173「空に舞う少女-6」
下手に区切れず、増えました。
戦いは巨体の咆哮から始まった。
10メートルを超え、目算で15メートルはありそうな巨体。
2本の脚で立ち、両翼の翼が大きく開く。
体の下側から生えるのは太いという表現が逃げ出しそうな太さのしっぽ。
上半身は黒く、太陽を背にしているので
ファクトたちからはよく見えない状態であった。
不思議なことに、味方のはずの男たち、
すなわちファクトたちを襲ってきた野盗も同様に咆哮に反応している。
それは恐怖と困惑。
ドラゴン種のような、ある程度以上のモンスターの咆哮で起きる、
魔法ともスキルともいえる咆哮の副次的効果が現れたのだ。
それはファクトたちと一緒にいる冒険者の動きをも
数瞬止めることにもつながり、一部の人間の思考以外、
単純に戦闘を止めることになった。
無事なのは高レベルゆえに高いステータスを持つファクトと、
懐剣による自動防御が発動したシルフィだけであった。
半透明の光の膜が少女を包み、少女の魔力を糧に脅威を排除する。
青、緑と緩やかに色を変えていく膜が消えたとき、
戦場は動き出す。
「あれはこっちで相手をする! あんたたちは人間のほうを頼んだ」
「お、おう。それでいいなら任せとけ!」
咆哮の効果を受け、さらには正体不明の巨体を相手にするのか、と
驚き、腰が引け気味だった冒険者たちは、
予想外のファクトからの指示に我に返ると己の役割を果たすべく銀色の剣を構える。
それはファクトが貸し出した混合素材によるシルバーソード。
本来はスピリットなどへの対抗手段の予定だったが、
もともと持っている物より性能がよさそうだということで
メインウェポンとしてもらっていたのだった。
自分の武器の消耗が抑えられるというのも
冒険者にとっては都合がよく、抵抗はなかった。
舞台が整えば、彼らもこの生活で生きているプロである。
長年過ごしてきた気の知れた仲間、
合図一つで、有機的な連携でもって野盗たちへと襲い掛かるのだった。
逆に、受け身となる野盗側が押され、困惑するほどの動きであった。
すぐさま、街道沿いの林に金属の音がこだまし始める。
一方ファクトたち、正確にはクレイを先頭に
挑む相手はおおよそ人の身で挑むには無謀ともいえる巨体。
ゲーム経験の長いファクトをして、
でかい、と思わせるだけの大きさと、迫力を持っていた。
「真っ黒?」
「来るっ!」
キャニーの疑問の声が聞こえたのか、
影は大きな尻尾を横なぎに振り回してくる。
大人数名が両手を広げても届くかどうかという太さのしっぽが、
勢いよくクレイに迫り、目の前を通り過ぎる。
下生えの草木や岩を砕き、轟音があたりに響いた。
間合いを取り、巨体と相対する7人。
そう、そこにはシルフィとクリュエルもいる。
これは単純な話で、いざとなれば盗賊1人が囲いを抜け、
シルフィを襲うことができる状況より、
カバーの効く巨体1匹との戦いのほうがいいだろうという判断であった。
何より、今の彼女には役割がある。
巨体の正体を確かめる役割である。
馬車に乗り込んでの道中や、
町での生活の中、ファクトは彼女に1つのことを教えていた。
それは精霊を見ること。
家系なのか、元々の素質なのか、
シルフィにもシンシアのような回復魔法の素養が
あるらしいことが手を握った時のステータスで
ファクトには見えていたのだ。
ぼんやりと、筋力的なものが得意なのか、
魔法的なものが得意なのか程度ではあるが、
訓練をする上では重要な情報となる。
その気になればまるでゲームのステータスのように見ることもできるはずだった。
それはファクトの精霊への干渉力の増加、つまりは
