164「戦争の足音-8」
もうちょっとサスペンスっぽくしたかった気はします。
「さて、あの男の首がここに届けられるのが先か、
お前たちの首が下に落とされるのが先か。
楽しみなことだ」
「あんたの首が下に落ちるって言う選択肢だって魅力的じゃないかしら」
張り詰めた緊張の中、キャニーはファクトが落ちていった穴に目を向けず、
唇をかみ締めながらも軽口を口にする。
そんな姉の姿に、冷たいとはミリーは思わない。
むしろ、思わず数歩踏み出してしまった自分を恥じていた。
(背中を見せちゃ駄目……この人……強い)
これまでに出会ったような怪物が出す物とは違う、別種の殺気。
テリトリーに入ってきた侵入者への怒りでもなく、
何かの憎しみによるものでもない。
ただ殺す。
そのためだけの殺気。
「そうか。出来る物ならばな。……ふむ、ただ殺されるだけではつまらんだろう。
どれ、冥土の土産という奴だ。何か問いたそうな顔をしているな」
それは誘惑。
バルドルは姉妹が自身に家族や村の人々を殺され、
自分たちも誘拐同然に攫われた事の恨みを持っていることを承知した上で、
試すように問いかける。
「残念だけど、特に聞くことは……ああ、あったわね」
「ほう?」
じわりと、すり足で間合いを詰めるキャニー。
そんな姉に合わせるように、微妙に角度を変えて別の方向から間合いを詰めるミリー。
バルドルはその動きに気がつきながらも、余裕を崩さずにキャニーに答える。
「あんた、いいえ……あんた達は本当に戦争がしたいの?
戦争が正しい、正しくないなんて言わない。でも、今までのあんた達がしてきたであろう行動と、
今回の行動は……どこかおかしい。まるで人形師が劇の途中で急に変わったようだわ」
耳鳴りでもしそうなほどの集中の深みに入りながら、
キャニーは自身がこれまで集め、経験してきた情報から1つの問いかけをする。
そう、彼女から見たら頭がすげ変わったとしか言えない今回の行動への疑問。
なぜ、ここに今、バルドル自身が、そしてファクトが相手をしているであろう精鋭がいるのか。
あるいは、とかげのしっぽのような雑兵だけでよかったはずだと。
ファクトの話を受け、みんなで話し合った際も同じだった。
来るなら最初の襲撃が最大戦力だろう、と。
一度襲撃を退けさせ、油断していたり消耗していたところを襲う、
とする方法も無いわけではないだろうが、
明日も式典があるという夜に一度襲われれば、誰しもが警戒を強める。
もし来るならば、一度で全てを決めるつもりで、
後詰めがいるとしてもそれは脱出の支援程度だろうと
冒険者も交えた相談では結論が出ていた。
ではバルドル達は先の襲撃が失敗したとして、
精霊銀の装備が各地に散らばるのを各個に襲うつもりだったのだろうか?
(それもおかしい。いくらなんでも手数が少ないわ)
さすがに100人も200人も今、集まっては無いだろうことは
現状が証明している。
恐らくは今、この町にいるルミナスの主だった戦力は、
倉庫で襲撃してきた相手とここのバルドルたちだけ。
そう考えてみれば、なぜなのか。
「なぜ戦力を惜しんだのかということよ。まるで失敗して欲しいみたいじゃない」
キャニーの声に、バルドルは反応しない。
考えているのか、答える気が無いのか。
そんなバルドルの姿に、苦々しい表情をしながらも
キャニーは隙を作らないように姿勢を少しずつ変える。
目の前の相手以外に増援がくる様子は無い。
やはり、他にはいないのだ。
(出てくるつもりは本当は無かったのかしら?)
