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異聞・妖刀百物語  作者: 痴れ者ラボ
月に叢雲花に蟲 ~その後~
34/76

饑神・下




 果たして座敷牢の向こう、鎖で繋がれた女性を見た時陣太郎と甘菜は、如何なる感情を抱いたのだろうか。


 千早神社の本殿の更に奥、かつて少女が陵辱の果てに神となったその場所に、その女性は両の手を手枷のついた鎖でつり上げられ座るようにして項垂れていた。

 窓の無い廊下の突き当たり、座敷牢は文字通り牢獄のごとく堅固で太い木製の格子が縦横に組まれ赤く塗られている。

 その先の室内は畳敷きであり、対照的に奥と左右の壁は岩肌を滑らかに削っただけの壁で、誰かを繋ぐ為であろう、それぞれに厳つい拘束用の鎖が二本一対で垂れ下がっていた。

 女性はその内では奥の鎖に拘束されて、場にそぐわぬ秋らしい淡い茜色のワンピースがまるで牢内に佇む花のように鮮やかだ。

 格子の廊下側から見たところ、彼女は陣太郎らとそう年は離れていないようで、年の頃は二十歳前後であろうか。

 またよく見れば女性を吊す鎖の手枷は肌を傷つけないよう、他の物とは違い布製の物に取り替えられていた。


「高比良――操、さん?」


 呼びかけは甘菜によるもの。

 ここへ来るまでの間、事前におとねから彼女の名とある程度神威の形を聞いていたが為、戸惑いはあれど躊躇は感じられない。

 一方、高比良操タカヒラミサオと呼ばれた若い女性は、甘菜の呼びかけに座敷牢の奥で特に反応を見せず、かわりに身を少しよじってちゃり、と鎖を鳴らすだけに留まった。

 ――同時に、高比良操は低く吐息混じりに微かな呻きを漏らす。

 それから、太ももが畳の上を擦る音にまじってしゅるしゅると衣擦れの音が断続的に、しかし徐々に連続して耳に届き始めた。

 行為に一体なんの意味があるのか。

 意外にも甘菜より先に彼女が何を始めたのか理解した陣太郎は、慌てて“手にしていた品”を抱え込み、後ろを向きバツが悪そうに下を向く。

 陣太郎に一拍遅れて甘菜も彼女の行為の意味に気が付いたが、こちらは同性という事もあってか目を逸らさず、唇を結ぶだけに留まった。


「大丈夫か? 操ちゃん。今助けてやるからな、辛いのももう少しの辛抱だ」


 そんな二人の様子など気にも留めた風で無く、おとねはがちゃがちゃと音を立てて格子の一部を留める鉄の錠を開け、座敷牢への入り口を開く。

 それから中に入り、甘菜と後を向き続ける陣太郎に入って来るよう促したのだった。

 空気の流れが廊下から座敷牢の中へ流れ込み、ゆっくりと天井のどこかへと抜ける風の通り道でもあるのだろう。

 中は廊下とは違い空気が澱み、形容しがたいほど濃く卑猥な獣臭が立ちこめている。

 ――ん、ふ、んん、はぁ

 近くに寄ると高比良操は嬌声の一歩手前のような声を必死に押しとどめながら、ワンピースの下で忙しなく太ももを擦り遭わせ、辛そうに眉根を寄せている。

 長い黒髪は乱れきり、目に光は無く意識は朦朧としているようだが、かといって我を忘れてはいないらしい。

 時折嫌、という言葉が混じって、彼女は何かを必死に否定していた。


「高比良操さん? 聞こえますか? 私、天之麻甘菜と言います。そのままでいいから私の話を聞いて下さい」


 同じ女性として高比良操の恥辱は痛いほど理解出来るのだろう。

 甘菜はあまり時間を掛けるべきで無い、と判断してか高比良操の状態を伺うのもそこそこに、跪き肉のうずきに耐えきれなくなって身をよじる彼女の顔をのぞき込み語りかけた。

 かける言葉は真摯に低く、侮蔑や軽蔑、嘲りとは真逆の聖母のようま声色で牢内に転がる。