相手の体に宿る精霊たちとのコンタクトを多くとれるようになったということである。
だが、ファクトは敢えて詳細には見ないように自制をしている。
他人の未来の可能性を詳細に知ることへのある種の恐怖であった。
確かに人には得手不得手というものがある。
だが、それを自分という一人の存在が決めつけ、
長所以外伸ばさないようなことがあってはいけない、そんな気持ちでもあった。
しかし、何かできることをやれるようになりたい、
そんな気持ちに黙っていられるほど、ファクトは冷徹でもなかったのだ。
であるならばと、彼女の才能を開花させるための訓練を行った。
それはマジックアイテムとそうでないものの選別であったり、
魔法を発動させる直前まで魔力を高め、また収める、
その繰り返しで感覚を感じてもらったりといった物だった。
そうして得た力、精霊が見える存在から見た巨体は……不思議なものだった。
「何かもわっとしたものが覆っています。たくさん精霊がいます」
「同感だ。アレは半分幻影だな……」
クレイらとシルフィの間に立ち、
専用のシルバーソードを構えてファクトが同意する。
「でも……悲しみ? なんでしょうこれは……」
ちらりと、ファクトはそんなシルフィのつぶやきに視線を向け、
いくつもの仮説を頭で浮かべていく。
それは謎解きの解答か、
それとも巨体、ドラゴンゾンビを滅する聖剣だろうか。
ドラゴンゾンビが歩き、しっぽがうなりを上げる。
三度、それを回避し、切りかかるクレイ達。
だがそれは効果的な攻撃とは言えず、
妙な手ごたえにクレイ、キャニー、ミリーは顔をしかめていた。
「ちょっとなんなのよ。ぐにゅって変なんだけど」
「アンデッドだから? いや、なんだこれ」
「……作り物?」
それぞれの感想が耳に入り、ファクトはふとドラゴンゾンビの足元に視線を向ける。
「叫んでいます。返せ、返せと。眠りたい、とも」
背後から聞こえるシルフィのつぶやきもファクトの思考を刺激する。
「そう……かっ!」
はじけるように叫んだファクトは怒っていた。
襲い掛かってくるドラゴンゾンビにではない。
この状況にドラゴンゾンビを追い込んだ、野盗達への怒りあった。
刺激しないようにと、抑えていた魔力のふたが取れ、
ゲームで900レベルを超えるファクトの力がむき出しになる。
ドラゴンゾンビにとって、それは
夜の闇の中、閃光弾をさく裂させたような状態であろう。
「コーラル! マジックスタンをあいつの全体にかけるように撃つんだ!」
「どうせドラゴン相手じゃ私の魔法は微妙だし……全力で!」
ドラゴンゾンビの視線が自分に向けられるのをファクトは感じ、
身震いをした。
正しくはもう瞳は濁っているので体の向きで判断するしかないのだが、
宿っているスピリットの意識を感じた気がしたのだ。
と、ファクトにもドラゴンゾンビが通常、
モンスターとして相手をしてきた相手とは違う感情を
持っているいることが感じられた。
乾いた音を立て、そんな巨体に網のように広がった魔力塊が飛ぶ。
コーラルの放った、範囲を重視したマジックスタン。
本来であれば勝負にならないドラゴンゾンビへの魔力攻撃。
それは巨体に触れ──巨体ごとはじけ飛んだ。
「え?」
それは誰のつぶやきか。
巨体から距離を少しとっていた野盗と冒険者すら、
その状況に動きが止まりかける。
黒い、大きなビルのようですらあった巨体が、
一瞬にして小さくなったとなれば仕方がないのかもしれない。
降り積もったほこりが風に飛ばされるように、
巨体が崩れさり、影が残る。
新しく残った影は10メートルもなく、
ファクトの目から見て、ビル2階分、6メートルほどであった。
どちらかというとずんぐりとした、着ぐるみのような印象すらあった
