鳴女
横田佐奈は天之麻甘菜にとって、親友と言える程仲の良い友人である。
初夏、梅雨も明けた頃。
陣太郎達が通う高校では梅雨入りも前、早々に二年生による修学旅行が実施され、早くも受験への準備が開始されていた。
特別進学クラスに席を置く甘菜は勿論、各種専門学校や私立大学の受験を念頭におかれた普通科クラスに席を置く陣太郎でさえ、週毎に行われる模擬テストに憂鬱となる日々である。
――いや、この場合、憂鬱となっていたのは陣太郎だけであろう。
学年でもトップクラスの成績を誇る甘菜にとってはやけに回数の増えたテストなど、只の復習にすぎないからだ。
逆にテストが行われる時間の分だけ授業が圧迫され、自習時間が増えた事により自由時間が増え、陣太郎には信じられぬ事に彼女の成績を伸ばす結果となっていた。
天之麻神社の跡取り娘として、是非に國學院大學(神職に就く為の資格を得られる大学)へ進学したい甘菜にしてみれば、目標が早期から決まっている事が成績の上昇に繋がっていたのかも知れない。
一方、将来の目標どころか“祟り刀”に命を握られ、祖父が待つ山奥に日参し剣を振るう陣太郎にしてみれば試験どころではなく、学校の成績すらままならぬ日々を送る羽目となっていた。
そんなある日、ある夜での事。
天之麻神社の巫女である天之麻甘菜は、珍しく某市で行われる夏祭りに足を運んでいた。
すれ違う多くの者が振り返り見るその浴衣姿はなんとも言えぬ愛らしさを醸し出して、アップにした髪と露出したうなじは中々涼しげである。
しかしその表情はどこか困ったようなものであり、隣を歩く彼女の親友・横田佐奈は気まずそうに幾度目かの謝罪を口にしていた。
夏祭りは平坂八幡宮という神社主催のもので、その広い境内に延びる参道の両脇には、多くの屋台が所狭しと建ち並んでいる。
甘菜としては同じ市内に天之麻神社があり、余所の神社が主催する祭りに抱く関心はもともと薄かった。
そもそも、祭りとはその土地の神に感謝を捧げる性質のものが殆どである。
一方で、鬼目一“蜈蚣”や“天目一命”(アメノマヒトツノミコト)といった祟り刀を生み出した鬼の鎮魂を目的とする天之麻神社の縁である甘菜は、これに参加する事は憚られていた。
何しろ天之麻神社の祭神は、天之麻の姫に執着し祟りを成してきたのだ。
おいそれと他の神社の神に感謝を捧げて、その結果如何なる嫉妬や怒りを買うのかわかったものではない。
にもかかわらず、彼女が夜店の建ち並ぶ祭りに足を運んでいるのは。
「ゴメンね、甘菜ちゃん」
「ううん、いいよ佐奈ちゃん。気乗りしないのは確かだけど、“お参り”しなきゃ問題無いし」
「ありがと。――あたしね、どうしても甘菜ちゃんに相談しておきたい事があって」
横田佐奈は消え入るようにそう言って、俯いてしまった。
その手には先程甘菜と一緒に買った、小さな林檎飴が握られている。
隣を歩く甘菜と同じく涼しげな浴衣姿である彼女は、しかし甘菜より頭一つ低い身長の為か同級生というよりも姉妹に見えた。
だが彼女は紛れもなく、甘菜と同い年のクラスメイトである。
横田佐奈はいわゆる“地味”な女子生徒で、背まで伸ばした黒髪をお下げにまとめ、制服を僅かでも着崩す事が無く、特徴と言えば赤いフレームの眼鏡位しかない大人しい性格であった。
一部男子の間では顔は中の上、胸はかなりのものという評価が下されていたが、いつも一緒にいる天之麻甘菜とどうしても比較され、目立つとは言い難い容姿だ。
甘菜と同じ特別進学クラスに席を置き、学力も甘菜よりいつも少しだけ良い結果を残す優等生であるが、運動能力は平凡であるらしい。
甘菜に言わせれば『私より頭が良くて、私より二廻り胸が大きくて、私より女の子らしくて、私より小さな可愛い子』との事であるが、しかし。
