94「緑の理(ことわり)-2」
ゲームにおいて、特にオンラインとなれば
何かをするには何かが消耗される。
もっとも最たるものとしては、時間だろう。
スキルであったり、移動であったり、
何かをするのに時間は使われる。
あるいは簡単なものであれば、
時間とともに回復するリソースであったりとだ。
いずれにせよ、ある程度以上のこととなれば、
実際のアイテム等を消耗する必要があるのは間違いがない。
間違いがないのだが……。
(ここは……なんだ)
1歩、また1歩と長のいる釜、上に鍋があるような形だが、
手前からは釜戸を通して炎が踊っているのが見える、に近づく。
初めての場所だが、初めてではない。
俺はここを、この状態を……。
「知っている……場所だ?」
口にそこまで出して、それが地球ではなく、
MDの中での記憶らしいことに至る。
「まずは何かをやってみたらどうかね」
横に移動した長からの、静かな声に俺は頷き。
辺りをなんとなく見渡し、ふと目に留まった
緑色の石を手に取る。
──緑亀石
亀の甲羅のような形をしている鉱石で、
山にではなく、海辺や海にいる亀型モンスターからのドロップ品だ。
こんなものが川原の石の1つとして転がってる段階で、
ここがただの川原ではなく、何か特殊な場所だということがわかる。
ちらりと虚空に浮かぶ自身のステータスを確認するが、
まだ武器作成は使用不可能なままであった。
となれば、と俺は素材にふさわしいもの、バックルを作ることにした。
腰につけるベルト部分に装備可能で、効果はそう高くないが、
候補となるアイテムは豊富であり、性能は別として
デザインも自由度のある物だった。
そういえば、MDで出会ったファッショングッズを作るのが趣味の彼女は元気だろうか?
自分のお店を持つのが夢だといって、
お金がかからないからと、色々な素材で色々と試していたな。
素材が手に入りやすく、効果が高くないということは
自分の好みのものを付けやすいという部分を逆手に取り、
バックルなどの補助装備を好んで作っていた記憶がある。
MDでは彼女に限らず、様々な場所で、ゲームを楽しみながら
その他の自分の目的を満たすプレイヤーが多くいた。
彼女もその一人だった。
冒険者としてのプレイヤーの思考ではなく、
現実世界でどんなアクセサリーがどんな服に似合うか、
どんな人に似合うか、そんなことを良く考えながら作っていたようだった。
「装身具生成B」
小さくつぶやき、力の、精霊の流れを感じながら
視線の先にある鉱石が溶けるのを感じながらハンマーを軽く落としていく。
元々力一杯叩く必要はないジャンルだ。
このとき俺は、ただあるアイテムを作るだけでなく、
なんとなくだがそのアイテムに持っていた思い出というか、
彼女とのMDでのことを思い出していたのだった。
「? 呼ばれた?」
最後の一叩きで、鉱石だったものが光に包まれる。
出来上がりの合図だ。
だが、その瞬間に俺は何かの声を聞いた気がした。
視線の先で舞う精霊でもなく、もっと人間らしい声。
それはなぜだか、思い出の彼女に似ていたような気がした。
疑問を胸に、周囲を見渡すが当然ながら長以外いない。
その長も、立ち並ぶ木々の1本の前に立っているかと思えば、
その幹をゆっくりと撫でている。
「ん? 遠慮せずもっと試してみれば良い。ここは幻の鍛錬場。
全ては実で、全ては幻。いつかのように好きなだけ試すのが良い」
俺の視線に気が付いたのか、長は顔だけをこちらに向け、
そんなことを言ってきた。
(いつかのように?)
俺は増えた疑問を抱えたまま、出来上がっているはずのアイテムを確認する。
──タートルバックルG
GはグリーンのGである。
「性能は予定通り……か……何?」
ふと、表側となる部分を見た俺はそのまま硬直した。
表側、つまりは絵だとかが刻まれている場所。
そこにはデフォルトである、妙に目つきの鋭い亀の姿がある……はずだった。
だが、そこにあったのは妙に可愛らしい亀の姿があった。
これはMD、つまりは俺が普通に作成したのでは出てこないはずの物だ。
この絵は、覚えはあるが出てくるはずが無い。
そう、昔MDで一緒に遊んでいた彼女のデザインしたものだからだ。
こっちのほうが可愛いじゃん、と言っていた姿が今でも思い浮かぶ。
(一体何がっ!?)
