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異聞・妖刀百物語  作者: 痴れ者ラボ
月に叢雲花に蟲
22/76

迷家




 尾川祐介は想定外の事態に困惑していた。


 齢四十二になる彼は、所謂“泥棒”である。

 泥棒とは他人の所有物を盗む盗人の事であり、今風に言えば窃盗と呼ばれる者の事だ。

 窃盗は様々な種類があって、例えば家屋に忍び込んでの窃盗である金庫破りや事務所荒し、倉庫荒しや学校荒らしを行う侵入窃盗が“泥棒”のイメージが強いのではなかろうか。

 他には車や自転車を盗む乗り物盗や、最も身近なものでは万引きや置き引き、車上荒らしといった非侵入窃盗と呼ばれる窃盗が上げられる。


 尾川祐介はこの内家屋に侵入して金目の物を盗む“侵入窃盗”を生業としている男だった。

 勿論、今の日本おろか世界中どこの国においても泥棒は職業として公に認められては居ない。

 しかし若い時分から道を踏み外していた彼は幾度も刑務所に出入りを繰り返しており、気が付くと三十路を越えて、さして学歴や職歴・資格も無い前科者を雇おうとする企業などある筈も無く。

 やがては窃盗で生計を立てるようになり、何度も刑務所へ送られ娑婆に戻って来るという生活を送るようになって久しく、気が付けば四十になり今日に至ったのが尾川祐介の人生である。

 更正などとうの昔に望めようも無く、その日の深夜三時を回った頃、尾川は先日出所したばかりだというのに性懲りも無くとある大きな屋敷へ忍び込んでいた。


 忍び込んだ家は驚く程広く、立派な門構えに野球でも出来そうな程広い庭、そして一目で贅の限りを尽くして建てたであろう平屋の母屋と古めかしい蔵がある屋敷だった。

 場所は某市の外れ、郊外に広がる田園地帯のド真ん中。

 尾川は某県の生まれであったが某市には来た事は無く、出所した時に手渡された金を使い腹を満たした後、電車に乗ってたまたまここへやって来ていたのである。

 勿論彼の生業である“泥棒”を行う為だ。

 某県の大都市圏での“仕事”は土地勘もありやりやすかったが、所轄の警察などでは顔が広く知れ渡っていた為、比較的警戒の薄そうな場所を選んだ結果の来訪だった。


 果たして尾川は足を運んだ某市郊外に人気の無い豪邸を見つけ、ほくそ笑む。

 邸宅は明らかに空き家では無かったが、その広い庭に侵入し様子を伺った所、どのような理由か家人が不在であるという結論に達してそのまま夜中を待っていたのである。


「へ、こりゃ、いい。こんだけありゃ、当分遊んで暮らせらぁな」


 しわがれた声でぼそりと呟き、尾川祐介は笑う。

 その手には屋敷のそこかしこで見つけた、百万円の束と高価そうな貴金属の数々が抱えられていた。

 恐らくはそれまでの泥棒人生の中で、最も大金をせしめた瞬間なのであろう。

 やや興奮した面持ちで尾川は意気揚々に、しかし他者の存在の有無を今更ながらに確認しながら慎重に長い廊下を音も立てずに歩いて進む。

 ――本来ならば、長居はせずある程度の大金を、あるいは大体の部屋を探し終わったならば速やかに侵入した家を後にすべきであった。

 しかし思わぬ収穫に判断を誤ったのか、それとも邸宅に家人がおらず、暫くは戻ってこないと判断をしているのか。

 尾川祐介は屋敷中をウロウロと回って、その度に新しい部屋を見つけ、そして大金を発見し続けた。


「ほ、ここにも――はは、こりゃ、まいったな。これで五つ目、一束が百万として五百万かよ。ホント、すげえなこの家。笑いがとまらねぇ」


 こみ上げてくる高笑いを押さえつつ、部屋を後にする尾川。

 廊下は入り組んだ回廊のような中廊下で、左右にはまだまだ手つかずの扉が並んでいた。

 ――どんだけ金持ちなんだ、この家。

 部屋に入る度に札束や宝石が転がってやがるしよ。

 ……ああ、くそ!

 にやけ顔が治らねえ!