横田佐奈本人にとっては、甘菜の評価は過剰に感じられ、いつもそんな事は無いと否定するのである。
「で? なんか悩み事なん? 佐奈ちゃんが祭りに私を呼び出すなんて、よっぽどだし」
「う、うん……ごめんね。甘菜ちゃんがお祭りが好きじゃない事はしってるけど、もう、いてもたってもいられなくなっちゃって……」
「成績……じゃ、ないよね。この前のテスト、学年トップだったし。って、いうか、私が佐奈ちゃんに勝てる教科って体育くらいしかないし」
「そ、そんな事無いよ……」
「またまたぁ。ま、いいけどね。順位なんて目安にすぎないもの。いまのままでも十分國學院、狙えるしね。あ、ごめん。佐奈ちゃんの相談だっけ。それで?」
「うん……あのね、その……如月先輩の事……なの」
横田佐奈は俯いたまま消え入るようにそう言って、うなじと耳を赤くした。
如月先輩、というのは昨年の夏休みも明けた頃、甘菜に告白をしてフラれた二年生――現在は三年生となった如月隼人の事である。
彼をふった事により、一時的に発生したイヤガラセを思い出したのか、甘菜は顔を苦くしかめた。
「如月……先輩か」
「ごめんね、甘菜ちゃん。イヤな事、思い出させちゃって」
「ううん、いいよ。で? 如月先輩がどうしたの?」
「うん……あのね、わたし……先輩の事、その……好きになっちゃって」
「ええ?! い、何時から?!」
「キッカケは……先輩に呼び止められた時だと思う」
消え入るように言って、横田佐奈は自分を落ち着かせるように手にしていた林檎飴をかじった。
しかし歯が立たず、唇に固く甘い飴が擦れるのみである。
間を置いて続けられた説明によれば、彼女が恋に落ちたのは去年の晩夏での事。
横田佐奈は夏休みも終わった新学期早々の休み時間、廊下でとある男子生徒に呼び止められた。
彼女を呼び止めた者こそ、現在は三年生となった如月隼人である。
当時は二年生で校内の女子達の間では絶大な人気を誇っていた――現在でもその人気が衰えていない如月は、果たして横田佐奈に照れながらも恋文を手渡したのだ。
宛先は横田佐奈ではなく、彼女の親友である天之麻甘菜である。
結果は周知の通り如月の失恋に終わったが、手紙を横田佐奈に託した折、新たな恋が生まれていた事に如月は気付いてはいなかった。
以来、横田佐奈は僅かな時間とはいえ間近で接した如月に恋心を燃やし続け、同時に彼を袖にした甘菜に暗い感情を抱くようになる。
「う……で、でも、佐奈ちゃん。私だってね、その……」
「いいの、甘菜ちゃん。これはわたしの愚痴。すごく妬ましくて、ちょっと羨ましくて……」
「ご、ごめんね」
「だからいいって。キライになったわけじゃないし、本当に怒ってたりしてるんだったら、こんな風に面と向かって言わないよ? ただ愚痴を聞いて欲しかったの」
「そ、そう。いや、でも……あは、まさか佐奈ちゃんが如月先輩をねぇ」
「おかしい?」
「いや、いやいやいや、おかしくないよ。でも、もうちょっと誠実そうな人が好みなんだとばかり」
「如月先輩は誠実な人だよ」
それまでのおどおどとした態度が嘘のように、横田佐奈はぴしゃりと言い放った。
比較的人を見る目がある彼女の言だけにそれが真実であると判断したのであろう、甘菜はうっと呻いて何も言えなくなり、小声でゴメンとだけ返すのである。
「あ、そんなつもりじゃないよ。甘菜ちゃん、気にしないで」
「気にするって。でも、好きな人の悪口は言われて怒るのは当たり前だよね。やっぱり、ごめん」
「いいの、気にしないで。それより、わたしの相談、きいてくれる?」
「う、うん、勿論よ。話して話して?」
「うん……あのね」
取り繕うような甘菜に急かされ、横田佐奈は再びモジモジとして相談を続けた。
