表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異聞・妖刀百物語  作者: 痴れ者ラボ
遭神記
39/76

家つき娘




「好きです。付き合ってください」


 生まれて初めて一目惚れした女子に告白された言葉が、それだった。

 梅雨入り前、そろそろ長袖のシャツが暑苦しくなってくる季節。

 某県立商業高校の、人気の無い旧校舎裏でのやり取りだ。

 その日の放課後、今年で高校も二年生になる竹田雪弘たけだ・ゆきひろは、とある女生徒に呼び出されて愛の告白をうけていた。

 だがその心中は、自信や不安よりも悲壮感に彩られて既に手の平返しのような拒否の言葉を予想し、心に防壁を築きつつある。

 竹田雪弘の身長は百八十センチメートルと高いが、やや肉付きの良い体とのっぺりとした顔立ちは、決して異性の好意を引き寄せるとは言い難い。

 事実彼は女子の間では特に恋愛対象候補として取り上げられる事など皆無であり、ごくまれに取り上げられたとしても、『誰彼は竹田君くらい背があればね』程度に登場する事が精々だ。


 一方、そんな彼に告白してきた相手はどうか。

 女生徒の名は峰山美咲みねやま・みさき

 背は平均よりも低く、ほっそりとした体躯と背まで伸ばした黒髪が印象的である。

 また、竹田雪弘と同じ学校に通う同級生で、入学式初日から幾人かの男子生徒より告白を受けるほど容姿は見目麗しい。

 が、なぜかこれといったカレシを作るでも無く、休み時間、放課後といつも一人気怠げな表情で本を読むような、大人しい生徒であった。


「……えっと、本気?」


 付き合って下さいと面と言われ、尋ねて照れ隠しに顔ごと視線を空に移す。

 それから質問に肯定も否定も無くただ沈黙を守る峰山美咲に対し、暗に返事を求めるようにして視線を戻した。

 ――やっぱり、後悔した。

 身長差があるからか、見下ろした彼女の表情に困惑があったからだ。

 やはり、からかいか何かだったか。

 雪弘は暗澹とした気持ちになって、先程必死になって用意した“覚悟”をもう一度決めた。

 彼女ほどの美少女に、告白をされて頭から信じられる程自分に自信があるわけでは無い。

 客観的に見ても自分と峰山美咲が釣り合うとは、始めから考えてはなかった。

 なにせ、相手は幾人もの好青年を振り続けている美しい少女である。

 噂では、どのような経緯で接点があるのか、大学生やIT企業の青年社長(当然、美男子)からもお付き合いの申し込みを受けていたという話もある程の人物なのだ。


 もっとも、この手の噂話には尾ひれがついてくるのも定番で、例えば市内でもっとも美少女であるという少女は、男の趣味が悪くチビなブサイクに懸想した挙げ句暴力沙汰を起こし停学になった、などというあり得ぬ噂がまことしやかに飛び交うのは当たり前でもあった。

 それこそが年頃の少年らが作り出す学校社会なのであるが、少なくとも峰山美咲は噂話を否定できぬ程の美人であることは確かなようだ。

 対して竹田雪弘は、背が高いだけが取り柄と言っても良い平凡(あるいはそれ以下)の男子。

 顔は勿論、体躯も絞られているわけでもない、筋骨逞しい男性らしさを持つでもない男だ。

 いじめを受けるような覚えは無いが、この手のたちの悪いイタズラをするような連中のやる事に、理由を求めても仕方ない。

 大人しそうな峰山美咲にしても、きっとそのような輩との付き合いがあって、罰ゲームかなにかで告白してきたのだろう、と自衛のために決めつけていた部分があったのだが。


「……本気」

「え?」


 思いもよらぬ彼女の言葉に、雪弘はぽかんと間抜けに口を開く。

 峰山美咲の表情は困惑から無表情に“戻っていて”、肯定と取って良いのか否定と取るべきかは分かり辛い。

 告白の場にはややそぐわぬ色の綺麗な顔はしかし、普段からはあまり表情は見て取れない程変化に乏しく、故に峰山美咲の神秘的な美貌に凄味を与えていたと言える。

 ではやはり、“これ”はイタズラだろうか?