「信じられないかも知れないでしょうが、ううん、おとねさんから聞いているかもしれませんが、貴女は今、“ひだる神”という神様の祟りに見舞われています」

「ひ……だ、る……」

「“ひだる神”は山神の一種で、通常は強い飢餓感を人に植え付けますが……貴女は何故か、強い肉欲が植え付けられたようです」

「――ぃ、ゃ……」

「“判っています”。貴女はそんな女性ではないです。しかし、だからこそこのような神威が発現したのかもしれません。山神は嫉妬深い女神であることが……ううん、ちがう。ともかく、原因はわかりませんがその神威から逃れられる方法は判っています」

「たす、け……」

「ええ、助けます。その前に、私の話をよく聞いて心に留めてください。いいですね?」


 高比良操は甘菜の言葉にコクコクと二度、小さくも確かに頷いた。

 彼女の肉体を蝕む劣情は余程のものなのだろう。

 その最中でさえ、よじる体と擦り遭わせる太ももの動きは止める事すら出来ず、室内に満ちる淫靡な臭いを更に濃くしていた。

 それが女性にとってどれ程の屈辱であるか。

 陣太郎は座敷牢の中に入った後もやはり彼女に背を向け、鼻で息をする事すら躊躇い呼吸を薄くし続ける。

 それから、ここへ来る途中に寄った部屋でおとねに手渡された、“手の中にある品”を見つめ、果たして本当に自分はこの場に居ても良いのかと自問した。

 その間にも甘菜と高比良操とのやり取りは進み、いよいよ決意を込めて彼女と向き合わなければならない時が近付くのを感じる陣太郎である。


「――いいですか? “ひだる神”の神威は、基本的にはその欲望を成就させてやる事で祓えます。強い飢餓には食物を。金欲には金品を。色欲にはこれを満たす異性を与えるのです」

「い、いや――」

「ええ。貴女はそんな、苦しみと恥辱から逃れるため安易に男を受け入れる人ではないと理解しています。それに、いくらお祓いだからって、男の人を宛がわれて助かっても嬉しくは無いでしょう。ですので、これから“ひだる神”の神威を貴女から抜き取ります」

「はや――く――」

「もう少し。……その為には、貴女の拘束を解く必要があります。それから、男の人を――目の前にして、自身の底から沸き上がるであろう、強い色欲を押さえ込まなくてはなりません」

「おと、こ――」

「できますか? ほんの少し彼の指示に従えば、貴女は何も失わず元に戻れます。勿論、彼からの性的な接触はありません」


 幼子を諭すような甘菜の言葉に、両の手をつり上げられるようにしてへたり込む高比良操は、縋るような目をしたままもう一度小さく頷いた。

 息は荒く意に反した体の動きはそのままであるが、濁った瞳の奥には未だ理性の灯火が残っている。

 甘菜はそんな彼女の返答に頷き返してから、やおら立ち上がり背を向ける陣太郎にいいよ、と声をかけた。

 が、陣太郎は振り向くでも無く、かわりに少し上ずった声を返すのである。


「……な、なあ甘。ホントに俺がやらないとダメ、なのか?」

「今更、なに言ってるのよ。さっきおとねさんに説明を受けたでしょ?」

「そう、だけど。“これ”の使い方は結局ハッキリしてないし」


 言って、陣太郎は“手にしていた品”……一振りの日本刀を掲げて見せた。

 鞘に納まったそれは黒い拵えで、どこか鬼目一“蜈蚣”を彷彿させる。

 刀は本殿の裏手にある居住用の建物と座敷牢を繋ぐ廊下の途中にある、蔵に収められていた品だ。

 蔵は元々千早神社で生まれた“生き神”にまつわる品を収める倉庫で、近年では今の所最後の“生き神”となったおとねが私物を収める倉庫としても使用している場所である。

 蔵の中には“生き神”となる者の脚を切断するための道具や、様々な記録を残した書物、“生き神”となる前であって人々の私物などが収められて、しかし刀自体はそられとは関係無く、つい最近おとねが収めた品であった。