 こりゃ、まだまだ“ある”な。

 まるで、天に昇るかのような弾む心は何年ぶりか。

 尾川はかつて無い高揚を感じつつ、次の部屋に忍び込もうとしてドアノブに手を掛け、そこではたと動きを止めた。


「参ったな。俺、“手ブラ”だわ。大儲けするのはいいけどよ、この調子じゃお宝ちゃんの入れ物も失敬しなきゃ、運べねぇよな」


 なんと、贅沢な悩みであろうか。

 そう考えながら尾川はドアノブをゆっくりと回し、扉の向こうに人の気配が無いことを確認してから、幾度目かの物色を始めた。

 そして程なく、泥棒は手頃な革製のバッグを見つけ出したのである。

 ――まったく、今夜はどうかしている!

 金が無いか探せば大金が出てくるわ、宝石が無いかと思えば宝石が出てくる、そして今度はバッグが欲しいと思ったらバッグが出てくるなんて!

 絶好調にも程があるぞ!

 喜びのあまり思わず叫びそうになりながら、尾川祐介はいそいそと抱え込んでいた札束や貴金属をバッグに詰め込んだ。

 そして、次の部屋へと忍び込む。

 出て来たのは、六つ目の百万円の束。

 次の部屋。

 小指の先程もある、ダイアモンドのネックレス。

 次の部屋。

 またまた、札束。

 次の部屋。

 次の部屋。

 次の部屋。


 ――尾川は興奮のあまり、気が付かない。

 侵入した邸宅の中廊下、その両側の壁に並ぶ“まだ訪れては居ない”部屋の扉が一向に無くならないことに。

 その扉を開ける前、調子に乗って出てくるであろう金品を予測し、“必ず”その通りの品が一つだけ、発見できている不気味さに。

 中年も半ばという年齢の泥棒は、決して愚鈍では無い。

 しかし、恐らくは生まれて初めて何でも思い通りに事が運ぶという体験が激しく精神を高揚させ、彼が本来持っている筈の冷静な判断力を根こそぎ奪い去っていたのだった。


 やがて尾川は『腹が減ったな。……そうだな、次の部屋にはカツ丼でも置いてあるかも、しれんな』と考えながらドアノブを回し扉を開いて、その通りに部屋の中にあったカツ丼を疑いようもなく貪る程、思考と理性を鈍らせてしまう。

 結果、尾川祐介は元来制御の難しかった内なる傲慢さや自制できぬ欲が体の底から噴き出して、世間一般の常識は勿論、“同業者”である泥棒であっても考えられないような行動を見せるようになっていた。


