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異聞・妖刀百物語  作者: 痴れ者ラボ
遭神記
35/76

守宮




 大晦日の夜、丁度除夜の鐘が鳴り始めた頃。


 普段とは違いこの日ばかりは多くの者が床に就かず、日付を変わるのを思い思いの過ごし方で待つのが一般的ではなかろうか。

 街の表通りでは、いつもならば車すら滅多に見かけなくなる時刻であっても二年参りや飲み会、レジャーなどで移動する者らがちらほらと見受けられるだろう。

 とはいえ、深夜である事には変わりない。

 東京などの大都市ならばいざ知らず、地方都市の、更にそこから離れた位置にある鄙びた市街地の表通りを離れた住宅街。

 防犯のために一定の間隔で取り付けられた街灯は、いつものように人気の無い道を照らして普段と変わらぬ静かな夜が訪れていた。


 そんな深夜の道を、スーツ姿の男が歩いて行く。

 男は若くまだ二十代であろうか、しかし肩を落とし背を丸めて歩く姿はなんとも侘びしい。

 恐らくは仕事からの帰りなのだろう、彼は一般的には休日である大晦日、しかも年の瀬も迫ったこの時間まで仕事をしていたようだ。

 丸めたその背からは寒さではなく疲労が読み取れ、事実男はやっとの思いで仕事を片付け、通い慣れた道をトボトボと家路についていた所であった。

 この年の冬は寒いという話であったがこの日も例外でなく、時折街灯に照らし出される男の白い息は寒々しく晴れた夜空に昇ってゆく。

 男は時折、その立ち上る自らの息を見上げては星を確認し、かつて無邪気に星座を探していた少年時代を思い起こしてもう一度ため息を吐いた。

 その様はもう戻れない少年時代と、何時の間にか慣れてしまった不本意な現実とのギャップに呻くようだ。

 もしくは疲れた体と思考力によって仄暗い住宅街、街灯の下を通る度に息を吐き、童心に返って無邪気に白く輝くそれを眺めているだけなのかも知れない。

 ――兎にも角にも、男は只一人大晦日の深夜に家路についていた。

 仕事に疲れ、遠く除夜の鐘が聞こえて来る中時折晴れた夜空を見上げて歩き、いつもと変わらぬ夜道を歩いて居たのだ。


 ただ、男にとっては何時もの帰り道であっても、この日は一年の終わりである大晦日である。

 ふと目に付いたのは、暮らしている1Kのアパートにほど近い街灯のある十字路にその、奇妙な姿をした少女の姿があった。

 街灯が立つ角地はつい最近まで古い家屋があって、先日まで解体工事が行われ、今ではスッキリとした空き地となっていた為か、遠目でもやけにその少女の姿が目立って見えた。

 少女はおよそ住宅街に似合わぬ巫女装束に身を包み、この寒空の下だれかと待ち合わせをしているのか街灯の下でじっと立ち続け、ほう、ほう、と白い息を吐いている。

 男は一瞬奇妙な感覚に陥ったが、程なく遠く聞こえて来る除夜の鐘と今日は大晦日であった事を思い出し、大方年末年始のバイトに神社でも行く途中なのだろうと判断して、それ以上少女に注意を払うでも無く変わらず歩を進めた。


「あの」


 思いがけず、意識の外から声を掛けられ男はぎょっとした。

 街灯と少女が立つのは、丁度男が居を構えるアパートへの道、曲がり角に位置している。

 だからかその前を通る男を少女が呼び止める形となって、声は小さくとも近く聞こえたからだろう。

 男は少し焦ったように少女の方へ振り向き、得体の知れない不安に顔を強ばらせて、はい? と返事をさせてしまった。


「ちょっと、いいでしょうか?」

「あ、えっと、私に何か?」

「はい」


 年の頃十四、五位とみてとれる少女は動揺も露わな男を気にしたそぶりもなく、しばしそのままじっと男の顔を見つめていた。

 街灯に照らし出されるその表情は幼さが残るもののかなり整った顔立ちで、それだけに余計男を困惑させる。


「あの――」

「やっぱり」

「え?」

「貴方、悪い縁が見えます。そのまま動かないでくださいね?」


 ――ワケがわからないんだけど。

 そう返事をしようとした男であったが、次の瞬間、少女がどこに隠し持っていたのか時代劇でよく見るような日本刀を取り出したのを見て大いに驚き、言葉を飲み込んでしまった。

