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異聞・妖刀百物語  作者: 痴れ者ラボ
サムライ×フロンティア
3/76

Bullet◎3



 アニーが再び意識を取り戻したのは、日もそこそこに高くなってからだった。


 胸元が引き裂かれた服はそのまま、身体には新しい毛布が掛けられ、部屋にも男達の姿は無かった。

 家中に漂う血の臭いはむせるようで、床にはいまだ大きな血溜まりが残っており、壁にも点々と血しぶきが飛んだ後がある。

 アニーは毛布で胸元を隠しながらベッドから起きて、替えの服を用意しとりあえずは着替えることにした。

 昨夜の経験からでなく、習慣としてガンベルトを腰に巻き、父の形見の銃を差し込む。

 それから一通り、家の中の様子を見て回った。


 屋内はどうやら“あの時”のままであり、荒らされたままの室内では小物の数々が床に散らばっている。

 対照的に、昨夜男達が漁っていたであろう金目の物や食料は、整然とテーブルの上に置かれており、彼女をひどく安堵させた。

 これらを誰が消えた男達の懐から集めたのか、アニーには心当たりが一人。

 恐らくはあの、黒い影――昨日拾った男の仕業であろう。


 脳裏に浮かんだのは、昨夜の凄惨な光景。

 手にしたナイフで二人の男の首を刎ね、一人の男の手首を切り落とした、あの時。

 アニーは男の存在とその恐怖を思い出して、身震いを一つした。

 それからやっと、根本的な疑問を思い起こす。

 あの男は一体どこに?

 それに、昨夜の強盗達の死体は?

 本当に何も盗らないで姿を消したのだろうか?