「よっし、この部屋には……酒だ! それもとびきりの奴。ツマミはからすみなんかがいいな」


 呟いて、ドアノブを回す。

 室内にはやはり、かねてより一度は呑んでみたいと思っていた高級酒が壁一面にずらりと並んでおり、尾川祐介を大いに喜ばせた。

 部屋の中央に設えられていた小さな机には大きな皿が置かれ、その上には丁寧にも一口サイズにカットされたからすみらしき赤い切り身がうずたかく盛られている。

 ――どう考えても不自然で、また不気味な事象である。

 だが尾川はなぜか疑いもせず、それどころか嬉々として酒をグラスに注ぎ、当然のようにその場に腰掛けからすみを頬張っていたのだった。

 そして、酒による酔いは男の理性を更に剥ぎ取り、屋敷の奥へと奥へと誘い続けるのである。


 尾川はその後も大いに飲み食いを行い、あろう事か侵入した屋敷の中でそのまま酔いつぶれてしまった。

 その後どれ程の時が経ったのか、深い睡眠の果てに目覚めた時。

 酔いはすっかり醒め、流石に肝を潰し家人の気配を探りながらも、尾川は慌てて大邸宅を抜け出すべく、庭へと足を運ぼうとする。

 しかし程なく異変に気が付いて、今更ながらに強い焦りを覚える尾川であった。


「なんだよ、えっと……こっち、でいいんだよな?」


 つい口から出た言葉は、半ば愚痴に近い。

 それもそのはず、正しく元来た方へ廊下歩いているはずが、一向に庭へとたどり着けないのだ。

 音を立てぬよう慎重に足を運びながらも進む先は、何処までも続く暗い中廊下。

 人の気配が全く感じられないのは尾川にとって好都合であったが、やっと認識できた不気味さに拍車を掛けてもいた。

 時刻は不明。

 昼なのか、夜なのかすらわからない。

 中廊下には建物の内部に張り巡らされて居るらしく、窓が無いためだ。

 また照明も見当たらず(あってもスイッチを入れる訳にはいかないが)、すっかり闇になれた目だけが進む方向を見定めていた。

 尾川は建物の広さに辟易としながらも、そこかしこの扉をあけ、その度に再び金や貴金属を見つけて失敬しながらも出口を探し続ける。


 ――っかしいな。

 たしか、一本道だったと思うんだが。

 暗いから、回廊になってるのに気が付かないとか?

