252-「砂塵の中の陽炎-1」
自然、気候は生きる上で敵にもなり、味方にもなる。
恵みともいえる陽の光と雨が味方であり、
強すぎる日差しや大雨は敵となるように。
そんな中でも、暑さ寒さという物は
自然が人間にとって表裏一体の存在であることを
感じさせる身近な物と言っていいだろう。
「どうにも……あちいな……」
つぶやきながら街を歩く男の顔からは汗。
十分に熟した果実を切ったその切り口から、その果汁がにじみ出る程度には出てくる汗。
多いとはまだ言えないが、ほうっておくには不快なほどであった。
確かに男は肌の露出は少なく、両腕と顔が例外と言えるだろう。
それでも男は薄着になるわけにはいかない。
一歩外に出れば怪物がどこに出てきてもおかしくない場所であるし、
意外と肌色というのは、目立つのだ。
仮に裸になったとしても少し動けば汗が出るであろう場所柄、
汗をかいた男、というのは当たり前の光景だ。
しかし、状況を知らない他の土地の人間が
見ることがあればそれは不思議な光景だった。
空が闇に包まれている、つまりは夜のように見えるのにどうしたことか、と。
男が汗をかく理由。
1つの理由としては、季節が夏と分類できる時期だからというのはあるだろう。
その時期であれば、たとえ夜でもそれなりに暑い物だ。
普段よりかなりマシではあるが、
この土地はそれでも内地より暑い。
それは砂地故か、あるいは昼間がいつもより暑かったのか。
はたまた空の闇が見た通りではないのか。
今回は最後の理由により、男は汗をかいていた。
まだ昼間であるのに、薄暗い今の世界で。
「ふいー……戻ったぜ」
「お帰り、ジェームズ。やっぱり暑そうだね。早く夜にならないかな」
とある建物、宿の一室に男が入り、
主だった防具を外して一息をついたところで
別の部屋からやってくる少年、クレイ。
「はい、お水です」
室内で過ごしていたからか、ゆったりと涼しそうな服装の少女、
コーラルがぬるくはあるが日陰にあっただけ冷えている、という水を差出、
ジェームズはそれを一息に飲み干す。
「おう。まあ、その分稼ぎはよさそうだ」
そう言い、ジェームズはにやりと笑みを浮かべる。
3人がいるのは、ジェレミア軍も駐留する大陸南東の街。
砂漠地帯を目の前にし、やや生き残るには辛い土地。
そんな場所に、3人は長めと言える時間、滞在している。
宿の支払いも馬鹿にならないため、借家を借りたほどである。
一見、砂とわずかな草原だけのように見える土地だが
その下にはかなりの頻度で岩盤が見つかり、
その岩盤は上手く手に入れれば良質の鉱石となるのだった。
そして、討伐対象は尽きず、今はそれ以外でも儲け話は転がっている。
ジェームズが外に出ていた理由の1つもそれであった。
「サボタンだったか? 順調だな。こんな場所だってのによ、スクスクってなもんだ」
「暑さに強く、水もまかなくても長持ちどころかいつの間にか中に蓄えている。
うーん、内地にいたんですよね? どう考えてもこっちが住処のような……」
街のそばにある岩の転がる広場というのは難しく、
荒れ地でしかない場所に増えている緑。
それはポーションの材料として栽培されているサボタンたち。
実際には怪物の類であるので、栽培という呼び方が正しいのかはわからないが、
果肉に相当する部分も食べられなくはない、ということがわかると
この土地に限らず、とりあえず増やしておくか、という話になるのは自然なことであった。
あちこちに出来上がるサボタンの繁殖地だが、
素材として使うのに一番良いと言われているのが、
とある物好きの貴族が最初に増やし始めた場所だというのだから謎は深まるばかりである。
いずれにせよ、砂漠や草原では貴重な水分、そして食料にもなるということで
暇さえあれば増やしているというのが実情であった。
見た目はどう見てもいわゆるサボテンに目鼻らしい物がついただけの姿だが、
その中身はやはり、大きく違っている。
植物として大地から水分と栄養を得ることも行われるが、
固有の魔法ともいうべき手段で体内に水を生成するのだ。
もっとも怪物らしい一面の1つである。
その特性故、いくら植えても周囲が乾燥するということはなく、
静かにサボタンは増え続けるのだ。
「針も武器になり、皮とかも燃料になる。うーん、都合がよすぎる気もするんですよねえ」
コーラルが見つめるのは、部屋の隅にある鉢植えに育つサボタンの1匹。