 竹田雪弘は必死に考えて、とりあえずは結果そうではないという結論に達した。


 そもそも、彼が知る峰山美咲とは孤高な人物だ。

 傍目にも交友関係は不思議なほど薄く、誰かと話し笑顔になる事は皆無で、それでいて相当なモテっぷりを発揮しているのだから先の雪弘の困惑は、推して知るべしであろう。

 ――それに、ここでイタズラに引っかかったとして何を失うのか。

 “あの”峰山美咲である。

 他ならぬ竹田雪弘も、入学当初から彼女に惹かれ、密かに恋い焦がれていたのだ。

 返答など、始めからきまっている。


「あの、俺も……好きでした」

「……良かった。じゃあ、付き合ってくれるのね」

「う、ん。よろしくお願いいたします」

「こちらこそ」


 どちらが告白したのか分からないやり取りに、頬を朱に染める雪弘。

 対して、峰山美咲は告白をしてきた割には素っ気なく、ふぅ、と安堵のため息を吐いただけであった。

 本当にイタズラではないだろうな、と疑いたくもなるような彼女の態度であるが、今の所悪乗りした輩が現れてネタばらしを行う気配は無い。


「じゃあ、早速で悪いんだけど……この後うちに来てくれる?」

「え? いい、の?」

「うん、一緒に帰りましょ。正門の所で待ち合わせね?」

「う、うん。 わかった! あ……」


 しかし峰山美咲は淡泊に言い残してクルリと踵を返し、荷物を取りに教室へ戻って行ってしまった。

 晴れて恋人同士となったこそばゆさや喜びといった、甘ったるい空気はそこにない。

 とはいえ、雪弘にしてみれば思いがけず大魚をつり上げ、幸せの絶頂に在る事は確かだ。

 竹田雪弘はじわり幸せを噛みしめて、一八〇センチメートルはある巨躯を丸めガッツポーズをとって、喜びを外に現した。

 一目惚れが実った瞬間である。


 ――五分後、合流した二人は仲良く並び立ち、家路に着いていた。

 二人とも徒歩での通学であった為、自転車やバスに乗るような事は無い。

 向かう先は峰山美咲の自宅である。

 雪弘の家とは反対方向であるが、晴れて相思相愛となった嬉しさを差し引いても、恋人を家まで送り届ける幸せより遠回りに帰宅する億劫さを優先するような愚か者はいないだろう。

