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異聞・妖刀百物語  作者: 痴れ者ラボ
サムライ×フロンティア
2/76

Bullet◎2




「それでね、後で聞いた話なんだけど“WAKIBARA”ってのはあの人の国の言葉で脇腹の事だったのよ」


 カンザスの田舎町、ミスフォーチュン唯一のバーである『ワイルド・ブル』のカウンター席に座るアニーは、そう言いながら手にしたグラスを煽った。

 場所はアメリカ合衆国のカンザス州。

 大陸横断鉄道が完成し、ゴールドラッシュに沸く一八七二年の事だ。

 彼女の話を隣に座り熱心にメモを取りながら聞き入る若い三〇才程の男の記者は、ついそんな彼女の白いのど元に目を奪われてしまった。

 記者は酒を流し込み、艶めかしく動く彼女の喉から意識を離そうとアニーがそうしたように自身も手にしたグラスを一気に煽り、むせてしまう。

 その様子を観察していたのか、無愛想なバーテンの親父が二人の空になったグラスへ新しくバーボンを次いだ。

 ちゃっかり、先程二人が飲んでいた物よりもほんの少しだけ上等な物を。

 恐らくは、記者がアニーの隣に座り、話を聞かせて貰う代わりにすでに手にしていた酒を含めて今夜は奢るという台詞を聞いていたのだろう。


「えっと、その彼は“ヒノモト”の国の出だっけ? それは一体、どこにあるのか聞いた?」

「詳しくは聞いてないわ。ただ、清国の隣って言ってた」

「清国、ねぇ。北に隣なのか、南に隣なのか、はたまた東に隣なのかピンと来ないね。フランスの隣とかなら調べようもあるんだけれど」

「少なくともメキシコでは無いみたいね」


 アニーはそう言ってから、干したトウモロコシを一つ口の中に放り込み、ポリポリと音を鳴らす。

 記者は忙しなくペンを走らせ続け、彼女の話を素早く書き留めていた。

 間を置かず、動かしていた手を止めて今度は再び少し上等なものになったバーボンを煽る彼女に質問を投げかける。


「それで? ガラガラベビを鮮やかに斬った彼をその後どうしたの?」

「まずサーベルみたいなナイフを拾いあげて、彼の腰にあった鞘に納めたわ。で、彼の腰に戻してから彼の足にロープを括ってね」

「ロープ?」

「彼、重かったのよ。すごく」

「と、言うことは太っていた?」

「あなた、ちゃんと私の話聞いてた? 彼、すごくたくましいのよ? 重いのはたぶん、持ち物だったと思うわ」

「ははは、ごめん。それで?」

「クララベルに引っ張ってもらったの。家までね。今して思うと、すこし可哀想なやり方だったとは思うけれど」

「まるで、馬引きにされる牛泥棒だね」

「否定はしないわ。流石にクララベルを走らせたりはしなかったけれど、私もその時ちょっとそう思ってたし」


 そう答えて、アニーはクスリと笑う。

 その悪戯っぽい微笑みは、記者の心をかき乱した。

 そう。

 彼女はこんな、見捨てられた田舎町には似つかわしくないほど美しかったのだ。

 髪を伸ばし、カウボーイスタイルの服装ではなくドレスに身を包んで歩けばきっと、大都会であるニューヨークでさえも道行く者は皆振り返るであろう。

 記者の男は唐突に、取材として追っている男に強烈な嫉妬を覚えた。

 それから乱れた心に酒を注ぎ込み、したたかなバーテンの親父に舌打ちを一つ鳴らす。

 先程よりもわずかに旨いその酒は、果たして謎の東洋人への嫉妬をわずかにだが和らげた。


「まったく。この仕事をしていると、たまに嫌になることがあるんだ」

「なに? 突然。愚痴なら余所でお願いしたいものね」

「それだよ、それ。僕はどうしても理解できないんだ」

「何がよ」

「君のような綺麗な子が、どうして彼のような東洋人の、しかも中年に入れ込むんだい?」

「そりゃ、決まってるじゃない。彼がとっても素敵だからよ」

「くそ! 西で取材した時も同じ事を綺麗な女の子に言われたさ!」

「あら。それはご愁傷様」

「君は悔しくはないのかい? その男は“そんな調子”で、あちこちで騒動に巻き込まれては、女の子とよろしくやっているかもしれないのだよ?」


 少しほろ酔いとなりかけた記者の嫉妬混じりの問いに、アニーは僅かに眉根を寄せ、考え込んだ。

 が、それも僅かな時間であり、彼女はすぐに顔を上げて答えを導き出す。


「気にしない、ってのは嘘ね。嫉妬しちゃうわ」

「僕もそうだよ、アニー」

「だけど、仕方ないじゃない。南部の女は、ううん。女ならだれだって、強くて優しい男に惚れやすいものよ」


 アニーはそう口にしてもう一度手にしたグラスを一気に飲み干し、ふぅ、とため息をついた。

 記者の男はその様子を見て、少々罪な事をしたと後悔し彼女と同じように酒が入ったグラスを開ける。

