残量:100%[01]
***
「やべぇな、スマホ。超やべぇよ……なんだよこれ、ガラケの画面が霞んで見えるほどに美麗! PCとまごうばかりの機能性、本体の厚さ、どれをとってもスマートかつスマートだ!」
昨日の中学校卒業式から1日経った3月7日の今日、来年度より高校生と相成ることとなった俺は、旧代の遺物であるガラケから、とうとう新世代のスマートフォンに乗り換えた。
指にさらわれ切り替わる画面を、そりゃもう感動極まるとばかりに眺めているわけだ。いやまあ、だって、考えても見ろよ! 前までポチポチとけだるいボタン操作して、わざわざカーソルを合わせて決定ボタンを押しまくっていた頃から一転、画面を触ればすぐに選択決定できたりとか感動するしかねぇじゃん。直感的な操作でロス無く命令を聞き実行するその様は、たとえるなら従順で瀟洒なメイドか秘書がそばに控えているようだ。
「あんた、それでばっかり遊んでないで、家事手伝って、風呂洗い」
「わかってるって! でも、ほらみてよ超キレイだぜこれ! おおお、オカンの肌とは正反対だ」
「おほほ、面白いこというわねぇ。――その失言は許してやる。はやく風呂洗わないとそれ、叩き割るぞ」
「オーライオーライ、わかった、落ち着け母さまよ」
追い立てられ、ソファーから身を起こす。家事手伝いはめんどくさいが、足取りは軽く感じるのはきっと舞い上がっちゃってるからだ。
「もう夕方だし、お父さん帰ってきちゃうから早めにお願いねー」
「あいあいおー」
「栓とフタも閉めておいてね。沸かしちゃうから」
「わーってますって!」
***
浴槽をしゃかしゃかこすっていると、ポケットに収まっている我が愛機がブルブル震えだした。普段使うであろう定番アプリをいくつかダウンロードしていたのが終わったのだろうと思い画面を覗いてみると、案の定そうだったようで、終了のアラートが画面に出ている。
「おお、きたきた……!」
あの緑の四角が画面に収まっている! これが、あの、伝説の、巷で有名な、コミュニティーツールか! これを持たないことで、どれほど大きな疎外感を感じていたことか!
クラスでは皆口々に『チャット見た?』『みたみた! 今日いくよー』『おっけー』だとか。そのなかガラケユーザーである俺には『メール、見た?』『ああ』『お前も早くスマホにしろし』とかとか。くっそ! できることなら乗り換えたかったよ! まどろっこしくポチポチメール返信してたさ!
しかし、そんな窓際生活も今日でオサラバ。俺もこの激動の時代に乗り込んでいくのさ。時とチャットは待ってくれない……そう、俺は今日をもって即レスの鬼神となるのだ。
どれどれ、さっそく開いてみることにしよう。慣れない操作に四苦八苦しつつ、登録作業をこなし、ホーム画面へ移る。どうやら電話帳にあるアドレスからユーザーを探してくれるらしく、特に探さなくても一覧することができるようだ。
「便利になったもんだよなぁ……おお、さっそくチャット来てる!感動的だねぇ……どれどれ、どなただこの俺の電脳界入りにいち早く気づいたものは――誰だコレ」
意気揚々とチャットを開いたものの、肩透かしを食らったような気持ちで内容を見てみる。
[メリーさん{こんにちは! 私メリーさん。いま、あなたのいる日本にいるの]
「……なんだこれ」
スパム的な何かか? 出会い系のサクラとかそのたぐいだろうか。そういうのもあるというのはよく聞いていた話だ。どうすればいいんだこれ?
それにしても、今どきメリーさんとは、あまりにひねりがないジョークというか……いや、逆にひねってきた結果がこれなのか? まさかキャッチが都市伝説の名を借りて無作為にチャット送っているんだから、なかなかおもしろいことをする。
チャットはさらに流れてくる。
[メリーさん{私メリーさん。いま、あなたのいる街にいるの]
「とりあえずこれ、そうだな……あれだ、ブロックブロック。だがあれ、どうすればいいんだ?」
しかして、このまま捨て置くわけにもいかんだろ。
つたない指でポチポチ操作してみる。どうすればいいのかよくわからないまま画面を流していると、『連絡先を登録しました』みたいなニュアンスの書かれたポップが現れた……マジかよ、おい、しようとしたこととまったく逆の結果になっちまった。
「ちょっ、えっと、どうすりゃ解除できんだコレ」
[メリーさん{私メリーさん。いま、あなたの家の前にいるの。真坂くん、だよね?]