 この廊下にはドアとかを開いて入った覚えは……無いし。

 尾川は首を傾げながらも中廊下を進み続ける。

 廊下は長く右へ左へと曲がることは多かったが一本道で、左右の壁には常にずらりと扉が並んで見えていた。


「くそ、ほんと、おかしいぞ。やたらデカい屋敷で旨い稼ぎにありつけるのはいいが、こう広くちゃ逃げるにも一苦労やな」


 呟いて尾川は手近にあった扉のノブに手をかける。

 こうなったら、どこかの部屋の窓から逃げだせばいいか、と考えたからだ。

 しかし、尾川の期待はあえなくも外れてしまう結果となった。

 侵入した部屋にも、窓が無かったのである。

 いや、よくよく考えてみれば、深夜を待っての侵入で窓の有無など気にも留めていなかったが、いままで侵入した部屋はどれもこれも窓が無かったのではなかろうか。

 そう考えた時、得体の知れない悪寒が尾川を包んだ。

 同時に、弾かれたようにして身を翻し廊下へと戻った尾川は、荒々しく手当たり次第に周辺の扉を開き始める。

 ドアノブを回し、室内を確認。

 窓は、無い。

 次の部屋。

 ここも窓は無い。

 次の部屋。

 やっぱり、窓が無い。

 次の部屋。

 ここからも、逃げられない。

 次の部屋。

 ここも。

 次の部屋。

 ここも、だ。

 次の部屋。

 逃げられない。

 次の部屋。

 次の部屋。

 次の部屋。


「な、なんなんだよ、こりゃ! 一体、どうなってんだ?!」


 侵入した家屋の室内で、尾川は初めて仕事中に大声を上げた。

 しかしその声に反応する者は誰一人としていない。

 屋敷の中は相も変わらず暗く、人の気配は皆無である。

 そう。

 これ程の部屋があるのに、あれ程の酒があったのに、まだ暖かなカツ丼が置かれていたのに、人の気配だけは全く感じない屋敷であったのだ。

 尾川はいよいよ錯乱して、実は自分は未だ酒に酔い、悪い夢を見ているのでは無かろうかと真剣に考え始めてしまう。

 そして、その証を求めるように、ある願いを込めて手近にあった扉のドアノブを回した。


「――へへ、や、やっぱりこりゃ、夢じゃねえかよう」


 何を願い、室内に入ったのか。

 呆れたように笑いながらも、尾川は平静さを取り戻した。

 否、平静に見えたのは、深い混乱と狂気に近いのかもしれない。

 目の前の光景はまごう事なき現実で、同時に夢であると断定出来るモノ。


「こりゃ、どう考えても夢だろ。畜生、俺ぁ、どこで寝てるんだ? どっからが夢なんだ? なぁ、教えてくれよ」


 質問と同時に、尾川の口が塞がれた。

 それから、先に盗んだ本革のカバンがドサリと床に落ちる。

 たっぷり金と貴金属が入っている為か、重量感のある音がやけに生々しい。

 そのカバンのすぐ隣りに、白く細い足が二つ。

 小さなその裸足は、尾川のものではない。

 足は部屋に入る前、尾川が望んだ存在の持ち物だ。

 つまり、尾川祐介が望んだのは、裸の美女である。

 女は部屋に入ってきた、侵入者であるはずの尾川を見て悲鳴を上げるでも無く、当然のように尾川が望んだ様に抱きついてきたのだった。

 その行為こそ、尾川が現実であるか否かを判別する為の“願い”であり、結果自分は“夢”を見ているのだと断じたのだが。


「むぐ、ぷ、は、お、おい! あんた、名は?! ここは、どういう所なんだ? え? これ、夢なんだろ?」


 口腔内内でうねる舌に滾りをおぼえ始めた頃、やっと口を解放されは尾川は目と鼻の先にある女の美しい顔にもう一度焦ったように問いかけた。

 しかし女は答えず、ただ微笑むばかり。

 その厚ぼったい唇と、僅かに開いた口中から見える舌はやけに艶めかしい。

 尾川は燃え上がる獣欲に焼かれながらも、もう一度おい、と呼びかけるが女はやはり答えず、代わりにその美しい顔はゆっくりと視界の下へ沈めていった。

 謀らずも上から見下ろす格好となった尾川は、女を無理矢理立たせなんとか話をしようとしたが、見上げて来る女の顔と白い首、露わになった乳房に散らばる長い髪を見てつい息を飲んでしまい、これから行われる甘美な行為を前にしてとうとう言葉も無く立ち尽くしてしまう。

 女はそんな尾川の体に白くしなやかな手を這わせ、蛇のように絡みついてボタンを、ベルトを外し指先が直接肌をなぞった。

 はだけた肌のひんやりとした感触は夢にしてはやけに生々しく、また暖かい。

 やがて室内にぴちゃり、ぴちゃりと音が響きだした頃、その強烈な感覚は決して夢などでは無く、間違いなく“現実”であると尾川は思い知らされてしまう。


 こうして尾川祐介は屋敷の主としてもてなされ、囚われ続けたのである。



 某市郊外の田園地帯にぽつねんと建つ広大な屋敷は、地元史に出てくるような有名な資産家の住処であった。


 その屋敷の主が死去したのはおよそ百年程前。

 財を成し地元の名士として名を轟かせたその資産家は、引退をしてより十数年の間、産まれた地に終の棲家として建てた大邸宅をこよなく愛した。

 やがてその資産家がこの世を去った後、主を失った大邸宅は遺言によって今日までずっと保全されてきたのだが。

 戦争を乗り越え代が幾度もかわるにつれ、故人の想いを偲ぶ者が一人、又一人と減り、現在になって遂に住む者が居ないこの屋敷を処分する運びとなる。

 勿論、地元の名士に縁ある屋敷であるからして、市に寄付し記念館として存続させる話もあった。

 しかし世間に不景気の風が吹き荒れる昨今、市の財政は新たな市指定文化財を受け入れる余裕などは無く、無情にも取り壊しが決定したのが先月での事。

 それからなにがどう話が巡ったのか、天之麻神社にこの屋敷を取り壊すにあたって、“お祓い”の依頼が舞い込んだのである。

 ただその依頼をよくよく聞いてみれば、地鎮祭などで行う祈祷の類では無く、長年この屋敷で起こる怪異についての依頼だった。


「あの人、大丈夫かな?」


 午後十時頃、天之麻神社に近い農道にて。

 陣太郎は隣で自転車を押す幼馴染みにそう、問いかけた。

 日中はまだまだ暑く、蝉も啼く九月であったが流石に夜は肌寒い。

 その為、甘菜は長袖のシャツとカーゴパンツといったラフな出で立ちで自転車を押し、その籠には先程まで身に付けて居た巫女装束が押し込められていた。

 一方、陣太郎の自転車の籠には着替え用の簡易テントが折りたたまれ積まれている。

 並んで自転車を押す二人に共通するのは、両者とも竹刀ケースを担いでいること。


「知らないわよ、そんなの」

「甘、すっげえパンチだったよな。一発で昏倒してたし」

「し、仕方無いでしょ! いきなり“お祓い”中に現れて抱きついてくるんだもの。こっちは下着も身に着けてなかったし、誰かさんは助けてくれないし。必死に抵抗位、するわよ」

「う……、そりゃ、あまりに突然の事で動けなかった俺も悪いけどさ。甘が抱きつかれて、相手を突き飛ばして、顎に一発いれるまでほんの数秒だったじゃん」

「そうだけど……」

「それにさ、あいつを殴り倒した後、甘、祝詞を続けながら刀を抜いて床に突き刺しただろ? 俺、てっきりキレた甘が斬り殺すんじゃないかと思ってさあ、近寄りにくかったんだよ」

