120「潮騒は騒動と共に-2」
「か、母ちゃん?」
「え? スレイルじゃないか! あんた、なんでこんなとこにいるのさ!」
マーマンをはたいた女性を見たスレイルが叫び、
女性、スレイルの母親も驚いたようにこちらに歩いてくる。
魔法の灯りに照らされたその姿は、
何度も洗濯をしたであろう布の服は落としきれない汚れと、
くたびれた様子が見て取れる。
それでいて使い込んだ以上の傷みを感じさせない、
実用性を念頭においた動きやすそうなものだった。
店先で声をあげて呼び込みをしている図が凄く似合いそうな、
まさに港町の母親という言葉の似合う物だ。
「なんでじゃないって。母ちゃん達以外にも帰ってこないからって
騒動になってるんだぜ? それで……その、それは?」
スレイルがそういった途端、今度はスレイルの頭がはたかれる。
「それとはなんだい! 初めて出会う人にろくに挨拶もできないってのかい?」
(いや、普通はモンスター相手に挨拶をすることは少ないと思うが……うん)
亜人タイプを人と呼ぶかどうかも、問題になりそうではある。
特に、マーマンはその見た目と、ストレートに言えば魚介類の肌が特徴だ。
それはある程度感触も制限されたゲームとしてのMDでも相当なインパクトがあり、
生理的にどうもダメ、というプレイヤーもそれなりにいた。
下手に握手しようものなら、ぬるっとした手袋を
した相手とそうしているような感覚なのだ、仕方ないのかもしれない。
会話が可能なマーマンは素朴で、少し天然なところがあるが、
仲良くなってしまえばクエスト的にもお得な相手だった記憶がある。
……クエスト的には、だが。
そんなことを思いながらの視線の先で、スレイルは叩かれた頭を抱え、
痛そうにしているがその顔に浮かぶのは笑み。
母親が無事だったという喜びだろう。
「イテテ……そういうわけじゃ。あっ、他の人たちは?」
「そうだな。それが出来れば知りたい。後は、マーマンと何故一緒かも」
いい加減話を進めなければならないと思い、
スレイルに乗っかって一歩前に出る。
「その格好、冒険者ってやつかい?」
「ええ、町に戻ってきたら何人も戻ってこないって言うから探して、
砂浜の穴から落ちてきたのよ」
母親の問いかけに、キャニーが答える。
そうしてこちらにキャニーとミリーがいることに気がついたのか、
母親の緊張した顔が緩む。
「そういうことかい。まあ、見てもらったほうが早いね。
こっちさ。ほら、あんたもいくよ」
「コココココッチダ」
それまで黙っていたマーマンが、言われるままにゆっくりと歩き出す。
少しじめっとした洞窟を、スレイルの母親に先導される形で歩いていく。
魔法の灯りがなくても横穴はなぜか、
どこからかの明かりでなんとか足元が見えるぐらいであったのだが、
安全のために魔法の灯りを適当に頭上に生み出しておく。
まるでホラー映画の1シーンのような洞窟が続く。
たまに視界に入るフナムシのような何かや、
ぬめっとした岩肌に視線を向けながら歩き続けると、
10分もしないうちに開けた空間に出た。
「何か、におわない?」
空間に出る直前のキャニーの言うように、妙な匂いが漂っている。
そして、何より湿っぽい。
平らな岩肌の先にはまるでプールのように海面が広がり、
そこから外に出て行けるようだった。
今はその平らな岩肌部分に、何人ものマーマンが寝かされている。
その先、海面との境目付近には、
何人もの人間の男が普段ならば漁に使っているであろう銛などを手に、
何かを警戒しているようだった。
人間の女性はなにやら海草のようなものを弄ったり、
マーマンの体を手持ちであろう布で拭いている。
「どういうことだ?」
見る限りでは、マーマンを人間が看護しているようにすら見える。
ただし、その人間が恐らく落とし穴から落とされたという事実込みで。
「一応理由はあるんだよ。上の人以外は上手く話せないから自信がないけどね」
マーマンと、広間にいた男女がこちらに気がついたのか、
何人かが手を振り、挨拶をしてくる。
改めて見ても、マーマンに脅されている様子は無い。
ということは何らかの理由で、マーマンに落とされた側の
人間の男女が協力しているということだ。
「ほら、新しい助っ人だよ。今度は冒険者だからばっちりかもね」
スレイルの母親に先導された先では、
周囲のマーマンと少し雰囲気の違うマーマンが横たわっていた。
その足には両方とも怪我をしているようだった。
「ウウ、ツヨキチカラヲカンジルゾ。ワレハマズン。
ニンゲンヨ、ナマエヲキイテモヨイカ」