 おとねは二人を高比良操に会わせる前にここに寄り、改めて事情の説明を行うと共に陣太郎にこの刀を手渡していたのだが。

 陣太郎にしてみれば何の脈絡も無く手渡された刀であったが、おとねにしてみれば以前からの“備え”であったらしい。

 どういう事かと説明するならば、話は現在の天之麻家の事情が大きく関わる事になる。


 ――晴れて鬼の祟りから開放された天之麻家であるが、かといって神威に関わる“仕事”は無くなる訳では無かった。

 それは天之麻悟郎の跡を継ぐ甘菜も同じで、その甘菜と共に人生を歩む(であろう)臼木陣太郎も、望む望まないに関わらず同様である。

 が、神威はただ知識があれば祓える代物では無く、例えば天之麻の女だけが使える神器“天目一命”のように、何かしら神威に対抗できるだけの器物が陣太郎にも必要となるかもしれない、と天之麻悟郎は予測していた。

 そこで彼は陣太郎や甘菜と親交のあるおとねに、とある提案を持ちかけたのである。

 結果打たれたのが、今陣太郎が手にしている刀――“無銘”であった。

 しかしそれはそれとして別の問題もあってか、本来ならば“無銘”は陣太郎の手に渡る事は無く、そのまま千早神社の倉庫で朽ちるはずだった。

 というのも、長きに渡る天之麻と臼木の歴史の中で、両家を結ぶと同時に縛る楔であった祟りが消えた今、果たしてこれからも神威に関わっていくべきかという根本的な所で、天之麻悟郎は悩み逡巡していたからだ。


 そも神威とは神の力の顕現であり、基本的には人の手に余る力である。

 勿論悟郎が請け負う“仕事”は人の手でどうにかできるうる程度のものであるが、時としてその大きさを見誤る事もあるだろう。

 故に折角鬼の祟りから逃れた二人をこれからも神威に関わらせるべきか――天之麻悟郎とて人の親であり、その答えは彼の地で娘を取り返した時、既に出てはいた。

 実の所その旨を娘に話した事もあった悟郎だが、意外にも愛娘はこれを拒否し、天之麻の社と“仕事”を継ぐ事を望んだ。

 古来天之麻家は神威に祟られ、神威と関わり、小さな物ならば神威を祓う事ができたが故、存続できた家でもある。

 このような家は時に権力者に必要とされ、今日でも裏に表に怪異を払う力を提供する代わりに保護を受ける事が多々あるのだが、その在り方を変えると言う事は即ち天之麻神社の存続に関わる問題とも言えた。

 悟郎としてはそれでも良く、臼木家に甘菜が嫁ぎ天之麻家は自分の代で途絶える事も良しとすら考えていたのだったが、甘菜の考えは父親とはまるで違ったようで、大いに父親を困らせる事となる。

