分、年頃の娘でございます。伏せってからは医者や祈祷師に診せる事も多うございましたので、別室で寝かせていたのです」

「成る程」

「……結局、偽の鶴屋与一は、娘が持っておった“役者絵の怪”であるとわかりはしたのですが……」


 善兵衛は其処で言葉を切った。

 それから、先程からいかめしくおおきな図体の割に乙女のようにちびちびと饅頭を囓り舌鼓を打つ、宇喜田に目配せを送る。

 どうやらそこから先を陣衛門に話すに当たり、少々躊躇をおぼえているらしい。

 そんな善兵衛の様子に気が付いた宇喜田は、名残惜しそうに饅頭を置いて、姿勢を正して咳払いを一つ。


「大丈夫だ、善兵衛。この陣衛……立花殿は身なりこそ小汚い浪人者であるが、この手の怪異には滅法強い武士であるからな」

「む……宇喜田、俺はそんなに臭いか? 風呂には三日前に行ったばかりだが」

「そうではない。言葉のあやというものだ」

「そうか。……タキ。ややこしくなるから今は出てくるな」

「はい?」

「いや、こちらの話だ。それで?」

「はい。最初は半信半疑ではありましたが、とりあえず気味が悪いのでこの絵を処分してしまおうと思いまして」

「うむ」

「最初はその場で破りました。その次は台所で燃やし、その次は寺で供養して貰ったり、名のある祈祷師や陰陽師を呼んで拝んで貰いもしました」

「それは……なんというか、節操のない話だな」

「こちらも必死だったのでございます。なにせ、燃やそうが捨てようが埋めようが、次の日にはちゃんと娘の部屋の小物入れの中に戻って来ておる始末で」

「その小物入れは?」

「勿論、小物入れごと始末してみましたが、これも駄目でした。娘を遠く江戸の端に移そうとした事もありましたがやはり……」

「その絵怪がついてきた、と?」

「ええ。娘の世間体もありますので、そのような化生に魅入られた等と噂が立っても困ります。祈祷に関わった者には金子を増して渡し、『何も起こらなかった』という話にしましたが、それでも現実はかわりません。ほとほと困り果てて居る所に、宇喜田様が立花様を伴ってお見えになった、と言うわけでございます」


 善兵衛はそう言って、深くため息をついた。

 聞いてみれば成る程、不可解な話である。

 陣衛門はしばし無言の内に何やら考え込み、やおら刀を手にとって立ち上がった。


「宇喜田、悪いが道案内を頼めるか?」

「む、それはよいが何処へ行く? 娘や件の絵を確かめたりはせぬのか?」


 陣衛門の台詞は宇喜田にとっても予想外であるらしい。

 いや、半ばはいまだ殆ど手をつけてはいない饅頭に、未練を残しての台詞とも聞こえた。

 善兵衛もまた、宇喜田と同じく驚いた表情を浮かべて、立ち上がった陣衛門を見上げている。

 何はともあれ、疑問は抱けど陣衛門の行動に口を挟むつもりは無い宇喜田は、慌てて饅頭を懐に入れ始めた。

 そんな宇喜田に陣衛門は苦笑いを浮かべながらも、絵怪を見ぬその理由を口にして、事情を知らぬ善兵衛を甚だ不安にさせるのである。


「先程の暴言を黙認する代わりにその鶴屋与一を見に行きたい、とタキが言っておってな」

「は?」

「すまぬが、宇喜田。言う事をきかねばおさまりそうにない。それに俺も話を聞いてみたくなってな。ああ、勿論、宇喜田持ちでの芝居見物だ」


 そう言ってニヤリとした陣衛門は、いぶかしげる善兵衛に心配するなと言い残し、まごつく宇喜田を他所にその場を後にしたのである。

 勿論、善兵衛の不安は消え去る所か大きくなっていた。





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