内容は年頃の娘にありがちな、取り留めのない恋の暴露で、とどのつまりはどうやって如月隼人に告白したら良いかというものである。
甘菜は困った。
親友の相談であるからして、勿論全力でこれに応えたい。
応えたいのだが、如何せん、甘菜には異性に告白された事はあれど告白をした事が無いのである。
横田佐奈は甘菜が贔屓目に見ても、決して女子達の憧れである如月隼人と釣り合わぬ存在ではない。
今よりももう少し身だしなみを流行に合わせ、髪型を変えるだけで見違える程綺麗になる筈だ。
本来の魅力を引き出せれば彼女に告白され、袖に出来る男などそうはいないだろう。
それだけに、告白“する”事に関しては素人の甘菜が生兵法で口を出し、告白に失敗させるわけにはいかない。
かといって、親友の相談に何も力になれぬのでは立つ瀬がない。
どうしたものか。
甘菜はむむむ、と考え込んでしまった。
屋台が建ち並ぶ参道は提灯や電球の光に照らし出され、そこかしこに立てかけられた派手なのぼりは不思議と神社の境内の風景と良く馴染んだ。
宵の口ではあったが時間も下がってきていた為、客足はかなり少なくなっている。
遠く聞こえる祭り囃子の笛の音と太鼓の音も、あと一刻もすれば聞こえなくなるだろう。
そんな、どこかノスタルジックな光景はそこに居るだけで心地よい物であったが、考え込む甘菜の目に映し出されることはなかった。
――こまった。
ここは是非に佐奈ちゃんの力になりたい……のだけども、そもそも、“家の事情”から告白おろかまともな恋愛なんてしたこと無いぞ、アタシ。
大体、得意な事と言えば九十九神のお祓いとか、祝詞の暗唱とかだし。
……まさか、犬蠱の作り方教えて『これで如月先輩のハートをゲットよ!』ってやるわけにもいかないし。
ううう、困った、困ったぞ、これは。
縁結びの神様、紹介する?
って、バカ。それじゃあ意味が無いって。
……じゃ、本職オススメのとっておきのおまじない。
一歩間違えば呪いだけど……っておまじないって何よバカ。
大体アレ、ホントの所はお呪いと書いて“おまじない”だし。
佐奈ちゃんに呪いと祈祷は似たようなものだぁって力説しても、大体そんなの求めてないもんね、うん。
苦悩は刻一刻と深く苦しい物となって行く。
初夏の、祭りの夜。
決して蒸し暑くはなかったが、ううむと唸り考え続ける甘菜は嫌な汗をかき始めていた。
その横で、赤いフレームの眼鏡の奥、不安と期待に瞳を輝かせ親友のアドバイスを待つ横田佐奈。
神妙なその顔を、なんとしても裏切りたくはない。
だが、どうしたらよいものか。
もしこの場に陣太郎が居れば、これ程苦悩する甘菜を見て目を白黒させるだろう。
甘菜にとって告白のアドバイスは、それ程の難題であったのだ。
――ふと。
あろう筈も無い、回答へのヒントを探すように泳がせた視線が、直ぐ脇の屋台で停まった。
屋台は小さな動物の置物を、空気圧で発射されるコルクの弾で打ち落とす射的屋であった。
その中に“あるもの”を認めて甘菜ははっとし、突如財布を取り出しながら屋台の親父につめより、一回分の料金を払ったのである。
「あ……甘菜ちゃん?」
「佐奈ちゃん! これ!」
甘菜は如何なる結論に達したのか、コルクの玉を銃の先に詰めながら空気銃を横田佐奈に付きだした。
横田佐奈は困惑しながらも銃を受け取り、どういう事? と言いたげに首を小さく傾げて親友の真意を探る。
そんな彼女の耳に甘菜は林檎飴を囓りほのかに赤くなった唇を近付け、囁くようにして奇行の説明を始めるのであった。
「ごめん佐奈ちゃん。何も聞かず、言うとおりにして貰える?」
「う、うん」
「いい? 私にはどうやって告白したらいいか、わからない。だけど、キッカケを作る事はできそうなの」
「え?! ホント?!」
「うん。その為には、どうしても今から佐奈ちゃんにして欲しい事があるの。信じてくれる?」