 特に雪弘の場合は、『今日これからウチに来てくれる?』と請われての下校だ。

 浮かれない方がおかしい状況である。


「ほんと、ほんと俺、峰山さんと付き合えるなんて、夢のようだよ」

「そう」

「もう、上手く行くなんて考えて無くて……」

「そう」


 だが峰山美咲の方は違うようだ。

 告白を行い、いきなり自らの家に相手を招待する態度を見せたものの、先程からの会話は雪弘との温度差が激しい。

 打つ相づちも素っ気ないもので、本当に自分の事が好きであるのか疑いたくなるような表情である。

 これに浮かれているとはいえ流石におかしいと気付いた雪弘は、やはり罰ゲームかなにかであろうかと考えて、ふと会話が自分の事ばかりである事に気付き肩を落とした。

 自身にもある惚れた弱みであるのか、峰山美咲にからかわれたと断定しないのは、未だ幸福な現実を認めきれず手放せない弱さがあるからなのだろう。


「ご、ごめん! 俺の事ばかりだよね」

「いいよ、気にしてない」

「えっと、峰山さんちは学校から遠いの?」

「歩いて三十分くらい」

「へぇ、意外とかかるんだね。自転車通学の申請出したら? 俺んちは一〇分くらいだから、申請通らないけど」

「いい」

「そ、そう?」

「うん。運動、あまりしないから。それに……」

「それに?」

「それに、こうやって竹田くんと一緒に歩いて帰りたかった、し」


 ドクン、と大きく胸が鳴る。

 素っ気ない彼女の、思いがけぬ言葉に不意打ちを食ったからだ。

 更に上から見下ろす峰山美咲は、表情こそ変わらないものの、僅かに俯くその白いうなじが心なしか朱に染まっている。

 いや、それだけでなく見下ろす角度による錯覚であるのかも知れないが、ほんの少しだけ尖らせた桜色の唇は、雪弘の心を激しく揺さぶるのだった。


「そう、なんだ。はは、よかった」

「ねぇ?」

「え? ああ、えっと……なに?」

「さっき、ね。つい、お付き合いする事ばかり考えて告白したんだけど……」

「う、うん」

「一つ、確認し忘れたことがあるの」

「何、かな?」


 雪弘と峰山美咲の身長差があるためか、見上げる彼女は必然上目使いになる。

 実際の所は声色も表情も何時もの彼女であるのだが、雪弘には特別な感情が見えた気がした。


「あのね、私“家つき娘”なの。それでもいい?」

「“家つき娘”?」

「家に縛られてる娘の事。お嫁にいけない、というか」

「えっと……一人娘だから、婿養子を取らないとダメって事?」

「……まあ、そんなかんじ」


 そう言って、峰山美咲は少し不安そうにきゅっと口の端を引いた。

 要するに、彼女は家庭の事情か何かで婿をとる必要があり、異性と付き合うに当たっては思い悩むような事らしい。

 雪弘は愛らしい彼女の顔をドギマギしながら見下ろしながら、そう考え答えを探した。

 自身、兄が一人居る身であり婿養子である。

 だから、峰山美咲と付き合える、と言われれば婿であろうが養子であろうが受け入れるには吝かでない。

 よって、答えはすぐに口を突いて出ていた。


「かまわないよ、俺次男だし」

「そう、よかった」


 肯定に、短く答えて峰山美咲はプイと前を向き、再び歩き始める。

 相変わらず素っ気ない態度は、照れ隠しなのか、それともそういう性格なのかはわからない。


 しかし竹田雪弘はこの時の彼女を好意的に受け止めて、幸せを胸にその背を追い今一度隣を歩くのだった。



「今日、うちに泊まりに来てくれる?」


 一月も経たぬ、梅雨入りして雨の日が多くなった六月も中頃。

 下校時、傘を差し並んで歩く帰り道にて、峰山美咲はそのような事を申し出てきた。

 これには雪弘も驚いて、男として千載一遇のチャンスとはいえ、つい狼狽えてしまう。

 と、いうのも、晴れて恋人となった峰山美咲であったが、そっけない態度は変わらず、二人はこの日まで手も碌に繋いでいない関係だったのだ。

 かろうじて他者よりも雪弘を気に掛ける態度や、毎日共に下校しようと誘ってくる事、その後一時間程彼女の家に上げて貰い、宿題や会話を楽しむ事から恋人であると認識できている状況である。

