232-外伝「空はあんなに青いのに-2」
「あれは味方だと、そういうことか」
「ええ、将軍。天帝様の力により産まれた、我々ではない、我々ですとも」
小高い丘にいくつも用意された天幕の1つで、
男が二人、向かい合う。
鎧を身に着けたまま、どこか熱にうかれたような表情の男は
問い詰めるように語り掛け、片方の男もそれに頷きながら答える。
そのまま戦いに行けそうな重装備の男は将軍と呼ばれていた。
男の国に数多く、ではないがそれなりの数がいる軍の役職である。
地方ごとに1人はおり、それぞれが地域ごとの軍をまとめる。
時に、その実力から複数の地域の軍を同時に率いることもある、
それなりの地位の立場と言えよう。
武力と、相応の知識がなければなることのできない立場。
それゆえに、説明された目の前の状況に疑問がないわけではないが、
それが言葉になる前に何かによって徐々に霧散していく。
何を疑っているのか、と。
じっと軍知に見つめられると、その疑問のような物も消えていく
感覚に襲われてしまう将軍。
目の前の軍知も同じ命を受け、この場におり、
その軍知が問題ないと判断しているということが将軍の思考を
本来の物から徐々にだがゆがめていく。
(ああ、そうだ。天帝様の命なのだ、問題はない)
決定的なきっかけは、首元に身に着けている首輪からであった。
ぼやけるように黒い光がにじみ出たかと思うと
その何かが将軍の体にしみこんでいく。
そして、将軍の身に着ける鎧の色が、わずかに陰る。
天幕の限られた灯りの中でさえ、豪華さのわかる立派な鎧。
その表面は、相応に輝いていたが今はその光もやや鈍い。
それはかすかな変化。
だがその色が持つ雰囲気は、いつかファクトが見たバルドルの纏う色だった。
死の気配漂う光。
その光が揺らめくたび、将軍の瞳が一見落ち着いたものとなる。
「ええ、そうです。彼らは見覚えがあってもあの方々ではありません。
そのように見えるだけで、本物ではないのです」
「そうか……ならば、良い」
寝起きに言葉を紡ぐように、ぼんやりとした将軍の言葉。
普通ではないことは明らかだが、それを指摘する人間はこの場にはいない。
こんな状態でも戦いとなれば普段通り、いや、普段以上に雄々しく戦うことを
軍知、西方虎砲と呼ばれる男は良く知っている。
既にここに来るまでに経験済みであるからだ。
ゆっくりと自身の天幕へと立ち去る将軍を見送り、男は一人、ためいきをつく。
「本物ではない……か。情けない」
手を握りしめ、外に漏れないほどの小さなつぶやき。
それには多くの苦しみと、後悔が含まれていた。
先ほどの将軍への言葉、あれは自分自身へ言い聞かせる言葉でもあったのだ。
そう、彼らは本物ではない、と。
そんなはずはないことを彼だけは知っている。
今回が初めての遠征の将軍と違い、
彼はそのほとんどを見ているからだ。
1度目は乗り込んだ先で怪物に精鋭が負け、侵攻方向を変えて挑んだ
自分たちも敗北し、気が付けば己のいる本陣まで攻め込まれ、恐怖のまま帰り着いた。
壊滅、しかも1人逃げ帰る状況に予想した処罰は一切なく、
敗北は夢であるといわんばかりに新たな戦力が任された。
敗北のことは何も、言われずにだ。
2度目は苦戦しながらも陣地を築いたが、味方は多く残らず、
そのうちに追い込まれた。
やはり、渡されていた特殊な道具で戻るも、処罰は無かった。
その時のことを男はよく覚えている。
「あれは……なんなのだ」
御簾越しに感じた気配は、無。
軍知として比較的、調べ物をすることの多い男ではあるが、
戦場に出向くこともある以上、ある程度の訓練は積んでいる。
あこがれであり、畏敬の相手であった天帝。
最初に命を受けた時は緊張からと思っていた。
だが、2回目にはそれが間違いだと気が付く。
いるはずの相手の気配がおかしいのだ。
人であり、人ではない。
定まらぬ気配は、最後には『ある』ことはわかっても、
いるかどうかはわからない、良くわからないものとなっていた。
少なくとも人間ではなさそうであった。
そんな相手から三度戦力が与えられ、
今度はいつのまにか増えたルミナス兵と思われる集団と怪物を討ち果たす。
軍知と将軍の率いた軍に戦死者はほとんどいなかった。
だが、今度は人が消え去った。
朝、男が起きると自分の天幕だけが現場に残っており、
気が付けばそばに謎の遺跡が現れていた。
男は帰るしかなかった。
4度目は戦いは無かった。
正確には、男たち以外が戦ってくれたのだ。
(アレは、なんなのだ。なぜ死んだはずの将軍らが迎えに来る。
しかも、新たな砦を作っているだと?)