「ファクトだ。こっちはキャニーとミリー。怪我をしているようだな」
若干聞き取りづらさはあるも、最初のマーマンとは段違いの
言葉遣いであるマーマンのリーダー格マズンの話を聞くべく、
俺はポーションの在庫を虚空に浮かべて確かめながら近づく。
「ワレガブジデアレバ、コノヨウニニンゲンニ
キテモラウヒツヨウモナカッタノダガ……」
マズンの声には後悔がにじんでいる。
しかもそれはどうも人間を巻き込んだことへの謝罪のような気持ちのようだ。
視線は人間を嫌うようなものではなく、
逆に気を使っているようなものだったからだ。
そしてマズンから語られた内容はこうだ。
マズンを含めたマーマンはこの周辺を住処とし、
ここのような洞窟を拠点に生活していた。
洞窟内や陸地には本当に必要なとき以外は上がらず、
基本水中で寝るような生活。
特に誰かを襲うでもなく、時には嵐に出会った漁師を助け、
時には協力して漁をしたりと、人間とは海で出会うよき隣人という状態。
時に集団でいるところを目撃され、人間の間の噂になりながらも、
敢えて顔を出すようなことはない生活の中、
ある日、変な色のクラーケン……小さ目らしい、が襲ってきた。
クラーケンはマーマンだけを狙っており、
最初に数体が犠牲になり、生き残りも怪我を負ったそうだ。
なんとかここに逃げ込んだが、いつ襲ってくるかわからない状況に追い込まれる。
そんな中、マーマンの若い固体がとある伝承を元に助けを求めることを提案する。
その伝承とはマーマンの王、シーキングの伝承であった。
簡単に言うと、人間と協力し、互いの脅威となる海の魔物を
その勇気と力で持って撃退したという話だ。
その伝承の中で、シーキングが人間の協力者を得た方法は、
元々はただのいたずらであった砂浜の穴であった。
伝承では魔力を感じさせる板を落とし穴のフタに使い、
その魔力がわかる人間が近寄ってくると落ちる、そんな仕掛けだという。
「それでよく一緒に戦ってくれたわね」
キャニーの呟きが全てをあらわしている。
出会うのはともかく、何故その流れで協力し合う流れになるのか、
というのは実のところ、ゲームにおけるMDのプレイヤー行動であろう。
ともあれ、その伝承を元にマーマンは人間に助けを求めることにしたようだった。
もっとも、マズンは今の世の中や、自分たちがどれだけ
人間と違うかをよく知っており、反対はしたようだった。
何より異常なクラーケンを相手に、人間が
どれだけ戦ってくれるのか、楽観的過ぎると。
結局、動けないマズンの制止を聞かず、一部のマーマンが落とし穴を実行し、
町の人間がその対象となったわけだ。
町の人は人がいいのか、あるいはそういう伝承が町にも伝わっているのか、
怒るでもなくここにいる状況のようだった。
「ところで、何で逃げないんだ?」
「理由は2つ。1つは海からしか逃げられないのに、海には奴がいるのさ。
もう1つがあれさね」
スレイルの母親が俺の疑問に答え、一方を指差した。
「……像?」
「あれは……シーキングか?」
キャニーのつぶやきのとおり、どうみても像だ。
その姿は鎧を着こなしたマーマンの像。
どこか戦士の空気を感じさせる。
右手に持った槍が空に向けて突き出され、
それは魔力を糧にしているのか、淡い光を生み出している。
洞窟に満ちていた光と同じ光だ。
「ソウダ。ワレラガエイユウ、シーキング。
ニンゲンヨ、ワレラハエイユウヲステルワケニハイカナイ」
そしてマズンの口から語られるシーキングの伝説。
その槍は大渦を貫き、その泳ぎは星の流れを越え、
その鱗は雷も受け止めるという。
(だいぶ誇張されてるな。伝承はそんなものか)
シーキング自体、俺にとっては覚えのあるマーマンだ。
もっとも、今マズンがいうような超強い、なんていうことはない。
このあたりのクエストに登場するNPCで間違いはないのだが、
色々な理由から非常に人見知りで、身内にすら自分からは会いにいかない。
その上、約束なしで会いに行こうものなら逃げ出すという徹底振りだ。
出会いを含めたクエストをこなすごとに、
親友となっていくわけだが、途中から本来の明るさを味わうことになる。
どちらかというといたずら好きな本性というか、
本来の明るさは出会いとはまるで違うものだ。
砂浜で待つ、と手紙を出しておきながら、
砂浜にいっても姿は見えず、砂浜に足を踏み入れると、落とし穴。
そして落とし穴に落ちてきた相手に、脱出したければ
一晩遊んで行け!と言い放つわがままっぷりである。
