177「狭間の砦-2」
──フォールヴァル砦
それは前線であり、砦であり、町であった。
ファクトたちが近づくにつれ、その姿は力強さを感じさせるものとなった。
風にはためく旗。
おおよそ20メートルはあろうかという壁。
物見台と思われる小屋のようなものも壁の上にいくつも見える。
壁のところどころに開いた穴に、
姉妹は修繕していないのだろうと考えるが
ファクトは別の感想を持っていた。
(弓兵、あるいは魔法使いが遠距離攻撃をするための穴か……)
壁からおおよそ100メートル周囲は木が伐採され、
草原、あるいは土がむき出しとなっている。
何かに襲撃された際、木々に身を隠すことができないようにしているのは明白であった。
「ファクト」
「ああ、わかってる」
「すごい、みんな強いね」
3人は今、同じものを感じていた。
それは正面の壁、その上にある小屋からの視線。
殺気ではないが、油断なくこちらをうかがう気配。
だが、今から向かう先の置かれている環境を考えれば、
このぐらい警戒されていたほうが安心できるとファクトは思う。
遥か……と距離はあるが北にはワイバーンや飛竜を抱える山脈があり、
東に進めば荒れ地の向こうには馬人の領域。
俗に人間と称される種族の生存限界の1つがそこにはあった。
そう考えると、ここを突破して東にまで影響力を持った
かつての帝国の強大さ、そして文化を維持しているルミナスの
国力がわかろうという物だ。
「ジェレミアからやってきた! ギルドか関係者へ手紙を渡したい!」
木だけでなく、金属をふんだんに材料に使った重そうな扉を前に、
ファクトは声を張り上げて筒状の手紙を掲げて叫ぶ。
気配が移動するのを感じながら、3人はその場で待った。
多少時間がかかるのは想定内である。
と、金属の音がしたと思うと扉の脇が動き、
鉄格子が現れる。
向こうから光が見えるあたり、通用口ならぬ用件口のようだった。
下手に刺激しないよう、ゆっくりとそちらに歩み寄るファクト。
「よく3人で……しかも女2人か。その広間部分なら援護の範囲内だ。
手紙を確かめる間、待ってるといい」
「ああ、早めに頼む。歩き通しで腹が減って仕方がない」
これまで、至難とは言わなくても到達に苦労する行程だと
判断されていたジェレミアからの道をたった3人、しかも
内2人は戦士とも思えない女性2人だということに
応対した兵士が驚き、それでも己の役割を果たすべく
手紙を受け取ると素早く走って行った。
兵士に言われた通り、少し門から離れた広間で3人は待つ。
よく見れば踏み固められ、馬車などが通りやすくなっている。
「このあたりで怪物を迎え撃ってそうだな」
「そうね。何も考えなければついつい、走りやすいこのあたりに来そうだわ」
足元の土の硬さや、何かが走ったような跡を確かめてファクトがつぶやき、
キャニーもそれに同意する。
知識か、経験か。
判断はつかないがこの場所は、敢えてこう作られていると感じられたのだった。
と、1人黙っていたミリーが唐突にダガーを構える。
それからの動きは一瞬だった。
見張りをしていた砦の弓兵が矢をつがえるより早く、銀光が閃く。
ぎりぎりまで木々に隠れ、姿勢を低くしていたのだろう。
グレイウルフを一回り細身に、しかし力強さは2段階ぐらいは違いそうな
狼が一頭、飛び出してきたかと思うと眉間にミリーの投擲したダガーが突き刺さった。
吠えることもできず、くぐもったうめき声のような物だけを残して狼は倒れこむ。
痙攣もすぐに収まり、息絶えたことを証明する。
「あ、上手く当たった。ファクトくん、あのダガーいい感じみたいだよ」
「ミリーが強くなったんだよ。道中はほとんど気配を感じなかったのに急だな」
砦の兵士の動揺を他所に、ファクトは周囲を警戒しながらも
倒れた狼を回収するべく歩み寄る。
近づくとわかるが、ダガーは半ばまで刺さっていた。
痩せているというよりやつれているようにも見えることから、
この狼が弱ってはぐれた個体なのではないかとファクトは考える。
その証拠に続けて二頭目が出てくる様子もなく、その気配もなかった。
せっかくの獲物なのは間違いはないので、
足を引きずるようにして持ち、元の広間へと戻る。
「うわ、牙もすごいわね。こんなのがごろごろいるのかしら」
「10頭とかいると大変そうだねえ」
だらりと開いたままの口から見える牙の厄介さを口にするキャニーに、
回収したダガーの様子を確認しながらミリーが感想を口にする。
「道理でみんな強そうなわけだ」
日常的にこのレベルの相手をしていたのであれば、
この気配も納得だとファクトはひとり呟く。
そう、ゲームのように表現するなら
この土地はMOBモンスターの平均レベルが高い。
当然、得られる経験も高い傾向にある。
この世界でいえば、取り込むことができるかもしれない
精霊の量が多いということになるだろうか。
ミリーのダガーが突き刺さり、息絶える瞬間
狼から見たこのない量の精霊が出ていくのをファクトは感じていた。
「おーい。そろそろいいか? 許可が出た」
狼に夢中の3人に、門のほうから声がかかる。
3人が振り返ると、鉄格子の隙間から兵士が手をひらひらとさせており、
呼んでいるようだった。
血抜きは中で聞いてみよう、とファクトは考えながら
狼を引きずり、2人もそれに続く。
「お前たちは3人だよな? 片方だけ開けるから早く入ってくれ」
兵士の確認の後、重い音が響いたと思うと
ファクト3人分はありそうな高さの門が片方だけ、
ゆっくりと開いていく。
念のために背後に怪物や動物が来ていないかを確認しながら、
3人と元一頭が素早く門をくぐる。
「なんだ。そのままか……これから用事があるんだろう?