「なにそれ! もー、私が殺人なんかするわけ無いでしょ!」


 うが! と唸って、甘菜は陣太郎の肩に拳を突き立てる。

 攻撃と呼ぶにはあまりに非力で痛みすら感じぬ程加減はされていたが、込められた怒りは正確に陣太郎へと伝わった。

 故に陣太郎はすぐさま詫びを入れ、後ほどジュースを驕る事で手打ちとする示談を持ちかけたのである。

 甘菜はこの陣太郎の申し出を受けて了承し、二人の他愛も無い諍いは落着したかに見えたのだが、やはり気まずい空気はどこか残り続けていた。

 そんな空気を何とか祓おうと、陣太郎は話題を逸らすべく思案する。

 結果見つけた話題は、その夜甘菜に“ボディガード”として連れ出された理由の詳細を問う事であった。


「それにしてもあの人、何者だったんだろ」

「知らないわよ。大方、勝手に棲み着いてたホームレスかなんかじゃないの?」

「ホームレス? この辺にんなもんいるか?」

「だから知らないって。ホームレスじゃなきゃ、泥棒かなにかだったんじゃない?」

「そんな所かもな。所でなあ、甘。結局、今夜の“仕事”ってなんだったんだ? でっかい屋敷の中に入って、床にその、アメノマヒトツノミコトとかいう御神体の刀を突き立てただけだろ? こんな夜中じゃなきゃだめだったのか?」

「んー、私、あまり他人に巫女服姿を見られたくないのよ。だから、この時間。迷惑だった?」

「んな、ことないけど。俺も良い気分転換だったしな」

「あら。嘘でもうれしい、かな? それ」

「嘘じゃねぇよ」

「マジ? ありがと。いやあ、こういう“出仕事”ってさ、滅多に無いんだけど危ない事も多いのよね。今までは父さんと一緒にやってたんだけどさ。陣ちゃんには悪いけど、一緒にできるようになったのは私的にはすっごい助かるのよ」

「そうなのか?」

「うん。迷惑?」

「迷惑なわけ、ないだろ? ほら、なんだ、俺、お前が居なきゃ速攻で祟り殺されるし。いや、そうじゃ無くてだな、友達としてだな、あぶねー目に遭ってる甘を放っておけるわけ、ないだろ? いや、ほんと、それに、えっと……」


 不意打ち、である。

 迷惑かと問うた幼馴染みの表情は、不安と寂しさが絶妙な加減で表現され、元々の美貌を更に引き立てながら見る者の心をたまらなく揺さぶる威力を湛えていたのだ。

 すっかり人目を惹き付ける甘菜の容姿を見慣れていた陣太郎であっても、その表情には抗いがたく、思わず言い訳に似た言葉が口を付いてそれが更に陣太郎を慌てさせた。

 そんな陣太郎の様子が甘菜にはおかしかったらしい。

 暫くはキョトンと陣太郎の言葉を聞いていた甘菜であったが、突然くふ、と小さく噴き出すや楽しそうに笑い始めた。

 笑顔はやはり綺麗で、稲刈りも近い深夜の田んぼの中に延びる道すがら、そこだけが眩いほどに輝いてみえた陣太郎である。

 だが同時にどこかバツが悪いのも事実で、陣太郎はなかば強引に話題を甘菜に振ることにした。


「俺の事よりさ、甘はどうなんだよ」

「あはは、はあ……ん? 何が?」

「ホントに俺でいいのか? 親父さんの方がこういうの、手慣れてるんじゃないか?」

「……父さんと一緒に出仕事してたのは、仕方無かったからよ。他に頼りに出来る人が居なかったから。今は陣ちゃんがいるしね。ま、ソレを抜かれたらアテクシ、ベロちゅうしなきゃならないんですけども!」