彼女は思う。
仮に襲撃がどうなったかを確かめてから街を出るつもりだったのであれば、
明確にルミナスとしての痕跡が残る危険を冒す必要性は無い。
つながりを残さず、まだルミナスは本格的にはこの土地に至っていない。
今回は既に潜入はしていたが、末端が先走っただけだろう、
そう油断させればいいのだと。
(宣戦布告の無い戦争、それは奇襲で決まる。大事なことは喧嘩と一緒だわ)
ならば、噂は止められないとしても
出来るだけ不鮮明なほうがいいはずだと彼女は思う。
なのに、彼らは出てきた。
逃げた男を迎え、自分たちがいることに気がついていながら
わざわざ目の前で殺した。
男が逃げ込んできた時にそのままどこかに移動してればいいものを、
恐らくはわざと、姿を現した。
「今日のことでどこの国もはっきりさせるわ。ルミナスが自分たちを狙っていると。
そして、既にその手があちこちに伸びていると。どう考えても動きにくくなるはずよ。
おかしいじゃない。どっちつかずで、半端すぎる」
しゃべりながらもキャニーはバルドルの隙を伺うが、そう上手くもいかない。
相手の強さ。
ファクトのようにデータが見えずとも、それを感じていた。
圧倒的、そう……存在が違うというまででもないが、
バルドルは自分より確実に強いと感じ取っている。
それは肉体的な実力だけではないだろうとも。
「その答えはタダでは教えられんな」
その言葉と共に、姉妹の視線の先でバルドルが揺らいだ。
あら、残念。
そうつぶやく前にキャニーは両手に持った短剣を構えることなく、
とっさに転がるように横に飛ぶ。
空気を切り裂く音が4つ。
対して突き出された男の手には見たままの斧。
2回しかないはずの攻撃。
姉妹の耳に届いた音が、その矛盾を生み出していた。
「アタックエコー……」
「面白い。どこで知ったか、後で聞き出すのもいいな」
余裕からか、ゆっくりと動くバルドル。
そのまま、吐息を漏らすようにスキル名を口にしたミリーに嫌な視線を送る。
「結局答えてはくれないのね」
「対価が必要な情報ということが知れただけで十分ではないか?」
どこまでも静かに、ゆっくりと斧がバルドルの腕によって踊る。
先に動いたのはミリーだった。
姉の影から飛び出るように、2本の短剣が灯りを反射し、
光りながら鋭く襲い掛かる。
「早いな。だが軽い!」
はじかれる勢いをそのまま利用して、
反対側へと移動するミリーだがその顔は険しい。
受けた衝撃が、予想以上の重さだったのだ。
(強敵……でも、本調子ではないみたいね)
(たまに変に動きが止まる。それが狙い目かな)
無言で、叫ぶような吐息と、ぶつかり合う金属音、
空を切る大きな音。
それらに満たされている中で、
彼女の予想は、妹のそれと一致していた。
油の灯りと違い、揺らめきの無い魔法の灯りが照らす中、
両手の斧を構えるバルドル。
一見、隙のなさそうなその姿の中、唯一異常があった場所。
見続けるのは遠慮したいと考えるキャニーの視線の先で、
バルドルの瞳が黒い光をあふれさせていた。
本人は恐らく、気がついていない。
今自分が、どんな姿をしているかを。
斧を振り、光がバルドルの腕に触れるたび、足に触れるたび、あざのように黒くなる。
(危なかったけど、私たちに光が当たっても何も起きない。特殊なスキルなの?)
短剣ごと自分を叩き切ろうかというほどの威力が込められた斧の一撃を、
冷や汗をかきながらキャニーとミリーは回避する。
どういう仕組みか、バルドルは両手の斧をまるで2人の人間が
重なっているかのように同時に別の方向へと操っている。
それに加えて毎回ではないが、攻撃の際に後を追うように不可視の何かが
追撃を行ってくるため、大きく確実に回避せざるをえない。
今のバルドルがなぜか実力を出せていないだろうことはわかっても、
強敵には違いない、鋭い動きであった。
カウンター気味に姉妹が攻め返すものの、
鍛えられた人間としての動きの中に、
時折混ざる奇妙な動きにリズムを崩され、
思うような攻め方を出来ないでいた。
(魔力を消耗している様子は無いわね。……私たちにも何かスキルが使えれば)
キャニーは無いものねだりをしても仕方がないとはわかっていても、
求めずにはいられなかった。
彼女たちはファクトから時折、魔法とスキルについて教わっている。
魔法はどんなもので、スキルとはどんなものか。
だからこそ、今の時点で自分たちには結局スキルが
目覚めてはいないことに悔しく思う。
何かが足りないのか、こればっかりは条件が必要だとファクトは彼女たちにいっていた。
