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異聞・妖刀百物語  作者: 痴れ者ラボ
サムライ×フロンティア ~前日譚~
43/76

LordBullet◎3




「な、なんじゃいきなり」


 陣十郎がソン家にて、床に伏せる事を強要されている最中での事。

 いきなりやってきたホンファが“見舞いの品”が入った紙袋をドン、と音を立てテーブルの上に置いた時の反応である。

 港でバーバリコースト地区の者と思わしき破落戸を斬ってより、一月が経った頃の出来事だ。


 無法者を見事撃退したとは言え、体に数発の弾丸を撃ち込まれた陣十郎はこの一月、半ば強制的にソン家の寝台で療養を“させられて”いた。

 陣十郎に言わせれば傷は浅く、自分の命を狙って襲ってきた者らを斬っただけなのだが、ソン家から見ればそんな問題では無いらしい。

 破落戸共は明らかにホンファに危害を加えようとしていた一味の者達で、陣十郎を狙ってのものであるとは言い切れない所がある。

 その上で二度にわたってソン家の令嬢を助け、しかも二度目はその身を呈して銃弾からソン・ホンファ(宋・紅花)を護った大恩人――

 是を手厚く介抱せずして、この恩に報いずして何が大家・宋家であろうか。

 そんな事情もあり、陣十郎は過剰に下にも置かない待遇を受け、結果傷が完治するまでは迂闊にベッドから降りる事も出来ない生活を送っていたのである。


 “待遇”は食事は勿論、滞在中の日課であった朝夕に体を動かす鍛錬すらさせぬ徹底ぶりで、昼夜を問わず専属のメイドが部屋に張り付いていたほどだ。

 かといって不自由は勿論、退屈をせぬよう配慮は成されており、傷に差し障りない範囲で豪勢なもてなしを受けていた陣十郎でもあった。

 著名な演奏家らしいによる、安らぐような音楽の調べを愉しむかと思えば、滋養ある東西の珍味を並べては少量ずつだけを食べて。

 メイドによる世界の書物の朗読、船に乗っている時に覚えた、カードゲームやボードゲームに興じる一日。

 果ては夜伽にと選りすぐられたであろう美しいメイドらがずらりと並び、好きな者を好きなだけ選べと担当のメイドに言われた時は、度肝を抜かれてしまうのである。

 夜伽については流石に幾人もの女を宛がわれるのは傷に障るからと遠慮した陣十郎だが、それでも武士として、体を動かせないのはとにかく辛い。

 故に臼木陣十郎は王侯貴族のような待遇にもかかわらず、悶々とした日々を送っていたのだった。

 ホンファが見舞いに現れたのは、そんな時だ。


「何って、お見舞い。久しぶりだね、シーラン」

「……随分と悠長な見舞いだの」

「仕方無いよ、ずっとお父様に会うのを止められてたんだから」

「一応弁明するが、わしゃ一応、親父殿には嬢ちゃんは悪く無いとゆうたぞ」

「知ってるよ。だけどソン家としてはそれではダメだったって事。気にしないで、ソレに関しては別に怒ってないから」

「そりゃよかった」

「まあ、ボクも本当はすぐにお見舞いには来たかったんだけどね。いざ部屋に入ろうにも、そこのメイドが“体の隅々まで拭いている時”に鉢合わせちゃ悪い、でしょ?」


 そう言ってホンファは、入り口の所で控えていた陣十郎付きのメイドをちらりと見た。

 清国人の美しいメイドは表情を変えはしなかったものの、何を思い出したか恥ずかしそうに頬を染め、目を伏せてしまう。

 陣十郎はホンファがいわんとする事を察して、苦笑いを浮かべながら照れ隠しに、顎の無精髭をショリショリと撫でた。


「いっとくが、“仕方無く”だぞ。そうせねばルェイが怒られると言うからわしゃ――」

「……だからってルェイジー(瑞季)」

「はい」


 陣十郎の擁護など無視して、ホンファは首だけを回し、背後のメイドの名を呼んだ。

 ルェイジーというのはメイドの名なのだろう、ホンファの態度は主に相応しく毅然としていたがどこか冷たく威圧的だ。


「君はここ一月、朝がやたら遅い日があるそうじゃないか。それも、シーランの体を拭いた日の翌日に限って」

「あ、ぅ、も、申し訳ございません、ホンファ小姐」

「こりゃ。わしの話を聞かぬか」

「シーランも。ルェイジー以外にも用意したはずだよ? なんで彼女だけなの」

「だからゆうとろうが。“仕方無く”だ。別に女を宛がって欲しいわけではないんだ、わしゃ」

「だったら――、今度はどうしてルェイジーに手を出すのさ?」

「ルェイはただ、体を拭く“ついで”にヤっとるだけだ」

「……拒否しなよ」

「わしとて男じゃぞ? ここ一月、ベッドからろくすっぽ離れさせてはくれんのだ。運動出来ぬ分、いろんなモンが溜まるしあちこち“凝って”おれば、意思とは別に拒否できぬ心地というものがある」