 曰く、長い歴史の中で多くの無念と涙を吸い存続してきた天之麻神社を、どうして一人神威から開放された自分達が潰せようか。

 曰く、彼、彼女らの無念を思えばこそ、天之麻を存続させるべきでは無いか。

 甘菜はそう主張し、“自分だけは”悟郎の仕事を継いで神威に関わる一生を送ると明言したのだった。


 つまり問題は、陣太郎をどうするかという所に帰結する。

 陣太郎本人は当然ながら天之麻家に婿入りするつもりで、神威には近付きたくはなくも甘菜の“仕事”を手伝う事を望むだろう。

 また、天之麻家宿縁の祟りを祓うなど、その資質(この場合は才能では無く“縁”)に疑う余地は無く、婿として迎えるならば申し分のない存在とも言える。

 しかし当の甘菜自身はともすれば自身の危険を顧みない陣太郎の性格を良く知ってか、彼が神威に深く関わる事をあまり快く思っては居なかった。

 結果、問題は先送りされ“無銘”はおとねの手元に留められたまま、陣太郎おろか甘菜にさえ何も知らされず今日に至る。

 今回天之麻悟郎がおとねからの相談を甘菜に振ったのはそういった経緯があり、状況次第では“無銘”を陣太郎へ手渡し、これからの自身の立ち位置を陣太郎自身に選ばせて欲しい、と頼まれてもいたのだが。

 おとねとしては“蜈蚣”の恐ろしさを知るだけに、元々は“無銘”が陣太郎の手に渡る事は避けたく考えていたようで、悟郎が甘菜と陣太郎に相談内容を振った事は、計算外の出来事であった。

 それだけに彼女は、神威に祟られた高比良操を軟禁する座敷牢へ案内するがてら、途中にある蔵の前で陣太郎に“無銘”を手渡し由来を語った後。

 あえて“無銘”が悟郎の依頼により、陣太郎が神威に対峙する為だけに作刀された品である事は二人に伝えず、事が済めば刀を置いて帰って貰う心積もりで二人を案内していたのだった。


「大丈夫よ。それ、力こそ弱いけど正真正銘霊刀・神刀の類だと思うし」

「甘っちの言う通りだ。前にここで臼木氏うじが一時的に神となった時に使った、カッターの刃を鋼に溶かし込み“生き神”である俺の髪を一房火にくべて打ったものだかんな。臼木氏が振るえばそこそこ神威を祓える筈だぞ?」