元の状態と比べ、新たな姿はある意味、生きていた。
生前の力強さを感じさせる体躯、
丈夫さを残した体表の鱗、そして鋭い手足。
瞳はアンデッドらしく濁っているが、
精悍さの残った頭部。
全てが、ドラゴンという種の強さを体現していた。
「アレが本体だ! 今度は堅いぞ、気を付けろ!」
ファクトの声が速いか、ドラゴンゾンビのほうが速いか。
叫びと同時に、鋭い動きでドラゴンゾンビが数歩、踏み出して
近くのクレイへとその右手を初めて振り下ろした。
体ごと、倒れこむような一撃。
パッと見は、中年男性が立っているような
太さのあるお腹も、見かけに過ぎなかった。
「速いっ!」
焦りを含んだクレイの叫びをも切り裂くように、
生前の力強さをそのままにドラゴンゾンビの右手、
鋭い爪がクレイのいた場所を過ぎ去り、地面に突き刺さる。
生半可な鎧であれば、鎧ごと切り裂かれるのは確実だろう攻撃が
ドラゴンゾンビの実力を明確に証言していた。
それでも、はっきりとした相手というのは
対策が立てやすいということでもある。
すぐさま、前衛の3人は
まるで濃縮されたようなドラゴンゾンビの姿と、
新しい動きに対応し始めていた。
「あれが本来の姿ですか」
「ああ。道理で足音も、足跡もおかしいと思った」
主を守るように武器を構えたままのクリュエルへと、
ファクトが答えながら次の手の準備を続ける。
ファクトはドラゴンゾンビの登場の段階からの、
妙な違和感の正体を探っていたのだった。
しっぽによる攻撃が、見た目ほど被害がないこと、
足元も思ったより沈んでいないこと。
見た目の重量の割に軽い足音。
それらの正体が今、目の前にある。
タイミングを計り、3人の中へとファクトが加わり、攻撃に参加する。
振り回すようなドラゴンゾンビの左手の爪を
シルバーソードで受け止め、その勢いに押されてファクトがジワリと下がる。
(強い……だけどこちらの狙いは戦わせることだ。これでいい)
クレイやキャニーらはドラゴンゾンビを直接倒すつもりで戦っている。
3人の手で振るわれるシルバーソードが
着実に鱗をはじき、体に傷を刻んでいくのもその証明である。
だがその攻撃も、ドラゴンゾンビにとっては
強打足りえないのか、うっとおしそうにドラゴンゾンビが腕を振り回し、
しっぽで薙ぎ払うようにするとファクトたちは下がらざるを得ない。
その胸が大きく膨らむ。
生前の動きをスピリットがわざわざ魔力を使って再現しているのだ。
そして、咆哮。
それは最初に響き渡ったものとは、明らかに質が違った。
感情の乗った、悲哀の叫び。
だらりと両腕をたらし、戦うことを放棄するような姿に
ファクトたちも動きが止まる。
だが、人が迷うように首を振ったかと思うと、
ドラゴンゾンビは再び、ファクトたちへと向き直った。
「やはり、な」
その姿を見て、ファクトは確信をもってつぶやいた。
ギルドに残っていた記録を追えば、実はドラゴンゾンビによる死亡者はほとんどいなかった。
意外と多い生存者の証言によれば、
多くは咆哮や姿で驚き、恐怖のまま逃げ出していたのだ。
逃げ出せず、あるいは耐えてしまった相手も
巨大なしっぽといったものに吹き飛ばされるなどして
殺されたのだろうと思われていた。
だが、ギルドに残った記録や証言からは
その死亡原因のほとんどは刃物、つまりは野盗の手によるものだったのだ。
ゼロではなく、吹き飛ばされて死んでしまったものもいるが、
偶然に近い物だろうとファクトは結論付けていた。
すなわち、ドラゴンゾンビ自体は人を殺すために襲っているわけではないということ。
「どうにかして操っているけど、限界だろう? 維持だけで……」