「……そんなに親父さんと一緒に居るのが嫌なのか?」

「嫌」

「でも、親父さんにしてみれば」

「嫌」

「いや、でも」

「嫌」

「ほら、」

「嫌」

「――嫌」

「まだ何も言ってない!」


 本当に父親と一緒に居るのが嫌であるらしい。

 甘菜は如何なるスイッチが入ったのか、陣太郎が何か言おうとする度に嫌という言葉をかぶせて来た。

 取り付く島どころか、コミュニケーションすらとれなくなる有様である。

 陣太郎は甘菜の態度に半ば呆れながらも、どうやって宥めようかと思案に暮れてしまう。

 そんな幼馴染みの様子を察してか、まともな会話を再開させたのは甘菜の方からであった。


「――ま、陣ちゃんと一緒だと鬼目一“蜈蚣”が必ず守ってくれるし。抜いたら抜いたで、神威を喰らって少しでも鎮められるしね。ほんと、こう見えて私、結構陣ちゃんを頼りにしてるんだよ?」

「でも、さ? 刀抜く度にその……好きでもない男にキ、キスしなきゃならねぇだろ? そういうの、お前割り切れるのか?」

「なによぅ、こぉんな美少女の唇が嫌だっていうの? もう、嫌なら嫌ってハッキリ言えばいいじゃない」

「いや! あ、いやいや、ちがう! 俺は別に嫌ってわけじゃないぞ? むしろお得……」

「……エロ太郎。やっぱり、私のこと、そんな目で見てたのね」

「ちがう! 甘が妙な事言うから!」

「最初に妙な事言い出したのは陣ちゃんだよ」

「う」


 気まずい、空気。

 どうやら話題の振り方に失敗したらしい、と陣太郎は後悔した。

 いや、話題の内容ではなく、自身の対応が拙かったと言うべきか。

 最近では満更でも無く、更に綺麗になったと感じる幼馴染みから『私とキスするのは嫌?』と問いかけられ、冷静でいられなかった事が敗因であろう。

 ではどのような気の利いた言葉を返せば良かったのか。

 幼馴染みという距離は、キザな台詞を返すにせよ、愛の言葉で返すにせよ、差し障りない言葉で返すにしても、どうも微妙な距離であり。

 結局、陣太郎は後悔するにもどう答えるべきであったか見出せず、質問自体がタブーであったのかも知れないという、見当違いな結論に達したのだった。


 以上のような思考を経て、陣太郎は改めて話題を振り直す事にした。

 互いの家までは、歩いてあと三十分はかかる。

 自転車に乗って漕げば十分もあれば帰り着くが、甘菜が乗らない以上陣太郎も付き合う他はない。

 出かけとは違い、彼女が自転車に乗りたがらないのは、家に父親が帰ってきている為か、それとも――

 場はなんともいたたまれない、しかしどこか甘い空気。

 このままでは家まで間が持たない、と考えて陣太郎が選んだ話題は少々“固い”ものであった。


「な、甘。あの家、結局なんだったんだよ? そういや俺、今回は大した事ないって聞いてたからどんなもんか聞いてなかったわ」

「ん、“迷い家”(マヨイガ)よ。昔話でよくある、山道で迷った旅人をもてなす家の怪異が有名かな? この場合は神威なんだけど」

「……知らん、そんな妖怪」

「妖怪じゃ無いって。……いや、妖怪であってる、のかな?」

「どっちだよ」

「認識の話。私が“神威”って認識してるモノはある人には妖怪だったり、霊障だったり、悪魔の仕業だったりするって事」

「ああ、なるほど。でも俺、さっきも言ったけど、家の妖怪なんて聞いた事無いぞ?」

「そうなん? ホントに知らない? “迷い家”にもてなされた人が、“迷い家”からお椀を持ち帰ってお米を掬うお椀にするとお米が決して無くならなくなったってう、昔話あるじゃない」

「うん、知らない」


 どうやら、今回振った話題は正解だったらしい。

 先程までの妙な空気は何処へやら、甘菜はいつもの調子でうーむと唸り自転車を押しながら考え込んだ。

 その間、肩に引っかけていた竹刀ケースがズリ落ちて来て、んしょ、と声を出し担ぎ直す。

 如何にも女の子らしい仕草に陣太郎だけが心を乱したが、甘菜はそんな彼の様子など気が付かずに会話を再開させた。


「むー、じゃあ、じゃあさ。付喪神つくもがみは知ってる? 漫画とか小説とかで良く出てくるじゃない」

「あ、それは知ってる。古くなった物が妖怪化するんだよな?」

「だから、妖怪とはちっと意味合いが違うんだけど……いや、でもそれで合ってるのかな? ま、いっか。でね? “迷い家”(マヨイガ)ってのは要するに、家屋の付喪神つくもがみなのよ」