 疑問は、アニーにとって最大の財産でもある愛馬の事を思い出させた。

 もし、盗まれでもしていたら大変だ。

 馬は牛追いにとって身体の一部と言っていいほど重要な存在である。

 それを失うということは、この荒野で一人野垂れ死ぬ事を意味していた。


 アニーは頭から血が引く思いで家を飛び出し、馬小屋へと走る。

 果たして其処には、彼女の愛馬の姿は無かった。

 昨夜感じたばかりの絶望がじわりと彼女の身体に沸いて、その場で膝を追ってしまう。

 ――もう、おしまいだ。

 新しく馬を買う金などない。

 牛を売って買おうにも、今度は牧場から牛が居なくなってしまう。

 残された道はカンザスシティやドッジシティに繰り出してこの身を売るか、それともアウト・ローになるか。

 頭を銃で撃ち抜くと言う手もあるし、それらをやってみてからどこかの牧場で牧童として雇ってもらえるか試してもいいかもしれない。


 アニーは膝を大地について頭を抱え込んだ。

 どこかの大牧場で雇ってもらえる者など、西に行って金を掘り当てる位難しい事だ。

 なにせ、女の身で牛追いを行う事は南部では異端もいいところだからだ。

 彼女がカンザスの田舎町で他の牛追い達に溶け込めているのは、事情を知る父の友人達のおかげであった。

 町の男達や女達は彼女が一人で牧場を守ろうとしている姿を知っているからこそ、牛追い仲間として受け入れてきたのだ。

 牧場を町のだれかに売り払い、牧童として雇ってもらえるよう交渉する道もあるかもしれない。

 しかし、どう考えてもこの貧しい町に住む者で、牧童を雇える者など皆無であった。

 呆然と空の馬小屋を見詰める彼女の大きな瞳に、涙がじわり浮く。


「おお、起きとったか」


 背後から急に声をかけられ、アニーは反射的に銃を抜きつつ体を捻った。

 視界が流れ、銃と声の主が眼前に現れる。

 声の主はあの奇妙なローブのような服を着用して、手綱を握っていた。

 背は低く、黒い髪を後ろで束ね、薄く生やした無精ひげと左のこめかみから頬にかけての大きな切り傷が印象的だ。

 男は切り傷のある方の左目は不自然に閉じられており、銃を向けられているにもかかわらずボリボリと暢気に顎を掻いている。

 こいつ、バカ? 銃口を向けられてこんな……

 アニーはそう思いながらも、男の隣に居る馬の姿を見るや思考は停止し、立ち上がりながら思わず叫んでいた。


「クララベル!」

「すまん、借りとったぞ。部屋を血だらけにしちまったんでな、せめて掃除をしなくてはと、川まで水を汲みに行っておったんだ」


 男の台詞に、アニーは初めてクララベルに水桶がつり下げられて居る事に気がついた。

 人見知りの激しい愛馬は、特に男に警戒した様子もなくぶるる、と唇をふるわせ主との再会を喜ぶ。


「あんた……」

「いや、すまん。ここで勝手に馬を持ち出す事がどういう事か、よく分かっておったが勘弁してくれ」

「分かってない! なんでクララベルを勝手に連れ出すのよ!」

「いや、その……わしゃ水場の場所を知らんで。だから、この馬に案内してもろうたんだ」

「そんなの、理由にならない! いいわ、保安官に突きだしてやるから、覚悟なさい!」

「いや、いやいや、保安官は勘弁してくれ。ほれ、代わりにといってはなんだが、馬も洗っておいたしの」


 男は慌てて、両手のひらをひらひらとアニーへ突きだした。

 アニーは不安と絶望の反動から来る怒りに燃えて、男に銃を向けたまま敵意を込めて睨み続ける。

 そんな彼女をなだめるように、男の隣に居るクララベルが再びぶるる、と唇を振るわせ大きな頭を男へとなすりつけた。


「うぉおっと、悪ぃな、ちょっと今取り込み中じゃて。水は……うむ、わしがこの嬢ちゃんに撃ち殺されなくば、後ほど用意して進ぜよう」

「……随分となつかれたものね」

「むふ、そうじゃろ?」


 男はそう答えて、嬉しそうな表情を浮かべ可可と笑った。

 その表情は人なつこく、アニーは毒気を抜かれ渋面を浮かべたまま銃を下ろしてしまう。

 しかし依然敵意は男に叩き付け続けていたが、男は気にした風でもなく、悠然とアニーの前を通ってクララベルから水桶を下ろすのであった。

 水桶の他にも血まみれになっていたであろう、昨夜アニーが使っていた毛布がクララベルの背に積まれ、男はそれも下ろしながらアニーへ笑いかける。