「……結局男の人って見栄っ張りで、すけべぇなんだよね」

「まあ……否定はできんわな」


 開き直ったかのように、少し恥ずかしそうにしてむふんと笑う陣十郎。

 対照的に大きな目をじっとりと半目にして、陣十郎と羞恥に小さくなるメイドを見比べる、ホンファ。

 気まずい空気が室内に満ちたが、この日見舞いに訪れたホンファの目的は陣十郎への糾弾では無い為、本題に戻るのであった。


「ま、いいよ。それよりシーラン。さっきお医者様に聞いたんだけど、今日から起きてもいいんだって」

「本当か?」

「うん」

「いや、有り難い。至れり尽くせりとはいえ、体が鈍って仕方無かったからの」


 言いながら、早速起き上がりベッドに腰掛ける陣十郎。

 しかしソン家に借りた寝間着姿であることを思い出し、自身が着ていた服はどこかキョロキョロと探した後、メイドに視線を送る。

 視線が合ったメイドは未だ耳まで赤くしていたが、陣十郎の意図を察し、部屋の外を指差すのである。

 どうやら陣十郎の服は部屋の外に置いてあるらしい。

 程なくメイドは冷静に一礼して、陣十郎の服を取りに部屋を後にした。

 彼女が出て行った扉の向こう、廊下から聞こえてくる足音は、逃げるように遠ざかって行く。

 そして部屋に残されたのは、微妙な空気とくたびれた中年の侍、華のような乙女となった。


「……と、レディの前でこのような格好は失礼、だったか」

「なにそれ」

「ルェイに読んでもろうた本にそう書いておった。こちらでは“そう”なのじゃろ?」


 場を取り持つようにして、何気なしに言った陣十郎の台詞に、ホンファは先程までの不機嫌さはどこへやら、目と口を大きく開いて驚いた。

 余程意外だったのか、薄く朱を差した小さな唇は上下に、真珠のような歯が見える程驚きの口は開かれている。

 上気してゆく頬から見て取れるのは、如何に衝撃が大きかったかを物語っていて、コロリと変わる乙女の表情は見ていて楽しい。


「――驚いた! シーラン、君はボクをレディとして扱ってくれるのかい?」

「扱うも何も、嬢ちゃんは男ではないのだろう?」


 空気が再び微妙なものへと変質する。

 華やかであったホンファの表情は、一瞬で影が差していた。

 なぜか横たわる、気まずい沈黙。

 その原因は間違いなく陣十郎の一言であるが、なぜそうなるかを理解出来るほど陣十郎は繊細でも、博識でも無い。


「……シーラン」

「なんじゃ?」


 低く陣十郎の名を呼ぶホンファ。

 何かあったのか、彼女は先程のメイドのように俯き、わなわなと肩を震わせている。

 かと思えば次の瞬間、先程ベッドサイドのテーブルに置いた見舞いの品が入った紙袋をもぎ取り、乱暴にも陣十郎に投げつけてきたのだった。

 袋の中身はなにやら固く重い品物であるらしく、受け止めた陣十郎はその衝撃に思わずぐお、と声をあげてしまう。


「あだ、だだだだ……な、なんじゃ急に」

「シーラン。“レディ”ってのは、女(woman)と同じ意味じゃ無いよ」

「む? そうなのか?」

「品格のある大人の、おしとやかで上品な女性を意味するんだよ」

「おっと、そうじゃったのか。それはすまん“嬢ちゃん”」


 わかって言っているのではない。

 だからこそ、尚更覆せぬ認識である事を示してもいて、余計性質がわるくもあるのだが。

 しかし今度こそ弁明する暇も無く、完治したホンファの足による前蹴りが的確に陣十郎の肩に炸裂した。

 蹴撃は丁度銃弾を受けた傷にヒットして、陣十郎はうぐ、ともう一度呻いてベッドに倒れ込んでしまう。

 ホンファはそんな陣十郎を見下ろし、怒りも露わにホンダン!(バカ!)と罵声を残して部屋から出て行ってしまった。

 決して避けられぬ攻撃では無いが、長い療養生活に鈍っていたか、それとも“やってしまった”と刹那に理解して甘んじて受けたのか。

 ともかく陣十郎はホンファの見舞いの品を抱いたまま、ベッドに倒れ込んで肩を怒らせ部屋から出て行くホンファを見送ったのである。


「あち、ちち……。まったく、年頃の娘は気難しゅうていかん」


 再び上体を起こしながら陣十郎は痛む肩を摩り、一人ごちた。

 ――あの気の変わりよう、まるで百合だ。周囲に早く大人に見て欲しいという“子供”は、男も女も、国が変わろうと同じだのぅ。