体の能力は足りているはずだから、きっかけだろうとも。
STRがどうとか、DEXはきっと十分だとか、彼女達にはわからないことを
つぶやいていたことをキャニーも覚えている。
それは一緒にいた妹、ミリーも同じことだろう。
だからこそ出来ることがあれば冒険者として依頼も受けたし、
自主的に特訓だってしてきた。
少しずつ押されている感はあるが、今2対1とはいえ
バルドルと大きな怪我が無く戦えているのはそのおかげだと
どちらもわかってはいる。
一瞬の思考の隙をついて、迫る一撃。
キャニーは身をよじるようにして片方は避けるが、
今回はもう片方もキャニーに迫ってくる。
回避が間に合わないことを感じ取り、
2本の短剣を時間差で交差させ、受けきることにしたキャニー。
一気に腕ごと持っていかれそうな重量に顔をしかめるが、
続けてくるだろう追撃に備え、受けた手とは逆の左手の短剣を射線に突き出す。
そして襲い掛かる不可視の攻撃とぶつかり合う。
「マジックアイテム……それもいい、いいな」
「これ……何?」
キャニーが構える短剣はアイスコフィンとシャドウダガー。
氷の力をまとわせたアイスコフィンのゆらめきを映し出すように、
シャドウダガーの刀身はゆれている。
魔力の幻影が錯覚を招き、命中率に補正を与えるシャドウダガー。
薄皮一枚を積み重ねるような行為ではあるが、
それが重要だと考えるキャニーの前で、
バルドルがまるで豪華な食事を目にした若者のようにつぶやく。
「お姉ちゃん、気をつけて。何か、違う」
声を絞り出すような妹の様子に、
キャニーは改めてバルドルの様子を伺う。
瞳からは相変わらず黒い光があふれ出し、
両の手の斧は若干刃こぼれした様子はあるものの、健在。
盛り上がった筋肉が強さを感じさせ……。
(黒くない場所が……無い!)
果たして、キャニーがそれに気がついて距離をとるのと、
バルドルが獣のように叫んだのはどちらが先立ったのか。
「欲しい欲しい欲しい。天帝様に褒められる物が欲しい!!!」
ついには黒い光は瞳だけでなく、
バルドルの全身から湯気のように登り立っていた。
あまりの変わりように、思わず硬直する2人。
「避けろ2人とも! 即死攻撃が来る!」
遠く地下からのファクトの叫び。
その声に思わず姉妹の視線が動いたのは誰も責められないだろう。
むしろ、その声のおかげで後のことに対処できたと思うしかない。
視線が動いたその一瞬でバルドルは黒い光を両手で圧縮するように目の前で交差させると、
両手にあったはずの斧は1つとなり、黒塊となってキャニーに襲い掛かった。
意味はわからずとも、ファクトの焦りの声に一切の攻撃を捨て、
とっさに回避することに成功するキャニー。
しかし、バルドルの攻撃はそれだけではない。
ダブルアタックのスキルにより生み出された黒い刃を
避けきれずに肩に攻撃を受けてしまうキャニー。
「ぁぁああああっ!?」
冬の風に吹かれる落ち葉のように、キャニーの小さな体が吹き飛び、床を転がる。
「お姉ちゃん!」
悲痛なミリーの叫びが空間に響き、
それが甘露であるかのようにバルドル、バルドルであった物が咆哮する。
──少し前
(さて、どうしたものか)
ぽたぽたと、自身から流れ落ちる血の音を耳に、
俺は打開策を練っていた。
俺の手には2本の光る剣。
数多いアイテムの中で俺が剣を選ぶのは
ゲームでの馴染みの武器だからでもあるし、
単純にリアルの延長で想像しやすいからである。
武道をやっていたわけでもないので、普通に片手に持つ武器というのは
動きをイメージしやすいのだ。
チャンバラみたいなものと思えばいい。
VRシステムによる補助があるとはいえ、結局プレイヤーの動きは重要だ。
どう動かし、どう使うのか。
そのイメージがあるかどうかは非常に大きい。
使えることと、使いこなせることとは違う。
そして片手武器というのはどのゲームでも一番数が多い。
結局その慣れはこの世界でも一緒だった。
(上まではおおよそ10から20メートル。厳しいな)
幸いにも落下そのものではダメージは無かったが、
黒装束たちは強敵だった。
まだ1人も落とせず、むしろ自分が傷を負っている。
相手にも結構傷を与えたはずだが、数の面から自分が不利なのは間違いない。
奥には上にいけるだろう階段が見えるが、
そこまで無事にたどり着けるかどうか。
下手に魔法やスキルで範囲攻撃を使えば、ここが崩れるかもしれない。
壁のもろさがそれを示している。
(こいつらを倒すしかないか……来る!)