「なんでそうなるんですか?」

「由来、ってやつだよ。因果でもいいかな? 陣ちゃんは以前に強い神威にあてられて、それを祓ったでしょう?」

「うん、まぁ……」

「過程はともかく、その事実が大事なの。御利益というか……はやい話、陣ちゃんには神威を祓うえにしが多少はあるわけ」

「だったら、こんな物騒なモンでなくてもいいんじゃねえか? 俺が神威を祓おうとすればいいだけで、持ち物なんて何でも良いように聞こえるけど」

「神威を祓う縁があるだけじゃダメ。所詮は人の力だしね。“縁”を神器で補強してあげないと」

「伝説の英雄とか、なんかかっけぇ特別な武器を持ってるだろ? 臼木氏の場合もそういう事なんだよ。特に、刀と縁深いのは言うまでも無いだろ?」


 甘菜とおとねの説明に、陣太郎はむむと言葉を飲んで今一度、手の中の刀を見やった。

 細やかな設えは違うものの、黒一色のそれは重さや触感までがどこかあの祟り刀に似ているような気がして、やけに手に馴染む。

 ――確かに、神威と自分を結びつける時、刀という“形”は縁を現すのに相応しいのかもしれない。

 だが、刀は人を斬る道具でもある。

 そのような物を、いったいどうやって人に祟る神威に対して使うのか。

 考えながら陣太郎はゆっくりと後を向き、いまだ苦しそうに、艶っぽく呻く高比良操に初めてまともに正対した。

 それから薄々感じていた事を確認するように、ある覚悟を胸に抱く。


「……失敗というか、何も出来ないかも知れませんよ、おとねさん?」

「そんときゃ仕方ねぇ。限界まで待って、それでも神威が祓えないなら……“だれか”に頼むさ」

「でもそれじゃ――」

「……だから、仕方ねぇだろ。当然恨まれるだろうが、狂い死にするよかマシだ」


 ――そうなのだ。

 いつだって神威は容赦なく人を翻弄し、己の背を突き飛ばす。

 目の前の女性に降りかかる神威“ひだる神”は、飢餓などではなく激烈な色情を与え、性交する以外には逃れる術は無いと見立てられている。

 更にもし情欲が満たされねば一生このままか、果ては狂死でもするしか無いだろう。

 勿論おとねはそのような結末は望まない。

 事実恨まれる事を承知で、最後には男を宛がい“ひだる神”を満たす強硬手段に出ると“生き神”は口にした。

 また、恐らくは事情を知っていた天之麻悟郎にしても、甘菜がおとねの相談を聞いた折、甘菜に“天目一命”を持ってここへ訪れるような話は出てはいない。

 その事実は甘菜と“天目一命”では“ひだる神”の神威はどうしようも無い事を意味して、故に共に訪れるよう言われた自身にこそ何かしらの可能性があるのだろうと理解はできていた。

 ――“縁”。

 神威と自身を結びつけるのに、甘菜はそう表現した。

 自身に特別な力があるわけでは無い。

 しかしそれは確かに存在して、結果自身は数々の神威を祓い除けてここに居る。


 陣太郎はそのように考え、徐に手にした刀の鍔を押し、鯉口を切るのであった。

 “無銘”はカチャリと小さく音を立て、澱む空気を清めるようにやがてその刀身を現して行く。

 抜き放ったソレは、刃長二尺六寸(約七十九センチメートル)、重ねは厚めで反りは浅い。

 偶然であるのかそれとも必然であるのか、重さ、長さ、手触りでさえあの鬼目一“蜈蚣”と同じでよく陣太郎の手に馴染んだ。

 ただ一つ決定的に違うのは、祭器としての側面の強い“無銘”は刃が研がれていない、模造刀であったと言う点であろうか。

 果たして陣太郎は抜き放った“無銘”をどの様に扱うのかも決めぬまま、高比良操の前に立ちその切っ先を彼女に差し出したのである。


「おとねさん、甘。彼女の手枷を解いてもらえる?」

「……わかった」


 言われるまま、おとねと甘菜は憐れな女の戒めを解いてみせる。

 高比良操は変わらず息を荒げながら、急に自由になった両の手をしばし地についていたが、抗う情念に耐えきれず股の間に諸手を差し込みかけ――

 すんでの所で差し出された模造刀の切っ先を握り、一握の矜持を保った。

 それから縋るように陣太郎を見上げ、もはや言葉にならぬ声で唇を、たすけてと型どりぽろぽろと涙をこぼれさせる。

 その間も“無銘”を握る両手は、向けられた刀に刃が付いていない事に気が付いてか、強く握られ小刻みに揺れていた。

 だが、刀を突き出す陣太郎と刃の無い刀身を握る高比良操が、この日初めて近くで顔を見合わせたのも束の間。


「陣ちゃん?!」

「臼木氏! 操ちゃん?!」


 ――何時からか、どの瞬間に“そう”なっていたのか。

 突如意識を失い倒れ込む高比良操と、その場に崩れ落ちるようにしてへたり込む陣太郎である。

 甘菜とおとねの叫びは、狭い座敷牢の中強く響いた。

 陣太郎は急速に意識を曖昧にしながらも、襲いかかって来る懐かしくもおぞましい気配を感じながら、最後の力を振り絞り己を助け起こそうと寄ってきた甘菜を突き飛ばし、“無銘”を鞘に納め、呟くのである。


「甘……俺を、ここに閉じ込めてくれ」


 言葉の意味はすぐに甘菜の理解が及び、果たして陣太郎の願いは満たされる。

 こうして、高比良操は神威より開放された。





「陣ちゃん、具合はどう?」


 一週間後、千早神社の最奥は座敷牢。

 甘菜の呼びかけに、座敷牢の奥で刀を抱え蹲っていた陣太郎は力無く顔を上げた。


「なんでまた来るんだよ」

「なんでって、心配だからに決まってるじゃない」

「大丈夫だよ、案外耐えられるし」

「……意外。男の子って、ソッチ方面じゃすごく我慢強いものなのねぇ」

「意外は余計だ、意外は」

「だって陣ちゃん、えっち本とか結構な数もってたし。私、絶対耐えきれなくてこう、一人で……って何言わせルンダ!」

「勝手に言ったんだろ。……でも、自慰して“ひだる神”が満足してくれりゃ、どんなに楽か」

「まぁ、マジメな話何度も言ってるけど、一人でやっちゃだめだよ。イってもイっても“ひだる神”の神威は祓えないからね。えっと、なんだっけ。テクノなんとかってので死んじゃうから」

