インターナル
啓介の体験入部は二週間にもなった。皆の彼への特別扱いもそろそろ底をついた。部長さんに、
「あなたの幼なじみは、入部するの? しないの?」
と陰で尋ねられる始末である。答えは濁すことしかできない。事件が解決すれば啓介はきっともう手芸部には来ないだろう。また少し疎遠になってしまう。そう考えると、事件など解決しなければいいとも思う。さすがに、一か月以上も体験入部だと言って居座れることはないだろう。そうなれば、もしかしたら啓介も手芸部にそのまま入部するかもしれない。一度入部すれば三年生までずっと一緒に活動できるかもしれない。
気掛かりなのは啓介が針も糸もあまり手に取ろうとしないことだった。かすみの陰でずっと携帯をいじっていた。ちょっとのぞき込むと、被服室をいつのまにか撮影していたらしく、その動画を見ていたり、何か怪しげな英語のサイトを開いていたりだった。英語で、メールの送信に成功しました、と書いてあったのでメールをしていただけだとは思う。ただ、誰にメールをしていたのか本当は聞きたかった。画面を隠す素振りが何とも怪しくて、他の女の子の名前が出てきたら面白くないのでやめておいた。
啓介がいるからかすみは手芸部の活動をふだんよりも張り切った。少しでも長く一緒にいたい。他の部員の子達も何かを察してくれているようだった。
「じゃあね、かすみ。あんまり熱をあげないように」
「別に、そういうわけじゃないんだけど」
「何赤くなってるの? 私はその刺繍のこと言ったんだけど」
と、ビビッドな笑い声とともに友人は少し早めに帰っていった。
「最近は物騒だから早く帰りなさい」
金井先生は遅くまで残っているかすみに注意をしてくれた。かすみはしゅんとしつつも素直に頷く。
「まだ大丈夫ですよ。糸の通り魔は二か月に一回しか現れないみたいですから」
かすみの気持ちを知ってか知らずか啓介はいつも通り冷静だった。
「そうだとしても、通り魔の気なんていつ変わるかわからない。本田さんをきちんと送っていってあげなさい」
啓介は先生に返事をする。嫌々という感じが一切ない自然な態度だった。それだけでかすみは頬が緩んでしまう。
かすみが啓介のことをいつから好きになったのかはわからない。
幼なじみの啓介は気づけば公園で一緒に遊んでいた。家は近所と言えば近所だが、隣とか斜向かいほど近いわけではない。大体お互い最寄りの公園を中点とした直線上に二人の家は位置していた。小学校の集団下校のグループもぎりぎり別になってしまうような近くて少し遠い関係だった。
かすみの父親は強面だった。一般人からすれば近づきにくい雰囲気。なのに、公園に遊びに連れて行く係は基本的に父親だった。奥様方は当たり前に敬遠する。かすみを近くで見守る父親に、子供達さえ本能的な何かによって近づいてこなかった。
けれど、啓介の家の人たちは違った。砂場で遊んでいると、いつの間にか隣にいた。ままごとだって一緒にやってくれた。啓介のお母さんも帰るときには毎回かすみにお礼と挨拶を言ってくれた。かすみにとってはそれだけでも十分特別な親子だった。後から聞いた話だと、啓介はかすみの砂場セットが気に入っていたから一緒に遊びたかったという幼稚な動機があっただけらしいけれど。
もちろん最初は恋愛感情ではなかったと思う。ただ、成長するにつれて、啓介に対する感情も同じように成長した。バレンタインデイも毎年義理チョコだと言いながら、少しだけ特別なチョコを渡した。お互い誕生日は年齢掛ける百円のプレゼント、という約束はいまだに続いている。一つ一つは些細なことだ。けれど、小さな特別がたくさん集まって、今の啓介への気持ちがあると思う。この気持ちは啓介に伝えていない。伝える資格がないと思っていた。それでも、誰とも付き合うことがない啓介を見ていると、宙を舞う風船のようにかすみの心は揺れる。
年と比例して男女の距離は少しずつ離れていく。かすみと啓介の関係もその例外ではないように感じていた。お互いが嫌いになったわけではない。ただ、男女はいつかどこかで歩く道が分かれていくような気がする。いつまでお互い見える場所を歩いていられるのかはわからない。このまま少しずつ距離が離れていく。どうせ別れなければならないなら、それもいいのかもしれない。
そう思っていたのに、一か月ほど前の雨の日、それはあっけなく覆えされた。
かすみにはそれまでひたむきに隠し通していたことがあった。近くにいられなかったのは、知られたくなかったから。知られたくなかったのは、嫌われたくなかったから。嫌われたくなかったのは、誰よりも好きだったから。知られてはいけないことを啓介に知られてしまった。今まで築き上げてきたものがガラガラと崩れ落ちた気がした。
だが、予想に反して、啓介は初めてかすみを抱きしめてくれた。絶対に受け入れられないと思っていた。絶対に嫌われると思っていた。なのに、啓介は自分の一番醜いところを、すんなりと受け入れてくれた。凍りついていた何かがあっさり溶けた。嵐の中、衣服の芯までずぶ濡れでも、心は確かに温かかった。
私は啓介のそばにいてもいいのかもしれない。その日、かすみがそれに思い至ったのは、布団に潜り込んで目を瞑った後のことだった。