112「危険なかくれんぼ-3」
油断していた?
ああ、確かに。
今思えばそのとき、俺は間違いなく油断していたのだ。
怪盗がどうやって盗みを働いているかの種を暴き、
目の前に組み伏せたという喜び。
ゲームでクエストをしっかりとこなしたときのような、
一区切りついた快感。
そんなものに、今いる世界が夢でないことを忘れていたのだろう。
命に対し、殺意という刃が容易に振り下ろされる世界だということを。
「子供?」
それは誰の声だったか。
マスクを取られた怪盗の顔は、予想より幼いものだった。
少年か少女か、それはわからない。
だが、つるりとした顔は整っており、
子供から大人へと抜け出ようかという微妙な年頃のそれであった。
その瞳は怒り……ではなく、諦めなのか冷静なものだった。
「盗人に大人も子供も無い! ファクトさん、やりましたね!」
声をかけてくる警備員の1人に振り返ることも無く、
俺は怪盗を押さえたままその様子を伺っていた。
この体のどこにそんな力があるのか、
捕まえた瞬間は、かなりの力で俺を振りほどこうとしたからだ。
今はなぜか、押さえられるがままになっているが、
隙を見て逃げるぐらいのことはしそうである。
「さあ、色々としゃべってもらおうか」
近寄ってくる警備員が縄で怪盗の足や体を縛っていくのを確認し、
もういいだろうというところで手を離してそう声をかける俺。
ちらりと周囲を見れば、壁際には商人がおり、
キャニーとミリーはいない。
任せてくれているのか、それとも仲間を警戒してくれているのか。
そんなことを考えながらの視線の先で、
怪盗……性別は不明な相手が半ば無表情で椅子に座らされている。
捕まったときのような焦りが見られないその姿は、不気味だった。
「おい、なんとかいったらどうなんだ。お前は盗むのに失敗したんだ」
警備員もそんな姿におびえているのか、気持ち悪そうな顔をしながらも
相手が拘束されていることに思いなおしたのか、そう尋問を始める。
だが、いくつも投げかけられる言葉に怪盗は無言で、
時にゆっくりと周囲を見渡し、見つめる。
まるでこちらの聞こえていないようなその様子に、
警備員側の感情が膨らむのがわかる。
「このっ!」
思わずといった様子で右手を振りかぶった一人の警備員を、
仲間が制し、すんでのところで拳は止まる。
俺はそんな光景を見ながら、怪盗の姿に何かを思い出そうとしていた。
どこかで見た覚えがある気がしたのだ。
まるで水中でもがいているようなもどかしさの中、
もう少しで空気が吸える、そんな予感のような気分のとき、気配が動く。
瞬間、時が止まった。
その、異常な光景に。
ぐるりと、怪盗の首が動く。
自身を殴ろうとした警備員の方へだ。
だがその動きは正常なそれではない。
この場にいるほかの人間には未知なる動き。
俺自身は地球で見たことのある、ロボットのようなその姿に硬直していた。
そう、まるで首に機械の駆動部があるかのような不自然な顔だけの動き。
滑らかに、それでいて不自然に怪盗の顔が男に向き、
間は数センチもなさそうな至近距離に男の拳がある中、
沈黙していた口が開く。
「殴るんだ。いいよ。痛くないし。殴れば? 殴りたいんでしょ?」
よどみなく、そして感情のない言葉がすらすらと怪盗の口からあふれ出し、
なおも殴るように微妙に言葉を変え、怪盗は喋りだした。
固まったままの俺たちを余所に、怪盗の言葉はだんだんと
意味を成さないものになっていく。
数分か、もっと長いのか。
妙な感覚の中、ついには怪盗が高笑いしかしなくなった頃、
唐突に声が止まる。
正気を取り戻した俺の前で、怪盗の顔が再びぐるりと動き、
今度は俺を正面から見る。
「もっとも、ここでお別れかもしれないけどね」
シンプルな一言がその口から発せられる。
それはようやく思考が目の前の怪盗をどこで見たと思ったのか、
はっきりとした瞬間でもあった。
その後のことに俺が対応できたのは、怪盗が喋る前に
少し離れたところで生じていた気配を感じ取れたおかげだといっていい。
殺気を伴ったその気配が、怪盗だった何かが行動を起こす前に
俺の意識を戦闘時のそれに変えたのだ。
一気に水面から顔を出したかのようにクリアに、
様々なものが結びついていく感覚。
視線の先で、無表情だった怪盗の顔が愉悦にゆがみ、
瞳がどろりとした感情に染まる。
俺はその瞳に見覚えがあった。
モンスターにも目的のために、自らの命を顧みない相手がいる。
それは亜人の組織立った活動であったり、
人語を話す特定のモンスターであったり、
いずれにせよ、そいつらは自分ひとりの命すら全体のメリットを生み出すために使う。
怪盗の瞳は、そいつらと同じ感情を宿らせていた。
その瞬間、怪盗が、風船のように膨らんだような気がした。
──爆音。
一瞬早く、詠唱もそこそこに俺が力の限り生み出した、
名前も意識しない大盾が無数に部屋に産まれる。
持続時間は無視して、とにかくの防御。
警備員や商人、結果的には部屋の物品たちも守るように展開された
大盾たちであったが、俺自身は例外だった。
それは単に、自分の前に生み出すと視界がふさがれ、
周囲への展開に支障が出るからであったのだが、
出来れば1枚ぐらい、自分の前に生み出しておくべきだったのだ。
「かはっ……いてて……」
致命傷には程遠い、いわゆるノックバックを受けた形となる俺は、
背後にあった机に勢い良く背中をぶつけ、
