87「緑の世界-1」
「さあ、宿に帰るか」
夕日を体全体に浴びながら、俺は一日の疲れを癒すべくそう提案する。
夕日の赤さに染まる木々や山、道は芸術的ですらある。
「そうね。今日はどこの酒場がいいかしら?」
「新しい酒場を探してみようよ!」
自分と同じくグリフォンの背に乗った姉妹の賛同に笑みを浮かべ、
何故だか妙に機嫌のいいジャルダンの首筋を撫で、俺は宿に……宿に?
(そういえば宿ってどこだっけ?)
「そもそもここはどこだ?」
「ん? どうしたの、ファクト?」
ジャルダンの動きを止めた俺に不思議そうに声をかけてくるキャニー。
彼女に別に変なところは無い。
だが、このもやもやとした感じはなんだ?
小さな声を上げ、首をこちらに向けて見つめてくるジャルダン。
その巨体、何よりグリフォンという存在は馬とは違い、
簡単に人間の集落に立ち寄るわけには行かない。
そうだ、だから彼らが泊まれるような宿を探したんだった。
無事に見つかったとある……いや、そんなわけがあるはずがない。
勿論探せばあるだろうし、ちゃんと使役しているといった説明を行えば
受け入れてくれる場所はそれなりにあるだろう。
だが、そんな記憶は無い。
なんとなくの街の覚えはあるものの、それはどこかつぎはぎだ。
宿の主は男だったか、女だったか。
それすら曖昧だ。
「! くそっ!」
俺は自身のひらめきを上書きしようとする何かの感覚に必死で抗い、
アイテムボックスから緑の蛍光色なポーションを取り出し、一気に飲み干す。
コーヒー缶程度の分量だが無駄に苦いそれの味が口内を満たし、
喉を通り、胃に落ちる。
そして、俺は正気を取り戻した。
先ほどまでのようなどこか浮ついた、奇妙な感覚は無い。
「苦いけど飲んでくれ。やばいことになってる」
俺はぽかんとした様子の姉妹と、妹グリフォン、
ジャルダンへと同じポーションを半ば無理やりに飲ませる。
「けほっ!……あれ? ここどこ?」
「確かずっと目的地に向けて飛んでたよね?」
きょろきょろと辺りを見渡し、グリフォンとともにつぶやくキャニーとミリー。
俺も同様だった。
場所に見覚えは無い。
記憶の限りでは、夕方手前辺りにそろそろ休む準備を、と降り立ち、
薪を集めるべく森に入ったところまでは覚えている。
枯れ木を見つけ、手持ちの武器で適当な長さに斬っている時、
確かそこで何か光ったような。
(マップは……間は飛んでいないな。だが……)
ある地点を境に、ぐるりとなぜか引き返してマッピングされている。
「なあ、どうしたか覚えてるか?」
俺はジャルダンの背に乗ったまま、そう問いかけるがジャルダンも
何を言っているのかわからない、という様子で混乱している。
可能性としては2つ。
1つはモンスターなどの敵対する相手から洗脳やその類の魔法攻撃を
全員が受けたということだ。
だがこれはおそらく、無い。
もしそうならとっくに襲われ、命を失っているか、
もっと何かを奪われているからだ。
もう1つは特定の結界だ。
ゲーム的にいえば、フラグを立てていないと進入できない場所、
はじかれてしまう場所ということになる。
単純に透明な壁にぶつかるものから、なぜか
回れ右をしてしまうものまで。
それは電気信号でもって、そういう動作をするような
強制力があるから実現可能であった。
現実にいるかのような感覚を味わえるVRという性質上、
どのような事象であってもそれが現実であるかのような錯覚、
を脳が覚えるからこそ実感できるのだ。
地形の起伏も、日差しの強さも、
大自然を旅するような教育に近いソフト類もそうして実現している。
勿論、ある程度セーフティは存在していたが、
その他はまさにリアル。
当然といえば当然だが、実際のVR関係のソフトで、
今俺が味わったような記憶そのものが上書きされるようなものは市場には出ていない。
確か一部の医療用では病気による終末期の対処として、
仮想現実に没頭させるものもあると聞いたことはあるが、少なくとも
ゲームでそんなものが出たということは聞いたことが無い。
そんなありえないことが起きている現状。
「魔法……か?」
敵を混乱させる魔法や、正気を取り戻す魔法があるのだ。
亜種として今のような仮の記憶を植えつけるような魔法が
存在したとしても不思議ではない。
だが、そんなことができるのはよほどの使い手か、あるいは……。
「もしかして、エルフの仕業?」
「ち、近くにいるのかな?」
俺のつぶやきにキャニーもその可能性に行き当たったのか、
どこか気の抜けていた状態から警戒へとシフトする。
「わからんが……とりあえずは今いくのは危ない気がするな」
俺は地面までまもなくという太陽を指差し、
ジャルダンの首筋を軽く叩く。
「ちょっと上がってみてくれないか?」
一鳴き、ジャルダンは力強く羽ばたくと上空へと舞い上がった。
下のほうから同じようにキャニーたちも上がってくるのがわかる。
だいぶ高度が取れたところで俺が合図しようとすると、
ジャルダンはホバリングするように無言で上昇を止めた。
どうやら契約の都合でこういった感覚は伝わるものらしかった。
「さてと……ん?」
怪しい森が北西とするなら、自分たちから南あたりに、何かある気がした。
距離は何キロも無いだろう。
集落だろうか?