動かず、しゃべらず、いつの間にか手のように果肉の部分が膨らんでいる。
時折、それを切り取って食べている身としては疑問は尽きないのであった。
「まあ、その辺はなんでもいいさ。それより、準備しておけ」
「ん? どこかに行くの? 遺跡に動きでもあった?」
ジェームズが部屋に立てかけてあった武器を手にして
真剣な声色でそう口にし、クレイもまた、
軽い口調ながらすぐ手に取れる位置に置いてあるストライカーブレイドに手を伸ばした。
数々の戦いを経て、クレイのストライカーブレイドは
なぜかその性能を増していた。
それは精霊が謎の水増しにより増大してからであるのだが、
その理由に彼が思い当たることはない。
怪物とて、大概の相手はいわゆる生き物であり、
そんな相手にストライカーソードの目覚めた雷の力は鉄板にして切り札でもある力であった。
「いや、遺跡の方は……数が増えたようだが動きは変わらないらしい。
問題は、だ。ワームの連中さ」
「うう、べとべとするんですよねえ、アレ」
出会った時、倒した時のことを思い出したのか
コーラルがジェームズの声に体を震わせる。
「素材にはなるから、我慢するしかない……か」
クレイの言葉通り、ワーム達は食べる相手ではないが、
その体、正確には皮と牙は使い道が多い。
砂に潜り続けても怪我をしない丈夫さ、
砂漠地帯でも水分を失わせず、
乱暴な動きに耐えうる伸縮性を持つ皮。
獲物を時には岩ごとかみ砕くための牙は言うまでもない。
その脅威と比例するように、有用な素材となるのだった。
砂漠における、一番の強敵でもあるワームとは
意外と遭遇する機会は少ない。
陽の光には強いとはいえず、短時間だけ地上に出てくる。
主な活動時間は夜だ。
動く時間にさえ気を付ければ、出会うことはあまりない怪物でもある。
これまでは、だが。
「新しく作られた村? 町? まあいいか、とにかくそこが、食われた」
「食わ……れた?」
ジェームズの発した言葉を、クレイはすぐには理解できなかった。
だが、彼もこの土地でそれなりの時間戦ってきた冒険者である。
すぐにその意味を正しく悟る。
つまり、ワームの集団か相応の相手に襲われた、と。
岩ごと獲物をかみ砕くワームにとって、
人の建物は大した障害とならないであろうことは目に見えている。
「でも、ワームに襲われないような土地を選んでいたんですよね?」
「ああ。地面からの襲撃がないように十分調べた土地だろうな」
コーラルの言う通り、この土地ではワームに襲われない場所と、
襲われるかもしれない場所ははっきりしている。
それは岩盤。
場合により岩をも砕く、というワームではあるが
好き好んでは岩盤に近寄らない。
その習性を利用し、砂地の薄い場所であれば
人間が住むことも出来るのだ。
水の確保などの問題は別として、であるが。
「つぶされた建物は残っていた。わずかな生存者もな。
天を突くような巨大なワームだったらしいぜ」
「! モスケン……本当にいたんだ」
「何年も目撃情報が無くて、死んだんじゃないかって言われてましたよね」
今、3人がいる場所は既に砂漠ではなく、
ワームが移動することが不可能な土地である。
それゆえに、地面からワームが飛び出してくるというのは無いのだが、
話を聞き、その相手を想像したところでそろって下を向く。
何もない地面から、死の口が迫ってくるのではないか、という恐怖にだ。
「奴の討伐依頼が出された。奴の周囲にはワームどもが集まってるというのは事実らしい。
この土地の冒険者や兵士の総力戦さ。いや、それも正しくないか」
つぶやくジェームズの声は2人が思っているより明るい物だった。
巨木をも超える大きさらしいワームを相手にするというのに、だ。
「ジュエルスコーピオンの使者が来た。今回に限り、協力するだとよ。
もっとも、同じ場所で、は無理だから別方面からぶつかってくれるらしいが」
驚愕に若い2人が硬直するのを見ながら、
ジェームズは突然の出会いと、その場でのフェルドナンド王子からの依頼に
内心で己の偶然をある意味、呪っていた。
(ジュエルスコーピオンの次期女王との交渉に同席なんざ、二度とごめんだね)
悩まず稼ぐのが一番。
やや後ろ向きともいえる考えだが、
今のジェームズにとっては重要なことだった。
とはいえ、世の中はそんな人間を簡単に離してくれないのは今も昔も、変わらなかった。