よかったらこっちで処理しておくぞ。
血にも使い道はあるんだ」
お使いの仕方も知らない子供を見るような憐みの目で、
兵士が3人と狼の死骸を見比べ、提案する。
彼からしてみれば、せっかくの獲物をきちんと処理するでもなく、
引きずるだけの姿はもったいないのだった。
「確かに持ったまま歩くのもな。頼んでいいか?
こっちは牙と無事な毛皮があればいい。肉とかは好きにしてくれ」
渡りに船とばかりにファクトはその提案に乗っかり、
こだわりなく兵士へと狼を手渡す。
「シャドウウルフを一撃か。そっちの2人も意外とやるようじゃないか。
ようこそ、フォールヴァル砦へ」
「よろしく頼む。それで、ギルドはどっちだ? もしくは軍の本部でもいいんだが」
握手を求めてくる兵士に答えながら、肝心なことをファクトは思い出す。
このまままっすぐ行った先にある剣と盾の看板がギルドの証で、
隣が軍の本部だと兵士は教えてくれる。
「え? 隣り合ってるの?」
キャニーの疑問も無理はない。
普通、ある程度の距離は保つものだし、
最近まではギルドも町や地域ごとの細かい組織だったのだ。
「たぶん、ここじゃそんなことを言ってられないんだと思う」
「その子のいう通りさ。怪物を前にどっちが倒す、なんてのは意味がない。
同じ場所で過ごす共同体だからな。メインは軍が、細かな物だとかは
ギルド、冒険者が主体なのさ。もっとも、このあたりの冒険者は特殊だけどな」
行けばわかる、という兵士の言葉に、
ファクトらが質問を重ねることはなく目的の建物へと向かう。
舗装された、とは言いがたい道だったが
その機能は十分に満たしているようだった。
掃除は頻繁に行われているのか、
きれいな姿に内心驚きながら、町を観察する3人。
一言でいえば、強そうな町だった。
あちこちにいざ怪物が侵入したときへの備えと思わしき柵があり、
一般人が住んでいるであろう家にも鉄格子がはまっている。
ちらりと見えた家の中にも、使いやすそうな手槍が立てかけてある。
よく見れば行き交う農夫らしき人間も、
驚くほど鍛えられている。
「んん? 嘘だろ……」
と、ファクトが何かに気が付いたように立ち止まり、呟く。
後半は本当に囁くような、声にもならない小ささであった。
「どうしたの?」
「?」
そんな彼の様子に、心配そうに左右を歩いていた2人も立ち止まる。
彼のつぶやきの後半は小さすぎて、聞き取れなかったようだ。
「いや、町がすごいなと思ってな」
彼が見ていたのは空。
だがそれは彼以外から見たら、の話。
彼が見ていたのはマップ。
先ほどまでは自然が続く限りだったので
縮尺を一番小さい物にしていたからわからなかった状況。
それは、この町が妙に広い、ということだった。
おそらくは居住区であろう中央の区画に
くっつくようにあるいくつもの区画。
考えてみればある意味当然であった。
人が暮らす以上、食料がいる。
輸送するには向かない僻地なのは疑いようはなく、
ある程度自給自足をする必要がある。
だが、3人は道中それらしき畑といったものを見ていない。
転送門を抜けてすぐ、ファクトが上空から確認した際には
距離と、木々が邪魔ではっきりとしなかったが
この壁だけは確認できた。
「おう、今日はどっちだ?」
「ああ。今日は西で収穫があるんだ」
通りすがりの農夫の声が3人の耳に入る。
(生活空間を内包した要塞都市……か)
ぼんやりとした感想ではあったが、
ファクトはこの場所が最前線にふさわしい、
指導者の意図を反映した機能的な町であることを感じていた。
3人はそのままギルドへとたどり着き、
しっかりとした造りの建物へと入る。
外との明るさの差に一瞬ふらつきのようなものを覚えながら、
すぐに中を見渡した。
といっても中はカウンター、依頼を張り出す板、
冒険者らの集まれそうな机と椅子、
と一般的と評される造りであった。
どこか拍子抜けする感覚を胸に、
カウンターへと歩み寄り、用件を告げる。
