166-外伝「一刀両断-2」
獣人たちの朝は早い。
町に滞在を始めて数日。
アルスはそのことを水の冷たさと共に感じていた。
日の昇りと共に動き出し、沈むころに寝床である家に戻る。
見張りや探索者等、そして若者を除けば多くの獣人がその生活をする。
もちろん寝静まるというわけではなく、
家の中で起きてはいるのだが出歩かない。
そんな獣人たちの間では、外からやってくる人間の相手をする店や、
若者が集まる酒場といった物は夜勤をするような扱いを受けている。
夜通し飲み明かすなど、何か特別なことが無い限りは行われない。
もっとも、祭りのような騒ぎが好きで、何かあった夜等には
事あるたびに騒いでいるので、オンオフが激しいといえるのかもしれない。
(さっき起きたばかりだというのにフォルセさんはすごいな)
この季節の朝特有の、突き刺すような冷気と
身も凍るような冷たさの水にわずかに残っていた眠気が吹き飛ぶのを
感じながら、アルスは隣で既に身支度を整えている獣人を見る。
銀色の体は柔らかさと丈夫さを兼ね備えた毛皮だ。
所々、人間のように筋肉が見える。
アルスの目から見ても、その体は非常に実戦的な鍛えられ方をしており、
国の兵士のような、訓練による決まった分量のイメージの無いものだった。
動きを邪魔しないよう、要所要所だけを覆う皮の防具。
それはこの先の山に住むという獰猛な熊、フェルベアーの皮を加工したものだという。
何人ものワーウルフを葬り去るというその化け物を、
単独で仕留める事が条件だと聞いたアルスは
何かの上に立つというのは大変なことなのだと感じていた。
倒すことが条件となること、それはワーウルフの次期族長となるためのものであった。
つまり、フェルベアーを倒し、その皮を防具として
装備するフォルセはこの町のワーウルフの次期族長なのだ。
今は父親が体は衰えたものの、一族を纏め上げているらしい。
アルスはそんな聞いた話を思い出しながら、
自身も装備を整える。
そうして早朝から朝、と太陽の違いがわかるころには、2人は訓練をする広間に来ていた。
そこにあるのは磨かれたような光を反射する金属の板。
何枚も無造作に置かれ、いくつかには何かで叩きつけたような傷がある。
「今日はおさらいをしよう」
言うなり、フォルセは板の一枚を専用の台の上に乗せる。
それはまるで鏡を置いて覗き込むような高さ。
金属の、無骨な鉄の板が陽光を反射する。
フォルセが腰に下げた鉄剣は両刃だが若干のそりがある、独特のもの。
鞘に納まり、持ち手と刀身は特殊なアクセサリーのような板で
境目がわかるようになっている。
もしファクトがそれを見たらこう思うだろう。
刀みたいだと。
ファクトの知っている刀とは違い、まっすぐにしてみると
確かに反っているかな、とわかる程度のものだが
使う方向が限られているという点からは特殊な両刃の剣であることに間違いは無い。
良品ではあるが、あくまでも鉄。
アルスは武器としての性能なら、自分のほうが上ではないかと思っている。
また、フォルセ自身もそれは認めている。
君のほうがよっぽど良い得物を持っているのだから出来るはずだと。
アルスの見つめる先で、フォルセの口から漏れる息の白さが
その回数を減らす。
(……動く!)
息が止まった瞬間、フォルセの右腕がアルスの視界の中で掻き消える。
─キンッ
わずかな音。
瞬きの間に、フォルセの右腕が剣を振りぬき、後から風が追いついてきた。
そしてアルスの見つめる先で、鉄板がわずかにずれたかと思うと
二つに別れ、上側が地面に落ちた。
「何度見てもすごいです。これが斬鉄」
「ああ、秘伝というものでもないが、この町の戦士でも3割ぐらいしか使えない。
最終的に出来るか出来ないかが結構はっきりしている技だよ」
アルスは2つに分かれた鉄板の断面を見てため息をつく。
それもそのはずで、断面の鋭利さはなぞるだけで指が切れそうなほどだ。
最初からその状態だったのような自然な断面。
「さあ、やってみたまえ」
「はいっ!」
言われ、アルスも同様に鉄板を準備する。
そうして、構える。
既にやり方は教えられている。
後はそれを実際に実現できるかどうかの問題であった。
斬鉄、それはゲーム的に言えばパッシブスキルである。
ゆえに、既にアルスが習得しているようなスキルのように、
発動を意識するものではない。
逆にそれは、パッシブスキルの概念がイメージしにくいアルスにとっては
難問であるポイントでもあった。
「斬鉄は伝承にあるスキル、ではない。技ではあるが魔法のようなあれらとは別のものだ。
勝手に剣が動くわけでもなく、強烈な衝撃波が生まれるわけでもない。
言ってしまえば純粋な技術そのものだ。ただ、少し特殊なだけでね」
アルスの悩みが外に出ていたのか、フォルセはそう横から助言する。
「ふっ!」
なおも迷う自分の意識を無理やり束ね、アルスは剣を振りぬく。
フォルセのそれと違い、若干鈍い音を立て、
鉄板が2つに分かれる。
アルスは一瞬喜びに笑顔になりかけるが、
目に入った断面に落胆に戻る。
「ふむ。切れただけだな」
静かなフォルセの言葉。
そう、ただ2つに切れただけであった。
その断面は、明らかに何かで切られたことがわかる。
最初からそうであったと思いそうなフォルセとは別物であった。
「まだ100を150にしようとしているな。自分を高めるんじゃない。
相手の100を50に、20にするんだ」
「はい。見極め、最初からそうであったように誘導する。
それが、斬鉄」
自身の言葉へのアルスの返答に、満足そうに頷くフォルセ。
「そのとおりだ。普通、強敵を倒すには今100だとすると150に自分の力、
あるいは武器を交換して高めようとする。それはもちろん正解だ。
それができるのに越したことは無い。だが、世の中はそうできる状況だけとも限らない」
フォルセは新しい鉄板を用意しながら、歌うように語る。
「150で駄目なら次は200か? いつか、オリハルコンにまでたどり着いたとき、
武器の交換でたどり着ける強さは限界だろう。であれば次はスキルか?