「わぁってるよ。あ、そういや彼女は?」

「高比良さん? 寝込んでたけど一昨日良くなって帰って行ったよ。陣ちゃんによろしくって言ってた」

「そか」

「なぁに? それ」

「なにがだ?」

「黄昏れちゃって。言っとくけど、彼女の痴態を思い出そう物なら私、別れるからね」

「お、思い出すもなにも俺殆ど後向いてたし! って、そんな可哀想なことしねぇよ。お前も冗談でも言うなって」

「む……それもそうだね。ごみん」

「おう。バツとしてこっち来て“ひだる神”を追い出すの手伝ってくれないか?」

「や」

「恋人だろ?」

「生理だし。二日目だし。辛いし。エロ太郎は好きくないし。合コンいくし。携帯にえっちな画像入ってるし。それどころかえっちな動画見たくて新型スマホ欲しい欲しいって言うし」

「げ! 携帯チェックなんていつの間にしたんだよ?!」

「やだ……カマかけたら当たってしまったざます……」

「うへぇ……ざますじゃねえよう、畜生……」


 努めて明るく話しかけてくる甘菜に、陣太郎は痛いほど怒張する股間を隠すように更に小さく蹲って、がっくりと項垂れてしまった。

 とはいえ高比良操から陣太郎に移動した神威は、当初と比べ弱まりつつある。

 だからかここ数日は陣太郎にも甘菜と他愛も無い会話を交わす余裕が出て来て、日に何度かこうして会話を交わす事が出来るまでになっていた。

 甘菜は千早神社に留まる間、何かしら仕事でも手伝っているのだろう。

 この日は久しぶりに見る白衣に朱袴といった巫女装束で、陣太郎の元に訪れていたのだった。


「……ほんと、ごめんね」

「なにいきなり謝るんだよ」

「その刀。おとねさんを問い詰めたら、元々はうちの父さんが用意してたものだったの」

「そう、なのか?」

「うん。父さん、陣ちゃんがうちに婿入りする時の事も考えて、天之麻の“仕事”を手伝えるようソレを作ったんだって」

「ふうん。って、なんで甘が“この刀がおかしい”って気が付いたんだ?」

「なんでって。確かに陣ちゃんの“縁”が神威に影響を及ぼせるかもしれないけど、祟り刀のような刀という形や、相手の祟りを身をもって受ける臼木の形、神威に苦しみながらも取り込まれはしない、その後の形を見てれば気付くよ」

「そんなもんか?」

「ん。出来過ぎも出来過ぎ、あまりに“陣ちゃんらしい”結果だもの」


 甘菜はそう言いながら、何を考えてかがちゃがちゃと鉄錠を外して座敷牢の中へ入ってきた。

 これに焦ったのは陣太郎である。

 今でこそなんとか話せるまでに収まってきていた“ひだる神”だが、目の前に想い人が現れ、しかも無防備に近寄られるとやはり獣欲が強く暴れだし、理性を保つ事が困難になるからだ。

