178「狭間の砦-3」
しばらくは説明が増えるかなと思います。
男は誰が見ても戦士だった。
相手をした怪物の血が洗っても落ちないのか、
肌着をはちきれんばかりに押し出す体格に合った
革鎧はあちこちが染みのような黒さを模様にした物だった。
あちこち何かの牙や爪を受けた跡があるが、
その痛んだ様子は逆に潜り抜けた戦闘の数を証明しているかのようであった。
そして使い込まれた様子はあるものの、黒光りする金属の小手、
動きを邪魔しないように工夫された脚鎧らが
全体として、油断のない戦士を形作っていた。
室内のためか、靴は単純な物で
武器も腰に短剣を下げているだけだ。
同じ人間で、戦う理由などない味方。
それでも……もしスキルや魔法抜きで
単純に戦ったとしたら果たしてどういった戦いになるのか。
高レベルのステータスをもってしても勝てるとは言えない純粋な強さ、
目の前のソファに勢いよく座る男を前に、
ファクトはそんなことを感じるのであった。
「うむ。生きているようで何よりだな、フィルよ。はて、これはマジックアイテムか?
懐かしい弟の声が聞こえたから入ってきたが……」
『フェンネル兄さんと2人で登ったモイムーの木は今年も元気に花を咲かせました。
背比べの傷跡もそのままにね。証明はこんなところでいいでしょう。
兄上、そこにいる男がファクトです。鍛冶職人としても、
古い物を相談するにも最適の相手です』
体格と比べ、随分と小さく感じる魔法ラジオを前に
男、フェンネルが疑問を口にすると魔法ラジオからは
王族からただの弟に戻ったような、どこか楽しそうなフィルの声が響いた。
「ふむ……なるほどな。この形、この仕組み。いつだったか見たことがあるぞ。
失われたという古代のマジックアイテムだ。それをこの場に持ってくるという力量。
フィルよ、よくわかった。父上にもよろしく伝えてくれい!」
『ええ、わかりました。それではまた。ファクト、兄上をよろしく頼む』
ファクトはそんな兄弟の会話を聞きながら
フェンネルの動きに視線を奪われていた。
魔法ラジオを観察するフェンネルは戦いの場にいる戦士のようだった。
油断なく、未知の物を下手に触らない。
ある程度の距離を取ってじっくりと観察し、
まずは目に見える範囲から推測を重ねる、という姿は
荒事や探索に慣れていることを証明していた。
決して筋肉だけではない男。
わずかな時間ながら、ファクトらにそれを感じさせるには充分だった。
「とりあえず、簡単に自己紹介からでいいか?
あと、今さらだがこんな口調で問題は……なさそうだな」
「無論。必要以上の礼儀など、驚異の前には何の役にも立たん。
お前がファクトだというのならなおさらであろう。
本来であれば宴でも開きたいところだが、まだ昼にも早い。
そのうちにな」
テーブルを挟み、ファクト、キャニー、ミリーの3人と
フェンネル、そしてギルド長が対面する。
ギルド長は部屋の隅に備え付けのように置いてある茶器から
さりげなく人数分のお茶を用意していた。
フェンネルは慣れた様子でカップを手にし、
ファクトたちは独特の香りに少し中身を気にしながらも
習うように口に中身を運ぶ。
「「「っ!?」」」
3人が3人とも、驚きの表情を浮かべるのを
フェンネルとギルド長は笑顔で見ていた。
「どうだ、強烈だろう。私も最初は驚いたが今はこれがなくてはならん」
「グリンドルの実を炒って煮出したものだな。まさかここでこれが飲めるとは……」
いたずらが成功した子供のように笑顔だったフェンネルは、
ファクトの感嘆のようなつぶやきに逆に驚きの表情となる。
それも無理はないだろう。
グリンドルの実、地球でいうどんぐりのような、大きさは人のこぶしほどもある
その実はこのフォールヴァル方面でしか群生しておらず、
ジェレミアやオブリーン、西方諸国では入手がほとんどできない希少な植物の実なのだ。
キャニーとミリーはその初めての味に驚き、
ファクトはかつてゲームの中で出会った、
覚えのある味とのまさかの再会に驚いていたのだ。
グリンドルの実を加工して作ったという設定の飲物、
グリンドルティーはある意味、プレイヤー御用達のアイテムであった。
強烈な酸味と癖になる風味。
そのファンというプレイヤーも少なくないが、
使用効果として得られるものは3時間の間、
習得経験・熟練度1~5パーセントアップという効果。
現実時間で12時間という再使用時間があるものの、
一行動、一戦闘あたりにどの程度のボーナスが入るかは
入手タイミングのその時々に判定が入るが、
通常の薬品といったものと重複するお得な効果がそのお茶にはあった。
回復アイテムよりもまずはこれを、というプレイヤーも少なからずおり、
レベル上げに苦労する生産職に分類されるプレイヤー、