 少女はそんな男を余所に、手に取った日本刀を軽やかにスラリと抜き放つや、えいやと愛らしいかけ声と共にいきなり男の方へ斬りかかって来たのである。


「うわ?!」


 振るわれた切っ先は男の体でなくあらぬ方向に空を斬ったが、流石に恐怖を感じたのか男は思わずうお、と声をあげ尻餅を突いてしまった。

 ――まずい!

 男は次は逃げられぬ体勢になってしまったと刹那に悟り、冷たい地面に手を突いたにもかかわらず体中の血が逆流しているかのような感覚を覚えて、そのまま後ずさる。

 既に鼓動は早鐘の様に鳴り、全神経は決して避けられぬ追撃から逃れる術を探りながら、しかし男は見上げる巫女装束の少女と夜空、そして自身の白い息に現実味を喪失してしまうのであった。

 だが、喪った男の現実はすぐに戻って、総毛立つ程の緊張は徐に納刀した少女によってすぐに解ける事となる。


「ごめんなさい。でも、こうするしかなくて」

「な、何を――危ないじゃないか!」

「……数日後、貴方はここで、この場所である女性と出会うでしょう」


 会話はすぐに成り立たなくなった。

 否、そもそも江戸時代の辻斬りよろしくいきなり(レプリカかもしれないが)日本刀を取り出し斬りつけてくるなど非常識の極みであろう。

 男は一時命の危機を感じた反動からか、やや激高しながら立ち上がり声を荒げ抗議の言葉を吐こうとした。


「は? 何を……今はそんな事を言っているんじゃなくてだな!」

「いいですか? “彼女”の言葉を受け入れてはダメです。今し方“そう”ならぬよう縁は斬りましたが、もし言葉を受け入れてしまえば元通りの神威が訪れるでしょう」

「だからなにを――おい! こら、まて!」


 しかし少女はいきなりの行動を非難しようとする男など無視して、言いたい事を言うや徐にその場から走り去ってしまった。

 逃げたとも見て取れるが、先の態度からどちらかと言えば用向きを果たしたが故に立ち去った、と判断出来るだろう。

 男は行き場を喪った怒りを抱えたまま半ば呆気にとられながらも、走り去る少女を追うべきか、それとも警察に通報すべきかを迷っていた。

 それからすぐそのどちらも選ばず、家路につくことにしたのである。

 少女を捕まえる隙を見出せなかった不甲斐なさもあったが、何よりこのような時間、それも大晦日。

 怪我をしたわけでも何か盗られたわけでも無く、まして仕事に疲れた状態で警察に説明するのが億劫に感じられたからだ。

 何より甚だ奇妙な事であったが、男は不思議と二度と少女に邂逅できぬ予感がして、彼女の後を追う気にはなれなかったのだった。



 年も開けた、三日後での事だ。


 奇しくも少女と出逢った時と同じく日付も変わりそうな時刻、同じ場所。

 アパートに近い十字路にある街灯の下、家路を急いでいた男は困惑していた。

 正月休みも早々に切り上げ、仕事始めであった一日を終えた男は未だ記憶に新しい少女との件を、否応なしに思い出していたからだ。

 というのも、新たな年といつもの日常をスタートさせた矢先にこの場所で、非日常的な出来事が再び男に訪れていたのであった。


「あの……大丈夫ですか?」


 僅かな逡巡の後、男は街灯の下で蹲っている女に声をかける。

 彼女を遠目に発見した時は少女の事を思い出し、何かと男が不利にもなる時勢もあって一旦は無視しようと決めたのだが。

 その側を通り過ぎようとした時、魔が差したのか、それとも単に人が良い性格が災いとなったのか。