聞こえるはずのない、戦闘中の野盗達へとファクトが呟く。
そう、本当にドラゴンゾンビをテイムして従えているのであれば、
本人たちは姿を出さずに直接荷物を襲ったりしていけばいいのだ。
人間は目撃されず、モンスターの襲撃として処理される。
どちらかといえば、そちらのほうが都合がいいはずであった。
だが、そうはなっていない。
わざわざ姿を現し、脅し、金品を奪い取っていた。
ドラゴンゾンビに任せて高みの見物、ができていないのだ。
ドラゴンゾンビと相対しながら、
ファクトはその動きに鈍りが出ているのを感じていた。
鋭いことは間違いないのだが、戦いへのためらいが感じられた。
実際のところ、野盗達の手によるテイミングは完全には成功していない。
理由の1つは単純にドラゴンが強いことがある。
レッドドラゴンのような属性はなく、飛竜、として単純分類される種。
生息地は意外と多く、各地で出会おうと思えば出会うことができる。
ある意味メジャーである存在だが、それでも実力はそこらのモンスターより群を抜く。
鋭い手足や強烈な顎の一撃、そして場合によっては魔力ブレスも吐く。
翼で空を飛び、体重を持って突撃をしたならば岩をも砕くだろう。
合わせて、ある程度の知性を持つ。
そんなドラゴンをテイムするというのは、その時点で難易度の高いことである。
基本的にテイミングは、一部の手法を除いては
テイミングを実行する本人と、対象者に実力差がなくてはならない。
単純には、強い相手は従わせることができないのだ。
もう1つの理由にあるのはドラゴンの共通した習性、性質がある。
他のモンスターと比べても、縄張りという意識が強い生き物で、
下手にテリトリーに部外者が侵入すると即座に襲い掛かってくる種もあるほどだ。
逆に不用意に手を出さなければ
そのプライドにより、襲い掛からないことでも有名であった。
宝物を守るドラゴンが、その部屋に入りさえしなければ
たとえ扉の前で酒盛りをしても襲ってこない、
といった逸話があるほどでもある。
それがドラゴン種族だ。
もちろんふらりと飛び出て獲物を狩る時もないわけではないが、
かなりまれな部類に入る。
そして、年を取るほどよりテリトリーでのみ生きるようになる。
また、特に何かを食べるといったことがなくなるのであった。
それはゲーム設定ゆえか、知能を持ったがゆえにか
自身が属する属性のフィールドでないと
長く生きられないことを知っているからでもあり、
フィールドから生きるための力を得ているからである。
例えばレッドドラゴンが火山から出てこないのには
縄張り意識としての考え以外に、
火山という強さのあるフィールドから、自身の力、
溶岩に耐える体や、ブレスの源となる恵みが
得られると知っているからだ。
ゆえに、ドラゴンは基本的に自身のテリトリーから外に出ることを好まない。
どうにかしてドラゴンをテイムすることに成功したとして、
その維持にはこれら2つの理由から常に困難が付きまとう。
それでも最近まではよかったのだろう。
幻影をかぶせ、威圧感は倍倍、咆哮は多くの存在を
その力の支配下に置く。
ドラゴンに攻撃をほとんどさせず、
余裕の多くをテイムの維持に費やしても問題はなかったのだ。
全てはファクトが世界に儀式で精霊をばらまいてしまったことが原因であった。
全ての生き物には精霊が力を貸している。
それは邪法以外のアンデッドでも同じであった。
穢れのように扱われるアンデッドであるが、
その存在理由自体はある意味でおかしなものではなく、
意識が生み出す願いの姿であった。
生きたい、といった願いの。
生きているものは精霊の増加による影響を受けた。
では死したものは?