これも多くが失われて久しい中、限界はある」
鉄板が置かれ、アルスの目の前で至近距離での抜刀、そして両断。
その動作は3秒もかからなかった。
「ゆえに、我々が生み出し、受け継いできた技術、斬鉄。
ただ斬るのではなく、斬った事実を生み出す技。
万物には精霊が宿っている。そしてその祝福が、鉄なら鉄、
ジガン鋼ならジガン鋼としての力を作り出しているのだ」
2枚に分かれた鉄板を広間の隅に片付けながら、フォルセは続ける。
「鉄板はなぜ1枚の鉄板であるのか?
それは職人が作り出した結果であるが、そこには精霊が必ずいる。
1枚の板であるということを精霊が支えているのだ。そこを、崩す」
「実は2枚だった。そうしてしまう技……ですよね?
もし生き物に使えば、例えば右腕はそこで切れているもの、として
切れてしまうということ」
アルスの脳裏には、グレイウルフを両断したフォルセの技が焼きついていた。
まるで良く研いだ包丁で苦も無く野菜を切っているかのような、
スムーズな攻撃。
瞬きの間に、グレイウルフの足は何本か綺麗に切断されていた。
「そのとおりだ。もちろん、意識のある存在をそうするのは非常に難しい。
誰も痛みも無いのに、右腕が切れるなんて思いはしないだろう?
だからこそ、難しいのだ」
防御無視。
それが斬鉄の斬鉄たる所以であった。
100の相手を150で倒すのではなく、
その100を50に、20にしてしまう技。
「だが、例えば武器防具、硬い表皮などには非常に有効だ。
硬い鎧が切り裂かれ、後は生身に刃が迫る。
大体はそれで終わりということだね。そしてこれは魔法すら斬る。
何せ魔法で生まれる、例えば火球は精霊そのものといえるのだから」
さあ、続けようというフォルセの導きに、アルスは頷く。
「見極めたまえ。君は既に1回やっているはずだよ。
レッドドラゴンはそうでもなければ、斬るのが難しいという話の次元ではない。
無論、手にしていた武具のすごさも大きいようだがね」
助言を耳にしながら、アルスはあのときのことを思い出す。
そう、あのときは切れる、切れないなんて考えもしなかった。
(ただ切ることを、切れる事を考えていた)
この一撃で決め、彼女を守り抜く。
少年らしい単純な、それゆえに純粋な気持ちがそのときはアルスの全てだった。
ワーウルフの3割程度が可能であるという斬鉄。
その3割程度である使い手のほとんどは若者だった。
残りはフォルセのように、若いころに習得したものなのだ。
斬鉄のポイントは、切った結果をどこまで思い込め、
相手の精霊にそれを干渉できるかにあった。
なまじ大人になってしまうと、自身の常識が邪魔をする。
そんなことになるわけがない、と。
(フォルセさんは自分に出来ると言った。ならそれを信じる)
アルスの武器はフォルセのように鞘には納まっていない。
抜き放ち、後ろに引いて構えている。
アルスは自身の呼吸と、見つめる先の鉄板に恐らく宿っているであろう
精霊の呼吸とが交わった気がした。
実際には精霊は息をしない。
アルスのその感情は思い込みでしかない。
だがそれは、正解への一歩であった。
─キンッ
澄んだ音。
どっと出る汗と上がった息に困惑しながら、アルスは剣を振りぬいたまま
視線を鉄板から外せなかった。
ゆっくりと鉄板が2枚に分かれる。
「フォルセ……さん」
「うむ。合格だ。見事な斬鉄だったぞ、アルス」
ぽんぽんと、自分の肩を叩くフォルセの言葉に、
じわじわと実感が沸いてくるアルス。
「やった、やったんだ!」
初めてスキルを発動したとき、
シンシアやファクトと初めて出会ったときのような、
自分の視界が広がっていく感覚。
少年は今、また階段を上がる。
新たな斬鉄の使い手を祝う宴の夜。
アルスの冒険談を聞いているフォルセの元に、
慌しく数名のワーウルフが駆け寄ってくる。
時間は既に夜。
ほとんどのワーウルフは家で思い思いの夜を過ごしている時間であった。