ファクトのような人間は入手できるようになってからは日常の友だったといっていい。
地名も地形も変わり、どこで入手できるのかと
思い出すたびに気にしていた物が今、目の前にある。
「なるほどな、フィルが手紙でわざわざ名指しするだけのことはあるようだ。
父上にもまだ報告していない物だというのにな。これを見抜いた男のことだ。
秘密にも気が付いているのだろう?」
「ああ。これを飲んで狩に出る、あるいは訓練をしていくと不思議と力が付きやすい。
そうしてこの土地で鍛え上げ、生き残ってきた……ということだろう」
質問というよりは確認、といった様子のフェンネルへと
その意図に気が付いたファクトは同じく用意された答えを
そのまま読み上げるようにして答える。
フェンネルは満足そうにうなずくと、自己紹介を始める。
ジェレミア王国第二王子、フェンネル・スィル・ジェレミア。
この土地へは領土の確保、そして防衛のためにいることが紹介される。
「本当に王子がこんな最前線に?」
思わずキャニーが問いかける。
ミリーも相手の立場とこの場所との関係に驚いたままだ。
まだ2人は強敵には出会っていないが、
出発前の情報からはこの土地が
飛竜、そして馬人種からの脅威が目の前にある場所であることはわかっている。
そのうえ、広がる森林や点在する遺跡には怪物が住み着き、
野生動物1つをとっても並の兵士、並の冒険者では
商人の護衛自体、勤まらないと伝えられていた。
「俺も最初にここに王子さんが来た時はどうやって追い返そうか考えたものさ。
なにせ、あのジェレミア王の息子さんだろう? 我先にとつっこんで怪我でもされちゃたまんないさ」
どこかあきれたようなギルド長の姿に、
ファクトらは当時、どんな苦労があったかを幻のように想像するのだった。
「この場所が国の重要な場所なのは間違いない。
であればできるだけ国にとって判断のできる上位の人間が来る必要があろう」
「ある意味そうかもしれないけどな……。まあ、あの王様ならそうだろうな……。
ではこっちの番だな。といっても俺は別にお偉いさんというわけもないんだが……」
何をあたりまえのことを、と言い切るフェンネルに苦笑を返しながら、
ファクトは自分の番ということで自己紹介をする。
といっても、色々と作れる鍛冶職人で、
たまたま昔のことをよく知っている、
2人は一緒に過ごしている冒険者としか紹介できないのもまた、事実であった。
自分は元プレイヤーで、2人はスパイみたいなことをやってました、
などというわけにもいかないのである。
「ふむ。ではまずは武具の修繕を手伝ってもらおうか。
おい、手ごろな依頼がなかったか?」
「見てこよう。1つや2つはあったはずだ」
慌てた様子で部屋を出るギルド長の背中を目で追いながら、
部屋を出たのを確認すると、フェンネルは真面目な表情になって
ファクトを、そして姉妹を見る。
「フィルからの手紙ではファクトは精霊戦争時代の人間なのではないか、とあった。
武具を作るための遺物、そして本人の技法はそのぐらいでなければ
ありえないだろうとな。ファクトよ、普通は短剣1つもそれなりに時間がかかるのだと
よく自覚するといい」
爆弾のようなフェンネルの告白に、驚きのままファクトは固まる。
普通に作ると時間がかかること、にではなく
どうやらフィルは自分のことを思ったより調べているらしいということにだった。
「まさか不老というわけでもあるまい。だが、味方してくれるのであれば問題はない。
出来るだけ我が国に……いや、やつらと戦うために力を貸してくれ」
そんな言葉とともに、フェンネルは座ったままではあるが
王族としては非常識以外の何物でもない姿勢で、
ファクトらへと頭を下げて協力を乞うのだった。
「そのために来たんだもんね」
「ええ、そうでしょ?」
「もちろんだ。やりがいはありそうだな」
普段通り、簡単な依頼をうけるかのような
キャニーとミリーの問いかけにファクトは答える。
フィルがどこからか自分のことをつかみ始めていることに
驚きながらもファクトは正直なところ、内心の興奮を抑えきれないでいた。
グリンドルの実しかり、出会った狼しかり。
そして、目の前にいるフェンネル王子の人間としては驚きの強さ。
この土地が、いわゆる高難易度フィールドであることは
ゲーム時代の記憶からも間違いはなかった。
得られる経験、そして素材が比較的平和な内地とは
かなり違うだろうことをファクトに容易に感じさせた。
例えばゲームでいえば最初の町の門番と、最終決戦手前の町の門番。
同じ強さであると設定がない限り、
強さに違いがあると誰もが思うだろう。
また、違いがなければ不自然だとも。
そういった違いを、感じさせたのだ。
「戻ったぞ。今あるのは農具の修理と、剣の修理だな。
慣れるのにもこのぐらいからでいいのはないか?