「ふうん。でもさ、話聞いてるとそんな危ないモンだとは思えないけど。山で迷った人をもてなすんだろ? その後も色々良いことばかりみたいだし。他に悪さでもするのか?」

「一度“神”になった存在は基本的に人間にしてみれば色々厄介なのよ。和魂の間は良いけど、荒魂に転ずるとね。ほら、“ワケ有り物件”ってあるじゃない? 何かと不幸が起こりまくる家」

「ああ、偶に聞くな。だけどアレ、前の住人が自殺したとかじゃねえの?」

「私が言っているのは、もっと古い家屋とかの事。昔からそこに住む人は色々と不幸な出来事に見舞われる、って奴ね。あれなんかモロに荒魂になった“迷い家”だし」

「へぇ。だけどさ、少なくとも“迷い家”ってのは和魂にぎたまになってる間は良いことずくめなんだろ?」

「うん。人の姿は見えないけど、ありとあらゆる“もてなし”が施されるよ。ついでに、“迷い家”から何か持ち帰るとその器物は大概持ち主に幸運をもたらすかな」

「じゃあさ。祓う前に俺がしばらく中に入ってりゃ、この“祟り”もどうにかなったんじゃないか?」

「なるわけないじゃない」

「なして?」

「だって、神威の強さが違うもの。陣ちゃんが“迷い家”の中に入った途端、和魂が荒魂に反転するのがヲチだと思う」


 さらりと言い放つ、甘菜である。

 陣太郎はガックリとしてしまい、肩に掛けた竹刀ケースの重みに気を落とした。

 正直な所、こうやって何かと甘菜と行動を共にする事は非常に楽しい。

 同時にやはり、一刻も早くこの恐ろしい祟り刀をどうにかしたくもある。

 よって、この時の陣太郎の落胆は安心が入り交じり、複雑な心地であった。


「まー、気長に行こうよ。私、付き合うからさ」

「ああ、ありがとよ」

「でも、大学に行くまでにはケリつけたいね。そうじゃないと、陣ちゃん、行きたい大学に行けなくなるし」

「……いまんとこ、そんな大学ないぞ」

「そう言う意味じゃ無いよ。あのね? 私、國學院に行くつもりなの」

「そう言ってたな。成績的には余裕じゃね?」

「うん。でも、陣ちゃんは國學院どころか東京の大学はムリでしょ? 成績的に」

「……なぬ? どゆこと?」

「ケリ付かなかった時のこと考えて、しっかり勉強してもらうよ。ついてきて貰うからね」

「……東京に?」

「うん。夏休みに帰省した時、祟り殺されてたらイヤじゃん。できれば、同じ大学。その方が目が届くし」

「行くの? 俺が?」

「そ」


 甘菜は短く、力強く答えた。

 有無言わさぬ空気を纏うその言葉は、陣太郎を激しく揺さぶる。

 ――俺は一体、甘について来いと言われて嬉しい、のか? それとも、勉強しなくちゃならなくなった上厄介事が増えて、げんなりとしている?

 抱いた動揺に対する自問に答えが見つからず、胸が苦しくなる陣太郎。

 だからか、取り繕うように口から出たのは先程実績を上げた“迷い家”の話題であった。


「うう、そういう事ならやっぱ俺、“迷い家”に行っとけばよかったかも」

「なんでよ。荒魂になるって言ったでしょ? 怖い化生が出て来て襲われるのがオチよ」

「でも、“迷い家”からなんか持ち出せばソレも幸運を呼ぶんだろ? 例えば、エンピツを持ち出せばテストの答えが全部“偶然”当たるとか。一か八でもやる価値あると思うんだ」

「あるわけないでしょ、バカ。それにあの“迷い家”はまだ付喪神になりきれていなかったし」

「え? なんでそんな事もわかるの?」

「依頼が来た時の話でさ、中で起こる怪異について聞いたわけ。キッチリ付喪神へとなって“迷い家”になってたんなら、夜中にラップ音がするとか、人の気配がするとかいう怪異じゃすまないからよ。ま、だから仕事を引き受けたんだけどね」