「しょ、少々お待ちください」
受付をしていた女性は、ファクトからの手紙を一瞥するなり、
慌てて奥へと引っ込んだ。
「あれって何書いてあるの?」
「ん? 大したことじゃない。上から上への話だから
偉い人を呼びに行ったんだろうさ」
ファクトの言葉通り、数分もしないうちに建物の奥から壮年手前の男がやってきた。
「お前たちがジェレミアからの使いか。ふむ、やるようだ。
立ち話もなんだな、奥へ来るといい」
「そうさせてもらおう」
カウンターの横側が開き、中へと誘導される3人。
偶然にか、冒険者はギルド内にいなかったために
集まる視線は関係者の物のみであった。
「誰もいなかったが、冒険者が足りないのか?」
「いや? この時間はみんな出払ってるだけだ。
さっそく本題だが、ジェレミアが援軍を出すというのは本当なのだな」
簡単な自己紹介の後、手紙に記されていた内容を
確かめるように男、フォールヴァル砦のギルド長が口を開く。
「ああ。そこに書いてあるように新しい転送……柱じゃなく門が発見された。
おそらくは古代の移動用だろうな、転送先はこっちだったってわけだ。
一か月単位で考えないといけない移動がだいぶ短縮される。
だからこそ、だろうな」
「そうか……。それと、事情を説明するのに便利なものを
持っているはずだから使え、とあるんだが?」
ファクトの言葉に、考え込むような姿をしていたギルド長が
疑問をそのまま口調に乗せてファクトへと聞き返す。
「たぶんこれだろう。離れていても話ができるんだ」
視線を感じながら、ファクトがアイテムボックスから取り出すのは魔法無線。
唐突に現れる謎の物体に、ギルド長は顔色を少し変えるだけで対応する。
さすがは辺境に住むものといったところだろうか。
あるいはこういう遺物に慣れているのかもな、と
ファクトは考えながら精霊の流れを探し、よさそうな場所に魔法無線を置く。
そうしてあれこれと操作していると、
魔法無線、ギルド長にとっては謎の箱からノイズがあふれ出す。
「なんだ!? 魔法の失敗か!?」
「おっと、悪い悪い。初めての場所だからな、間違えたみたいだ」
轟音とは言えないが、とても聞いていて気分がいいとは言えないノイズを耳にし、
さすがに慌てた様子のギルド長へとファクトは謝罪し、
いわゆるチューニングを続ける。
「思ったより通りがいいな……えーっと、こうか」
ファクトがぶつぶつとなおもつぶやき、あれこれと操作した後、
とどめとばかりにスイッチを1つ押し込むとノイズがぴたりとやむ。
「む?」
「あーテステス。こちらファクト、聞こえるか?」
いぶしげなギルド長の声と視線の先で、
ファクトはわざとらしく動作確認の音声をしゃべりだす。
『……ああ、聞こえる。無事にたどり着いたようだな、ファクト。
今か今かと待っていたよ』
「よし、成功だ!」
ギルド長の驚きの顔を見ることなく、
ファクトは魔法無線から聞こえる声に思わずガッツポーズをしていた。
比較的安定している内地ではともかく、
距離も道中の具合もわからない僻地で
魔法無線が無事につながるかどうか、ファクトにもある意味賭けであった。
『時折、妙な音が入るがそれ以外は順調だ。どうだ、そちらの様子は』
「まだ半日も経っていない。だが、皆精鋭の風格だな」
ギルド長に簡単な説明、遠隔地と魔法を使って
しゃべるためのマジックアイテムだと伝え、
なおも動作確認代わりにしゃべるファクト。
会話の相手が誰なのか、それを当てたのはギルド長ではなかった。
「今の声は弟か! む? なんだ、フィルはいないではないか」
大きな音を立て、部屋に入ってきた人影に
ギルド長、ファクト、そして静かにそばにいた姉妹の視線が集まる。
『……フェンネル兄さんがいるのか?』
呟くような男の声が魔法無線から聞こえる中、
全員の視線の先に、鎧を着た筋肉が立っていた。
辺境で戦うには、力が、パワーが、筋肉が必要なのです!
たぶん。