 現に数歩甘菜が近寄るだけでも、しゅるりしゅるりと巫女装束の衣擦れの音が耳にへばりついて、ぐるぐるといかがわしい思考が渦巻き陣太郎を苛む。


「ちょ、ばっか! 折角押さえ込んでるのに来るなって!」

「いや、その……あはは」

「あははじゃねぇって! ほら、キツいんだからとっとと出て行けよ」

「いいのよ、別に」

「何がっって、なぬ?!」


 思いがけぬ、甘菜の言葉に絶句する陣太郎。

 一体何が“いいの”だろうか。

 甘菜とは既に幾度かは体を重ねた関係ではあるが、このような状況で、このような場所で、これほど簡単に肌を許すような性格ではないと良く知る陣太郎である。

 その証拠に件の合コン騒ぎから一年以上甘菜は陣太郎に肌を触れさせてはもらえていない。

 本当にそうせざるを得ない状況ならばいざ知らず、徐々にではあるが“ひだる神”を押さえ込みつつあった昨今、なぜ甘菜はそのような事を口走っているのか。

 モジモジとしながらすぐ側に座る幼馴染みは、伏せ目がちになって何か言いたげに口を尖らせた。


「……“これ”の事で気が引けてるなら、気にすんな。確かに神威にはもう関わり合いにはなりたくないけど、お前と一緒に居られるなら俺は“これでいい”と思ってるし」

「……ちがうよ」

「いや、本当だって。お前と一緒なら、俺はこういう役回りでもいい。親父さんに感謝したい位だよ、俺なんかにこういうものを用意してくれてさ」

「あ、いや……そうじゃなくて」

「ん?」

「そうじゃなくてね、陣ちゃん。私、ほら、可愛げがないでしょ?」


 ――いや、十分可愛い部類だと思うが。

 言いかけて、それが見てくれでなく性格などを指している事に気が付いて口をつぐむ陣太郎。

 ここで肯定は勿論、否定もしてはならぬと判断が付くのは長く甘菜と付き合っているが故であろう。


「天之麻の“仕事”もね、私だけでやっていくつもりだったんだけど……今回の事で気付いたの」

「何を?」

「一人で神威に向き合うって事は、今回みたいな事が起きた時に誰かに助けて貰う必要があるって事でしょう?」

「ま、な」

「もしそうなって、じゃあ誰に助けられたいかってふと考えちゃって。もし、もしだよ? 私の方に情欲の“ひだる神”の神威が移動したりしたら、私陣ちゃん以外の人には助けられたくないもの」

「そりゃ、俺だって他のその……なんだ、処理させるのは嫌だよ」

「処理ゆうな!」


 ぽこん、と甘菜に頭をはたかれる陣太郎。

 陣太郎としては色々な所で滾る所がありそれどころでは無かったが、甘菜も甘菜で余裕が無くなっているようで、照れ隠しも混じった理不尽さが見え隠れし始めている。


「てて、悪い」

「もう。ちょっと位は言葉を選んでよ」

「悪かったって。……それより、甘、本当に出て行ってくれないか? いい加減、きつくなってきた」

「だからいいって」

「いいって、お前……生理なんだろ? 二日目で辛いってさっき言ってたじゃないか」

「ああ、それはその……えへへ、嘘。って、バカヤロ。照れ隠し位見破りやがれよぅ」

「……無理。つか、ホントお前どうしたんだ? なんか様子が」


 ――しかし言葉は出てこない。

 幼馴染みによって、途中で唇を塞がれたからだ。

 キスはまるで時を止めたかのように短くも長いものであった。


「――ん。だから、いいんだって。いい加減大学に帰らなきゃならないし、そもそも私達は恋人同士でもあるし、ね」

「本気、か?」

「ん、本気。あ、でも合コンは義理参加でも許さんぞ?」

「お、おう」

「ならよし。今助けてあげる」


 甘菜はそう言って恥ずかしそうに笑い、陣太郎の首に手を回し先程よりも強く長いキスを行った。

 “無銘”を通して陣太郎に移った“ひだる神”の神威は、程なく消えるだろう。

 ――そういえば。

 ふと、陣太郎は理性を手放す瞬間に思い出す。

 いつだって彼女の側で刀を抜くとき、決まって最後には唇を重ねていた事を。

 果たしてその“縁”は陣太郎の物であるのか、“無銘”の力による物なのか。


 答えは甘く絡み合う二人には無用であった。




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