「うん、信じるよ、甘菜ちゃん」
横田佐奈は神妙な面持ちで甘菜に応え、ぎゅっと手渡された空気銃を抱きしめた。
それから、甘菜の指示通りに射的台に並ぶ“ある動物”の置物に狙いを定める。
銃口が向けられているのは、果たして小さな雉の置物であった。
甘菜の指示によれば、その置物を“如月先輩への想いをありったけ込めて”撃つ必要があるのだと言う。
その結果、“恐らくは”撃った弾が跳ね返り、自分にはね返ってくるであろうが、それこそが彼女の言うキッカケを作る為に必要な行いであるらしい。
――ワケがわからない。
横田佐奈の、正直な感想である。
しかし親友・天之麻甘菜は決して、このような奇行で真剣な相談を煙に撒くような事はしない。
恐らくは“何か”あるのだろう。
そう自分を納得させながら、横田佐奈は雉に狙いを定めて引き金を絞った。
一射目。
当たらない。
ああ、おしい! と言って甘菜がわざわざコルク弾を銃口に詰めてくれる。
二射目。
今度も当たらない。
再び甘菜が空気銃の先にコルクの弾を詰めてくれた。
――それ位自分で……お金、甘菜ちゃんが出してくれたのに。
そう訴えるも、甘菜はいいから、佐奈ちゃんは先輩のことを考えてアレを撃つ事だけに集中して! と強く指示される横田佐奈である。
尋常ならぬ甘菜の剣幕に狼狽えながらも、三射目。
引き金を絞る瞬間、如月隼人の事だけを考えての三射目は、果たして見事雉の置物に命中したのであった。
しかし雉の置物は倒れはしたものの台から落ちはせず、その上跳ね返った弾は運の悪いことに横田佐奈の額に命中してしまったのである。
「やった!」
「う、痛い……甘菜ちゃん……」
「やったね! 佐奈ちゃん! 私の思ったとおり、これで上手く行くよ!」
何がやったというのか。
無邪気に喜ぶ親友に、横田佐奈は軽い苛立ちを覚えた。
先程までは甘菜に心中を吐露し、藁をも縋る想いで相談をしていたからであろう。
妙な申し出を疑いなく信じて実行してみたのではあるが。
改めて考えると、射的を行って“告白するキッカケ”を得るなど、はぐらかしもいい所である。
まさか、この射的屋で如月先輩がアルバイトをしているわけでないし、あのような雉の置物を如月先輩が集めているという話も聞いた事もない。
そもそも、雉の置物は台から落ちてはいない故、手元に得ることすらできない。
甘菜はただ、跳ね返ってきた弾が額に当たった事を喜んでいるだけだ。
これで怒らない方がどうかしている。
横田佐奈はそのように考えて、つい、何が嬉しいの? と珍しく声を荒げかけた。
「あれ? 天之麻さん?」
背後から、予想だにしない声。
振り返るとそこに、あの愛しい顔があったのである。
信じられない出来事に、珍しく激高しかけた横田佐奈の思考は白く焼かれる結果となった。
「あ、如月センパイ。こんばんはー」
「あう、き、如月先輩?! なんで……」
「や、やあ。こんばんは。天之麻さん、珍しい、ね。他の神社のお祭りにも来るんだ?」
「いえ、屋台見物だけですよ。ワケあって参拝はできませんし」
「そ、そう」
ぎこちなく返しながら突如現れた如月隼人は、苦々しく笑った。
見たところ連れはおらず、一人での祭り見物のようである。
「先輩こそ、一人でお祭り見物なんですか?」
「え? うん、まあね」
「カノジョとかは?」
「いないよ。天之麻さんにフラれてから、なんかその気になれなくて」
如月隼人はそう答えて、頭を掻きながらはやり苦笑いを浮かべた。
対する甘菜は横で固まる親友にグイ、と肘を入れて“ヤッタネ”と合図を送る。
しかし想い人を前に白く思考を停止させ、カチコチに固まる横田佐奈はそれどころでは無い。
「あははー、先輩、ショック受けてましたもんね」