アンデッドの本体、つまりはドラゴンの意識が、
スピリットが強さを増したのだ。
己の意志に反して、見知らぬ土地で気に入らぬ行為をさせられる。
生前持っていた知性がそんな自身へのふがいなさと
犯人への怒りを生み出すが、
特殊なテイミングによる拘束効果がそれを許さない。
そんなドラゴンゾンビの戦いは半ば八つ当たりで、
その行動にますます自虐的に怒りが増しているのであった。
響く咆哮、だがそれには最初のような動きを止める効果はなく、
いつしか聞くものの感情を揺さぶる物悲しいものになっていた。
野盗たちはあせっていた。
切り札であるはずのドラゴンゾンビが足止めを食らい、
自分たちへの援護に動けないでいる。
普段通りであれば、ドラゴンゾンビに恐怖した相手を
悠々と仕留めて金品を奪う……それだけのはずであった。
「おおっと、こっちだぜ!」
「くそっ!」
悪態をつきながら、野盗の1人が
突き出されるシルバーソードを必死に捌く。
人数にして2倍ほどの差が、嘘のような戦況であった。
流れるような連携で、
実質、冒険者1人で野盗の前衛数名を相手にしている。
合間合間に飛び交う魔法も
そのタイミングが絶妙で、数名同時に
冒険者に切りかかるといったことができないでいる。
元より、対多数の戦闘は冒険者の依頼にとって日常である。
ゴブリンやコボルトといった亜人はある種、
その数が強さでもある。
相手の1人を間に挟み、追撃をしにくくする、
はじいた武器が別の相手のほうを向くようにする。
小手先の、生きていく中で身に着けた技術で
冒険者は互角か、それ以上の戦いを行っていた。
荒事をこなすだけの実力があり、破格ともいえる報酬も設定され、
十分すぎる準備までされたのだ。
やらないわけにはいかないのだった。
ドラゴンゾンビとの戦いは佳境を迎えていた。
強力な相手とはいえ、アンデッドはアンデッドである。
アンデッドの弱点を突いたシルバーソード、
そして別に準備された雷をまとうショートソードが
各自の手の中で力を発揮する。
シルフィに促され、前衛に出てきたクリュエルも同様であった。
ショートソードがドラゴンゾンビに触れる度、
かえるの足が跳ねるように、一部だけが反応する。
本体であるスピリットの支配を超えた物理法則。
それでもすでに死んでしまっている以上、反応がない場所も当然ある。
奇妙な踊りを踊るように、ドラゴンゾンビが傷ついていく。
(頃合いか……)
バランスを崩し、倒れこんだドラゴンゾンビの姿にファクトは
とどめの一手を繰り出すための合図をする。
「あのナイフを投げろ!」
ドラゴンゾンビの近くにいたキャニーとミリーが
大きく間合いを取り、同じく少し離れていたクレイが
ベルトに手を伸ばす。
回復してきた魔力で魔法を唱えていたコーラルも同様で、
銀光がいくつも飛び、ドラゴンゾンビへと吸い込まれた。
投擲用のナイフがいくつも突き刺さるが、
威力は大したことがないのか、ドラゴンゾンビの反応は薄い。
だが、すぐさま緑と白の光がナイフから広がると
状況は一変する。
投げたナイフの光、それは治癒能力の高まりの光であった。
斬った相手を癒す、ジョークアイテムに近いナイフ、
ポーションを投げるより確実という意見もゲーム中、
根強かった武器である。
通常、アンデッドは再生手段を持たない。
正しくは、過剰ともいえる魔力が確保できて初めて再生に近いことが可能になる。
だが、アンデッドが魔力供給が十分でないまま、
普段動いていない治癒、再生能力が高まるとどうなるだろうか?