 二人の間に少しだけ気まずい沈黙が横たわり、その間を利用してバーテンの親父が再び、空になった二つのグラスに酒を注いだ。

 ちゃっかり先程よりも更に少しだけ上等なバーボンを、だ。

 記者の男は目の前で注がれる酒を見つめながら、私情を押さえ込み再び仕事に戻ることにする。


「それで、彼を馬で家まで引きずった後君たちはどうなったんだい?」


 問いかけにアニーは記者の方には見向きもせず、すでにバーボンが注がれたグラスを見詰めて想いをはせた。

 思い出は未だ鮮烈で、なぜもっと大切に過ごさなかったのか、後悔を伴って再び彼女の記憶によぎる。

 その、奇跡のような夜に到る日々が。



 結論から言えば、男はインディアンなどではなかった。

 恐らくは男がガラガラヘビを両断してから後。

 家まで馬に引きずられて移動した男は、かつてアニーが使っていた狭いベッドに横たえられて、手当を受ける運びとなった。


 アニーはまず、その上半身をはだけさせて男の怪我の具合を確かめる。

 外套を脱がし、奇妙な服の襟元を開くと彼女は思わず息を飲んだ。

 男の体に刻み込まれた、無数の切り傷といくつかの銃創が目に飛び込んできたからである。

 切り傷はそのどれもが古く、銃創は逆に比較的新しいものようだ。

 男が身につけている服はどうやらローブのようであるらしく、腰に巻いた布のような者を外すとアッサリと脱がせることができた。

 自分にはこの服をもう一度男に着せることはできないだろうなどとアニーは考えながらも、先程自分が与えた傷の具合を確認する。


 動揺してしまい発砲した弾丸は、彼の脇腹の肉を僅かにえぐっただけであったようだ。

 どう見ても現時点では致命傷ではない。

 日が経ち、化膿すれば違うだろうが、これから処置するのでその辺は考えなくて良いだろう。

 アニーはひとまず胸をなで下ろし、インディアンの使者を殺害してしまう事態は回避されたのだと安堵する。

 彼女は一端部屋から出てゆき、台所の戸棚に置いてあった酒を手にとると再び男が寝込む部屋まで戻って来た。

 それから徐に、無造作に男の傷口に酒を振りまいて消毒をした後、予め綺麗に水で洗った布を脇腹にあて手早く治療を済ましてから、ふと大きな問題に気がついた。


 この男をどうすべきか。

 正直、インディアンとは関わり合いになりたくはない。

 鉄道は遠く北にあり、土地も痩せているこの辺りですらも最近は治安が悪くなりつつある。

 人口が増加している東部海岸の都市から、“法の外に置かれた者”(アウト・ロー)達が西へ押し寄せているためだ。

 賢しい者はこんな田舎町など見向きもしないが、いつかの牛泥棒達のように特に何も考えず、見境なしに罪を犯す愚か者も居るには居るのだ。

 最近だって、この町にならず者がやって来て強盗を行おうとし、保安官シェリフのゴードンが二人、撃ち殺している。


 やはり、このまま家に置いておくわけにはいかない。

 彼女はもう少し様子を見て、男の意識が戻らない場合は荒野にでも捨ててこようと決意した。

 それで死んでしまっても、少なくとも、自分がインディアンの使者を殺したことにはなりはしまい。

 なにせ、元々荒野に倒れていたのだから。

 それにこの男はアウトローであるのかもしれない。

 うら若い女の一人住まいに、得体の知れない男を……例えけが人で、意識が無い状態であっても一晩泊めるのはとても危険な行為だ。


 もし後々南のチェロキー族から、男のことで咎められても自分はやるだけのことはやったと言えばいい。

 少なくとも、こうやってベッドに寝かせ、傷の手当てをしたではないか。

 ――怪我を負わせたのも自分だけれど、元々行き倒れていたのは男の方であるわけだし。

 そうだ。

 そうしよう。

 それがいい。

 拙いアニーの理論武装は決意を補強して、日課である愛馬のクララベルの体を拭いてやるために家の外へと足を運ばせる。

 もはや男のことなどどうでも良いのか、はだけさせた衣服などそのままにして彼女は家の外へと向かった。

 少々不用心であるかもしれないが、男は意識もなく、銃も持ってはいない。

 放っておいても大丈夫だろうという判断を彼女は下していた。


 外へ出ると日はすっかりと暮れていて、乾いた大地は急激に冷えつつあり夜風に冷気がまじっている。

 アニーは手早く仮初めに繋いでいたクララベルの手綱を引いて、馬小屋へと連れて行き藁でその大きな体躯を拭きはじめた。

 クララベルは主の世話に気持ちよさそうにしてはいたものの、依然として何かに警戒して落ち着かない様子であった。


「大丈夫よ、あいつ、銃ももっていないもの。刃物の扱いは上手いかもしれないけれど、私だって拳銃は得意だわ」