「う、やめてくれよ。こうしてまた君と話すだけでも結構辛いんだ。あれ以来、すっかり女の子が怖くなっちゃって……」
「それはご愁傷様。所で先輩、これからどうするんですか?」
「え? ボクはこれから帰る所だけど……」
「じゃ、丁度良かった。あの、この娘、送って行ってくれません?」
「あ、甘菜ちゃん!」
やや強引な甘菜の誘いに焦ったのは横田佐奈である。
こうして目の前に居られるだけで意識が混濁してしまうのに、二人きりで夜道を歩くなど――
想像して横田佐奈は、恥じらいで全身を朱に染めた。
先輩、そんな申し出、断るよねという諦めと、断って欲しくないという期待が彼女の頭の中でグルグルと回り、上目遣いに見つめる仕草は計らずともかなり、可愛い表情である。
「そりゃいいけれど……この娘、どこの学校? あ、はじめまして。ボク、如月といいます」
「先輩ぃ、そりゃないッスよ。この子、先輩が私に告白した時に手紙をことづけた子じゃないですか」
「え?! あ、いや……ええ?! この子、いつも天之麻さんと一緒に居るあの子?! こんな綺麗な子だっ……あ、いや、ゴメン。でも、ええ?!」
横田佐奈の期待と想像を超え、如月隼人は激しく狼狽えて目を丸くした。
反応は横田佐奈にとって非常に好感触なものである。
実の所、少し固いが甘菜と並んでも見劣りしない浴衣姿である上、先程から見せる恥じらいと縋るような潤んだ目は、彼女の魅力を十分に引き出していたのだった。
「あはは、よかったね佐奈ちゃん。綺麗だってさ」
「もう、甘菜ちゃん」
「つーわけで、先輩。エスコート、頼まれてくれますか?」
「そりゃ、こちらの……えっと、ごめん?」
「あ、あの、わたし、横田佐奈といいます」
「……その、横田さんがいいならかまわないけれ」
「お願いします! その、甘菜ちゃんとは帰り道逆なんで、ちょ、丁度だれかに送って行ってほしいなーって!」
横田佐奈は、非常に頭の良い女の子である。
彼女は決して“攻め所”を見誤らず、ここぞという所でチャンスを掴むだけの勇気を持ち合わせていた。
豹変に近い彼女の剣幕は甘菜でさえ驚いたのだから、その迫力に圧倒された如月が甘菜にいいのか? と何故か許可を求めたのも当然であるといえる……かも、しれない。
「……えっと?」
「決まりですね、先輩。じゃ、佐奈ちゃん、明日学校でね」
「う、うん。ありがとね、甘菜ちゃん。さ、先輩、いきましょう」
「え? あ、うん、じゃ、天之麻さん、また。横田さんはボクが責任もって送らせてもらうよ」
「お願いします。佐奈ちゃん、またねー」
なし崩し的に二人は甘菜を残し、その場を後にした。
一人残された甘菜はほぅ、と一息ついて、全身を脱力させる。
それから、まさか本当に“返し矢”が発生するとはと考えて、苦く笑うのであった。
甘菜が“返し矢”の事を思い出したのは、射的屋の雉の置物を見た時である。
“返し矢”とは因果応報を現す神話上の出来事であり、その内容は次のようなものだ。
――その昔、高天原の神々が葦原中国を統治するべく、抵抗する中国の神々を征伐する為地上に降りた神がいた。
神の名は天稚彦といい、彼はあろうことか地上の神の一人、大国主の娘下照姫命と結婚してしまったのである。
いつまで経っても仕事しない天稚彦に業を煮やした高天原の神々は、“鳴女”という雉を使者として送り込んだ。
しかし、天稚彦はこの雉を射殺してしまう。
“鳴女”を射殺した矢は遠く高天原に届き、それを見た高天原の神の一柱、高皇産霊尊は言った。
『天稚彦に叛意があるならば、この矢は天稚彦に当たるだろう』
そう言って、矢を中国に向け投げ返したのである。
果たして矢は天稚彦を貫き、これを“返し矢”と呼んだ。
「……神威に祟られてる私が弾を込めて“鳴女”に縁する物を射れば、“返し矢”が発生するかなって思ったんだけど……まさか、あんなにハッキリ因果まで返ってくるとはねぇ」