 流石にもう悪戯であるとは思わないが、当然キスすらもまだであり、故に雪弘にとっていきなり誘われた“お泊まり”は、寝耳に水の出来事であろう。


「い、いいの?!」

「うん」

「……ご両親、は?」

「いない」

「そ、そっか。あは、はは、緊張するな」

「あ」

「な、なに?」

「着替え。どうしよう」

「う……家! 家に一度帰ってくるよ」

「……いい。竹田くん、今日体育あったでしょ」

「うん」

「うちに帰ったらすぐに洗濯しよ。乾燥機あるから、夜までには乾くと思う」

「いいの?」

「いいよ」

「ありがと、峰山、さん」

「でも下着は用意してね。途中のコンビニで買って貰うと助かる」

「う、うん。わかった」


 まるで、生徒会の連絡事項のように淡々とした峰山美咲の口調である。

 対照的に竹田雪弘の態度はしどろもどろで、一目で何を考えているのかよくわかる様相だ。

 本人としてはバレていないつもりであろうが、立ち寄ったコンビニで下着を買う際、避妊具の前でしばし何やら考え込む姿が外から確認できた峰山美咲であった。

 程なく峰山美咲の家に着いた雪弘であるが、早速彼女の部屋に案内され緊張に体を強ばらせてソワソワとしてしまう。

 部屋の主は雪弘の体操着を受け取り、洗濯機にかける為席をはずしていた。

 彼女の部屋に案内されるのは毎日の事で、滞在時間こそ短くとも別段珍しい景色では無い。

 しかし、この日ばかりは淫らな予想もあってか違った景色に見えて、ベッドの上にある布団や部屋の入り口がやけに気になる雪弘であった。

 峰山美咲の家は非常に古い一戸建てで、敷地も広く“音”が近所に漏れる心配は無いだろう。

 元々武家屋敷であった為か庭は広く、中も和室のみで構成されて彼女の部屋もまた和室である。

 家族構成は両親と本人の三人だけのようだが、両親とも共働きなのか雪弘が両親と遭遇する事は無かった。

 つまり、お互いに生まれたままの姿で愛を確かめ合うには絶好の環境と機会がそこに在ったのだ。


「おまたせ」


 部屋の入り口である引き戸が開かれ、峰山美咲が戻って来た。

 手にもった盆の上には湯飲みが二つ、湯気が立っている。

 梅雨入りして初夏も目前の季節であったが、この日は肌寒かった為熱い緑茶でも用意したのだろう。

 峰山美咲はしずと座り、カチコチに緊張する雪弘にそっと湯飲みを差し出した。


「あのね、今日はその……話があるの」

「うん? どんな?」

「大事な話」

「大事な?」

「大事な。それが済んで、竹田くんがまだ“その気”で居てくれたなら、好きなだけ愛し合えるわ」


 “愛し合える”という単語に、ゴクリと生唾を飲み込む雪弘。

 どこか普通の女の子とは違う峰山美咲である為、もしかしたら肉体関係を結ぶなど毛程にも考えずに誘われたかも知れぬとも考えていた矢先だ。

 意識して見る彼女は未だ制服姿で、白い首と彫りの深い鎖骨は瑞々しく、細い肩は抱き寄せるだけで壊れてしまいそう。

 その、制服を他ならぬ自分が一枚一枚向いて行き、優しい膨らみとしなる腰を思うまま撫でるという妄想は、すぐそこの現実としてあるのだろう。

 誤解のしようもない言葉に、雪弘は頭と下腹部に血が集まってくるのを自覚した。


「そ、そう? それでっ、その大事な話って?」

「うん。あのね。私、前に“家つき娘”でもいい? って聞いたでしょ?」

「ああ、うん。告白をしてくれた日だよね」