 男は蹲る女に声を掛けてしまっていた。

 果たして女は顔を上げ、やや苦悶の表情を浮かべたまま、力無く笑いかけてきた。

 ――美女、である。

 それも情報伝達技術が発達した世を生き、少なからずそれらを使いこなす男が、それまでの人生の中で一度も見た事の無いほどの絶世の。


「大丈夫……じゃ、ないかも」

「どっ、どうされたんですか? 救急車、呼びましょうか?」


 声は細く、耳に心地よい音色。

 一方、予想外の事に男はどもってしまい、意味不明な焦りも露わに忙しなく腕を体のあちこちに移動させた。

 その、不審な挙動は相手――特に女性を警戒させてしまいともすれば悲鳴の一つでもあげさせそうな代物であったが、幸いにも女はそうは思わなかったらしい。

 彼女は男に問いに警戒ではなく、力無い笑みを浮かべて首を振っただけであった。


「……いえ、病気とかじゃないですから」

「そ、そうですか。……すいません、具合が悪そうに見えたもので」

「あはは……具合が悪いって言えば、悪いんですけど、ね」

「え? そうなんですか? じゃあ……タクシーを呼びましょうか?」

「いえ、それもいらないです。私、お金持っていないし」

「あ……そうなんですか」


 素っ気ない言葉とは裏腹に、男は胸を弾ませる。

 普通に生きていけばまず関わる事の無いであろう程の美女を前にして、どうしても彼女に関わり合いたい欲求がわき上がっていたからだ。

 ――ここは、もっと色々申し出るべきか。

 それとも下心があると見て取られぬよう、程々な所で引き下がるべきか。

 男は迷い、しかしすぐに結論は出る。

 程々にしておいて立ち去った所で眼前の美女と次に会える保証など無く、もし会えたとしても一言二言、会話を交わすのが関の山だ。

 人助けという大義名分もある今ならば、風俗おろか合コンすらしたことの無い自分であっても何かしらチャンスが巡ってくるかもしれない。

 男はそんな下心と純粋な人助けの気持ちを混ぜ込みながら、意を決し言葉を続けたのである。

 その思考の中では数日前、この場所で聞いた少女の言葉を思い出す事は無い。


「あの――よかったら、ですけど、俺がどこか送りましょうか? アパート近くなんで、よかったら車で送りますよ」

「い、いえ。お構いなく。どこかへ行けば解決するものじゃないですし」

「ホント、大丈夫ですか? ……ああ、すいません。時間も時間ですし、なんか俺、心配で。力になりますよ?」

「ほんと、ですか?」


 女の表情が縋るようなものに変わる。

 憂いを含んだ瞳は大きく、街灯の光を湛えて男の心を強く揺さぶった。

 彼女の服装は地味で長い髪も後頭部で束ねただけの質素なものであったが、この時の男には華やかな彩りをもって彼女の姿が見えただろう。


「ええ、本当ですとも」

「……じつはその」

「はい」

「私……、そうな、所なんです」

「はい?」


 言い辛いのだろうか。

 女はモジモジしながらも消え入りそうな声で理由を口にし、聞き取れなかった男は切羽詰まった空気のまま聞き返した。


「ですから、私……倒れそうな、所でして」

「倒れそうな?」

「いえ、あの……行き倒れそうな、んです」

「えっと……つまり?」

「もう! お腹が減って動けそうにないってことですよ!」


 沈黙。

 女は羞恥に、男は意外な理由に言葉を失っていたからだ。