「若っ! 大変です!」
「若はよしてくれ、妙に老けそうだ。それで、どうした」
一人の腕に、真新しい切り傷があることに気がつき、
フォルセが茶化すような声を途中でやめ、硬い表情に戻る。
「塚から出ました! 今回は2月も早いです」
「なんだと? 間違いないのか」
ガタンと大きな音を立てて立ち上がるフォルセ。
塚、という単語とフォルセの様子に、
まだ宴の場に残っていたワーウルフ達の表情も引き締まる。
「フォルセさん、塚って?」
「ああ……見てもらったほうが早いな。どうせアルスにも力を借りることになるだろう。
斬鉄が使える者が1人でもいたほうがいいからな」
慌しく部屋の壁に立てかけたままのそれぞれの武器を手にするワーウルフたちに、
アルスも自身の剣を鞘ごと背中に背負う。
「親父殿は?」
「既に向かわれているかと思います。起きていらっしゃいましたから」
「そうか。無理をしていなければ良いが……」
皮鎧を身につけ終わったフォルセが、ワーウルフの1人からの報告に
苦笑気味に答える。
それは心配しているというより、困ったような表情であった。
(きっとフォルセさんのお父さんが元気いっぱいなんだろうな)
アルスはそんな様子を見ながら、なんとなくの事情を察していた。
「アルス、お気をつけて」
「うん。シンシアも皆といて欲しいな」
そっと、アルスの背負った剣の結び目を縛りなおすシンシアに、
アルスは部屋にいるワーウルフの女性たちを見渡しながら言う。
何が起きているかはわからないが、
武器を必要とする物事であることは動き出した男のワーウルフらが証明している。
であるならば、ここにいてもらったほうがいいとアルスは判断したのだ。
フォルセに連れられ、アルスが向かった先は町の外。
月明かりでもわかる、大きな岩が
何かの証のように鎮座する広間であった。
「お墓……?」
まだ距離のある中、アルスは小さくつぶやく。
「そうだ。我々の一族の墓だ。そして儀式の場所でもある」
横を走るフォルセの言葉に、アルスは疑問を持つ。
(みんなのお墓にしては狭いような?)
アルスの疑問はもっともで、
その広間はテニスコートが6面は入りそうだが、それだけだ。
とても一族全ての墓とするには狭いように思える。
「塚、と我々は呼んでいる。ほら、見えてきたぞ」
アルスが前を向きなおしたとき、不思議な光景が見えてくる。
塚の境界を示すような木の塀を境に、
ワーウルフの集団と何かが相対している。
それは光。
それは意思。
ゆらりとゆれる、半透明の姿。
その見た目は色を除けば、手前にいるワーウルフたちと同じ、
獣人の姿。
『ふはははは! 小僧ども、儀式にはまだ早いと思ったか! 戦は予定通りにはいかぬものだ!』
半透明の集団の中央、一回り大きな体の一体が前に出たかと思うと、
アルスの頭に、声というより思念が響いた。
「おのれ年寄りめ! おとなしく塚に帰るがいい!」
それに対して、大音声で答えるのはフォルセに良く似た気配のワーウルフ。
恐らくはあれがフォルセの父親なのだろう、と
アルスは横で苦笑するフォルセの顔を見て思った。
(でも何をするんだろう? 武器を持ってるってことは戦い?
でもあれはきっとフォルセさんたちの……)
困惑のアルスを尻目に、ワーウルフの男たちは自分たちを
鼓舞するように声を上げ、武器を打ち鳴らす。
「さて、細かい説明には時間が無いな。あれは先祖のスピリット達だ。
戦って、眠ってもらう、そういう儀式だ。行くぞ」
「え? えええー!?」
戸惑ったままのアルスを置いていくように、
戦いは始まるのだった。
こっちのが主人公っぽい件。
○斬鉄
確率発動型のパッシブスキル。
DEX、INTをメインに判定される。
判定に成功すると一定割合の防御無視効果が発動する。
その対象は物体、生物問わず。
一回の発動ごとに魔力を消耗する。
破壊不可オブジェクト(ゲーム上必要な扉や壁など)
は判定に含むことができない。