 落ち着かない愛馬をなだめるように、アニーは優しく鼻面をさすってやった。

 クララベルはうれしそうにいななき、しかし、やはり忙しなく尾を揺らしてしきりに見えぬ外敵に警戒をし続ける。


「もう。信用ないのね、私。銃の腕前なら、ミスフォーチュンじゃちょっとしたものなのよ? シェリフのゴードン位ね、敵わないのは」


 なんとなく愛馬が自分の腕前を信用してくれていないような気がして、アニーは不貞腐れてしまう。

 むくれたまま体を吹き上げ、飼葉桶に飼い葉を入れてやりすっかり綺麗になたクララベルに与えてやると、アニーは馬小屋を後にした。


 少し警戒しながら家に戻ると、男は未だ意識を取り戻してはいなかった。

 アニーはガン・ベルトを外しもせず、そのまま食事の支度に取りかかる。

 牛追い(キャトル・ドライブ)である彼女の生活は、小さいながらも牧場を持っているとはいえ貧しいものであった。

 その日の食事も質素なものであり、ジャガイモの塩ゆでしたものとスープ、そして味の薄いビスケットが食卓に並ぶ。

 少し塩気の効いたそれらは、炎天下で仕事をする彼女にとって不味くも美味に感じられる食事であろう。

 つつましい食事の前に、主と天国に居るであろう家族に祈りを捧げ、いつもより少し遅い晩餐が始まるのである。


 食事を終えると彼女はもう一度男の様子を見て少し悩んだ後、その日は早めに寝ることにした。

 普段ならばミスフォーチュンの酒場『ワイルド・ブル』に繰り出して一杯引っかけるのが日課であったが、流石に男を家に残して出かける気にはなれなかったからだ。

 町ではうら若い娘が男に混じって酒場に入り浸るなど、と眉をひそめる者がいないわけではない。

 が、アニーは今は亡き父親の牧場を一人で切り盛りし、時には町の男達と共に馬を駆る関係上こういった場に出る必要もある。

 小さいとはいえ、牧場をやっていくには時に他の者の協力も必要だからだ。


 彼女はその日最後の仕事として、いつものように枕元に銃を置いてベッドに潜り込み、明かりを消す。

 知らず男のことでずっと気を張っていたからか、意識を手放すのに時間はかからなかった。

 荒野の月は雲に隠れて、その隙間から漏れ出す僅かな月光は彼女の家を照らし出す。

 やがて静寂が世界に満ちて、安息の闇が等しくミスフォーチュンの町を包む深夜となった。

 アニーもこの時、年相応の甘い寝息を立てて一時の夢をむさぼっていた。


 ――不意に。

 彼女は気配を感じて、意識が戻りきらぬまま枕元の銃をに手を伸ばす。

 それは本能的な反応の域であり、彼女のガンマンとしての資質の高さを物語っていた。

 しかし、その時は不運にも相手が巧妙であったと言えよう。

 それだけ慣れていたのか、直前まで侵入者達は気配を感じさせなかったのだ。

 銃把を握り、気配の方へ向けようとしたところで手首を捕む者がいた。

 同時に何かがベッドに横たわる自分に覆い被さってくる。


「へへ、静かにしろ。大人しくしてりゃ、命だけは助けてやるし、夜明け前にはすべて“終わる”」


 その白く細い首筋に荒い息使いが吹きかけられ、すぐ後に舌を這わせられた。

 ナメクジが這うようなその感覚はおぞましく、アニーの意識を一気に覚醒させる。

 足をばたつかせ、捕まれた手首とは反対の手で必死に抵抗を試みるも、覆い被さった男をどけるには至らなかった。


「ええい、大人しくしろって言っただろうが! この!」


 バチッと少し乾いた音と共に、頬に衝撃が走る。

 大の男の力で殴られたアニーは、その衝撃で決して離すまいとしていた銃を落としてしまった。

 同時に捕まれていた手首が突如自由になり、着ていた服の胸元が一気に左右へ引き裂かれる。

 布を裂く音が室内に響き、やけに彼女の耳に残った。

 馬乗りに覆い被さってきていた男の手が自身の露わになった胸へと伸びてきたとき、彼女はやっと声を上げた。

 恐怖の為ではない。

 残された最後の抵抗がソレであったからだ。


「や! だ、誰か!」

「騒ぐなっつっただろうが! それに、どうせ誰も来やしねえよ。あきらめな嬢ちゃん」

「すぐに町に出ている夫が帰ってくるわ!」

「へへへ、嘘はいけねえな。教会の神父様に怒られるぜ?」

「くぅ、はな、せ!」

「俺達はな、三日も前から嬢ちゃんやこの家を見張っていたのさ。嬢ちゃんが独り身っつう事は調べがついてるんだぜ?」


 侵入者は獣臭を漂わせながらそう言って、アニーの胸に当てた手を乱暴に動かした。

 部屋の向こうでは、複数の足跡が聞こえてくることから、男はあの意識のない者とは違うらしい。

 家の中のあちこちからいろんな物が漁られ、乱暴に投げ捨てられる音がしてくる。

 ――あの男はやはりこいつらの一味で、手引きされたのだろうか?