古今東西、多くの知を学び、己の物とした軍知ですら想像すら許されないもの。
どこからかやってくる、怪物避けの道具を持ち歩く輸送部隊と思わしき物。
草原を駆け抜け、ケンタウロスと戦うルミナス兵らしきもの。
見る限り、ルミナスの兵であるのは間違いがない。
中には男の見知った、元戦友といえる者たちもいた。
だが、彼らは怪物に倒され、死んだはずであった。
あるいは、いなくなった者達でもあった。
街も無く、補給も無い中で生き残り、装備を維持することはあり得ない。
その困惑の中、ついに男は5回目の戦力を与えられる。
男はいつしか、揺れ動く心を押し殺していた。
戻るには男は遅すぎたのだ。
既にその手は、その瞳は知ってはいけないものを触り、見てしまったのだから。
自分だけは生きて戻るための謎の道具。
魔力を込め、たたきつけるだけでいつしか天帝の住まう都の一角に出る。
そんな非常識な道具を渡してきたのは、明らかにルミナスの人間ではない男女。
書籍でだけ知る、西の人間の特徴のある体。
その2人のどこか遠くを見るような瞳に、男は確信した。
この男女も同じ、ルミナスの贄なのだと。
男が見る限り、男女の具合は将軍と比べてはるかにましであった。
受け答えもスムーズではなく、時折、苦しむような表情をする。
そして、何よりも一度だけだが瞳に正気が戻り、
男に呟いたのだ。
「帰りたい」
と。
軍知である男も人の子である。
その日から男の戦い方は変わった。
戻れないのなら、戻れないなりの戦いをするために。
学んだ知識、経験、そしてこれまでの諸々が作り出した自分が確信している。
西には、これだけのことをするだけの対抗馬となる何かがあるのだと。
何も無ければこれまで通りのはずだったのだと。
(ああ、早くそれが私たちを打ち砕いてほしい)
天幕を出、心とは反対の晴れきった青い空を見上げ、軍知はひと時、
己の心を思い出すのであった。
──後日、天帝の御簾前
「今、何とおっしゃいました」
「私たちには、自ら行かれる、と聞こえましたが……」
男女の驚愕の声が響く。
身の回りの世話をする人間も下げられ、この場には
軍知である男女2人と、御簾の中にいるはずの天帝、3人だけ。
呼び出しを受け、どんな命を受けるのかと緊張のままの2人に
御簾の中からその声はかけられた。
「うむ。今一度言おう。戦の準備をせよ。西に、西に行かねばならん」
即答は、無かった。
当然のことだ。
これまで、天帝が都から、もっと言えばこの居住区から
外に出たことは数えるほど。
それも節目節目の特別な行事のためだ。
幾度となく行われた怪物の討伐や、
いつかの帝国との戦いですら天帝はこの都にいた。
国の住人には、本当に天帝がいるかどうかすら確信が持てない者も少なからずいる。
そんな象徴のような存在、それが天帝なのだ。
それが、戦いに出るという。
「お待ちください。ご無礼を失礼いたしますが、
戦いであれば我々が、そう、我々の役目です」
「そうですとも。御身に何かあっては……」
必死に軍知2人が引き留めるのも無理はない。
国の頭が戦いに出て、死んでしまうというようなことがあれば
それはすなわち、国が乱れ滅ぶ要因に他ならない。
「……2人にもわかっているのだろう? 私が私であるうちに、
けじめはつけねばならんのだ」
呟かれた言葉。
その言葉に軍知2人が硬直する。
四方をそれぞれ担当する軍知である2人は、これまでにも
天帝と言葉を交わすことがなかったわけではない。
明らかにその時の天帝と、目の前の天帝とが別人のようであることも、
あるいは、天帝となる前の時代の本人とは違いすぎることにも気が付いていた。
天帝となり、役目を背負うようになったからとするには
異常すぎる変化。
だが、それに何かを言えるような立場に2人は無かった。
今日、この日までは。
「黒い我が、我の中で眠っているうちに自分でまいた種は刈り取らねばならぬ。
異国の地で、我のために人の身から堕ちてしまった者たちのためにも……」
小さな音を立て、絶句する2人の前で御簾が上がる。
そして、天帝の姿が露わとなった。
慌てて頭を下げる軍知2人の前で、天帝は微笑む。
「時間は少ない。2度目の春には我でなくなるだろう。
2人には軍を率い、西方虎砲を助け、西に向かえ。
我はその後に続こうではないか」
「はっ。……まさか、南のがこの場にいないのは……」
鍛え上げられた2人の思考は、1つの結論に達する。
天帝が国元に南の軍知を残し、いざという時の要とするつもりなのだと。
即ち、生きて帰れない可能性を十分に考えている、と。
「2人には苦労をかける」
「もったいないお言葉です。全力でもって、お役目を果たさせていただきます」
頷く天帝、その姿は年齢の割に幼く見え、
今も表情は苦痛に耐えるように歪んでいた。
準備のため部屋を出る2人を見送ると、
天帝は座布団のような物に座り、部屋の隅をにらむ。
そこには日蔭だからと言えない闇があった。
天帝にだけはその闇が呟くのが聞こえる。
人間が、生意気を言う、と。
「これ以上は……させぬ。ふふ……一緒だった我にはわかるぞ。
何かが貴様の力をそいでいることがな。西にいるという女神か? あるいは天使か?
どちらにしても、我には都合がいい。
人として、死なせてもらう!」
天帝の絞り出すような叫びに、闇がうごめく。
無駄なこと、次のお前が産まれるだけだ。
そう聞こえたはずの天帝は、笑顔すら浮かべていた。
「あの2人がそうはならない証明であろう。知っているか?
後500年は西に王国はあるそうだ。
貴様の目論見通りに滅ぼせなかったということだな。
愉快なことだ。本当に、愉快だ」
じっと、そのまま天帝は天井を見つめる。
近くの窓枠から差し込む陽光は外が晴れていることを示している。
長い間、黒く曇っていた己の心が、その外の空のように
晴れることを、天帝は願っていた。
一度戦いを始めた以上、やーめたということはできないので
滅ぼすのではなく、勝つか、丸ごと負けるか。
どちらかにならなければいけない、ということで戦争継続です。