「は? なんで俺の苗字をっ!?」
家中に広がるインターホン。やけに間延びしてから途切れた音に反応したようで、「はぁい、ただいまー」と、オカンが玄関に向かうような足音が聞こえた。
「はいはい、今開けますね――あら? 誰もいない。まったく、ピンポンダッシュだなんていまどきの子はずいぶんとまあ……公人ーっ、洗い終わった!? 早くしてちょうだいね!」
それどころじゃない。
こんなチャットが送られてきたんだ、それどころじゃない。
[メリーさん{ピンポーン、正解みたいだね。真坂公人くん]
「ヤバい、ヤバいよこれ絶対ヤベェよ……!」
[メリーさん{振り向いたらあなたの負けだよ]
「え? ええっ」
[メリーさん{私メリーさん。いま、あなたの後ろにいるの]
ふっと顔を上げると、目の前に鏡があった。俺の後ろに、黒みがかった何かが――
「う、うわあああぁぁぁ!!」
逃げろ、いますぐここから逃げなければ! 後ろが無理となれば窓からだって外に! しかしだ、未知なる危機的状況に突然出くわして気がはやった。根を張ったようにこわばった体に鞭打ったからか、足が思うように動かない。気がついたら足に何かを踏んだ感触がし、そのまま後ろへと倒れこんでいたかと思えば、ガツンと頭に衝撃が走った。
ああ俺、ワケも分からず死ぬのかもしれない――そう悟る間に、暗闇が目の前に落ちた。
***
目が覚めると、そこは天国でも地獄でもなく、見知った天井があった。
記憶が正しければ、たしか風呂を洗っていたはずだ。あれはたぶん夕方16時を回り始めたころだったか。しかし、気がつけば自室のベッドだ。窓にかかるカーテンの隙間からは黒が覗いており、掛け時計に目をくれてみれば時は24時を回って半分むこうに行ったころ。
「いったいなにがあって……いつつっ!」
起き上がろうと腹に力を入れてみたものの、ガンガンと鐘をぶん殴ったような鈍痛が頭にきて、身を起こすにいたらなかった。
オーライ、わかった。とりあえずあれだ、俺が風呂を洗っていたという記憶は確かなようだ。ひょんなことから足を滑らせたという記憶はある。なるほど、そういうことか。打ちどころが悪くて気絶でもしていたんだろう。それを証明するがごとく、今日着ていた私服のままベッドにいて、触れた感触から、頭には包帯が巻いてあることがわかる。まったく、俺ったらドジなんだから。
このまま起き上がるのはつらい。というわけで、身を半回転させつつベッドの端まで寄って、そこから足をつけることにしよう。やれやれ、せいぜい着替えくらいで疼くなよ、俺の頭。
なんとか体を起こすことに成功した俺は、その足でクローゼットを開く。
さて、ここでだが、俺のクローゼットは観音開き。扉の裏にはオシャレさん必須アイテムである、全身が映る姿見が貼り付けてあるわけだ。
上から下まで余すことなく反射して見せてくれるそれはすぐれものだ。なんといっても、ぶわりと大汗を吹き出して目をかっぴろげている俺の顔と、ベッド下のわずかな隙間に何かが潜んでいるのまでわかるんだからな。
「あ、ああ……っ!」
声が出ない。振り向いて確認したい気持ちが押し寄せてくるが、恐怖がそれを差し止めている。鏡越しにただそれを見つめることしかできない。
やがてうずくまった黒の塊から何かが吐き出された。ささっと滑るようにして俺の股下を通過しクローゼットにぶつかったそれは、今日俺が手にしたばかりの新しいスマホだった。
画面を見下ろす。まだ見慣れないあの個人チャットの背景。
吹き出しにはこう書かれていた。
[メリーさん{私メリーさん。うごくな]
続いて、
[メリーさん{振り向いたら殺す]
さらに、
[メリーさん{叫んでも殺す]
……わあお。
あの未知なる者はなんなんだ? もしや…強盗か? もしそうなら俺の命超ヤバい。この危機的存在から我が身を守る方法は……警察に届けるべきだ。足元にあるケータイを即座に拾い、110をダイアルして早急な救出を依頼しなければならない。
やるなら今だ。身を動かせるのは、あの不審者がベッド下にいる今しかない。どうしてあんなところに潜んでいるのかはまったくもって見当つかないが、とりあえず人一人入るのに無理があるスペースに隠れているんだ。そう簡単に抜けだしてはこれまい。
俺は、ベッド下の状況を確認するために鏡へと目を上げた。
「――」
隙間から抜けるのに手間取っている姿が見えるかと思ったらところがどっこい! そいつは俺の真後ろに、まるで瞬間移動したのではないかと錯覚するほど静かにそこにいて、鏡越しに、なんとも言いがたい赤の瞳で俺のことを見つめていた。
『振り向いたら殺す』
『叫んだら殺す』
さっき見たチャットの内容が脳裏に漂い、絶叫を漏らしかけていた口をなんとか閉じさせた。動きも口も許されない今、とりあえずこの……一見女の子の雰囲気をまとった脅迫犯の出方を伺うしかできない。
「なにが、目的なんだ……? 誰だお前はっ」
足元のスマホが震えた。新しいチャットが来ている。
[メリーさん{私メリーさん。じっとしてろ]
「そんなこと言って、俺を、殺すつもりだろ……っ」
[メリーさん{振り向かなければ殺さない。もし守れなかったら]
スーッと股下から何かが出てきて、絶句するしかなかった。
[メリーさん{これであなたの心臓えぐっちゃうぞ]
やけにリアル! それあれですよね? 鈍色に輝く曲がった刀身のそれはカランビットナイフですよね!?
