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動機

 啓介は目が覚めると体育倉庫にいた。

 真っ暗だ。唯一、扉の隙間からの薄明かりが周囲をぼんやりと照らしていた。

 金井先生に呼び出された後、二人で話をしていたことは覚えている。その後、急激な眠気に襲われてからの記憶はない。

 時間はわからない。体育倉庫に窓はないから予測するのも難しい。手は後ろ手に縛られていた。足も縛られているので簡単には立ち上がれそうにもなかった。しかもロープというよりはかなり硬質な糸で縛られているらしく、動くと肌に食い込んで痛い。今にもネズミが走ってきそうなかび臭さが気分を更に滅入(めい)らせた。唯一カバンだけは、近くに転がっていたので啓介は少しだけほっとした。

 右ポケットに入れていた携帯電話がなかった。普通に考えればここに来る前に犯人に回収されてしまったのだろう。助けを呼ぼうにも叫ぶぐらいしかできない。そして叫んでも恐らく近くの民家まで声は届かないだろう。

 しばらくすると体育倉庫の木の扉が不恰好な音を立てて開いた。入ってきたのは金井先生だった。金井先生は、啓介が目が覚めていることを確認すると、おもむろに跳び箱に腰を掛けて話し始めた。

「聞かせてもらおうか。私の犯行の何が幼稚なのか」

 勝ち誇ったその口調は、幼稚なのはむしろ啓介だと言っているように聞こえた。

「先生、何のことですか? 何で僕はこんなところで縛られているんですか?」

「しらばっくれるなよ。お前は俺に言ったよな。『犯行は二か月ごとにしか起きてない』って。確かに俺の犯行は二月、四月、六月だ。だけど世間的には模倣犯が、模倣犯として認知されていない。ということは、それに五月が付け加わる。一体どこが二か月ごとなんだ?」

 啓介はしばらく沈黙したが、やがて口を開いた。

「そうですね。最近の傾向を踏まえると、普通は一か月ごとだと言いますね。あえて、そう言いましたよ。先生が糸の通り魔かどうか知りたかったんで」

 啓介の口調は、落ち着いたものへと変わった。

諸刃(もろは)の剣だな。五月が模倣犯だって知っているのは、俺と模倣犯だけだからな。最後まで私が気付かない方に賭けたってわけか?」

「そう思ったんですけどね。思ったよりは頭がキレるんですね。見くびっていたことを反省します。それはそうと、自分が糸の通り魔だということを認めるんですね」

「認めるさ。今から死ぬ奴に対して認めたったって問題なかろう。お前になら私の初恋話だって洗いざらい話してやってもいいぞ。(めい)()の土産ってやつだ」

 金井先生はさも楽しそうに笑った。聞けるならば聞いた方が時間は稼げそうだが、恐らく話すつもりもなさそうだ。啓介は話の主導権を渡さないように言葉を選ぶ。

「それは興味がないんで勘弁して下さい。聞いても三途(さんず)の川に流す位しか用途がないでしょうし、そしたら川も汚染されてよくないでしょうしね」

「そいつはつれないな。とっておきの話だったんだが。ところで、どうして俺だとわかったんだ?」

「糸にえらく固執しているようだったので、もしかしたらと思ってかまをかけただけですよ」

「異常と思われないように気をつかっていたつもりだがな」

「確かに普段の態度ではそこまで固執しているという印象はありませんでしたよ。でもね、さすがにゴミ箱に捨てられた布の繊維を観察するのはいささか異常かな、と思いまして」

 体験入部した最初の日、かすみと啓介は被服室を最後に出た。布は帰る直前に捨てた。残っていたのは金井先生だけだ。次の日の朝に忘れ物を取りに行った。かすみの捨てていった布は、はさみの切り口とは違う綻びを見せていた。不思議に思って後日カメラを仕掛けて確認すると、それは先生が糸を見るためだったということがわかった。