どちらかといえばそちらのほうが痛く感じるような状態だった。
見れば怪盗の座っていた場所はひどいことになっており、
床は穴の開いたアスファルトのようにへこんでいる。
俺が盾を展開しなかったほう、つまりは部屋の外に向かう方向には
爆発はそのまま突き抜けたのか、壁が崩れている。
これが昼間であれば、日の光が差し込んでくるだろう大穴の開いた中、
もうもうと立ち込める土煙が外に出て行く。
「けが人はいないか?」
「私は大丈夫ですよ。幸いにも皆や壷も無事のようです」
俺の問いかけに、商人が崩れた机の脇から立ち上がる。
視線を向けると、壷の収められていた台座は動いてはいるが、
壷は中で無事なようだった。
展示用にしっかりと中で固定されていたのが幸いしたのかもしれない。
俺は警備員の無事もマップですばやく確認すると、
その数が減っていないことに安堵する。
そして、近づいてくる気配に意識を切り替える。
まだ節々が痛むものの、データ上のダメージはほとんど無いといっていいだろう。
魔法と、油の灯りが崩れた部屋を照らす中、
気配と、金属がぶつかり合う音が近づく。
まだ怪盗がどうなったかを確認できていない中、
崩れた壁から部屋の中に2つの影がバックジャンプの状態で入ってくる。
キャニーとミリーだ。
2人とも手にはいつぞやの紫色のダガー、そしてアイスコフィン。
刃には魔力がこもっており、全力であることを示している。
無言で警備員や商人を下がらせ、俺もスカーレットホーンを手にする。
「あーあ……誰も死んでないじゃん。ダメだなあ。
ま、最後まであがいたのは褒めてあげようかな」
場違いな、高めの声が闇の中から姿を現す。
「やはりお前かっ!」
その姿は俺の先ほどまでの推測が正解であることを証明した。
即ち、いつかの夜に街の露店で遭遇した正体不明の人間。
一度は逃げたはずのあの性別不明の相手だった。
「や、元気? こっちは……まぁまぁかな?
楽しいことと、楽しくないことが両方あったけど、
楽しいことのほうが多かったからね」
陽気な声のまま、街のどこにでもいそうな少年、
といった姿の服で相手は語る。
その手に持った、いや、手が直接ダガーになった姿のまま。
「ファクト、こいつ……何なの?」
「……折っても再生することを確認。きりがない……」
恐らく序盤からアイスコフィンを何度も発動させていたのだろう。
短時間にもかかわらず、姉妹は魔力の消耗に息があがっている。
「キリングドール……おいおい、何の冗談だよ」
俺は思わずそう口にしながら、額から汗が落ちるのを感じていた。
キリングドール、簡単に言えば人間型のゴーレムだ。
ゲームでは弱いものからまさに強敵という幅のある相手で、
魔法の関係する屋敷だとか、そういった場所でポップすることの多い相手だ。
設定上、暴走した魔法使いの研究の結果とも、
ゴーレムが自己進化したものとも言われている。
いずれにしても、MDの時点で強いものほどその多くが、
昔からの存在だという設定であることがポイントだ。
つまり、下手をするとこいつは1000年以上存在している。
「へぇ……やっぱり物知りだね。いいじゃない。
そんな君に招待状」
軽い口調で、つぶやいたキリングドールの手首が動き、
ダガーだった何かから物が飛んでくる。
とっさに回避した先で、崩れた机に刺さったそれは
メモ帳ほどのカード。
「おっと、そろそろ時間だ。あいつらの支配をかいくぐるのも
なかなか大変でね。これだけもらっていくよ」
視線を戻すと、いつの間に拾ったのかその手には小さな球体。
「コア!? いつの間に!」
そう、キリングドールが手にしていたのは魔力を感じるある球体。
先ほど自爆した恐らくはもう1体のキリングドールの核。
魔法生物はその核をつぶさない限りいつか復活する。
自爆してもコアは残すとは、徹底してるというべきかなんというか……。
「逃がすと思うの? あなたみたいな危ない奴を」
「さあて、自分には人間のことは良くわからないけどさ。
アレ、ほうっておいていいのかな?」
巧みな、というべきか。
絶妙なタイミングではさまれたキリングドールの声と動きに、
思わずその場の何人かの視線が動き、驚愕の声が上がる。
俺もそちらに視線を向ければ、ゆがむ天井。
天井が崩れようとしているのではない、
視界の何かがゆがんでいるのだ。
何もなかった空間からはみ出してくる何か。
それは一振りの剣だった。
「ほら、この子が戦闘不能になったからさ、中身が出てくるところだよ。
この子を捕まえたご褒美にどうぞ」
「! 待てっ!」
慌てて追いすがるが1歩遅く、キリングドールは
まるでワイヤーアクションのように空に舞いあがり、すぐさま闇に溶ける。
「ぜひ来てくれよファクトくん!」
笑い声を響かせながら、キリングドールの気配が遠ざかっていくのを、
俺は見上げて感じるしかなかった。
夜の闇で、正面から戦える相手ではないのだ。
そして、館に悲鳴と歓喜が響く。
それは即ち、空間からあふれてくるこれまでに盗まれた財宝の数々、
それらを壊さないように受取る、あるいは確認する声。
俺は混乱の中、机に刺さったカードを手にしていた。
そこに記されていた地図はグランモールよりさらに南西。
海を越えた先にある諸島を示していた。
そして添えられていた言葉。
──夢を終わらせる依頼をしたい
キリングドールの体表と同じく、
つるりとした手触りの表面を撫でながら、
俺はその言葉の真意に考えをめぐらせていた。