答えはすぐさま現れた。
ドラゴンゾンビに残っていた筋肉が再生をはじめ、栄養を求め、
死体となっていた肉体が魔力による回復を求め、自壊した。
最初はしっぽだった。
ぼとりと、根元から腐るとでもなく、溶けるでもなく、
繊維が崩れるようにしっぽが落ちた。
残るのは長い、骨。
それだけでなく、体全体が縮んだ気さえ見ている物に感じさせる。
強制回復、それからの魔力欠乏による自滅。
それがファクトの考えていたドラゴンゾンビ対策であった。
あと少し、待っているだけでも倒れる。
ファクトだけでなく、理由がよくわからない
クレイやキャニーたちにもわかる状況が
そんな油断を生んだのだろう。
ドラゴンゾンビがひときわ激しく吠え、
あらぬ方向へと突撃を始めた。
それは狙ってか、偶然か、シルフィのいる方向であった。
「姫!」
「させるか!」
クリュエルが悔いる間もなく、
巨体がシルフィに迫り、障壁とぶつかった。
たまたま近くにいたファクトがカバーに入ったものの、
勢いはすさまじく、大きく弾き飛ばされてしまう。
「速く倒さないと!」
「!? 待って、あれは!?」
あせったミリーと、キャニーは
一緒にとびかかろうとして、異変に気が付いた。
ドラゴンゾンビの動きが止まったのだ。
響く声、それは咆哮ではなく、
獣が泣く声。
差し伸べるように出されたシルフィの指先に、
薄汚れたドラゴンゾンビの爪先が触れ、
魔力障壁にすがるように座り込む。
「馬鹿な! 動け、やつらを切り裂け!」
変化した空気を切り裂くような怒号。
野盗と冒険者のそばまで吹き飛ばされていたファクトが
その声のほうを向くと、そこにいたのは薄汚れたローブを着た、
野盗側の魔法使い。
杖の代わりに持つのは、
悪趣味な動物の頭部の骨と、中に埋め込まれた水晶球。
魔法使いが杖以外を、魔法の増幅装置として
持つことはそう珍しいことでもない。
だが、今回のそれはそれでも異様であった。
そして、ファクトにはその正体がすぐにわかった。
ゲーム時代に、フィールドのオブジェクトとして
いくつも見たことのある物のミニサイズである骨、
それは子供のドラゴンの物。
ドラゴンゾンビがテイミングされているという異常、
目の前で起きている不思議な光景、
それに水を差すかのような男の叫び。
ファクトは1つの結論を出していた。
それは命への冒涜。
「貴様ら! あいつの子供を楯に契約をしたな!」
びくっと、男たちが反応する。
それだけで、十分だった。
飛び出すようにファクトが走り出し、
横に1人の冒険者が追いつく。
「隙は作る。アレを頼んだ」
「おうよっ!」
慌てて2人の進路をふさぐように動き出す野盗達。
そこへファクトのスキル、ブレイドパニッシャーが吹き荒れる。
押し出されるように男たちが左右に分かれ、道ができる。
冒険者が駆け寄り、全力でシルバーソードが振りぬかれる。
呆然としたままの魔法使いの腕ごと、
冒険者の一撃で骨ごと水晶球が砕け散った。
冒険者と、野盗と、全員の動きが止まる。
唯一そのままなのは、
膜越しにドラゴンゾンビを抱き寄せるようにするシルフィと、
すがるような姿勢のままのドラゴンゾンビであった。
ファクトは遠目に1人と1匹を見ながら、
少女の足元に変化があるのを見つけた。
それは魔法陣。
ファクトには見覚えがあった。
グリフォンであるジャルダンと契約した時のことだ。
(あれは、テイミングの契約の光! だが既に契約済みのはず!)
あるいは野盗の契約が、水晶球がなくなることで無効になったのだろうか、
とファクトが考えるが実際には違った。
野盗の契約はいまだ有効であった。
完全ではないとしても、拘束の効果はゼロではない。
つなぎとめる物自体は無くても、結ばれた契約は
ぎりぎりの効力を保っていた。
では今、シルフィが無意識に行っていることは何か、
それは契約の上書、オーバーライト。
互いの心からの同意。
真にテイミングに必要な要素が、シルフィの力による
契約の力を引き出し、1人と1匹をやさしく包み込んだ。
咆哮。
それは悲しみ。
だが、先ほどまでの悲しみとは違う悲しみだった。
解放された喜びと、今までの自分の行為への後悔、