無言で迫る3人にこれまで同様、マギテックソードで応戦する。
不幸中の幸いとしては、彼らがかすっただけでアウトになるような
毒攻撃をしてきていないことだろうか。
どこかおかしなその状況に、俺は時間稼ぎをされているのだと考えるが、
趣味が悪いとも同時に思う。
恐らく、なぶり殺し。
あるいはあのバルドルとかいう奴が
キャニーたちを殺し、その姿を俺に見せるつもりなのか。
「まったく付き合ってられないぜ」
これで何本目か、暗がりに溶けるように迫るクナイを叩き落としながら、
俺はいつだったかMD時代の仲間がしていたように剣を構え、
自分を鼓舞するように呼吸を整える。
出来ればしっかりと倒してから上に戻りたかったが、
そうもいっていられない。
人間というには馬鹿高い耐久力、レッドドラゴンの一撃で
死ななかった自分の体を信じて強行突破をする覚悟を決めたのだ。
(さあ、突撃ラッパを吹き鳴らすときだ)
チャージ!と旧友の声が響いたような気のする中、
一歩を踏み出したところで目の前の黒装束たちの様子がおかしいことに気がつく、
何かにあわてたような気配がするのだ。
と、上空から大きな気配が膨らむのを感じる。
恐らくはバルドルの気配。
そちらに視線を向けようとして、その前に視界に妙な姿を捉える。
覆面の数少ない露出箇所、目。
黒装束の何人かの目から黒い光があふれるのを俺は目にした。
その光はつい最近、精霊と共に見たルミナスの光に似ていた。
恐ろしく、全てを何かに染め上げるような漆黒。
ひときわ大きな光は奥にいた、比較的小柄な黒装束2人。
それぞれの手にぎらりと輝く、無骨な刺突剣。
黒い光が黒装束と、その剣を包むのを見たとき、
俺の背中をぞわぞわとした恐怖が駆け上る。
流れるような動作で、黒装束たちの間から
迫ってくる2人と、その手の剣2本。
もうレイピアと呼ぶべき黒い刃たち。
その正体を俺は知っている。
即死攻撃──デスピアーシング。
強大なユニークボスの一撃よりもある意味恐怖する、
低レベルも高レベルも等しい立場に落とす究極の一撃。
使ってくる敵は限られており、
少なくともMDでは人間が使うというのは目にした事が無い。
それへの対処法は2つ。
避けるか、受ける前に倒す。
だが、この黒装束の攻撃は避けきれない。
相手の速さ、自分の姿勢、そして相手が2人という状況。
「避けろ2人とも! 即死攻撃が来る!」
ならば先に倒すのみ。
そう悟った俺は俺は上の2人に届くことを祈って、叫びながら
全力でマギテックソードを振りぬいていた。
「ぐっ……」
肉を切り裂く嫌な感触が2つ。
時間差で迫ってきたならば、恐らくは俺の敗北だった。
確かな手ごたえを感じる俺の腕に、
細い剣は突き刺さっているが、俺は生きている。
なぜか同時に迫ってきた黒装束の首を
両手のマギテックソードは等しく切り裂いていた。
「はっはっ」
動きの鈍い足を叱咤し、後方に飛ぶ。
(生きている。即死は発動していない!)