 思えばこの時、男は既に女の虜になっていたのかもしれない。

 それまでの他人行儀な態度から一変して生の感情が乗った女の言葉は、男にはどうしようも無く愛らしく感じられていた。

 否、これ程の美女の、羞恥に顔を歪める表情を見た者がいたならば、虜にならぬ男が居ようはずはないのではなかろうか。


「あはは……ごめんなさい、大声だしちゃって」

「いえ、べっ、別に大丈夫ですよ。俺の方こそ、すいません」

「……その、そういう事なんで、救急車も、タクシーも、送っていただく必要は無いんですよ。帰るところもないですし」

「じゃあ、もし良かったらですけど……俺の部屋に来ませんか? 飯位ならいくらでも驕りますよ」


 突いて出た言葉に、他ならぬ男自身が驚く。

 普段ならば彼女を何かしら誘うにしても、お金を貸すだとか、食事に誘うだとか無難な方策が浮かぶはずである。

 が、この時既に男自身気が付かぬ間に、女の魅力に虜となっていたからか。

 口から出た言葉は下心が丸見えの、それも行くところがない相手の弱みにつけ込むような最低なものだった。

 男はすぐに後悔して如何にこの言葉を否定しようかと思案を巡らせたたのだが、意外にも女の反応は嫌悪でなく歓喜に近いものであった。


「本当ですか?」

「え、ええ、その、ええ?!」

「本当に、お邪魔していいんですか?」

「もっ、もちろんです、ええ、はい」


 深夜の住宅街、人気の無い路上で二つの喜色濃い声が飛び交う。

 一組の男女はしばしその場で弾むようなやり取りを行った後、やがて街灯の下から男が居を構えるアパートへと移動を開始したのだった。

 その間、男は最後まで少女の言葉を思いださず、街灯の下、女の足下に“影”が無かった事に気付かない。

 こうしてその女と出逢った男が行く宛てのないと言う女を一日、また一日と部屋に泊める内、なし崩しに女は男の部屋で暮らすようになったのである。

 流石に最初の数日は冷静になる日中に、もしかしたら美人局であるかも知れぬと疑う事もあった男であった。

 が、必然というべきか、日を置かず女と男女の仲になるやそんな疑問も霧散して、瞬く間に甘く幸せな日々が過ぎていった。

 その間女の素性ははっきりせず、また男の方もこれを特に問い質したりはしなかったが、時折女が見せる寂しげな表情だけが男を不安にさせた。


 ――それからどれ程の月日が経ったか。

 男は居を狭苦しいアパートから、小洒落た一軒家へと移していた。

 場所は女と出逢った街灯のある、あの角地である。

 家は男が一大決心をして建てたもので、勿論あの女と一緒に暮らす為に用意したのだった。

 が、男が家を建てたのは何も女と暮らすためだけではない。

 女と出逢ってからいうもの、男は何か憑いて居るのかと思える程に幸運が続き、あれよと勤め先で出世して給料もそれなりの物となったからでもあった。

 企画書を書けば全て当たり、それまで会話を交わした事も無かった社内の重役からは可愛がられ、家に帰れば何度見ても見飽きぬ美女が夕食を用意して待っている。

 給金はうなぎ登りに上がって行き、欲しい物は何でも買え、何より何度抱いても飽きぬ女の躰は男に言い知れぬ活力と自信を与え続けていた。

 一時は顔を合わせれば何処でも性交を繰り返すほど爛れてはいたものの、男の要求は何でも受け入れ続ける女の態度に男も思うところがあってかやがてそれも落ち着いていくのである。