目の前で起きている何か可笑しな状況に、俺は混乱する。
同時にどこか落ち着いていく心。
その心に従うように、俺の右手は再び近くに落ちていた鉱石を手に取る。
白というより、銀色の鉱石の名はゴルド鉱石。
元がガルドかゴルドかどうかは設定上でもあいまい、
という背景のある鉱石で、地球で言うと銀鉱石の一種である。
この鉱石から初期のガルド銀貨は作られているという設定がある。
換金したような単純な銀鉱石と違い、
不純物という名目で様々なパターンのある素材だ。
比較的柔らかく、武具には向かない素材でもある。
(どうせ武器は今は作れないし……)
これもまた、装身具としてペンダントにするべく釜の炎に近づける。
先ほどの彼女のように、俺の頭をよぎるのはシルバーアクセの
お店を持っているという友人の姿。
高くて本当の銀で練習なんてなかなか出来ない、と言っていた物だ。
そんなことを思いながら作るのは極々普通のクロスペンダント。
そしてあっさりと出来上がるペンダント。
宗教的な理由等は希薄な、なぜだかファンタジー世界には
いつも存在するこの十字の輝きを前に俺はまた動きを止める。
また、声が聞こえた気がしたからだ。
そして、出来上がったばかりのクロスペンダントと、
タートルバックルGがうっすらと透け、光の粒となって消えていく。
その時間は……そう、まるで試着が終わったか?と言いたげな時間。
アイテムの性能を確認し、装備したときの自分の姿を確認した、
そのぐらいの時間だ。
「またか……」
俺は空中に消えていく粒子を眺めながら、考えをめぐらせる。
ここがどこか不思議な場所なのは間違いはない。
どこからか素材が現れ、作っても消える。
正しくは元の何かに戻っているというべきか。
まさかと思い、俺は次々と周囲の鉱石を手に取り、
木々のステータスを確認し、枝を切り取る。
時に巨岩をスキルで砕き、木の幹を手持ちの斧で両断する。
そして素材を得たかと振り返れば、先ほど砕いた巨岩は姿もなく、
別の岩が鎮座しており、両断したはずの木は別の木へと姿を変えていた。
そしてその姿に驚く心を横に押しのけ、
防具と装身具等を思い出せる限り手当たり次第に作っていく。
時に思い出のないものもあるが、出来上がったものは全て同じ。
そして出来上がった無数のアイテムたちは、一定時間がたつと消えていく。
そして……俺の魔力も減らず、スキルとしての経験値もまったく変化がない。
途中には、無駄にスキルのランクをAなどに上げ、
魔力消耗の激しいことだってしたのだ。
なのにこの状況、最初から感じていた既視感。
いや、正しくは単に俺がはっきりと思い出していなかっただけなのだ。
「ここは……チュートリアル……しかも複数混ざっている」
「そのとおり。この空間ごと遺物といえばわかるだろう。ファクトよ」
思わずつぶやいた独り言に返ってきた返事。
それはいつのまにか近寄っていた長のものだった。
最初と何も変わらないように見えた長の姿だったが、
その瞳は少し疲れも見える。
「チュートリアルでは何でも体験できる。でもアイテムとして、
実際のものとしては持ち出せない……本人の経験を除いて」
俺の言葉に長はうなずく。
(やはり……か)
「どうだ。ただ作るものと、プレイヤーを意識したものでは違ったかな?」
「!? 長、やはり……」
長がなぜ、プレイヤー、チュートリアルというこの世界には
存在しないはずの単語を理解していたのか。
俺の頭にはその疑問が一瞬にして膨らむが、
それは一瞬で縮まった。
その答えは、MDの中にあったからだ。
例えば、いきなり街の人におれはレベルが高いから、
ステータスも高いんです。だから強いです。
そんなことを言ったところで意味がない。
レベルという物も、ステータスという物も、
MDでは普通のNPCは会話に使わなかったからだ。
それはシステム、であったりバフ、デバフ、
ネットゲームの用語でも同じ。
例外はある。
ゲーム進行上、そういう説明をしなくてはならない存在。
ユーミのような完全にシステム側のNPCはもとより、
クエストの要所要所でヘルプとしてゲーム用語を
交えて説明することのあるNPCだ。
だが、その他の存在は基本的にはプレイヤーと変わらない。
決められた範囲内の行動に限ってだが、
人間らしい行動をしていた。
その発言内容も設定に沿った、まさに世界の住人だったのだ。
つまるところ、MDでの一般NPCの生活にゲーム用語や考え方はないのだ。
レベルは単純に訓練や経験をつんだ結果の強さであり、
ステータスは鍛え上げられた筋力であり、
学んだ結果の知力でしかない。
数値化されているものでも、人に見せれるものでもないのだ。