「あの時、怖くて言えなかったんだけど……やっぱりどうして私が“家つき娘”なのか、説明しなきゃって思って」

「一人娘で、婿を取らないとダメって言ってたじゃないか」

「でも、“何故”婿を取らないとダメかは説明してなかったから」


 そう言って、しゅるると自身の湯飲みに口を付ける峰山美咲。

 合わせるようにして、雪弘もズズと茶を啜った。

 ――美味しい。

 ペットボトルに入った緑茶を飲み慣れていた為か、茶は信じられぬ程旨かった。


「あ、これ美味しいね」

「うちの井戸水、美味しいから」

「井戸水? ああ、古い家だから井戸があるんだ?」

「うん。流石にお風呂とかは水道で入れるけどね」


 手短に説明して再び、峰山美咲はしゅると小さく音を立てて湯飲みを啜る。

 今度は釣られるように雪弘も湯飲みに口を付けたのだが、茶の温かさがそうさせたのか、劣情にまみれつつあった胸の奥が何時の間にか落ち着いている事に気がついた。


「で、話を続けると」

「うん」

「うちね、“おさきもち”の家系なの」

「“おさきもち”?」


 初めて聞く言葉である。

 一瞬被差別部落かなにかの呼称だろうか、と考えた雪弘であったが、どこか腑に落ちずとりあえず恋人の言葉を待つ事にした。


「“尾裂”(おさき)っていう化生に取り憑かれた家の事」

「けしょうって……妖怪とかの化生?」

「そう。“おさき”は尻尾が裂けると書いて“尾裂”。獣の化生が年月を経てこれになるんだけど、うちは狐の“尾裂”でね」

「ああ、猫又とか九尾の狐とか、そういうの?」

「うん」


 予想外に、突拍子も無い説明が始まり雪弘は再び困惑する。

 どう見ても峰山美咲は冗談を口にしている風でも無く、それどころかどこか常軌を逸した自称霊能者のように見えてきたのだった。

 だが彼女は雪弘にとって、惚れた女性でもある。

 ここで“実は危ない人だった”と断じ逃げ出すには、些か早計では無いか。

 何より峰山美咲は真摯に語りかけているのだ。


「“おさき”には人に憑くモノと家筋や家その物に憑くモノがいて、うちは後者の方なんだけど……」

「うん……」

「家に憑いた“おさき”はね、その家を栄えさせるのよ」

「んと、福の神とか座敷童に似てるね、それ」

「まあ、ね。“おさき”は転じて“みさき”(御先)でもあるから」

「みさき? 峰山さんの名前とかけてるの?」

「ううん、神の使いの意味。うふ、確かに私の名前と読みは一緒ね」


 そう言って、峰山美咲は――恐らくは初めて、クスリと笑った。

 笑顔は柔らかく、思わず見とれてしまうほどに美しい。

 雪弘はドキリとしてしまい、熱を帯びる頬を誤魔化すように状態を逸らして伸びを行った。

 外は雨。

 しとしとと雨音と一緒に、古い屋敷を補修したのだろう、トタンに雨水が落ちる音が混じっている。


「で、ね。うちは代々“おさきもち”として、富と権力を得て来たのだけど……ねえ、竹田くん」

「う、なに?」

「私の家、大きいけれどそんなお金持ちに見える?」


 問いに、雪弘は少し考えてゆっくりと首を振った。

 確かに彼女の家は、広い敷地に建つ古い武家屋敷だ。

 だが格式は感じられるものの、建物は素人目にも相当傷んでいるようにみえるし、事実耳に飛び込んで来るトタンの雨音のようにあちこち不格好な波形のトタンで補修されたあとが散見される。

