こわいひとにはこわいかも、こわくないひとにはこわくないやん、な実体験
手
私が4歳の頃。
母方の祖父が亡くなった。
今では顔も思い出せないくらいのおぼろげな記憶だが、一度お見舞いに行った時に、
「よく来た、よく来た」
と喜んで、大きな手で頭を撫でてくれた事は、よく覚えている。
祖父危篤の報をうけ、病院に家族で走ったが、多分間に合わなかったのだろう。
祖父と対面をした覚えはなく、母がやたらと泣いていたことだけは、やはり覚えている。
今だと分かるが、ご遺体を母の兄にあたる叔父が家へとつれてかえる運びとなったのだろう。
一緒にいた叔父一家はいつの間にか姿を消していて、私たちも祖父の家、つまり母の実家へと向かうのだと告げられる。
その時、急に、私はお手洗いに行きたくなり、ひとり、トイレに駆け込んだ。
母に、いつもの入口で待っているから、ちゃんと来るんだよと言われながら。
そしてお手洗いから出てきた私は、見事に迷子になった。
何を馬鹿なと思われるかもしれないが、なんてことないところで迷うほど、私は方向音痴なのだ。
半べそをかきながら、なんとか階段を見つけて一階に降りたが、どこをどう通れば『いつもの入口』にたどり着くのか、全くわからない。
ここから先が不思議な出来事。
急に私は泣くのをやめて、何かに導かれるように、走り出した。
長い廊下を走って走って、どこかは知らないが、出入り口のようなところに出た。
そのまま出入り口を出ると、病院を出た。
私の足は止まらず、そのまま走り続け、ぐるりと病院の周りを回りきり、いつもの入口へたどり着いた。
入口で苛々しながら待っていた母が、入口から「入ってきた」私に驚愕の目を向けたのは言うまでもない。
そして遅くなったことに大目玉を喰らいながら、私は家族と母の実家に向かった。
あの時、私を導いてくれたのは、なんだったのか。
ただ走っていた最中、なんども誰かが、背中を押してくれたような気がした。
方向音痴のわたしは一度迷うと、さらに迷うことを恐れて、道を自分で決められない。
その私に、まず走れと背中を押し、そして走り出したらこの角を曲がれと押し続けてくれたのは、だれだったのだろうか。
余談。
大人になり、結婚して子供も無事授かった私は、近いということもあり、子供のホームドクターをその病院にしていた。
ある時、子供の通院のついでに一階をぶらぶらして、あの廊下を見つけた。
廊下を歩いたその先に、通用口を見つけた。
その通用口は、ご遺体専用の出口だった。