199「聖剣、名剣、その答え-7」
大きな月の浮かぶ夜空に笑い声が溶けていく。
アレキサンドライトを作り上げたファクトは、
マルディンへと近々旅立つことを伝えていた。
元々一時的な滞在の予定であったが、
思わぬところからファクトにとってこの場所はただの旅先の地とは言えなくなっていた。
「だぁ!」
酒盛りの始まっている酒場の一角で、
主役の1人であるファクトの指を赤ん坊がつかみ、声を上げる。
声の主はファクトが名前を送ったドワーフ、リュミシアであった。
周りのドワーフが気にしていないところを見ると、
ファクトの知る人間の赤ん坊と比べて
随分と活発に籠の中で動くリュミシアはドワーフ的には正常な範囲であるようだった。
まだ首はすわっていないが、ファクトがなんであるかを
わかっているように見つめ、笑い、小さな手でファクトの指をつかんでいる。
ドワーフたちはそれを見、笑みを浮かべ、
同時にファクトが作り上げたアレキサンドライトの放つ光を肴に
酒を飲み交わしていた。
(ドワーフが酒に強いとはよく言うが、ある意味卑怯だな)
リュミシアに笑いかけながら、ファクトは左手に持った酒瓶の
アイテム情報を見て声に出さずつぶやく。
それもそのはずで、ドワーフ印の地酒というべきその酒は
特殊な設定として、ドワーフが飲む場合にはバフが、
ドワーフ以外が飲む場合には酩酊判定が一口ごとに来るというとんでもない物だった。
勿論、ドワーフ自身が酒に強いという体質的な問題もあるだろうが、
何も知らずに同じ酒を飲み交わすだけでもこれだけの違いが出るのだ。
よく聞く言い伝えの種を見てしまったことに、
どこか居心地の悪さを感じながらファクトは棚に置かれたアレキサンドライトを見る。
魔法の明かりに照らされ、今は藍色というべき色に染まっていた。
こうして多くのドワーフに存在を認められ、アレキサンドライトは
真に世に生まれ落ちたといえるのだという伝承を
ファクトは笑うことなく、それに倣った。
旅立つ際にはリュミシアをこの里に置いていくことになる、
とファクトは考えているが
実際にはファクトの子供というわけでもないのだから少し的外れでもあった。
最初は守り刀のようにアレキサンドライトを置いていくことも考えたが、
これは持っていたほうがいいという真剣なマルディンの助言に従い、
この宴の後は身に着けて過ごすことにしていた。
それにしても、とファクトはリュミシアを見つめる。
いつの間にか指は離され、横合いからキャニーとミリーがきらきらした目で
リュミシアを撫でたり、つついたりして気を引いているのが微笑ましく思えた。
2人がかりとなればさすがにうっとおしそうなものだったが、
ドワーフがそうなのか、リュミシアの素質なのか、
嫌がる様子もなく、むしろ構ってくれてうれしいのか
元気よく籠の中で動いている。
「赤ん坊はもうそろそろ寝る時間だろうか」
「今は興奮してるのさ。ドワーフが精霊を見ることができるという話は
マルディンから聞いたんだろう? 生まれてすぐはその調整が出来なくてね、
まぶしいぐらいに見えてしまうのさ。つまり、あんたとアレはもう光そのものだろうね」
心配になり、リュミシアを育ててくれることになっている
ドワーフの女性にファクトが問いかけると、
女性は慌てた様子のファクトがよほどおかしいのか
笑いながらそう言い、リュミシアの籠に手をやった。
そして歌うように何かを呟いたかと思うと、
リュミシアはばたばたとさせていた手足の動きを止め、
覗き込んでいるドワーフの女性を見つめ返す。
(子守唄……だけではないな。不思議だ)
実際には子育ての経験からくる当たり前の行為で、
魔法でもなんでもないのだが
子育てをしたことのないファクトにとって、
ドワーフの女性がしたことは魔法同然であった。
そしてリュミシアはおとなしくなり、いつしかうつらうつらと目を閉じる。
周囲の酒盛りの声も気にならないようであった。
部屋を出ていくリュミシアと女性を見送り、
ファクトはキャニーとミリーの間に座り込んだ。
「ねえ、ファクト」
「ん? どうした」
ドワーフは酒が飲めればあまり細かいことは気にしないのか、
ファクトとアレキサンドライトが主役であった場は
いつしかよくある酔っ払いの会場となっており、
あちこちで笑いと騒ぎが起き始めていた。
そんな騒動を見ながら、ファクトが
ドワーフ的には軽いほうだという蒸留酒を一杯、
飲み干した時にキャニーがもたれかかってきた。
ミリーは地球でいう落花生のような物の殻をむくのに夢中である。
「リュミシア、可愛かったね」
「ああ。将来どんなドワーフに育つのか今から楽しみだな」
キャニーにしてみればこの先に口にすることのいわゆるジャブであったが、
経験の少ないファクトにそれを察しろというのは無理という物だろうか。
実際、ファクトはキャニーの様子に気が付くこともなく、
仕方ないなあという表情になったのも見ていなかった。
ゆえに、キャニーの攻撃をまともに食らうことになってしまう。
「そうね。ファクト、私も子供が欲しいな」
「ブフッ」
頭にキャニーの言葉が入った途端、ファクトは
口にしていた酒を吹き出しそうになる。
「もう、気を付けてよね。で、どうかしら」
「どうかしらって。まあ、することはしてるんだからそのうち……」