 よく百合にはわしゃ気が効かん、と説教を食ったものだが……。

 考えながらホンファが残していった袋を開き、見舞いの品の正体を確認する陣十郎。

 品は固い瓶に入った琥珀色の酒――バーボンである。

 それも、瓶に施された装飾からかなりの上物である事が伺えた。

 恐らくホンファは港での会話を覚えており、陣十郎が回復する頃合いを待って、酒を差し入れてきたのだろう。

 そんな彼女の心遣いに陣十郎は少女と侮りすぎていたか、と改めて後悔し、後で謝罪しようと思うのである。

 しかしこの時、陣十郎は致命的に思い違いを犯してしまっていた。

 先程のホンファは単に“レディ”として扱って欲しい、という態度を見せていたのでは無い。

 “陣十郎に”レディとして扱って欲しかったのだ。


 それを全く理解できていなかった臼木陣十郎は、果たして――



「で、あの沖に見えてるのがアルカトラズ島。何年か前までは要塞だったんだけど、戦争(※南北戦争)が終わって今は刑務所代わりに使われているんだ」


 ホンファは沖に浮かぶ島を指差しそう説明して、肩をすくめた。

 それから、陣十郎の方に向き直りすこし意地悪く笑う。

 夕刻、海沿いを歩いて居るからか海面は茜の陽光に煌めいて、愛らしい笑顔を照らしている。

 しかしそれは死人にとって、遠く眩しく正視に戸惑う代物であった。


 陣十郎が医師より起き上がって良いと許可を貰ってより、一週間後での事。

 その間ホンファの機嫌は直らず、謝る機会ところかロクに会話も交わせずにいた二人であったが、この日の朝ひょんな事から関係は修復へと向かう。

 経緯はそう複雑では無い。

 朝、突然ホンファが陣十郎の部屋を尋ねて来たかと思えば、百ドルもの大金を陣十郎に手渡した事から関係修復は始まって行く。

 驚く陣十郎に対しホンファは、これで君を護衛として雇わせてもらうよ、と宣言して自身の外出に同行するよう求めたのだ。

 金は陣十郎が伏せっていた一月の間、ホンファ自身が何かしらの商いで稼いだものであるらしい。

 百ドルという金額は、当時の一般労働者の半年分ほどの稼ぎに相当しようかという額である。

 陣十郎はホンファが『大人として扱って欲しい故に怒らせた』と勘違いしたまま、その勢いに押される形で申し出を受け入れてしまう。

 何より、親の金では無く自分で稼いできた金で雇いたいと言われてしまえば、如何に相手が十五の娘であっても陣十郎とて無碍には出来なかった。

 ソン家に仇成すバーバリーコーストの無法者達については、この一月の間に“対応”したと予め当主に聞いていたこともある。

 故に陣十郎はホンファの父親に許可を得て、再び彼女の護衛役を担う事になったのだ。


「だからシーラン、あのまま物乞いをやっていたらあそこに連れて行かれてたかもね」

「む。この国では物乞いは罪に問われるのか?」

「さあ? でも場合によっては、ね。力無いアウトローなんて、権力者の悪事で身代わりにされる事なんてよくある話でしょ」

「まあ、の」

「ああ、でもいまなら助ける事ができるよ。お父様が懇意にしている市議がいてね、大罪でも犯さなきゃ彼に頼めばどうにかなると思う」

「おいおい、それは穏やかでは無いな。無実の罪は御免被りたいが、咎人を権力で市井に放つのは良く無いんじゃ無いか?」

「大丈夫だよ。大体あの島は半分私有地みたいなもんだから、以外と出入りは厳しくないんだって」

「そうなのか?」

「それに、あそこに入れられる人はよっぽど隔離しとかなきゃならない凶悪な犯罪者か、偉い人の都合の悪い事を知って、でも殺す訳にもいかず幽閉の必要がある人物位さ」

「なんじゃ、物乞い風情では立ち入る事はできぬ場所では無いか」

「あはは、確かに。それもそうだね」

「……もしかして、かついだのか?」

「まあ、の」

「こりゃ、真似するでない。わじゃ、そんなじじむさいしゃべり方はせんよ」

「えぇ?! 気付いてないの?!」

「う……そうなのか?」

「まあ、の」

「やめい」

「あはは、おかしい! ――それはおいといて。ボクはね、シーラン。サンフランシスコではこの海沿いのここから見る風景は一番お気に入りなんだ」