 室内も和室の真壁は薄汚れ、所々剥がれ落ちて下地の土壁と竹が見え隠れしている有様だ。

 窓から見える庭も手入れはされておらず、雑草が夏を前にして天高く生い茂っていた。


「でしょ? これはね、うちの“おさき”の寿命が尽きようとしている証拠なの」

「そう、なんだ」

「もし家じゃ無くて家筋に憑いた“おさき”なら、“おさきもち”同士で結婚して勢力を維持するんだけど、うちは“家”に憑いてるから」

「……まさか、生贄がいるとか?」

「ううん。“代償はもう払ってるわ”。うちの場合は単純に“おさき”の生きる力がなくなっただけ」


 そこで言葉を切って、峰山美咲は今一度しゅるると静かに茶を啜った。

 雪弘も思い出したように湯飲みに口をつけ、内心では首を傾げる。

 彼女がなんの目的があってこのような話をしたのか、見当も付かなかったからだ。

 内容はオカルトめいて、俄には信じがたい。

 かといって、峰山美咲は冗談を口にしている風でも無く、まるで当たり前の現実のように“おさき”について語り続けている。

 そんな、竹田雪弘の思いを察したのか。

 峰山美咲は徐に、手の平で顔を隠したのだった。


「証拠、見せてあげるね」

「え?」


 雪弘が疑問の声を挙げると同時に、部屋の照明が突如消える。

 外は雨、時刻は宵の口に差し掛かった夕刻だ。

 たちまち室内は暗くなり、一瞬で得体の知れぬ空気が場に満ちた。

 ――だが、それだけでは終わらない。

 暗くなったのも束の間、雪弘と峰山美咲が向かい合わせに座る座卓の中央、まるでろうそくのようにぽっと青白い火が灯ったのだった。

 それも、何も無い虚空にだ。


「うわ! な、なに?!」

「狼狽えるな」

「え? え?」


 あり得ぬ事象を前にして驚く雪弘に、峰山美咲は低くしわがれた声で制した。

 まるで鬼火か狐火のような火に照らし出される姿は、顔を手で隠してはいてもどこか寒々しく幽玄のように存在感が無い。

 否、存在感と言うならば、部屋全体から不気味な気配を発して、その気配に紛れ込むような印象を抱かせるのである。


「……だから、この世は真、生き苦しい」


 もう一度、峰山美咲の言葉。

 しかしその物言いは、雪弘の知る彼女では無い。

 本能的に“ソレ”は彼女ではないと理解してか、全身から冷たい汗が噴き出てくる。


「峰山、さん?」

「“みさき”だ」

「え?」

「もう力が残っておらぬ。だから、聞け」


 有無言わさぬ言葉の圧は、雪弘の困惑と疑問を飲み込ませるには十分だった。


「“美咲”には我の最期の我が儘を聞いて貰った。今宵、お前と結ばれるのは“美咲”だけでなく“みさき”の願いでもある。――恐らくは、明日まで持たぬだろうが……最期の最期くらい、思いを遂げさせて貰っても良かろう。家人は既に死に絶えたのだから」