一度いってみる必要があるが、このまま飛んでいくのも問題だ。
ジャルダン達をどうにかするかしないといけないからだ。
送還してもいいが、何があるかわからない現状では、
戦力として重要なのでそれも難しい。
「ま、野宿とするか」
野宿が初めてというわけでもないし、本当にいざとなったら
キャンプを起動して中に入ればいい。
……グリフォンが2頭も入れるかは怪しいところだが。
隣に同じように飛んでいるキャニーたちに手を振って、
下に降りるような合図をし、先に降下を始める。
「そういえば、おかしくない?」
セオリーからいえば遅くなった野営の準備開始からしばらくし、
もう太陽の落ちきった空を眺めながら火に当たっているとそうキャニーが切り出した。
ちなみに野営の場所に選んだのは大きな木の根元。
地面からせり出した根っこが背中を預けたり、
荷物を立てかけるのにも丁度いい。
「何がだ?」
俺は火の具合を確かめつつ、そう聞きかえす。
ミリーは鍋の中のシチューの煮え具合を確認している。
なお、グリフォン2頭はすぐそばでなにやら互いに毛づくろいをしていた。
「ここってさ、まあ、王都とかからは離れてるし、
言ってしまえば辺境なわけじゃない?
人が住んでるとしても精々が開拓村ぐらいの場所のはずよ、なのに……」
「なのに? なんだ、何か見つけたのか?」
「……何も見つからないのがおかしいんじゃないかってことじゃないかな」
ぽつりと、つぶやかれたミリーの言葉に俺も動きを止める。
(……そうか、そうだな)
何もいなさすぎる、ということか。
基本的にこの世界にはモンスターがいる。
人の住んでいる場所、戦力のある場所に近いほど、
それは討伐され、数を減らす。
ゆえにダンジョンなどにはモンスターが多いし、
山々などの人の勢力下ではない場所は人の世界ではないのだ。
小さな村や町であれば時折のモンスターの襲撃におびえ、警戒し、
時には傭兵として冒険者を雇うことだってある。
そういう世界だったはずだ。
当然、こんな場所ではまともな道もないし、
あるとしても自然と出来上がった草原などだ。
どこからかモンスターがポップするゲームと違い、
現実として息をし、動くモンスターがいるこの世界では、
基本的には相手が目に見えていなければならないのだ。
動植物はともかく、モンスターは今は見えないし、
この辺りにきてから目にした記憶も無い。
「そうだな。まあ、ゴブリンだとかはともかく、
熊だとかそういった類の相手がまったくいないというのはおかしいか……」
亜人とでも呼ぶべき相手は光物が好物だ。
奪う相手がいなければ生息することも少ない。
いるとしたら獣のようなタイプのモンスター。
だが、一度上に上がったときに見えたアレが集落だとしたら、
ゴブリンだとかがいてもおかしくは……ないか?
と、無言になりかけた3人の空気を引き裂くように、
ジャルダンの声が響く。
何事かとそちらを向くと、小さなウサギが数羽遠くに逃げていくところだった。
どうやらジャルダン達が狩ろうとして逃がしたようだった。
「ははっ、グリフォンもこの体格差だと難しいのか?」
俺は笑いながら立ち上がり、獲物を逃したジャルダンを慰めるように撫でた。
不機嫌そうなジャルダンの声が、たまたまだと言わんばかりであった。
「出来たよー」
「わかった。すぐ行く」
シチューが出来上がったことを知らせてくれたミリーに答え、
俺は火の元へと戻り、食事を始める。
その後はしばらく談笑していたが、いつしか姉妹は眠り、
見張りを買って出た俺だけが火の番をしながらふけていく夜を過ごしていた。
「エルフか……」
俺の呟きが焚き火の上昇気流に乗って夜の空に溶けていく。
MDにおいてのエルフはドワーフと違い、かなり高レベル用の相手だった。
特にその里となる場所はMDでは高難易度のダンジョンと同じであり、
仮想現実をフルに活かした迷いの森、強力なモンスター、と
少なくとも俺のようなプレイヤーではなかなか踏み込むことの出来ない場所にあった。
この世界で聞く噂の限りでは、そのようなモンスターに守られたような
厄介な場所ではないようだが、本当のところはわからない。
怪しい森がまったくの見当違いという可能性のほうが高そうだし、
エルフがどれだけ生き残っているかも曖昧だ。
「っと、いかんいかん」
俺は頭を振り、弱くなっていた焚き火に薪となる枝をいれ、
その火力を維持する。
……思えば、食事の前に突然現れたウサギ、そして
ジャルダン達が逃がしたということをもう少し考えるべきだったかもしれない。
何より、自分たちを魔法にかけたかもしれない存在のそばにいるということを、
もっと警戒すべきだったのだ。
それは油断だったのかもしれないし、ポーションで治したつもりだったが、
状態異常が残っていたのかもしれない。
少なくとも、常にそばにいるはずのもう1人の存在自体に
気が付かなかったのは間違いなかったのだった。
「何だと……」
だがその答えがわからぬまま、俺はいつの間にか眠っており、
目を覚ましたときには朝もやの中、ジャルダンと俺以外、
つまりはキャニーとミリー、妹グリフォンがそばにいないという現実があった。
俺の声に目を覚ましたらしいジャルダンの混乱の意識が契約を通して
俺にも伝わってくるが、彼を納得させる材料が今の自分には無い。
1人と1頭の視線の前で、朝もやがゆっくりと動いていた。