130「白の夢、銀の願い-1」
視界に入る色は白。
「ついこの間まで砂浜にいた気がするんだ」
「奇遇ね。私もそう思うわ」
白い砂浜かと思いきや、体に突き刺さる寒さ。
「はー……息も真っ白。あれ? あの子がいないよ」
互いの会話と、足元の音だけが響く。
「役目を終えたからな。消えたんだろう」
昨日の夜あたりにでも積もったばかりなのだろうか。
俺の足が白い地面に思ったより沈む。
目の前に広がるのは、白い草原。
もっとも、草原だろうというだけで詳細は不明だ。
なにせ……一面雪景色なのだ。
幸いにも、風がほとんど無いので寒さも我慢できないほどではない。
「とりあえず、これで。少しはマシだろう」
俺はさすがに寒さに震える2人に、アイテムボックスから
作ったばかりの銀色の外套を手渡し、装備させる。
「ありがと。さて、どこに行きましょうね」
「どこも雪と山と白くなった木ばかりだね」
キャニーのぼやきに、ミリーが指差すのは遠くに見える山々。
歩きにくいし、ジャルダンらを呼び出しても良いが、下手に飛び上がれないことを考えると
白一色の雪原で目立つ彼らを呼ぶのもあまりよくない。
何故、3人が雪原で震える羽目になったのか、
事の起こりは数日前だ。
どこからどう入手したのか、言わずともわかっていそうな
姉妹の視線に耐えながら、ドワーフ2人の工房で場所を借り、
俺はフォルティアから入手した毛皮、銀狼の素材をベースに
いくつかのアイテムを作っていた。
多くは高い防御力、というわけではないが
速度といった狼っぽいイメージのある補正が高い装備になる。
アクセサリーであったり、魔法使いのような職業でも
装備しやすい軽さでもあるのだ。
補助的に装備するには非常に都合がいいといえる。
「ふふ……街の競売にかけたらいくらぐらいいくんだろうね」
「物がわかる奴のほうが少ないだろうさ」
ハンマーというより毛皮を叩く用の木槌を振るう俺を見ながらか、
そんなことをいうドワーフ2人。
いくつかそうこうしている内にアイテムが出来上がり、
俺はキャニーたちと3人で美味しい依頼がないかチェックしに行くことにしたのだった。
「氷のバラを増やして欲しい? なんだろうこれ」
ミリーがそういって指差すのは、
酒場の壁に貼られた依頼書の1枚。
少し離れた場所に張られ、全体的に青い。
青いというのは文字通りで、まるで青いクリアファイルが
そのまま壁に貼られているような依頼書だった。
銀で描かれたような文字がその表面に踊り、
依頼内容が記されている。
他の依頼と違い、依頼者も報酬もはっきりしていない。
氷のバラを増やして欲しい、白の子より。
はっきり読めるのはそれだけだ。
3人で首をかしげていると、俺の服のすそが誰かに引っ張られる。
「ん? 何か用か?」
そこにいたのは少女、いや少年だろうか?