「そう、怒りなさんな。美人が台無しだぞ? ほれ、血まみれになっちまってた毛布もこの通りすっかり綺麗になったでな」

「……一応、昨夜の事は礼を言うべきね」

「いや、気にする事はないぞ。わしも行き倒れて居る所を助けてはもろうた身ではあるし。まぁ、いきなり銃弾が飛んできたのにはたまげたが」


 男はそう言って、もう一度可可と笑う。

 アニーは毛布を何処に引っかけて干そうかと、キョロキョロとする男から毛布をひったくりながらじろりと男を睨んだ。

 男は飄々とした態度で肩をすくめてから、荷物を下ろしたクララベルを馬小屋へと導いてやると飼葉桶と水桶をそれぞれ用意してやる。

 日も随分と高くなっており、アニーはとりあえず毛布を干すべく馬小屋から死角になっている干し場へと移動した。

 手早く毛布を干して馬小屋に戻ってみると、男の姿はすでに無い。


 今度はクララベルは馬小屋に居るのでアニーが焦るような事はなかったが、何処に行ったのか気にしつつも家に入ると、そこで再び男を発見する。

 男はアニーに背を向け、なにやら床にこすりつけていた。

 何をしているのかと訝しげながら横に回ると、男は藁を使い、床にできた血染みをゴシゴシと拭いて古い飼葉桶のバケツに藁を浸し、丹念に血を取り除いているではないか。

 どうやら一連の行動に悪気は無いのは本当らしく、アニーはそこで初めて男への敵意をため息と共に消し去る事にした。

 それから、もう一つ古い飼葉桶とボロ布を用意して、男と少し離れた壁についた血を拭き始める。

 そんなアニーの姿を確認してか、男は申し訳なさそうに口を開いた。


「いや、ほんに、すまんな。昨夜はまだ具合が悪くての、手加減ができなんだ」

「……もう具合はいいの?」

「正直な所、まだ体に力が入らん。もう三日、何も食って無いからのぅ。先程お嬢さんの愛馬と共に、川の水を鱈腹飲みはしたが」

「……アニーよ。アニー・マクマホン。あなたは?」

「臼木陣十郎。と、違うか。ジンジュウロウ・ウスキじゃな、ここでは」

「……どっちがあなたの名前よ?」

「わしの国では、姓が先に来るでな。名はジンジュウロウじゃ。久しく他人と名を交換しなかったで、すっかり忘れる所だったわい」

「……そう。随分と変わった名ね。それに、英語も結構上手いじゃない。あなた、どこの部族?」

「部族?」

「南のチェロキー族の所に行くんじゃないの?」

「ちぇろきぃ? ああ、お主、わしをインデアか何かと思うとったのか」

「え! 違うの?!」

「違うさぁ。わしゃ、ヒノモトはチクゼンの出じゃて」

「HINOMOTO? CHIKUZEN? 聞いたことの無い地名ね。メキシコ?」

「いんにゃ。清国はしっとるか?」

「チャイニーズの国? たしか、カリフォルニアよりずっと西の国よね」

「そうそう。その、清国の隣の島国じゃ。そこのチクゼンという所の生まれじゃよ」

「なんだ、あんたチャイニーズの親戚か何かだったの」


 陣十郎がインディアンでないと知ったアニーは、肩の荷が又一つ下りたような気がして壁にへばりついた血染みを拭きながらも胸をなで下ろす。

 陣十郎への警戒心は未だ解けないが、今更背後から襲われる気がしないほどには気を許していたアニーであった。

 室内に、石畳の床を藁で擦る音がシャカシャカとリズミカルに響いて、そこから先の会話は途絶えてしまう。

 やがて陣十郎はその場の血染みを綺麗にできたのか、今度は昨夜まで横たえられていた奥の部屋に向かい、そこでもシャカシャカと床を拭き始めた。

 そういえば、奥の部屋で一人目の首を……

 アニーはそう考えて、はっとする。


「そうだ! 肝心な事、忘れてたわ!」

「んー? なんじゃー?」

「あんた、あの強盗どもの死体はどうしたの?!」

「あー、それなら、裏手の納屋の方に置いとる。息のある奴は止血してふんじばっとるから、安心してよいぞ」

「安心って……」

「なに、干からびんようにちゃんと日陰に置いとるし。日が昇れば臓物が腐りはじめて酷い臭いになるし、コヨーテも寄ってくるが、まずは部屋の掃除じゃろ。ま、午後になれば日なたになろうが、それまでは保つだろう。それに死体は一応、保安官に報告するのに必要じゃろ?」