「あ、なるほど。神威ってハッキリ発動すると、結構強烈だもんな。そんな曖昧なもんじゃ無いってのは俺もわかる」

「そゆこと。大体、“迷い家”の中はこの世の法則が通じないし、そういった意味じゃ常世にも似ているしね。浦島太郎のお話みたいに、中と外じゃ時間の流れ方が違う事もありえる筈だし。荒魂にならなかったとしても、神威に遭えば“迷い家”から出た時に何十年も経ってる事だってありえるの。それでもエンピツ欲しさに“迷い家”の中、入りたい?」

「あ、パス」

「でしょ。もう、下らない事考えるより先に、公式を覚えてよ。そんなんだから成績も伸び悩むんだよ?」

「……俺、この夏で学年順位が百近く上がってるんだけど」

「元々が低かっただけ。もう五十は上げて貰わないと」

「それ、順位が一桁になるじゃん……」

「そうよ? うふ、がんばってね、だぁりん」


 言って悪戯っぽくニシシと笑う甘菜。

 不覚にもその笑顔に胸を高鳴らせた陣太郎は、思わず目を背けてしまう。

 笑顔は邪な色も湛えていたが、抗うには少々骨が折れた。

 そこで、はたと甘菜の足が止まった。

 気が付けば自宅まであと少しの所、止まった場所は自宅から一番近い場所に設置された自動販売機の前である。

 甘菜はそこで徐に財布を取り出し、いつも買っているジュースを二本購入した。

 それから、取り出した缶ジュースの内の一本を陣太郎に差しだす。


「はい、これ。今日はありがとね」

「お、さんきゅ」

「また、頼んでいいよね?」

「――うん。当たり前だろ」

「よかった。でもま、陣ちゃんは断わらないの、しってるんだけどね」

「うっせ。なら、聞くなよ」

「あはは、それもそっか。じゃ、お休み。明日は休みだけど、勉強はちゃんとしてよ?」

「あいよ、お休み」


 陣太郎の返事を確認し、ひらりと自転車に跨がる甘菜。

 そしてそのまま自転車を漕ぎ始め、甘菜は一人で帰って行ってしまった。

 互いの家路につくため、別れるには少々遠い場所である。

 機嫌を損ねたような様子は無かったが、甘菜にも何か思う所があるのだろう。

 陣太郎も特に気にする所は無く、いやむしろ一人で考え事をしながら帰る機会を得てほっとした。

 あえて自転車に乗らず家に帰り着くまでの間、一体何を考えたのか。

 その内容はまるで、道に迷った旅人のように心許なく夜空を彷徨った。


 ――後日。

 例の“迷い家”に纏わるある奇妙な話が新聞に載り、陣太郎と甘菜は大いに肝を冷やしてしまう。

 記事はあの夜の翌日、早速“迷い家”の取り壊しに訪れた業者の者達が発見した、謎の老人についてのものだ。

 老人の名は尾川祐介、自称四十二歳。

 しかしその外見はどう見ても八十を越えた年寄りで、住居侵入で引き渡された警察署では奇妙な事を口走っていたらしい。

 その話を纏めるとまるで浦島太郎のような内容となり、一時期巷では話題となったが、それも直ぐに収束して人々の記憶から消え去るのであった。

 ただ陣太郎と甘菜だけは、長らくこの話を記憶に留める事になる。

 二人はこの老人があの夜、甘菜を押し倒そうとした人物であると気が付いていたからだ。


 そう。

 二人の想像を遥かに越え“迷い家”の神威はあの夜、既に猛威を振るっていたのだ。

 伝承によれば、“迷い家”は訪れる者にはかならず何かしらのもてなしを行う。

 そのもてなしを受けず立ち去った者には、後日必ずなにかしらの品が手元に届くといった徹底ぶりだ。

 果たして二人の手元には未だ、怪しげな品が届いたりはしていない。

 つまりそれは、二人が何かしらを“迷い家”から持ち帰っていた事を意味する。

 それは一体なんであるか。

 余人の知る所では無いが、その価値は二人にとってかけがえのない物であるのだろう。

 新学期が始まり、しばらくは以前と同じくいらぬトラブルを抱えぬよう、学校では疎遠に振る舞い続けて居た二人であるが。


 ある日を境に学校においても、いつものように接するようになった陣太郎と甘菜であった。





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