こういった時に、スムーズに返答が出来たならば
ファクトも苦労しないのであろうが、実際のところ、そうもいかない。
微妙に外れ気味の答えを返してしまい、
キャニーの機嫌が悪くなりかけるのを察することが出来たのは幸いであった。
寄せられた肩を抱き返し、キャニーを抱き寄せる。
「戻ったらしばらくは戦争の準備だからな。落ち着ける場所を探そうか」
「うん……」
「おおっとそこにはもちろんミリーも一緒だよ!」
砂糖だけの甘い空間にアクセントを加えるのは
殻をむききったミリーであり、いつのまにか
ファクトたちの会話に聞き耳を立てていたドワーフたちの視線であった。
「そうなったら連絡をくれ。特製の産着を送ろうじゃないか」
「だいぶ豪華になりそうだが、その時は頼む」
代表してのマルディンの言葉に、
ファクトはそう答えることしかできなかった。
その後も宴は盛り上がり、あちこちに毛布が積み重ねられた酒場で
ファクトはほかのドワーフらと同じようにいつの間にか寝入るのであった。
朝。
それは誰にでも訪れる新しい一日の始まり。
日付の変わってからも騒いでいたファクトやドワーフらも例外ではなく、
朝の気配に、むくりと身を起こしたファクトは
窓から差し込む朝日に目を細める。
「二日酔いが無いらしいのは救いか……」
足元に転がるドワーフ印な地酒の瓶を見ながら、
そういえばガラスのような瓶なんてどこで作ってるんだろうか、
ポーションのように自然に出てくるのだろうか、と
起き抜けの思考を抱えてぼんやりするファクト。
と、視界に入る朝日以外の光。
棚の上で色を朝日のように黄金色に変えたアレキサンドライトが
目覚めを促しているようでもあった。
起き上がり、アレキサンドライトを鞘に納めて
外套で隠れる位置に装備品として装着する。
装備していくにせよ、丸見えの位置ではこの剣は目立ちすぎるのだ。
いつしか姉妹や他のドワーフも起き始め、
ドワーフの里の朝が動き出す。
「じゃあな。元気で」
「うむ。外でドワーフたちに会ったらよろしく頼む」
出口まで迎えに来ていたマルディンらに頭を下げ、
協力の証としての書状といくつかのアイテムを手に
別れを告げるファクト。
対するマルディンは、そのうち再会するのではないかという思いから
気にした様子もなく、軽い見送りといった様子だった。
行きと同じように馬車によって里を出る3人。
そして同じく空へと舞い上がり、報告のためにも
人間の町へと向かう旅に出る。
一方、人間、正確にはルミナス以外の国々は
大量のイベントに遭遇していた。
イベント、としか評しようのない物事に、だ。
まるで戦力を整える人間側に対抗するように、
今までめったになかった怪物の異常繁殖、
亜人種の領土問題などが表立ってきたのだ。
ところが被害は多くはなかった。
解決せず先延ばしにしているという面もあったが、
死亡者といった被害でいえば実際、目を覆うほどではなかった。
それには訳があり、ファクトが見つけたという名目の古文書、
実際にはゲーム時代のMDで起きていた色々なクエストや
襲撃イベントから、今も起きそうなものを
迫る災厄として抜粋した物を参考に各国が
対策を立てていたためであった。
曰く、この地方の木々が枯れてきた時には
森の怒りが怪物に乗り移り、トレントが多く暴れだすだろうという
予言めいた一文……といったようにだ。
ゲームのイベントをそれらしく書き直したその古文書は
半信半疑ながらも、先人の言い伝えには理由があるという
考えの元、上手く参考にされていった。
異常があれば冒険者に依頼として調査依頼が出され、
実証されればその解決に冒険者への依頼や
軍の出動が行われる。
そうして人は経験と素材を得、成長していく。
新しい武具が新しい武勲を産み、
新しい噂を作り出していく。
運良く利益を手にした者は有名になり、
武具に拍が付いていく。
例えば同じものを求めて武具の市場は活気立ち、
経済が回っていく。
様々な流れが動き、それは大きな流れとなっていった。
だが、もしファクトが全体を見ることができ、
これらのイベントとしか呼べないような状況の原因、
根本を知ることが出来たのであれば
笑みを浮かべることは決してできなかったであろう。
ゲームのプレイヤーであれば
美味しいと感じるイベントの数々が、
この世界では確実に誰かを命の危機にさらし、
時には命が失われ、その命は戻ってこないことに。
そんなイベントが雨後の筍のように
大小産まれていく背景にあるのは天使、クラウディーヴァらであり、
ルミナスを介して西方を滅ぼそうとする黒の王であった。
黒の王は最終的に人を滅ぼすためという名目で、
亜人種に亜種やキングと呼ぶべき特殊個体を生み出す流れを
遥か東方から作り出すことを試み、街を襲わせた。
クラウディーヴァらは人間やその協力者が敵対者に対応できる力を
身に着けるための試練として怪物の成長を促進させ、その意味では
適度に繁殖量を増加させた。
そんなゲームでいう開発陣営というべき立ち位置の
強い力が世界に影響を与えていることを
知る存在は皆無と言ってよかった。
人間にとって、神だからこそ味方であり、
忌むべき存在だからと敵である、とは
簡単には言えない状況が世界に産まれていくのであった。