「ええ、まあ……」

「あの後、外におった奴には逃げられたで。生きとる奴から仲間の数を聞いといた方がいいと思うしな」


 奥の部屋から少し声を張り上げて、陣十郎は言った。

 シャカシャカと床を藁で擦る音は途切れずアニーの耳に届く。

 一方、アニーの方はというと、粗方壁の血染みは拭き終えたので今度は荒らされた屋内を元に戻すことにした。

 幸い壊れされた物はなく、物色され散らばった屋内を元に戻すのに、それほど時間はかかりはしなかった。

 もっとも、彼女が貧しく元々物がそれほどなかったというのもあるが。

 アニーが最後にテーブルの上に置かれた金目の物を確認し、大切にしまい込んでいると奥から飼葉桶と藁を持った陣十郎が姿を現す。

 どうやら床を綺麗にし終わったらしい。


「終わったの?」

「ああ、終わった。こちらも、粗方片付いたようじゃな」

「ええ。私はこれから保安官を呼んでくるから、留守を頼めるかしら?」

「うげ! わ、わしが留守番をするのか?! 見知らぬ男に家の留守を任せるなどちと不用心では……」

「何か盗るつもりなら、昨夜やってるでしょ。それに、金目の物とクララベルは私が持っていくしね。不都合ないわ」


 アニーの大胆とも言える言葉に、陣十郎は目に見えてうろたえた。

 それから、少しうつむきぽつりと呟くように、独り言を発する。

 勿論、独り言ではなく彼女へ暗に提案を撤回して欲しいとの訴えであるが。


「わしは不都合ある。保安官シェリフはどうも苦手じゃて」

「あなた、もしかしてアウト・ロー(法の外に置かれた者)?」

「んにゃ。外国人じゃから微妙だが、わしゃこの国じゃ一度も裁判は受け取らん。無論、賞金首になった覚えもないぞ」

「じゃ、いいじゃない。アウト・ローでも殺しちゃったら一応届け出ないと。それに、もしかしたら昨夜の強盗は賞金首かもしれないわよ?」

「ふん、金などいらん。助けてくれた礼に、嬢ちゃんにやるよ」

「まあ、嬢ちゃんだなんて! 私、大人なんだけど?」

「そうかい? そりゃ、すまなんだ。とにかく、保安官には会いたくないのぅ。連中、わしを見るたびに不審者扱いしよる」

「……そりゃ、そんな格好でウロウロしてればね。腰に差してる棒……二本ともナイフ? サーベル? 随分長いけど……それ、目立つし」

「刀というもんじゃよ」

「KATANA?」


 陣十郎はぽん、と腰に差した大小に手を置きながら笑った。

 その少し皺のよった屈託のない笑顔にアニーはどこか、気が安らぐような親しみを感じてつい、するつもりのない質問が口をつく。

 彼女のオウム返しに陣十郎は興味があると勘違いしたのか、笑顔のまま腰に差した刃物がどんな物かを語り始めた。

 アニーはそんな事よりも、死体の臭いが強くなる前に保安官を呼びに行きたかったが、陣十郎に留守を任せたい考えもあって少しだけ付き合うことにしたのだった。


「そう、カタナ。少し短い方は脇差しゆうて、長い方が打刀とゆうんじゃ。まあ、わしの脇差しは長脇差しじゃがの」

「へぇ、名前が付いているんだ?」

「ちがうちがう。名前は別についとる。今ゆうたのは、種類としての名前じゃ。ほれ、“馬”とか“牛”とかのな」

「ねぇ。じゃあ、名前はなんてつけているの?」


 興味が出てきたのか、それとも興味があるフリをしたのか、アニーは立て続けに質問を投げた。

 しかし、その質問は。

 陣十郎にとって何か思う所があったのか、急に表情に影を落として腰に差す脇差しをなで始める。

 アニーはその様子から、聞いてはいけないような事を聞いてしまったのかもしれないと思い、答えなくていいと付け足そうとした。

 だがそれよりも先に、陣十郎は彼女の質問に答えたのであった。


「こっちの少し短い方は百合。長い方は……祟り刀じゃて、名は……無い」

「TATARIGATANA? そっちはUTIKATANAじゃないの?」

「あいや、打刀なんだが素性が良くなくての。その、呪いがかけられとるんだ。だから名は取り上げられたんじゃよ」

「ふぅん?」

「わしゃ貧乏じゃて。こういうもんじゃないと高価な刀は手に入らなかったんでの。左目を失ったのも、そのせいじゃろうな」


 陣十郎はそう言うと、笑いながらずっと閉じたままの左目をぱんぱんと手で軽く叩いて見せた。

 その仕草は陽気な物であったが、アニーにも読み取れるほど陣十郎の表情に暗い物が見え隠れする。

 アニーは彼が話した内容に今ひとつピンと来ないまま、それ以上質問を重ねることもせずそう、とだけ答え話題を変えることにした。


「そういえば、あなた左目をいつも閉じているわね。顔の傷を負った時に怪我したの?」

「うむ。ま、そんな所だ」

「それに、その、YURI、だっけ? そのナイフ、本当に良く切れるのね。――人の首をあんなに簡単に両断できるなんて」

「むふ、そうであろう? なにせ、この脇差しはわしの自慢の一品じゃしの。まあ、わしの腕前もあるんじゃが」

「嘘おっしゃい。どうせ、そのナイフのおかげでしょ」

「む、手厳しいな。ま、否定はせんよ」

「ねえ、YURIって、どんな意味の名前なの?」


 アニーは先程の質問をごまかすように、いくつか質問を重ねる。

 それは功を奏したのか、陣十郎から暗い影は消え、少し誇らしげに腰に差した脇差しの事を語らせていたのだったが。

 しかし最後の質問は、彼女にとって失敗となった。

 どうやら目の前の男にとって、腰に差している短刀が自慢であると踏んだ彼女はうっかり、その名の事を深く訊いてしまったからだ。

 陣十郎の様子に内心、しまった! と舌打ちをするアニーであったが、しかし今度は陣十郎の表情に暗い物は差さなかった。

 だが、それは。

 いずれ彼女を苦しめる棘となるとはこの時、アニーには想像もつかない。

 後日、この時の陣十郎の台詞を思い出す度に、嫉妬の炎に身を焦がす羽目に陥るのだが、残念ながらこの時点でのアニーが抱く陣十郎の評価は、恋愛対象ですらない中年男性に過ぎないのだ。

 だからこそ、直視してしまう。

 質問に、間をあけて答える陣十郎の表情を。

 その表情に望郷と、慕情をのせて。


「白い、美しい花の名じゃよ。わしのかつての許嫁と同じ、の」





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