そんな一般NPCではなく、都合上、ゲーム用語や
設定にそぐわない単語を使うことがある存在。
長はそんなNPCなのだと俺はそのとき、考えたのだ。
「長、昔の記憶、あるいは何かが伝えられてるんだな?」
「そうだ。先代は最初から長だった。そう……最初からな」
長の吐息は、まるで過ごしてきた年月を表すように、
長く、深いものだった。
長い長い、人間の何倍もの寿命の中、エルフは自問する。
自分達は何故ここで生まれ、ここで過ごすのか。
何故外に余り出ようと思わないのか。
そして里に他の存在は自由に入ってこないのか。
まるで、エルフはここに住むのが決まりです、
と決められているかのような自分たちの行動。
だがそんなエルフたちの自問の答えを、
先代の長は既に得ていたのだった。
ある日、この世界に自分達が突然今のまま生まれ出たことを。
伝えられてきたはずの知識も、鍛錬の果てに覚えたはずの魔法も。
万物に魔力を込める術も。
全てはある日、得たままで自分達が生まれたのだと。
「直前まで自分が考えるということもせず、
ただただ、決められた何かに従っていたことに長は気が付いたのだ。
自身に設けられたエルフの長という知性によって。
だが、それ自体はどうでもいいことだった。自分たちに命があり、
その他のものにも命があり、生きていることに違いはないのだからな」
先代の長は、そのほとんどを隠した。
自分たちエルフはともかく、人間や他の種族はほとんどが
このことを理解し、納得するだけの土壌はないだろうと考えたからだ。
人間は特に寿命が短い。
正しく伝わることなく、ゆがんでいくだろうと。
そうでなくても、自分が赤ん坊だったという記憶が、
実は真実ではないということを誰が受け入れるというのだろうか?
ほとんどは、以前とは致命的に何かが違う世界に生きていることに
何の疑問も覚えず、時間を過ごしていった。
それは人間より寿命がある一部モンスターたちですら例外ではなく、
与えられた何かに従い、その生き方を変えることはなかった。
「そんな中、先代は世界を見守りつつ、このことを知る者へと
手を差し伸べ、互いに手を取り合おうとした……」
だが先代はその命の長さがすぐに尽きることを知っていた。
それは俺は知っているMDとしてのエルフの長の交代劇。
詳しい話はクリアしていないので不明だが、
確かプレイヤーがそのクエストをこなすことで、
エルフの長が代わることになるのだ。
確か最新のアップデートでは、その交代劇が始まるよ、
というところまではあったはずだ。
ともあれ、先代の寿命は唐突に尽き、その直前に
今の長は先代から世界の真実の1つを引き継ぎ、今に至るということだった。
「……俺にはこの世界がどういった理由で、いつ、どのように出来たかはわからない。
一瞬後に、何も知覚することなく消え去る世界なのかもしれない。
それでも、俺はできるだけのことはしたい」
長に力をこめて言い、無造作に足元の鉱石を手に取り、
先ほどまでとは違い、敢えて作成レシピを1から考える。
虚空に現れる補助としてのウィンドウたち。
そこに記されているのは、作成に必要なスキルレベル、
作成結果の性能、そして試着結果。
それらは全てチュートリアルとしてゲーム上、用意されていたものだ。
勿論、再現できることは自分の覚えているスキル範囲内、
作ったことのある、あるいは作ることが出来る前提条件を
クリアしている場合に出てくるアイテム類だけだ。
キャラの体格にあった長さとはどんなものか、
使い心地はどんなものなのか。
特殊効果ってどんな感じなのか。
そういったことを試せる場所だ。
勿論、レベルも上がらなければ経験も上がらない。
ただ、プレイヤーとしての知識は増えていくというわけだ。
「それでいいのだとワシは思うよ。命の営みが、
芽吹く草花も、笑いあう子供も、全てがここのように幻だとは……思いたくはない」
そういって長は、どこかへと歩き出す。
「来るが良い。託そう。いつぞやの彼のようにな」
ついて行った先は、小屋。
唐突に現れた、何の変哲もないログハウス。
入り口は1つ。
鳥の声もなく、どこか滝の音が遠く聞こえる場所で、
そのログハウスは朽ちる様子もなく、ひっそりと人を待っていたのだろうか。
「中へ。そして読むが良い」
(読む……本でも詰まってるのか?)
俺は疑問を浮かべたまま、普通に見えるログハウスの扉を開く。
見えてくるのは特徴のない部屋。
暖炉があり、棚があり、ベッドがある。
そして部屋の中央にあるテーブルに乗せられている一冊の本。
まるで百科事典の一冊のような重厚なその本の表紙には何もない。
ただ白いだけの表紙だった。
何気なくその本をめくったとき、俺の意識はどこかに飛んだのだった。