 端から見れば幸せの絶頂とは正にこの事であろう。


 だが当の本人にしてみれば不満が無い訳でも無い。

 なぜならば女の素性は未だ知れず、二人は法的には夫婦になっていなかったからだ。

 この点を除けば非の打ち所の無い生活であったが、食うに困らぬやや過分な収入と綺麗な住居、美女の全てを手に入れた男にとってそれは唯一の不安であった。

 ともすればある日突然に女が消え去ってしまう――そんな可能性がちらついて、幸せになればなる程男を焦らせていたのかもしれない。

 不安は如何に仕事で成功しようとも、毎夜に女の躰を様々な格好で屈服させようとも消えず、それどころか日々膨らんで男の心を苛んで行った。

 そこへ追い打ちをかけるように、ある日男は気付いてしまう。

 ――女に“影”が無い事を。


 それは偶然の出来事であった。

 ある年の大晦日、深夜での事。

 年越しの買い出しのついでに偶々寝室の足下を照らすナイトライトを買い揃えたその夜、ベッドサイドの何処に設置するか決めるのもそこそこにして睦み事を始めた折。

 男は自分の上に跨がり、命令どおりに嬌声をあげ背をしならせる女を見上げながらふと――天井にナイトライトが照らし出す影を見てぎょっとしたのだった。

 影は艶めかしく腰を動かす女を映し出さず、その腰を支える自身の手だけを映していたのだ。

 男は驚き困惑しながらも、今更愛する女を失うやもしれぬ“事実”を受け入れる事も出来ず、そのまま体を重ね続けるのであった。

 やがて二人は疲れ果て、枕を並べて幸せな眠りに就く頃。

 全てを見なかった事にしようと決め目を閉じる男の背から、珍しく女の方から語りかけてきた。

 その内容は、よりにもよって自身の“影”と長らく隠して着た身の上についてである。

 どうやら女の“影”が無い事を見て驚いた男の表情を、女は身逃していなかったからだろう。

 女は初めて深刻な声色で語り始め、男はだまって聞き続けていた。


 そして女は語る。

 “影”が無いのは自身が人ならざる身であるからだと。

 人ならざる身であるが故、法的な戸籍などあろう筈も無いと。

 毎夜、激しく愛し合おうとも子が成せないのは人ならざる身であるが故だと、

 そして――これまでの生活と男への気持ちには嘘偽りは無いが、それを知られてしまっては一緒に居られないと締めくくられた。

 ここで男は始めて背後の女の方へ振り向き、その涙を拭いてやりながら関係無い、一緒に居てくれと口にする。

 ――同時に、あの巫女装束の少女の言葉が蘇る。


「“彼女”の言葉を受け入れてはダメです。今し方“そう”ならぬよう縁は斬りましたが、もし言葉を受け入れてしまえば元通りの神威が訪れるでしょう」


 何年も前の出来事、忘却の彼方にあった台詞はやけに生々しく耳に聞こえた。

 その言葉は何故か真実に思え、しかし決意は既に口にして変えるつもりも更々無いのだが。

 ただ、本来訪れる筈の神威とやらが何なのか、男は急に気になり別種の覚悟を胸に抱くのである。

 この、愛しい女を引き留めるとどうなるのか。

 命を奪われるのか、それとも全ての幸福を捧げる事を望まれ不幸になるのか。

 男は女の返答を待つ間あらゆる物を天秤にかけて、その全てが女に傾くのを確認し安堵した。

 ――今更この女を失う以上の苦痛など、ある筈も無いではないか。

 果たしてそう結論づける男に、女は涙を再び溢れさせながらやっと口を開く。


「ありがとう。でも――でも、このままというわけにはもういかないわ」

「どうして?」

「わかるでしょう? 私は年を“とれない”。貴方と出会った時の姿のまま、ずっとこの姿」

「関係無いよ」

「あるわよ。貴方、初めて出逢った時よりも白髪が少し増えたし、食べ物の好みも肉よりも魚を好むようになってるじゃない」

「それは……」

「いい? 私は“変われない”。だけど、貴方は“変わってしまう”。何時か、貴方は私を違う存在として見るのか、若さを羨むのか、それとも憎むかするようになるわ」

「そんな事! 俺はお前を愛しているんだぞ?!」

「……そんな真顔で言わないでよ。恥ずかしいじゃない」

「恥ずかしい事なんてあるもんか。俺は……ずっとお前と一緒に居たい」

「そりゃ、私だって少しでも長く一緒にいたいから、抱かれる度に“力”を貴方に注ぎ込んでいたけれど……」

「そう、なのか?」


 女の意外な言葉に、男は少し驚いて納得した。

 確かに女と肌を重ねた翌日――強いて言えば激しければ激しい程、その翌日は疲れが残るどころか不思議と活力が漲って体が軽かったのだ。


「うん。私だって……貴方とずっと一緒にいたい」