確実に体力は減ったが、相手の攻撃は不発だった。
「二人はっ!?」
残った黒装束に警戒しつつ、俺は思わず上に向けて声を出していた。
「ううっ……」
「死んでない。不思議。でもマジックアイテム無事でよかった」
バルドルは足元から響くうめき声が聞こえていないかのように、
壁まで転がっていったキャニーを見、つぶやく。
その言葉は既に出会ったころのそれではない。
幼児のようですらあった。
だが、誰が見てもこの状況はキャニーとミリーが
敗北の直前であることは一目瞭然だろう。
もしファクトがこの場にいて、キャニーの体力ゲージを見れたならば
そのゲージが一瞬にして黒く染まったのがわかったはずだ。
黒く染まった体力ゲージ、すなわちそれは
キャニーの体力がそれだけ失われたことを意味する。
「ミリーを放しなさい……うっ」
だが、キャニーは生きていた。
バルドルの即死攻撃、カースドペイン。
MDでは未実装であった斧系即死攻撃。
その一撃を受けて、それでもキャニーは生きていた。
とっさにバルドルに飛び掛り、叩き落されて
片足で踏まれている妹をなんとか助けるべく、
重い体に鞭を打って立ち上がろうとしていた。
(わかる……わかるわ。ガッツ、ね)
なぜか脳裏に浮かぶ用語を心でつぶやきながら、
キャニーは気力を総動員していた。
ガッツ、それはその一撃で
戦闘不能になるダメージを受けたときに確率発動のスキル。
確率は現在HPと最大HPの割合で決まるが、
最大50%。
パッシブで常に判定はされるが、
その確率とあいまって頼り切るには怖いバランス。
HP1で踏みとどまるというまさに首皮一枚という効果だ。
即死攻撃の仕様が、極大ダメージを与えるという設定なのが幸いしたのだ。
知らないスキルの名前と、なんとなくの効果が
自分の脳裏に浮かぶことに疑問を覚えるが、
キャニーはその考えを横にどける。
(今はまず、目の前のコイツをなんとかしなくちゃいけない)
「立った。立った。さあこい」
呂律も怪しく、姿だけは
最初のころのたくましさを保っているものの、
言動がおかしくなっていくバルドルに生理的な嫌悪感を覚えながら、
キャニーは両手の武器を握りなおす。
(なんとかしなきゃ! でもどうやって!?)
踏まれた痛みにうめきながら、
ミリーは心で叫び続ける。
姉は生きていた。
命としての恐怖を感じるバルドルの攻撃に、
どうやってか生き残った姉に喜びながらも
すぐに現状が何も解決していないことに恐怖する。
(ガッツ? そうなんだ……)
ともし火が灯るように、胸に浮かぶ何かにミリーは自然と応え、
己を見直し始める。
どうやってかわからないが、姉はスキルを発動させた。
ならば、自分にも出来るはずだと。
根拠の無い思い。
だがミリーは大丈夫だと確信を持っていた。
自分の中にいる彼がそれを教えてくれる。
「立った。立った。さあこい」
と、自分を踏みつけていたバルドルの足がどけられたのをミリーは感じた。
バルドルはミリーを見ていない。
もう敵とみなしていないのか、
姉であるキャニーしか見えていないのか。
それはミリーにもわからない。
だが、チャンスは今。
どうにか立ち上がり、駆け出すキャニーを迎え撃つように
黒い斧を構えるバルドル。
何もしなければそのまままたキャニーは斬られておしまい。
今のキャニーに追撃を回避する余力は無いだろう。
(それでいいの? よくないに決まっている!)
戦いが始まってから、ずっと淡く光っていたミリーの腕の
銀色の腕輪が強く発光する。
その光と混ざり、飛び出すように伸びる光、光。
「!?」
「決闘の縛鎖(デュエルチェーン)!」
アクティブスキル、決闘の縛鎖(デュエルチェーン)。
単体にしか効果の無い、本来はイベント習得のスキル。
半透明の鎖が互いを縛り、
互いにしか攻撃できず、範囲の外に移動できなくなる効果を持つ。
その効果の解除はどちらかが力尽きるのみ。
その範囲は3メートル。
使ったプレイヤーには回避能力にボーナスがつくという、
まさに決闘。
世界の強制力に、キャニーを向いていた自分の体が
ミリーのほうを向くことに戸惑うバルドル。
腕輪の光と、鎖の力。
腕輪の光は風のように押し出し、鎖はこちらが正解だと誘導するかのように
ミリーの体をぐいぐいと引っ張る。
その脇をバルドルの攻撃が轟音と共に振り下ろされるが、不発。
右手に持った巨大な斧が改めてとミリーへと振り下ろされるべく、
大きく振り上げられるが、その体がのけぞる。
ミリーへと振り向いた唐突なバルドルの行動を見逃すはずも無く、
その背中にキャニーのアイスコフィンが突き刺さったのだ。
「てやあああああ!」
背中への攻撃に思わずのけぞったその胸元、
心臓へ向けてミリーの一撃が突き刺さるのだった。
一瞬の静寂。
そして水を詰め込んだ包みに穴を開けたかのように、
アイスコフィンを突き出したままの2人の間で、
バルドルがその体から黒い光をあふれさせ、そして崩れた。
飛び交う嫌な光にとっさにかばうように身を縮める姉妹だったが、
程なくして自分たちを覆う光に気がつく。
精霊銀の腕輪から出る光。
一晩中祈り続けてくれているらしい、
職人たちの助けを感じながら、キャニーとミリーはその場に座り込んだ。
消える大きな気配。
それからの黒装束の動きはなぜかすばやかった。
黒い光をあふれさせていた2人ほどを残し、他は全て先ほどまでの動きが
なんだったのかと思うような動きで逃げ出したのだ。
「おい、どういうことだ」
俺はマギテックダガーを、座り込んだままの
黒装束の1人に突きつける。
ぼんやりと黒い光が黒装束に吸い込まれていく姿に
警戒しながら、尋問をするべく突き出されたマギテックソード。
だが黒装束は覆面はそのまま、顔を無造作に上げる。
マギテックソードの切っ先が刺さりそうになり、
慌てて俺がどかしたぐらいだ。
(こいつ、なんだ?)