目深に白いフード付の服をまとい、
肩口ぐらいまでの銀髪が見える。
目は長い前髪に隠れ、良く見えないが
変な目つきというわけではないようだった。
「……それの依頼人。読める?」
「ああ……キミが依頼人か?」
俺の問いかけに、こくりと小さく頷いた少年?はそのままとことこと
歩き出して出口に向かう。
と、振り返り俺たちを手招き。
「……行って見よう」
罠にせよ、本物の依頼にせよ、なかなか面白そうだ。
ファクトたちが立ち去った後、とあるテーブルの男女がその視線を
ファクトたちからテーブルの上へと戻す。
「なあ、あいつら何と話してたんだ?」
そう言うのは戦士風の男。
話し声が気になり、ファクトたちのほうを向いたが、
その話し相手が見つからなかったのだった。
「アンタ、魔法つかえないもんね。あれは精霊の使いよ。
たまーに、こういう森のそばとかで出るのよ。
私も師匠に聞いただけだけどね」
ま、見つけても依頼が受けられるかどうかは別よ、と
若い女魔法使いは笑い、身の丈にあった依頼ってもんがあんのよ、と
男をあしらうのだった。
先導され、向かった先は町外れの小屋。
どう見ても家という感じではなく、
馬の世話役が一休みしそうな物だ。
つまるところ、前を行く少年か少女が
そこに住んでいないということだ。
そんな俺の考えを余所に、遠慮無しに中に入る子供。
後を追うように中に入ると、
いくつもの木箱と、藁が多く積み上げられていた。
「家……じゃないわね」
「そうだねー、あ、あれ!」
ミリーの声にそちらを向くと、依頼人らしい子供が
木箱の上に何かを置いていた。
青く、そして白い玉。
最近見た覚えのある、冷たさすら感じるその水晶球のような玉に俺の視線は注がれた。
「これ、使って飛ぶ。準備はいい?」
「ちょっと待ってくれ、氷のバラを増やして欲しいって書いてあったよな。
俺で、いいのか?」
こちらの話を聞くことなく、何かをしようとする子供に
慌てて俺がそう問いかけると、じっとこちらを見つめてくる。
(あ……この子、女の子か? いや、でも確かこの姿は……)
「大丈夫。アナタは素質十分。2人も何か懐かしいにおいがする。だから大丈夫」
何がどう大丈夫なのか、ろくな説明が無いまま、
少女はそう言ってすぐに玉を手にし、何かをつぶやいた。
「やばい! 2人ともこっちに!」
瞬間、俺の脳裏でいくつかの記憶が蘇り、
慌ててそばの2人を抱き寄せる。
「きゃっ。もう、いきなり何を……え?」
この世界に来て何度目かの浮遊感と共に、視界が白く染まった。
そして俺達は気が付けばこの雪原にいたのだった。
「それで、あの子なんだったの?」
体温を少しでも逃がさないようにか、
マントをぎゅっと抱き寄せながらキャニーが聞いてくる。
「あの子か、たぶんスノーホワイトだな。ほら、2人に渡してある
アイスコフィンの材料……アイスマリンっていうんだが。
それを作ってくれるスノーフェアリーの分身さ。だから、すぐに消えてしまう」
そう、NPC専用ともいえる強制送還にも似た転移魔法の代償に。
「じゃああの子はもういないの?」
ミリーに静かに頷き、周囲をうかがう。
「ああ。あの子は人間じゃない。なんていうかな、用件を伝えて、
こうやって転送するだけの子なのさ」
スノーホワイトはスノーフェアリーの分身、まあ雑用係のようなものだ。
その数は冬はほぼ無限で、まさに大量。
山々に分散し、フィールドを管理しているのだ。
MDでは倒す相手としても襲い掛かってくるし、
NPCとして冬山の町で会うことも出来る。
所謂精霊の1種となるのだろう。
町にいるスノーホワイトは戦闘や、あるいは無理に抱きしめたりするとすぐ消えてしまう。
戦闘中には触れることは触れるが、肉体を持っているわけではないので、
まるで雪の塊を触るようで余り意味は無い。
熱に弱いのか、というとさすがに炎を浴びて無事、ということはないが
太陽の下でも無事に過ごせるらしい。
ちなみに先ほどはそうではなかったが、本来はまるでゴスロリかと思うような
ひらひらとした服装で、一部の趣味の人に大人気な少女姿である。
特徴としては自我が薄く、さらには人間に性的に興味が無い。
正しくはスキンシップをしない、という設定なのだが。
設定上、彼女たちのタイプは雪だるまだ。
スノーフェアリー以外に雪山にいるというのだが、
俺も専用のクエストでしか見たことが無い。
もしかしたらフィールドにはいないのかもしれないな。
「確かこっちに山小屋があったはずなんだが……」
なんとかゲーム時代の記憶を頼りに歩くことにする俺だったが、
キャニーたちの緊張が急に解けたことに疑問を覚えていた。
やることが決まったからだろうとはそのとき思っていて、
理由が俺がここに来たことがある、あるいはどういう場所か
知っているらしいということからだとは思いもしなかったのである。
「ふー……結構疲れるね、雪の上って」
「何かに襲われなきゃいいけど……」
喋るうちに見えてくる山小屋。
屋根には1Mほどの雪が積もり、崩れやしないかと少しどきどきする。
「あれだな。変な気配は無いな」
念のために気配を探るが、殺気の様な嫌な気配は無い。
どうも小屋の中に何かいるようではあるのだが……妙に気配が薄い。
中に遭難者がいたりしてな、と喋りながら扉を開けてみる。
「あら、お早い。もう少しかかるかと思っていましたわ」
なぜだかそこには、2度ほど言葉を交わした覚えのある雪の女王がお茶していた。
(いやいやいや、ここ……ブリザードキャッスルじゃないよな、幻覚にかかってるとか?)