工房も案内しなくてはいけない」
あわただしく戻ってきたギルド長は、
テーブルの上にその言葉とともに依頼書のような書類を並べた。
どれも簡潔で、装飾の一切ないシンプルな内容だった。
「それもそうだな。ファクトよ、あとはギルド長が説明してくれるだろう。
よろしく頼むぞ」
ちらりとその中身に目を通したフェンネルは、用事ができたと
言わんばかりの様子で立ち上がり、足早に部屋を後にした。
現れたときと同じな素早い動きに、ファクトらが置いてけぼりになる。
「あー……このあたりじゃ速さが命だからな。いつもああなんだ」
「それだけギルド長が信頼されてるということなんじゃないか?
というか、随分と冒険者と軍、国の距離が近いんだな。
普段だともう少し棲み分けというか、立場が違う物だと思っていたが。
そんな余裕がないから……とも少し違うようだな?」
気を取り直し、冒険者の顔になったファクトが
依頼書を覗き込む姉妹にちらりと視線をやり、
そしてギルド長へと疑問を投げかけた。
通りで見かけた兵士と、冒険者らしい人間の姿は元気というか、
やる気が感じられたようにファクトは思う。
外は脅威が無数にあるだろう中、それだけの士気が保てるということは
壁の内側が安全ということでもあり、外に出ていくのにも
なんらかの安心のための余裕、土台があることを証明していた。
立ち話をする兵士と冒険者、という姿からも
両者が良好な関係にあることもわかる。
「ああ。ここの冒険者は森林の怪物の素材や遺跡の探索、
まあ、ここだけの物を目当てにしている奴らばかりだからな。
いうなればこの土地に特化したのさ。地理にも詳しくなるし、
怪物どものこともよく知ることになる。となれば国としては
それを取り込みにかかる……というかあの王子さんが別に扱うのは
もったいない、と号令をかけたのが大きいかな」
素材の買取や流通、もろもろのやり取りといったものを
区別せず、同列に扱い兵士も出すようにしたことが説明され、
自給自足の要塞都市という印象をファクトに与える。
「なるほどな。よし、依頼はここの工房で行うんだろう?
案内してくれないか」
「ああ。人手はいつも足りない。歓迎されるだろうさ」
残りのグリンドル茶を飲みほし、4人が連れ立って建物を出る。
向かう先は砦、町の依頼を多く引き受けているという工房だという。
目新しい街並みに目を奪われる姉妹だったが、
ファクトはどんな素材、どんな職人がいるのかと
どこかわくわくした気持ちで道を歩く。
(あれ? 昼飯食べたっけか? いや、今は片づけよう)
「次! キャニー、あの棚にあるのはジガン鉱石だ。持ってきてくれ!」
ふと、よぎった考えを横に置き、
ファクトはあちこちを汚しながら手伝ってくれているキャニーへと叫ぶ。
「わかったわ!」
「ファクトくん、矢じりが足りなさそうだって。100ぐらい」
「だったら火が足りない。片腕が駄目でも火ぐらい起こせるだろう。職人に頼んでくれ」
工房は戦場と化していた。
工房でリーダーを担当していた職人が病気となり、
さらに代理で作業をしていた若い職人が事故を起こしたのだった。
よりにもよって、ちょうどファクトらが工房についたとき、
扱いに注意が必要な魔石、ボルド石を前処理せずに炉に入れてしまったのだった。
ボルド石は火属性の魔石である。
その力は質に左右されるが、共通する性質として
火に直接当てると熱量を吸収するという物がある。
それを防ぐために、専用の容器などがいるのだが
若い職人は、先輩の職人が簡単にやっているのを横から見、
自分でも行けると判断してしまったのだ。
幸いにも、片腕が火に包まれただけですみ、
その治療も終えている。
しばらくは使えないが治るだろうという具合だった。
だが、依頼は待ってくれない。
かくして……到着早々、ファクトは修羅場に放り込まれるのだった。