呟いて甘菜は遠くなる二人の背を見送る。
甘菜が苦し紛れに“返し矢”に考えが至った時思いついたのは、返ってくるのは矢だけで無く因果も一緒に返ってくるのでは、という物であった。
つまり矢を射る時、そこに想いを込めれば同様のものが返ってくると考えたのである。
怨念を込めれば怨念が。
殺意には殺意が。
そして、慕情には慕情が。
人を呪わば穴二つとはよく言った物であるが、慕情も又、呪いや敵意同様に人の想いであった。
勿論、万人に起こりうる現象ではない。
猟師が誤って神に近い存在を撃つだとか、なんらかの理由で祟られた者が矢を番えなければ、そこに神威は発生しないのである。
そう、たとえば、憐れな鬼の情念が篭もった刀に祟られた一族である、天之麻の女が矢弾を込めたりしないかぎりは。
「……さて、私も帰りますか」
「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん!」
親友と学校の先輩の背が見えなくなった後、甘菜がその場を立ち去ろうとした時。
射的屋の親父が甘菜を呼び止めた。
「まだ二発、残ってるよ! もったいねえ、ほれ、やって行きない!」
「あ、えと……うん、そうね」
誘われるまま、甘菜は残った弾を空気銃に詰めた。
特に欲しい置物があると言う訳では無い。
しかし、弾代は彼女の出資によるものである。
一応、遊んでおかねば勿体ないでは無いか。
甘菜はもったいないの精神を発揮しながらも、ぼんやりと何事か考えつつ適当に狙いを定めて引き金を引いた。
当然、当たらない。
残る弾は一発。
――これを撃ったら帰ろっと。
タクシーで来たけれど、帰り、捕まるかな。
……くそう、陣ちゃんが免許もってたら、足になってもらうのに。
そういや、陣ちゃん、どうしよう?
國學院に行くまでになんとかしないと、一緒に東京に行って貰う羽目になる、かな?
流石にあの“祟り刀”をほっといて大学に行く訳にはいかないし。
……いや、いやいやいや。それは“ない”わね。
だって、いくらなんでも――
「あだ!」
「お、お嬢ちゃん上手いね! はいこれ!」
考え事をしていた甘菜の額に、コルク弾が当たった。
どうやら計らずして、何かの置物に当たったらしい。
――もう、“返し矢”じゃあるまいしなんで私の顔に跳ね返ってくるのよ。
心の中でそう愚痴を吐きつつも、甘菜は屋台の親父に差し出された置物を見るや顔を引きつらせたのである。
「あれ? 甘?」
背後から、聞き覚えのある声。
錆びた機械のような動きで振り返る、甘菜。
そこに居たのは勿論――
「じ……ん、ちゃん?」
「どうした? んな妙ちくりんな顔して」
「……別に。ちょっと、“返し矢”が痛かっただけよ」
「へえ?」
「……それより、陣ちゃんこそ、なんでここに?」
「そりゃお前、屋台が出てるし遊びにな。なんか理由見つけて出かけねぇと、俺の青春が山登りで終わっちまう」
陣太郎はそう説明し、肩をすくめた。
――今日は厄日かも知れない。
その暢気な態度が何となく癪に障った甘菜はそう考えて、心中で大きくため息をはいたのである。
「ふうん? 誰と来たのよ」
「……中学ん時の友達。さっき、解散したけどな」
「あら。学校の友達じゃないんだ?」
「お前、知ってて言ってるだろ? おとねさんの一件で俺、完全に男子からは裏切り者扱い、女子からはスケコマシ扱いだぞ!? 畜生、折角何人か仲良くなれた奴らが居たのに!」
「ご愁傷様。ところでどうやってここまで来たの?」
「ん? 普通に自転車だけど?」
「ふうん」
甘菜は気を取り直し、何やら考え込み始めた。
浴衣姿で考え込む幼馴染みの姿に、思わず見惚れてしまう陣太郎である。