「何を言って……」

「気が変わったのなら……あるいは想いを遂げた朝を迎えたなら、その時に改めてこの家の事を調べるがいい」

「うわぁ?!」


 悲鳴は、音も無く揺らめく鬼火によって映し出された、峰山美咲の影を見た為。

 影は人の形を成しておらず、新月の闇よりも濃く壁に張り付いて、だが確かにその中で蠢くナニカを見た雪弘だった。

 しかし、突如現れた怪異はそこまでであったらしい。

 雪弘の悲鳴と同時に鬼火は消滅し、同じく消えていた照明が二度程点滅して灯ったのだった。

 室内に満ちるのは先程の不気味な気配で無く、沈黙。

 窓からはしとしとと雨音が飛び込んで来る。

 リズムを刻むようにトタンへ垂れる飛沫の音が、やけに耳に痛い。


「どう?」


 堰を切るように、顔を覆っていた手を下ろした峰山美咲は言葉を発した。

 聞き慣れた素っ気ない声色は、すでに以前のような甘美な響きとして受け入れられぬものだ。


「これでおしまい。あとは、貴方次第」

「う、う、う、うわああああ!」


 溜まらず逃げ出してしまい、部屋を後にする雪弘。

 得体の知れぬ恐怖だけが先に立ち、恋人の心や甘美な劣情の行く末など放り出して体だけが動き続けていた。

 辛うじて掴んだ荷物を手に、靴を履き雨に濡れるまま家路へ走る雪弘の背を、峰山美咲はゆるり玄関に立ってじっと見送る。

 その表情は泣くでも笑うでも無く、いつものように無表情のまま、開け放たれたままの玄関戸を閉めたのだった。


 ――そして翌日。

 竹田雪弘は寝ぼけ眼を擦りながらも、いつものように学校へ向かう。

 昨日での一件で夜も眠れず、今も恋人についてどの様な顔をして接すれば良いか悩みながらの登校だ。

 だが、そんな雪弘の悩みも杞憂に終わった。

 驚いた事に、峰山美咲は始めから居なかった事になっていたからだ。

 どうやったのか、雪弘を除いた全ての者の記憶から峰山美咲の存在がすっかり消え失せ、丁寧にも彼女の机すら無かったのである。


 この奇妙な怪異に昨日ほど驚きはしなかった雪弘であるが、不思議と恐怖よりも寂しさがこみ上げて、その日は峰山美咲の痕跡を探す一日となった。

 決定的であったのは、放課後彼女の家に今一度赴いた時であろう。

 果たして峰山美咲の家はボロボロに朽ち果てた空屋となっており、雪弘を愕然とさせたのである。


 ――もし、あの時逃げ出さなかったら。

 思いかえしてみれば、彼女は自分に危害を及ぼすそぶりなど始めから無かったではないか。

 廃屋を前にして、じわり後悔が浮かび上がる雪弘。

 ここでも何か峰山美咲の痕跡が無いかと屋内に立ち入る雪弘であったが、見つかったのは綺麗に折りたたまれた自身の体操着だけであった。


 その後雪弘は図書館に寄って、閉館の時刻になるまで調べ物を行った。

 “みさき”が言った言葉を思い出したからだ。

 ――気が変わったのなら……あるいは想いを遂げた朝を迎えたなら、その時に改めてこの家の事を調べるがいい

 恐らくはあの家について、何らかの記録が残っているのだろう。

 根拠は無かったが、不思議な確信に突き動かされるようにして、雪弘は図書館に保存されている地域の記録を漁ったのだった。


「……あった」


 見つけたのは閉館も間近に迫った頃。

 地域の事件をまとめたファイルの中、昭和初期の新聞記事の中に彼女の痕跡があった。

 記事には物盗りによる犯行か? という見出しがあり、被害者とされる親子三名の写真の中に峰山美咲の姿と名前を見つけたのである。

 様々な幸運を運ぶと言っていた“おさきもち”の家であるが、どうやらかなり前にその力は消失していたらしく、一家揃って無残な最期を遂げていたらしい。

 思いがけぬ事実に愕然とした雪弘であるが、現実離れした事実はどこか夢現のようで実感は得られなかった。


 その後図書館からの帰路、雪弘はあの“峰山美咲”が言った“尾裂”について今度は考えていた。

 “尾裂”という怪異については、昨夜眠れぬ夜の中ネットなどを使って一通り調べている。

 今更どのような怪であったのかなどとは考えなかったが、あの家に憑いていた“尾裂”がなぜ峰山美咲の姿と名前を使い、自分の前に現れたのか気になっていたのだ。

 突然の事に恐怖で混乱していたとは言え、思い返すかぎりあの“家つき尾裂”には悪意は感じられなかった。

 それに断片的に思い出した台詞と峰山家の状態を考える限り、あの“尾裂”には死期がすぐ迫っていたようにも思える。


 ――だが、もしそうだとして、何故自分なのか。

 確かに峰山美咲に対して並ならぬ好意を抱いてはいたものの、告白をしてきたのは彼女の方からだ。

 あの“尾裂”が自分を選ぶ根拠がわからない。

 好意を見透かされたのか、それとも他に理由があるのか。