そしてすぐにお別れとなってしまうことへの寂しさであった。
「あれが目的かい?」
「いや、まったくの予想外さ」
我に返り、野盗をすべて片づけた冒険者が、
立ったままのファクトに問いかけるが、
ファクトも首を横に振るだけであった。
今起きているのは、それほど予想外の出来事なのだ。
皆の見つめる先で、シルフィがそっとドラゴンゾンビの、
崩壊し始めている頭部をなでる。
そこには目の前の存在への嫌悪は全くなかった。
「苦しかったでしょうに。人間として、お詫び申し上げます」
空気に溶けるようなシルフィのつぶやきに、
ドラゴンゾンビは頭を下げることで答えた。
それは、ただ頭を下げただけではなく、
意図を持ったもの。
小さく、ドラゴンゾンビが声を出す。
─乗れ、と。
人間の言葉ではなかったが、シルフィにはそれが伝わった。
馬に飛び乗るように、シルフィはドラゴンゾンビの首裏へと
飛び上がり、またがった。
乾いた表皮が少し崩れ、服に汚れを作るが
少女は気にせず、そっと首をなでた。
それが合図であったように、ドラゴンが立ち上がり、
大きく翼を広げて羽ばたいた。
突風とともに、ドラゴンゾンビの鱗が何枚もはじけ飛ぶ。
ファクトたちが風に思わず手をかざす中、
巨体は空へと舞い上がった。
シルフィは無言だった。
ドラゴンゾンビもまた、無言であった。
ただひたすらに舞い上がり、そして空を舞う。
いつしかドラゴンゾンビは肉体を失っていた。
そぎ落とされるように肉体は崩壊していき、
どんどんと白が全体を支配する。
それは骨。
ついには少女のまたがっていた首、頭部すらさらさらと
砂がこぼれるように崩壊し、
骨と、魔力による力場に半ば浮くようにしてシルフィは掴まっていた。
骨だけとなったドラゴンにまたがる少女。
その姿は普通ではないが、それでいて不気味ではなかった。
たとえ力尽きても、どんな姿になっても
幼子を守る母のような印象を与えるドラゴンゾンビであったもの。
その背中で、微笑み、いたわるように少女が首であった場所をなでる。
ドラゴンゾンビは母親であった。
遠い土地で、静かに息子とともに暮らしていた。
そんな静寂を切り裂いたのは野盗達であった。
罠をしかけ、子供であるドラゴンを人質として
親であるドラゴンに抵抗を禁じる。
そうして、殺されてしまった親ドラゴンは、
ドラゴンゾンビとしてよみがえる際、
魔法使いにより不平等なテイミングの契約を強いられたのだった。
時折正気に戻った彼女が、息子がすでに殺されていることを知った時には
既に契約は容易に覆すことができない状態になっていたのだ。
また、契約の強制力により、
息子がまだ生きているように思い込むようにすらなっていた。
正気に戻っては息子の死に嘆き、
再び契約にとらわれてはすでにこの世にいない息子のために
望まない戦いを強いられる生活。
詳細は分からないが、ドラゴンゾンビのスピリットから
イメージを感じ取ったシルフィは、それゆえに泣いていたのだった。
ひとしきり、久しぶりの自由とを味わうように
飛んだドラゴンゾンビは高度を下げる。
時間が、近いのだ。
飛び立った場所へとゆっくりと舞い降り、
シルフィを乗せたときのように頭を下げ、降りるように促す。
「ありがとうございます。もう……いかれるのですか」
シルフィの声に、声なき声でドラゴンゾンビが答え、
彼女の視線の先で、光の点らない瞳が笑った気がした。
瞬間、ほとんどの骨が砂として崩れ去った。
魔力切れ等によるスピリットの消滅が原因である。
いわゆる、成仏した状態ともいえる。
「終わったみたいだな」
「はい。自分の生きた証は好きに使ってくれといっていました。
ファクト様、お願いできますか?」
視線の先に、いくつかの骨はそのまま残っていた。
ドラゴンに限らず、強力な魔物の体は素材として力を持つ。
常に体内にあり、魔力と接している骨というのは
素材としてはある種、ポピュラーなものであった。
「任せろ。……これはお墓代わりに埋めるか」
「ええ」
ファクトが拾い上げた、一本の巨大な牙は
ドラゴンが如何に立派な相手であったかを示す、証人となったのであった。
晴れた空を、送り火代わりの煙が一筋、横切っていく。
野盗の正体などは次回別枠で。