疑惑の俺の視線の先で、ぱかっと、閉じられたままの口が開く。
「天帝様、万歳!」
「万歳!」
横にいたもう1人が復唱しながら、
一言叫んだかと思うと2つの黒装束が床に落ちる。
「消え……た?」
部屋の暗闇に溶けるように、俺の目の前で黒装束の中身は黒い光として
消えていったのだった。
「先生、ありがとうございました!」
「ああ、修行は忘れるなよ」
バルドルと黒装束の精鋭を退けてからは襲撃は無かった。
疲れた体のまま、証拠となりそうな武器などをかき集めて、
冒険者たちのいる倉庫へと戻る。
疲労した様子の俺たちに、慌てて魔法使いが回復魔法をかけてくれるのを感じながら、
念のために警戒は維持するように言いつつ、朝を迎えた。
そして式典は問題なく終わった。
精霊銀の武具が各国に平等に分配され、
大規模な怪物掃討戦へ使われることや、
各地の冒険者ギルドを通じて、
今後は何らかの形で配布されることもあるだろうといったことが表明される。
冒険者や精霊銀の製法を覚えた職人たちは、
式典後の各国代表者との歓談の中、
あちこちに勧誘され、それぞれに新しい旅路に出ることが決まった。
俺には反対する理由も、必要も無いので
別れる職人たちに、餞別変わりに鍛冶道具を
適当に手渡しながら見送ることにした。
そうして、どこかお祭りのような喧騒は徐々に収まり、
街がいつもの騒がしさを取り戻したころ、俺たちはまた旅に出る。
「……はずだったんだが、なんでいるんだろうな?」
幌つきの大きな馬車。
その御者席に座りながら、俺は幌の中へと問いかける。
そこにいるのは手縫いであろう座布団に座る、小柄な少女。
「細かいことは気にしないでくださいな。ほら、
かわいい子には冒険をさせろというではないですか」
にこやかに、笑みを浮かべているのは誰であろう、オブリーン第三王女、シルフィ。
すぐ横には侍女であるクリュエルが座っている。
元々一緒にいるはずのキャニーとミリーは、
どこかあきらめた様子で奥のほうで短剣を磨いている。
「特に面白いことはないと思うぞ?」
「それは大丈夫です。勝手にこっちでやることは見つけますから」
親や姉がいないからか、子供らしい姿で座るシルフィは少女そのものだ。
俺はそんな姿に毒気を抜かれ、大きく息を吐いて前に向き直る。
クリュエルはシルフィの行く所についてくる気満々だ。
予定外の同行者ではあるが、そもそもお願いに負けて
お話がしたいと少し馬車に乗せた時点で勝ち目は無い。
(姉に許可はもらったという言葉に嘘はないようだし……)
ここで同行を却下するというのも大人気ない。
「よし、なら行こうか」
ゴトゴトと、馬車は動き出す。
精霊銀の作業をした工房の街へ戻るために。
──???
部屋に灯りは1つだけだった。
わずかな、1本のろうそくのような小さな光。
しかしその光は、何かを照らす光ではなかった。
どんよりとした、黒い光。
時間の止まったような空間で、闇が動くように光が揺れる。
もし、そこに普通の灯りがあったならば見えたことだろう。
部屋の隅から、黒い光がにじみ出てきたことが。
意思があるようににじみ出た光が、
部屋の中央にある光へと合流する。
何かを咀嚼するような、鈍い音。
「何か、おありですか天帝様」
「子細無し。下がれ」
部屋の外に生じた声に、中の声が答える。
また沈黙が支配する部屋の中で、
影は小さく、笑う。
外からやってきた黒い光、それを味わうかのように
光から立ち上る煙に身を震わせながら……。