 釈然としない雪弘であるが、昨日初めて見た峰山美咲の笑顔を思いだし、ため息をついた。

 不気味な経験ではあれど、この一月の間に育んだ恋心は確かに本物であると言えよう。

 相手が死人であったのか、物の怪であったのかすら定かで無い。

 が、竹田雪弘は不思議と峰山美咲を憐れに感じて、迷った末に寄り道をする事にした。

 向かう先は百円均一で品を揃えるスーパー、そして峰山美咲の家だ。


 雪弘はそれらしい小さな竹筒を買い求め、安物であるが花を一輪添えて、かつて峰山美咲が居た家の玄関先に置いたのだった。

 行為は“尾裂”の為というよりも、自身の失った恋についてのけじめの意味もあったのかもしれない。

 しかしその行為は、竹田雪弘を思いがけぬ真実へ導く結果となる。

 それは、その日の深夜。

 突如けたたましい消防車のサイレンに目を覚ました彼は、どこかあの峰山美咲の部屋で感じた空気を感じ、窓の外を見やった。

 夜空を黄と紅に染めている火事は丁度、峰山美咲の家の方角のようだ。

 慌てた雪弘は家を出て、峰山家に向かう。

 何故そうしたのかは本人でも説明が出来なかったが、何かが待っている予感だけは強く胸の内にあって脚を動かしていたのである。

 果たして雪弘が峰山家にたどり着いた時、そこには夜空高く炎が上がる峰山家と消火活動を行う消防隊員、幾人かの野次馬による人だかりが在った。


「来て、くれたんだ」


 野次馬の人だかりの、一番外側。

 息を切らせてやって来た雪弘に話しかけてくる少女がいる。

 少女は古めかしい浴衣をまとい、たおやかな体と表情の薄い整った顔立ちは息を切らせる雪弘に生唾を飲み込ませた。


「峰山、さん」

「どうして来たの」

「なんだか、もう一度会いたくて」

「“わたし”の事、調べなかったの?」

「知ってるよ。だから、来たんだ」

「……今夜、“みさき”としてちゃんと死ぬつもりだったのに。こんなモノを置いた挙げ句にまた来るなんて、いけない人ね」


 そう言って、峰山美咲は手にしていたモノを差し出した。

 細く白い手の中には、夕刻雪弘が花を供える為に手向けた、小さな竹筒が在る。


「“管狐”(くだぎつね)、というものがあるわ」

「知ってる。昨日、“尾裂”を調べてて知ったんだ。家じゃなく竹の管の中に潜む狐の化生だ」

「じゃあ、どうしてここに置いたの?」


 しかし雪弘は答えない。

 かわりに、峰山美咲から竹筒を受け取りじっと燃える峰山邸を見つめた。

 荒げていた息は、もうすっかり整っている。


「……昼間さ、ここで昨日忘れた体操服を見つけたんだ」

「そう」

「ちゃんと畳んでくれてて、なんとなく思ったんだ」

「なにを?」

「お前、本当は死にたく無かったんだろ?」


 雪弘の問いに、峰山美咲は沈黙でもって応えた。

 雨の日が続いていたにも関わらず火の勢いが中々鎮まらない為か、家の近くを消防士達が慌ただしく行き来している。


「だから、新たな家――っていうか、竹を用意してやれば“管狐”になるかもしれないと思って。“みさき”は狐の化生なんだろう?」

「残念ね、違うわ」

「え?」


 峰山美咲は竹田雪弘の推理は否定すると同時に、袖を掴んでぐいと引っ張った。

 小柄な少女の姿からは想像も付かない程強い力は、一八〇センチメートルはある雪弘の体を難なく制して、人だかりから少し離れた場所まで引きずって行く。

 ――自分は勘違いしていたのか?

 やはり害を加える心づもりで、“尾裂”は目の前にあらわれたのだろうか――

 抗えぬ力で暗がりに引っ張り込まれながら雪弘はそう考えて、次に来るであろう痛みと恐怖に覚悟を決める。

 だが不意に襲われたのは、柔らかな唇の感触であった。

 同時に体が自由になり、改めて峰山美咲に向き直ると、彼女は満面の笑みを浮かべ見上げるように笑いかけてきた。

 

「単に、昔好きになった人が貴方だからよ」


 言って、一歩、二歩と暗がりの中へ後ずさる峰山美咲。


「ま、まってくれ! 俺は君の事をしらない!」

「かもね」

「何時? 何時、俺は君と逢ってた?!」


 慌てて尋ねる雪弘に、峰山美咲は“尾裂”によって“みさき”になる前、とだけ答えて闇の中に消えていった。

 勿論、雪弘はそれ程長く生きている訳では無い。

 考えられるのは、彼を過去の誰かと勘違いでもしたのだろうという事位か。

 本当の所は既に知る由が無かったが、一人残された竹田雪弘はしばしその場に立ち尽くし、峰山邸が完全に鎮火するのを見届けて家路につくのである。

 その後、峰山美咲は竹田雪弘の前に二度と現れなかった。


 ただ、彼が持ち帰った竹筒に“管狐”が宿ったかどうかは、定かでは無い。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