[メリーさん{オーケー?]
「オッケー……要求を飲もうじゃあないか……」
[メリーさん{よろしい]
突きつけられていた凶刃が目前から消える。
ほっと胸をなでおろしたものの、次いでまた心臓が跳ねる思いをしなくちゃならなくなった。
ふっと背中に何かが寄りかかる感覚がしたかと思ったら、突然横から手が伸び出てきて――ちょっとまってなんだこの状況、女の子のもののような細い指がこれからしようとしてることは一体なんなんだ? 俺のズボンのボタンを外さんとしている!
「なっ、ななになになにをしてあそばされておられるのですか、なんでズボンのボタンを外して――社会の窓をおろしておいでなのでしょうか!?」
[メリーさん{さっきのお返し、私の下着見たでしょ!]
「は!? 誰が!」
[メリーさん{あなたが。それ以外に誰がいるのよ]
「少なくとも俺以外の誰かだよ!」
緊張感の意味合いが一転、生命的危機がなぜかどうして、そこはかとない貞操の危機へ転換しちまった! そして俺の愚息、なんでここで元気になる!?
[メリーさん{なんかが引っかかってズボン降ろせない]
「やめてとめてやめてとめて!」
[メリーさん{ええい、抑えるな!]
「無理無理抑えるなってほうが無理だろ! ああっ、なんだこいつめっちゃ力強いねん!」
[メリーさん{まどろっこしい! おりゃーっ!]
「ああァーッ!」
勢いに任せてズリ下げられたズボンが、俺の足元に蛇腹をなして佇んでいた。
下着ごと降ろされ、どういうシチュエーションを期待してこうなってしまったのか、俺の愚息が封印を解かれ、鏡のむこうで主張していた。
[メリーさん{ああ、なんだろう……ごめん。事故っちゃった]
「……………………」
[メリーさん{あー……うん、メリーさんは先に寝ますね! おやすみ!]
背後についていた謎の来訪者の姿が、そろそろと後ろへと摺り退いていくのが、鏡越しに見えた。やけに黒かったのは、ゴスロリ調の服を着てたからかー……。やっぱり女の子でございました。俺の予想はあたっていたようだ。
……女の子に見られた女の子に見られた女の子に見られた女の子に見られた!
「うあああああ! なんだこれとてつもない辱め! 俺が何をしたってんだーッ!」
「公人? 起きたの?」
「え? あっ、ちょっ、まって――」
「入るわよー」
声がしてドアが開いた。止めるまもなく。
俺の姿をみるや、ドアノブを握ったまま硬直していた。
「まってくれ、ママン。コレはあれだ、勘違いってやつだ」
「……まあまあ。それだけゲンキならもう大丈夫ね。もうすぐ高校生なんだから、いろいろわきまえるようにね」
にっこにっこしながら扉が閉められた。
戦闘モード全開の下半身丸出しな息子を見て、母上はどう思ったのか。俺にはわからない。もしかしたらどうとも思ってないのかもしれない。『まあ若い男だからねぇ、仕方ないねぇ』みたいなノリなんだろうけど、けど……。
俺の心には、とてつもなく大きな傷跡が残った。
[メリーさん{あー、なんだろう、ご愁傷さま?]
「……殺してくれぇ」
あれだ。とりあえずズボンを履き直して、ベッドに戻ろう。明日になったら全部が夢だったとでも思ってしまうことにしよう。
ああ、そうだ、これは夢だ。夢なんだ。カランビットナイフだとか金髪ゴスロリ娘の影とかベッドの下の謎物体だとか、これはそう、全部夢なんだ。このまま床に寝転がってしまえば全部なかったことになって、すこし気持ち悪い夢でも見たと冷や汗かきながら、春休み二日目が訪れるんだ……。
とりあえず床に寝転がった。はやくこの悪夢から目がさめることを祈って。
***