「なら!」

「だけど今のままじゃダメ。だってそうでしょう? さっきも言ったけど、私は“変われない”。だけど、貴方は“変わってしまう”」

「う……」

「……一つだけ、方法はあるにはあるの。だけどそれは……」

「あるのか?! 教えてくれ、俺はどうしたらいい?!」


 思わせぶりな女の台詞に、男は溜まらず縋り付いた。

 今更躊躇したり疑うような事はない。

 男は愛しい女と一緒にいられるならば、例え騙されていたと知っていても魂すら捧げるだけの覚悟を既に持っていた。

 女はそんな男の様子にやや戸惑いを見せながらも、ぽつりぽつりとその方法を説明するため、とある話を語りはじめる。

 内容は神の眷属と番う人の物語群であり、その結末はすべて悲劇的なものであった。


「番うだけならば方法は何でも良いの。私達の間で同意ができていれば、ね」

「そうか……」

「ただ、神――私が神であるかはわからないけど、神と夫婦になった人間は悉く破滅するわ」

「俺はそれでも構わない!」

「私は構うの。だからただ一つ、神と番う方法を行えばって思うのだけど……」

「それは? 勿体ぶらないで教えてくれ」

「……それは、貴方もまた“私と同じ”になる事」

「お前と――同じ?」

「うん。本当は私が人になれればいいんだけど、多分無理だろうし」

「どうやればいい?」

「ちょ、すこしは躊躇してよ。もしかしたら人を何十人も殺める外法かもしれないのよ?」

「今更俺は躊躇しない。お前と一緒に居る為なら、なんでもやるさ」

「もう。貴方って人は……」

「教えてくれ。どうすればいいんだ?」

「……ただ望んで、全てを知った上で肌を重ねれば“そう”なれるわ」

「それだけ?」

「それだけよ。その後の事は……言えない。よくわからないけども、“そういう事”になっているから」


 女はそう言ったきり黙り込み、代わりにどうする? と言いたげに大きな瞳を潤ませじっと男の顔を見つめていた。

 一方、女と“同じ”になる為にどのような試練が課せられるかと考えていた男はその内容に拍子抜け、一も二もなく返答せんとしていた。

 無論、返答は承諾であるのだが、ここへきてもう一度、あの少女の言葉が蘇り一瞬だけ躊躇が浮かび上がる。


 ――もし言葉を受け入れてしまえば元通りの神威が訪れるでしょう


 神威とは何か。

 疑問は男の返答を一瞬だけ遅らせる効果を発揮したが、決意を鈍らせるには至らず、程なく男は女に頷きかけ一糸纏わぬその肉体に覆い被さったのである。

 こうして男は決断し、やがて年明けを迎えて朝となった。

 しかし既にその家には男と女の姿は無く、会社や街からも消えて、やがて男の家は競売に掛けられ貸家となってしまった。

 この家を落札した不動産業者は人気の物件になると踏んでいたものの、程なくその目論見は外れてしまう事になる。

 切っ掛けは最初に貸した客からの苦情。

 寝室の窓に毎夜大きな守宮ヤモリのつがいが現れて、不気味であるから駆除して欲しいと連絡を受けたのだ。

 家のある住宅街から少し離れた場所には田畑があり、夏は虫も飛んでくるような環境下、守宮の存在はそれ程気味の悪い物では無いのだが。

 それでも苦情が出る程の守宮ならばもしかしたら有害な外来種であるかもしれぬと思い、物件担当の営業者がこれを捕まえてみたのである。

 果たして捕まえ処分したのは手の平よりも大きな巨大な守宮で、しかし一匹だけであった。

 その日以来もう一匹の守宮も姿を現さなくなり、客からの苦情もなくなって担当者は胸をなで下ろしたのだが、程なくこの家を借りていた人物が首をつり物件の価値を大きく下げてしまうこととなる。

 またこの担当者もそれを苦にしてか自社ビルの屋上から飛び降りて、騒動は一時大きくなっていった。

 それから数年後、紆余曲折の果てにこの家が取り壊され更地となったのは、大晦日も近い十二月の末での事。

 更に一年後、この場所に新たな家が建てられたが特に不幸な出来事が起きるでも無く、事情をある程度知る者は胸をなで下ろすのであった。

 深夜、その家の窓に張り付く一匹の守宮は大きな体躯であったが、家人はこれを気にした風でも無かったのが幸いであるのかもしれない。

 やがてその家はよく栄える事となったが、夜中にこの家の前を通りかかるとカエルか何かなの苦しげな鳴き声が聞こえて、一部の者には気味悪がられたのだった。


 その鳴き声が、悲しげな守宮の啼き声であると知る者はいない。





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