俺がそう考えて周囲を見渡したのも無理は無いはずだ。
なにせ、目の前の存在はここにいてはいけない。
とある雪山の奥にあるブリザードキャッスルでプレイヤーを迎える相手のはずだからだ。
もっとも、ブリザードキャッスルも名前の割りにそう大きい城ではなく、
ちょっとした豪邸、といった感じではあるのだが。
「……家賃が高くて引越ししたのか?」
「あらあら、なんでばれちゃったのかしら」
クスクスと、俺のボケに軽やかに笑う女王。
いつの間にか背後に現れたスノーホワイトに手に持ったティーカップを渡し、
静かに姿勢を変えてこちらを見る。
俺の左右でキャニーとミリーが身構えるのがわかるが、
俺はそれを制するように1歩前に出、口を開く。
踏みつけてしまいそうな長いドレスに指先まであるような手袋。
青とも銀ともわからない透き通った髪は
腰ほどまで伸び、アクセサリーでまとめているわけでもないのに
バラバラに揺れる様子は無い。
頭に乗せられた小さなティアラが部屋の灯りを反射している。
「ファクト、ちょっと冷えない?」
「ん?」
キャニーに言われて俺はようやく、部屋の寒さと、
さっきまで女王が手にしていたティーカップの中身が凍ったままであることに気が付いた。
「人間には少々お寒いでしょう。私には寒いという感覚がわかりませんが、
多少は熱さも大丈夫です。お好きに暖をとってください」
青い口紅が下品でない程度に光る口から、少女とも
妙齢の女性とも取れない不思議な声が響く。
「じゃあお言葉に甘えて。といってもここ、暖炉が無い見たいだけどな」
「何か敷くだけでもだいぶ違う気がするよ」
ミリーのいうように、良く見ればこの小屋の中の家具は
そのほとんどが凍っている。
俺は荷物から毛布になりそうなものを取り出し、
適当にそれらに敷いて3人で座る。
「改めまして、ようこそいらっしゃいました。人の子よ。
外で人と会うのはもう何年ぶりでしょうね。それがこのような形となるのは
悲しいことですが、仕方ありません」
女王はそう言い、傍らの小さな箱から何かを取り出す。
それは青く、宝石のように光を反射するバラ一輪。
氷のバラだ。
「綺麗……」
ミリーがそうつぶやくのも無理は無い。
適切な管理をしさえすれば、あのバラは溶けずに鑑賞できる。
年に一度、といったぐらいで冬山のそばにある街で
売りに出される貴重品なのだ。
確か山奥の特定の場所でしか育たないはずだが……。
「依頼だとそれを増やして欲しいとあったな。どういうことだ?
まさか女王の魔力が尽きたとかそういう話ではないのだろう?」
勿論、そんな花がただ自然と生えてくるわけではない。
女王の魔力を受け、普通の植物が突然変異でもするように
氷のバラへと変わっていくのだ。
「それをお話しする前に、見ていただきたい物があります」
そういって女王が招くのは1人のスノーホワイト。
静かに歩み寄ってくるその姿は、
レースを多く使ったような服装が良く似合う、
かわいらしいものだった。
その手に持った瓶に何か液体が入っている。
俺の前にあるテーブルに置かれたそれは、
既に冷え切っているがただの水に見える。
「毒ではありません。少なくとも貴方方には」
「ふむ? ん? ……温泉?」
いざとなったらアイテムで回復しよう、と
考えた俺は瓶の封を開け、手で仰ぐようにして中身の匂いをかぐ。
鼻に届く独特のにおい。
冷えてしまっているが、どう考えても温泉水だ。
「そうなのです。バラを増やして欲しい、というのは
その育成場所に迫るそれを何とかして欲しいのです」
恐らくは遥か北の地で、俺たちが出会ったのはなんだか妙な話だった。