 絶望的な状況と悔しさの中で、アニーは甘い判断を下してしまった自分を呪った。

 ハッキリしているのは、彼らは強盗であり、自分はこれから慰み者となる事であろう。

 それを証明するかのように、ナメクジのような感覚が、徐々に首筋から下へと降りていく。


「兄貴、ずるいぜ? 俺達にも分け前をくれよ。この家はロクなもんがねえや。せめて、その可愛い嬢ちゃんとヤらなきゃ割にあわねえ」

「外に馬があったろうが。牛は足が付きやすいから置いてけ。この上玉は俺が“最初”だ。あとでその時間はたっぷりくれてやる」

「ちぇ、俺だってたまには“最初”に楽しみてぇよ」

「文句いうなアホ。次は譲ってやるよ」

「兄ぃ、こっちで死にかけてる奴どうしやす?」

「ほっとけ。気になるなら二、三発ぶち込んどけ。ああ、一応枕かなんかで音は消しとけよ」


 強盗の男達の会話から、あの意識のないインディアンは無関係らしい。

 夕方、クララベルがしきりに気にしていたのは、あの男ではなくこの者達であったとアニーはこの時初めて気がついた。

 その事実は激しい後悔を伴って恥辱に混じり、まさぐられる身体をばたつかせる。

 覆い被さる男の力は強く、そんな彼女の抵抗も意に介さずに邪魔な布を更に少しずつ力任せに引き裂いていった。

 少なくとも強盗の数は三人。

 外にも幾人か居るのかもしれない。

 アニーは体中をまさぐられ、舐めあげられながらも抵抗しつづけ、敵の数を数える。

 それは反撃の機会を得たときに必要な情報であると同時に、自身を陵辱する者の数であると気がついてじわり絶望が染みてくるのであった。

 そして人は、一度絶望を自覚すると多くの場合は冷静さを維持するのは困難であったりする。

 たまらず、アニーは年相応の悲鳴を上げてしまう。


「い、いやあああ!」

「うわ、わああああああああああああああああ!!」


 遂にあげてしまった彼女の女としての悲鳴に、何故か男の悲鳴が重なった。

 胸に這っていた舌の感触が消え、覆い被さっていた男は悲鳴が上がった方向へ首を回す。

 一瞬、チャンスであると考えたものの、男は用心深いのか、いつの間にか銃を取り出して自分の露わになった胸元に向けられていたのだった。

 アニーは仕方なく、せめて異変の正体を確かめておこうと自分にまたがる男と同じ方向を見た。

 同時にもう一人男が部屋に転がり込んで来て、獣のようなうめき声を上げ続け膝を折った。

 もう一人の男は手首を掴み、痛みに耐えるかのようにぶるぶると震える。

 一方の手で握っている手首から先は“無い”。

 まるで、ジャガイモを鋭利なナイフで真っ二つに切ったかのような切り口が、何処からか差し込んでくる月の光で確認出来た。


「あっ――が――、あに、き……!」

「なんだ?! おめぇ、どんなヘマすりゃそんな事になんだぁ?」

「な、なんだてめぇ! なにし」


 手首の無い男が転がり込んできた方向から、もう一人の男の声がした。

 しかし声は、急に途絶えてしまった。

 屋内に差し込んでいた月光の、僅かな灯りは雲に隠れてか闇が広がる。