「なるほどね。これからは気をつけるとしよう。でも、それほどまでにあの手織りの布は興味深い物だったんだよ。ああ、そうだ。本田にはどこまで話したんだ?」

「何も話してませんよ。先生が僕の話を信じるかどうかはわかりませんが」

「いや、信じるよ。生徒が嘘をついているかどうかは大体わかるんだ。お前も嘘はついていなさそうだ。本田の態度も何か知っているようには思えなかった」

「生徒の話を無条件で信じてくれる先生って好きですよ。通り魔でなければ、なおのこと好きだったんですが」

 金井先生は啓介の皮肉に対してあきれたように笑った。

「別に好かれるために教師をやっているわけではないからな。さて、聞きたいことは手短に聞いておきたい。聞くべきことはあと二つだけだ。

 お前はどうやって糸を使ったんだ?」

 カウントダウンのつもりだろうか。あと二つ、という部分を金井先生は強調した。

「ああ、そのことですか。いいですよ。教えてあげます。でも、糸の使い方の前には、先生は絞殺の種類を知るべきだと思いますよ」

 絞殺には、種類がある。一つが気道閉塞すること。もう一つが脳への血流を止めること。どちらでも人は死ねるが、後者はスマートではない。顔面にうっ血が残るのだ。それはやはり美しくない。では、一体どうすればうっ血なく絞殺ができるのか。概略をするとこれだけの話だが、啓介はいろいろな事件を例示しながらゆっくりと話した。金井先生は、時に相づちをうち、時に小さな質問もし、それなりに熱心に話に耳を傾けていた。

「勉強にはなった、かな。最後の質問だ。お前の動機は?」

 それはどうしても話せなかった。嘘をついてもよかったが、嘘は苦手だ。見破られたときに、完全に主導権を持って行かれるのは望ましくない。啓介は少ない選択肢を吟味して答える。

「それは秘密です」

「動機が私と同じであるならば、同志として扱わないでもないんだが」

「先生の動機はよくわかりませんが、間違いなく同じではないですね」

「そうか。それは残念だ。他に話すことはあるか?」

「話すことがなくなれば殺すと言うなら、もう少し話しますよ」

「生徒の話は最後まで極力聞こうと思うんだ。そうしなければ、最近の親はうるさいからな。あぁ、でも死んだらもう生徒ではなくただの死体だから、もう聞く必要もないか」

 金井先生は、立ち上がって一歩、二歩と啓介の方へと歩みを進める。啓介の心臓はぎゅっと締め付けられる。まだだろうか。もうそろそろでもいいはずなのに。啓介は時間稼ぎの方法を焦りながら考えていた。他に先生が殺しを中断するほどに興味を持つ話題は何だ。何かあるだろう。現時刻がわからないという不確定要素が啓介を不安にさせる。もう切り札の話を使うしかないのだろうか。

 そのとき、急に室内にこの状況には似つかわしくない和やかな電子音が鳴り響いた。場の空気が変わる。啓介には余裕が生まれ、金井先生が明らかに狼狽(ろうばい)し始める。

「何だこの音は?」

「いや、僕の携帯電話のアラーム音ですよ」

「馬鹿を言うな。既に取り上げて電源は切ったはずだ」

 金井先生は自分のポケットから啓介の携帯電話を取り出すと電源が切れていることを確認した。それでも、アラーム音は鳴り続けた。金井先生は音を頼りに場所を特定しようとする。どうやら啓介の方であることには間違いないようだった。

「僕は携帯電話を二年も三年も使うのは反対なんですよ。だから、最近変えたんです。まぁ前変えてから一年もたってなかったから、物を粗末にするなと怒られちゃったんですけどね。先生には、その携帯電話が最近のものに見えますか? 見えちゃいますか。それは、残念。僕にとっては一年前の化石携帯です。これが、ジェネレーションギャップってやつですね」

 携帯電話は啓介のカバンの底板の下から見つかった。金井先生は急いでアラームを止めようとする。

「あと、僕は趣味でアプリも作ってまして、特定の誰かに自分の緊急事態と場所を伝えることは、そう難しくなかったりして」

 啓介は金井先生に会う前に、タイマーをセットしておいた。解除しなければ自動的に緊急事態とみなすようになってある。アラームが鳴ったのは、もうチェックメイトであることを示していた。切り札がきた。

 開いていた扉から影が一つ。

 やっとアラーム音が止まってほっとする金井先生。

 金井先生の後ろに立つ華奢(きゃしゃ)な人影。

 手と手と足と足と首。

 新体操のリボンのようにしなやかにコントロールされた糸が順に巻き付く。

 嬉しそうに両手両足を広げた操り人形に見えた。

 そこから、汚物が淀んだような苦しそうな声が聞こえる。

 啓介の視線は糸を操る幼なじみにくぎ付けになった。その所作はとても美しい。かすみのことを模倣犯などと呼ぶのは間違いだ。啓介からすれば、本物はかすみであり、金井先生こそが模倣犯である。そのたおやかな殺人仕草はまさに万人が愛するに値するものだ。だが、今それを間近で鑑賞できるのは啓介だけ。啓介の感性全てが嘆息し、満たされた。

 こうして、啓介の目的は目論見(もくろみ)通り達成された。

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