とはいえ、これもまた自分から去っていくのではないかという
寂しさの裏返しであることがそれまでのクエストで
わかってくるプレイヤーは大体が、その遊びに付き合うのだ。
そして親睦を深めた2人(と必要であればPTメンバー)は
協力してマーマンと港を襲う怪物を撃退するのだった、という落ちで終わる。
確かに最後にはシーキング、そう呼ばれるに値する
強さを持つようにそのマーマンはなるわけだが……。
「毎日祈ってるんだってさ。自分たちもシーキングのように
偉大な存在になれますようにって」
スレイルの母親がマズンの言葉を引き継ぎ、そういってくる。
その声にマズンを馬鹿にした様子は感じられず、
この町とマーマンがそれだけの関係だということなのだろう。
「そうか……それで、状況は悪いのか?」
「怪我そのものはそうでもないんだけど、ここには薬もないし、
マーマンに何をどういいのかもわからないしさ……」
マーマンの様子を見ていた女性の1人が、
俺の確かめる声にそう疲れたように答える。
確かに落とされた状態の手持ちでは、
ろくなことが出来ないのは間違いが無いだろう。
俺はキャニーとミリーに頷きあい、
マーマンと町の人に振り返る。
「ちょっとした手品の時間だ」
そう言って、誰かが声をあげる前にまさに手品という形で
ポーション、そう高くない一般品だが、を何本も取り出していく。
ついでに在庫で眠っていた布製の防具等もだ。
これを切り裂いて傷の手当てに使ってもらうのだ。
「……初めて見たよ。それが一流の冒険者が持っているって言う
収納用の遺物なのか?」
「他のそれを見たことが無いから比べようがないけどな」
驚いてはいるが、何故、とは聞いてこないスレイルに、
動揺を隠しながらとぼけるようにそう答える。
(そうか、やはり収納タイプの遺物を持ち歩く冒険者もいるのか……)
キロン以外では話をほとんど聞かなかったことからすると、
遺物にはやはり発見場所に偏りがあるのかもしれない。
「コノケハイ。ニンゲン、オマエハ……グヌッ」
「はーい、治療の時間ですよー」
何かに気が付いたらしいマズンが続ける前に、
ミリーが傷口にポーションを無遠慮に振り掛ける。
傷にしみるのか、マズンはそこで言葉を途切らせた。
俺も別のマーマンへと歩み寄り、その様子を伺うが
その顔色はどうも怪我以外の理由で優れない。
「そのマーマンはずっと寝たままだぜ。起き上がるのが辛いんだそうだ」
見張りの交代なのか、先ほどまで水面を向いて警戒していた男性が、
俺のそばに歩み寄ると苦しそうに息をするマーマンの額を布で拭いてやる。
確かにこのマーマンは目立った怪我があるとすれば、
右足の付け根辺りのものだがそれも悪化している様子は無い。
最初は傷が化膿でもしているのかと思ったが、それにしては様子がおかしい。
「ここに来て何日ぐらいたつ?」
俺はふと思い、そうマーマンに問いかけると、
若いマーマンは少し震える左手を上げると、
6本ある指のうち1本だけを折る。
「5日でいいのか?」
コクン、とわずかにマーマンは頷いた。
5日……もしこの怪我や何か内臓的な物が理由であれば
もっとわかりやすそうではある。
と、しゃがみこんだ俺の服のすそが、水溜りに触れる。
「っと、ぬれてしまったか。ほうっておくと……ん?」
俺はふとそれに気が付き、マーマンのわき腹を見る。
独特の色をした、海での生活に適した肌。
よく見ると少し色がおかしい部分がある。
「少し持ち上げるぞ」
恐らくは痛むだろう行為に謝罪をしつつ、
横たわっているマーマンの背中を右手で持ち上げる。
するとそこには、明らかにいやなものがあった。
「これ、カビか?」
「カビって何?」
思わず出た俺のつぶやきに、近くにいたミリーが聞いてくる。
「こうやってじめじめした場所にいる小さな小さな生き物さ。
ほら、雨のときに食べ物にわさわさっとしたものが出来たこと無いか?」
「ああっ! あれがそうなの? よっと、あっ、ファクトくん、こっちの人もだ!」
俺が見た相手ほどではないが、
体を横にしていたマーマンの様子を見たミリーが声をあげる。
続けて確かめていくと、おおよそ半数、
傷の治療のために横たわっていたマーマンのほとんどは体にカビが出てきていた。
「これはクラーケン対策の前にこちらが先だな……」
ここに真水は少ない。
よさそうな洗剤も無いので、少々もったいないが
ポーションの在庫の出番である。
カビを落とすついでに体力も回復、怪我も治るといい事尽くめである。
そしてカビ取り大作戦が始まるのだった。