 恐らくは、手首の無い男の悲鳴を聞いてもう一人の男は“そこ”へ移動したのだろう。

 “そこ”は、かつて自分が使っていた、狭いベッドがある部屋だ。

 声は途絶えると同時に、ドン、と何か重い物が床に落ちる音がして一瞬だけ静寂が満ちる。

 正確には手首を失った男がうめき声を発していたのだが、この奇妙な事態にアニーも、あにきと呼ばれていた恐らくは強盗の首領らしい男も、耳にしてはいなかった。


 やがて、音が復活する。

 何かが転がる音だ。

 ごろごろと音を立て、いつの間に顔をだしたのか、開け放たれている玄関の外から再び月明かりが差し込み、照らされながらソレはアニーの寝室へ転がってきた。

 ソレは、人間の頭部であった。

 先程までアニーの家を漁っていた、強盗の一味である男の頭部であった。

 その首の切断面も又、床にうずくまり呻く男の手首と同じように鮮やかである。

 流石にアニーも男もソレを見て息を飲み、次いで後から現れた黒い小さな影にビクリと肩を跳ね上げて驚いてしまった。


「な、なんだてめぇ!」

「あな、たは……」


 黒い影は答えない。

 その手には少し細めの、約二フィート(約六十センチメートル)のあの短刀が握られている。

 短刀は、月光を僅かに反射して怪しく煌めいていた。

 その様はまるで、命を刈り取る鎌を携えた死に神のように見えて、アニーの上に乗る男は恐怖に駆られ銃口を黒い影に向け引金を引く。


 ドン、と音を立て銃声が狭い室内響いた。

 同時に、アニーと男は信じられない光景を目の当たりにする。

 黒い影は、いつ動いたのか。

 未だ硝煙が上がる男の銃口の、すぐ側へと移動をしていたのだ。

 つまり、どうやったのか、弾丸を回避して男とアニーのすぐ側にその影は立っていたのである。

 影は月光に照らされて尚闇を維持し、強盗の男もアニーも本能的な恐怖を覚えて全身総毛立つ。

 強盗の男は、なかば錯乱しアニーの上に跨がったまま影へと再び銃口を向ける。

 しかし影は微動たりともせず、一瞬の最中男はこれで銃弾を撃ち込めたと安堵した。

 だが、引き金が引けない。

 否。

 銃が見えない。

 否。

 腕の感覚が、無い。

 否。

 視界が回転して、何をしているのかわからない。

 否。

 意識が、遠のいて、床が視界に迫ってくる。

 それが強盗の男の最後の思考であった。


 彼は絶命した仲間と同じように、胴と頭を切断され死を感じる間もなく絶命していた。

 アニーは頭の無い男の身体に跨がられたまま、その黒い影を見つめる。

 影は死の気配をまとってその場に立ち続け、手にした刃物の淡い輝きだけが、艶めかしく印象に残った。

 闇と刃の輝きは、混乱するアニーの恐怖をかき立て、彼女に取り落とした銃を拾う事すら忘れさせる。

 やがて彼女は恐怖のためか、そのままもう一度意識を手放してしまうのであった。


 彼女が体験する奇跡のような夜は未だ、訪れてはいない。





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