やがて甘菜はぽん、と手を打ってなにやら思いつき、陣太郎に向き直った。
相も変わらず綺麗な顔に貼りついていたものは、営業用のスマイルである。
勿論、陣太郎が見るそれは嫌な予感しか覚えさせない笑顔だ。
「さっき解散したって事は、もう帰るんだよね?」
「ああ、そだよ?」
「……お小遣い、残ってる? タクシー代折半したいんだけど」
「残ってネエよ。それに俺、自転車でここまで来てるって言ったじゃん」
「あ、そだったそだった。ね、ちょっとまってて」
そう言い残して甘菜は、近くあったイカ焼きの屋台へと走り、大きなイカ焼きを二つ買った。
それから陣太郎の元へ戻って来るや、徐に一つ差しだしたのである。
「あげる」
「うお?! いいのか?」
「ん」
「さんきゅう。これ、高いけど旨いんだよなあ」
「だよね。じゃ、帰ろっか」
「えっ?」
「タクシー代、使っちゃった」
「えっ? 何? どういうこと?」
「自転車の後、のっけてよ」
「えええ?! なんでだよ! 警察に捕まるって!」
「大丈夫だよ。それにここから歩いても一時間位だし」
「そうだけど……ああ、誰かに見られでもしたら今度こそフォローしようもない噂が……」
「私、構わないよ?」
時が止まる。
誤解のしようもない台詞に陣太郎は固まった。
否、そう思って居たのは陣太郎だけではあるのだが。
一拍遅れて絞り出した言葉は気の利いた台詞であろうはずもなく、曖昧な返答である。
「なぬっ?」
「だってさあ、噂が立ってた頃って一々呼び出し喰らってコクられて、気まずく断る事も無かったし。むしろ陣ちゃんと噂になってたほうが楽っていうか」
「えっと……天之麻さん? それって……」
「ん、偽装恋人ってやつ?」
否定のしようも無い程、ハッキリと感じた落胆であった。
目の前であむとイカ焼きに小さくかじりつく幼馴染みは相変わらず綺麗で、どこか手が届かぬ程遠い。
これが自身の本音であろうか。
それとも降ってわいた、思いがけぬチャンスに見えたそれを取り上げられ、落胆しているだけであるのか。
ハッキリと答えられる程、陣太郎は想いを固めては居ない。
ただ、このまま甘菜の提案を受け入れるとどうなるか、それだけはよく理解出来ていた。
「あの……それだと、俺、誰とも付き合えないじゃん……」
「いいじゃん、どうせ女子からはスケコマシ扱いなんでしょ? それとも好きの子、いるの? いるなら今、天之麻流縁結びを開眼した所だから、特別に伝授してあげるけど。一回イチマンエン」
「ひでえ! ……そりゃ、居ないけどさ」
「じゃ、たのむよう、だありん」
「やかましい。くだらねー事言ってないで、さっさと帰るぞ。同じ学校の奴に見つかりでもしたらそれこそ、俺の学校での立場がなくなっちまう」
「正直、今でもあんま立場無いよねぇ」
「うっせ。……とほほ、イカ焼きじゃあ割にあわねえよ」
「まぁまぁ。途中でジュースも一本、サービスしてあげるから。ペットの奴、買ってもいいぞ? あ、これも。この林檎飴もあげる」
「……お前、今日はやけに気前がいいな」
「“鳴女”のご利益ってね、良いことをすればその分報われるみたいなのよ」
「なんだそりゃ。ま、いいから早くいこうぜ。あまり人目に触れたくない」
「はいな。じゃ、陣太郎号での送迎、よろしくぅ」
初夏の夜に交わされた、他愛も無い会話であった。
二人はその後、イカ焼きを囓りながら駐輪場へ歩き、祭り囃子が完全に聞こえなくなった頃家路に着いたのである。
その祭りの夜、陣太郎にとってはやはり“祟り成す”夜であったが、甘菜にとっては神威の発現を目の当たりにした夜であった。
顕現した神威は果たして荒魂であるのか、和魂であるのか。
答えは陣太郎が漕ぐ自転車の後、浴衣のまま腰掛ける甘菜が持っていた雉の置物だけが知っていた。