「……うむ、確かに美しいな」

「でしょう! 特に夕日と朝日は綺麗でね。よくダードゥと散歩をしていたんだ」


 言ってもう一度、今度は無邪気に笑うホンファ。

 コロコロと話題を変えては笑う彼女は、正に天真爛漫といった所か。

 陣十郎も微笑ましくそれに応えてはニヤリと笑い、改めて海へと視線を向けた。

 ――確かに、ここから見る落日は美しい。

 先日ホンファに貰ったバーボンを持って来て、日が暮れるまで引っかけたい心地すらしてくる。

 何より沖合に浮かぶ島の向こうに、捨てた故郷と元許嫁が在るのだなと思えば、不思議と心の奥底が熱を帯びてくる陣十郎であった。


「シーラン?」

「ん? なんじゃ」

「どうしたんだい? そんな顔して」

「そんな顔……って、わしゃ元々こんな顔だて」

「嘘。なんか、寂しそうだったよ?」

「そうか?」

「ああ、もしかして……ルェイジーが恋しくなっちゃったとか?」


 冗談交じりの台詞であるが、今度のホンファの表情はやや険しい。

 行きずりに肌を重ねる事に関して、あまり良い感情は抱いていないようだ。

 陣十郎はホンファがよくやるように肩をすくめて見せ、首をふった。


「そりゃ、まあ男なら、な」

「……すけべ」

「まあ、否定せん」

「ボクは幻滅したよ、シーラン。君はあんなに強くてかっこよいのに」

「格好いい? わしがか?」

「だってそうでしょう? 銃弾を打ち落とす剣士なんて、ボク見た事無いよ!」

「アレはまぐれじゃて。その証拠にあの後は殆ど打ち落とせず、大怪我を負ったからの」

「普通、マグレでもやろうとしてできないと思うけど?」

「むふ、そうか? ならば、わしはかっこいいという事にしておこうかの」

「でもすけべだから、もうかっこよいとボクは思ってないけど」

「ありゃ」


 ぴしゃりと言い放ったホンファの言葉に、陣十郎はかくんと肩を落として落胆した。

 それから、二人は互いの顔を見合わせ可可と笑い合う。

 太陽の端は既に水平線に触れて、海に沈むまであと少しと行った所か。


「ねぇ、シーラン」

「あん?」

「シーランの事、教えてくれないかい?」


 唐突に立ち止まり、ホンファは質問を投げかけてきた。

 いつもの気まぐれでも起こしたのだろう、彼女は夕日の海を眺めながら道端に座り込む。

 この場でゆっくりと語り合いたいようだ。

 陣十郎はどうしたものかとしばし無精髭を摩り迷ったが、徐に彼女の隣りに座り込みぽつりぽつりと自身の事を語り始めた。


「そうじゃな。わしは六人兄妹の三番目での。上に兄が二人、下に妹が二人と弟がおった」

「へぇ」

「わしの家はちっとばかし古くての。ある“慣わし”があったんじゃ」

「“慣わし”?」

「うむ。一族から代表を選んでの、特別な神事を行うのだ」

「特別な神事って?」

「これじゃよ」


 腰に差していた刀を鞘ごと引き抜き、ホンファに示す陣十郎。

 黒い設えは重厚であったが、夕日に映えていたからか一瞬血が付着しているように見えたホンファである。


「……代々、“祟り刀”を伝える一族が近所に住んでおってな。って、わしの国の言葉でTATARIと言うんじゃが……これに当たる英語が無いんじゃったか」

「そうなの? シーランの国の言葉で言うと、良い意味? 悪い意味?」

「悪い意味じゃな。呪いとも悪魔とも違うが……そうさな、“鬼神”の怨念が宿った刀、という意味だと思っとくれ」

「ん」

「それでの? その特別な神事とは、そこの姫とわしの家の代表――まあ、わしなんじゃが、仮初めの夫婦になるというものでな」

「め、めおと?! シーラン、結婚してたの?!」

「こりゃ。仮初めの、とゆうたじゃろうが」

「あ、そ、そっか。あはは、ごめん」

「でもまあ、夫婦のように本当に契るんじゃがな」


 さらりと吐かれた言葉に、ホンファは思わずブッと噴き出す。

 そんな様子を見てやや刺激の強い話だったかと考える陣十郎であったが、その認識が間違えている事に未だ気付かない。


「……やっぱり、シーランのはすけべ」

「仕方なかろうが。これでも千年以上続いておった“慣わし”なのじゃから」

「仕方無い、仕方無い。シーランはいつもそれだね」

「……じゃな。案外そんな調子だから、わしは生きてこの国まで来てしまったのかもしれん」

「シーラン?」

「この神事はの、互いに相手を選べん。全てが決まっておるのだ。姫は好いた男ではなく、このような汚らしい狒々親父にその身を捧げ、純潔を散らす運命にある」

「そんなの……」

「男の方は姫の純潔と“祟り刀”を受け取り、あても無く海に出て決して陸に戻らぬのが“慣わし”だ」

「それって――」


 はっとしたようにホンファは隣の陣十郎を見上げた。

 陣十郎は“祟り刀”ではない方の剣に視線を落としながら、深く息を吐く。

 その眼差しにホンファは不意に強く胸を締め付けられるような錯覚を覚え、知らず生唾を飲み込んだ。


「姫の名は“百合”。丁度、ホンファと同い年位か。可哀想に、幼き頃よりわしのような醜男を夫と定められ、選ぶ事すら許されておらなんだ」

「そ、それを言うなら! シーランだってその“慣わし”で命を落とす事になってるじゃないか!」

「わしはいいんだ。この年まで好き勝手にやらせてもろうてたし、の。仕方無かったのだ」

「よくない! まるで生贄じゃないか。どこに自分が死ぬとわかっていて、家のしきたりなんかに従う奴がいるんだ!」

「ホンファ?」


 気が付くと怒りのあまり立ち上がっていたホンファである。

 今度は陣十郎がホンファを見上げ、突然感情的になった彼女に戸惑っていた。

 我が儘な所があるとはいえ、普段からソン家の為を思って行動する彼女である。

 家のために命すら投げ出さねばならない行為は受け入れられなくとも、一定の理解はできるはずだと陣十郎は考えていたのだが、そうではなかったらしい。

 ホンファ自身なぜこれ程までに怒りがこみ上げたのかは理解出来なかったが、確かなのは陣十郎の“仕方無い”という言葉が無性に許せなかったという事だろう。


「いいかい、シーラン? ボクにだって、ソン家が取り決めた許嫁はいる。今はマカオにいるよ。その彼は幾つだと思う?」

「……さあ?」

「もう五十を超えてるんだ。信じられるかい? あと三年したらボクはそんな彼と結婚して、子を……ソン家の跡取りを産まなきゃならない」


 ホンファはぎゅっと拳を握り、怒ったように陣十郎を見下ろしながらそう言った。

 夕日に染まるその姿はまるで、血まみれで必死に痛みに耐えるようでもある。


「勿論嫌さ! そんなの……確かに仕方無いことでもあるよ、家同士が決めた政略結婚だから。だけどボクは仕方無いからって、諦めない」

「ホンファ……」

「ボクは三年後までにお父様を納得させるような殿方を見つけて、その人を心から好きになって、その人に心から好きになって貰って、絶対に結婚するんだ」


 叫ぶように呟いて、ホンファは膝をつき陣十郎の“祟り刀”を握ったままの右手に手を添えた。

 その手は柔く震えて、それでいて暖かい。


「ねえ、シーラン。ルェイジーじゃないけれど、ボクじゃだめかい?」

「こりゃ。年寄りをからかうんじゃ――」

「ボクを抱いて欲しい。ボクと結婚して欲しいんだ、シーラン。君が……好きなんだ」


 突然の告白は、文字通り少女の全てが込められていた。

 故に陣十郎は出しかけた言葉を飲み、潤んだホンファの瞳を真っ向から受け止める。

 冗談でも悪ふざけでも無い事はわかる。

 しかし陣十郎は応えない。

 強く自分の存在を求めてくる少女の向こうに、かつて愛した少女の面影を見たからか――


「すまぬ」

「シーラン……」

「わしは“嬢ちゃん”の想いには応えられんのだ」


 返事を待たず徐々に近付いて来ていた唇を押しのけ、陣十郎はすくと立ち上がった。

 それから、この場では決して言ってはならない言葉でもって乙女の心を踏みにじる。

 呆然と見上げながら追って立ち上がるホンファの目から、大粒の涙がこぼれ地に落ちる前に潮風が散らした。

 そして次の瞬間。

 彼女らしくない弱々しい平手打ちが陣十郎の右頬に炸裂し、罵倒も残さずホンファはその場を走り去ったのだった。


 打たれたのは右頬であったが、不思議と閉じた左目の奥が痛みその場に立ち尽くす陣十郎である。





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