第九話
三つの太陽が放つ、あまりにも眩しい光。
その熱に、岩倉結城の心に残っていた最後の氷の欠片が、音を立てて溶けていくのが分かった。
もう、彼女たちの前で虚勢を張る必要も、過去の亡霊に怯える必要もなかった。
結城は、ゆっくりと顔を上げた。涙でぐしゃぐしゃになった顔を隠そうともせず、ただ、真っ直ぐに三人を見つめて、かろうじて言葉を紡いだ。
「……ありがとう」
それは、心の底から絞り出した、たった一言の感謝だった。
三人は、何も言わずに、ただ優しく微笑んだ。
「少し、考えさせてほしい」
そう言って部屋から出してもらうと、結城はベッドに倒れ込んだ。しかし、もう絶望はなかった。ただ、三人がくれた熱い言葉が、何度も何度も頭の中で反響していた。
『魂が震えるなら、それは、立派な創作なんだよ!』
その夜、結城は久しぶりに、夢を見なかった。
翌朝。
日本のインターネットの片隅で、小さな、しかし観測史上最大級の地震が発生した。
巨大ネット小説投稿サイト『ノベルアップ!』。そのランキングの頂点に、三年間も墓標のように鎮座していた作品——『小さな世界の大きな一歩』の最終更新日時が、動いたのだ。
【20XX年 4月27日 07:15 更新】
その事実に、最初に気づいたのは早朝のランニングを終えた神崎零だった。スマホでいつものようにサイトをチェックした彼女は、その表示を三度見し、硬直した。
喫茶店でモーニングセットを頼んでいた春下静香は、友人からのメッセージでその事実を知り、「えっ」と素っ頓狂な声を上げて、読んでいた雑誌を取り落とした。
徹夜作業を終え、朝日の中で眠りに落ちようとしていた月見里みのりは、けたたましく鳴り響くSNSの通知音に眉をひそめたが、その画面を見て完全に覚醒した。
更新されたのは、たった一行。
物語の最終章の、その一番最後に、ただ一行だけが、追加されていた。
——それでも、僕たちの物語は、まだ始まったばかりだ。
その一行が、何を意味するのか。
三年間、作者の帰りを待ち続けた数十万の読者と、そして、三人の少女たちには、痛いほど分かった。
『冬夜』が、帰ってきたのだ。
その日の午後。
結城は、自らの足で、あの部室の扉の前に立っていた。
ゆっくりと扉を開けると、そこにいた三人が、一斉にこちらを振り返った。
誰も何も言わない。だが、その瞳は、昨日までの同情や憐憫の色ではなかった。興奮と、歓迎と、そして、同じ場所に立つ「作家」としての敬意が、そこにはあった。
先に口を開いたのは、静香だった。
「……おかえり、冬夜先生」
その言葉に、結城は小さく首を横に振った。
「もう、冬夜じゃない。ただの、岩倉結城だ」
そして、深く、深く頭を下げた。
「俺……もう一度、書いてみたい。でも、怖いんだ。また、自分の才能のなさに絶望するかもしれない。誰かの言葉に、心が折れるかもしれない。それでも……」
顔を上げた結城の瞳は、揺れていた。
「才能がなくても、いいのかな」
その、あまりにもか細い問いかけを。
三人は、腹の底から、けたけたと笑い飛ばした。
「何言ってんの、岩倉君!」
静香が、呆れたように、でも嬉しそうに言った。
「才能なんて、あるかないかじゃないよ。あるって、信じるかどうかの話でしょ!」
「そうだぞ」と、零が腕を組む。「不安なら、私たちがいる。あんたの物語を、最高に彩る絵と、音楽と、魂をくれてやる」
「それに」と、みのりが静かに続けた。「あなたの物語が、才能がないなんて、この私が絶対に認めない」
ああ、なんて頼もしいのだろう。
結城は、思わず笑ってしまった。
その笑顔を見て、静香は、にやりと悪戯っぽく笑うと、宣言した。
「じゃあ、戦ってみようよ、岩倉君」
「……戦う?」
「そう、戦うの! あんたの心を折った、くだらない『文学』とやらにも、世間の目にも、そして、あんた自身の弱い心にも! 私たちの『遊び』が、どれだけ本気で、どれだけ凄いものなのか、証明してやろうよ!」
静香は、机をバンと叩いて立ち上がった。その瞳は、爛々と輝いている。
「舞台は、夏コミ!
創るのは、私たちの全てを注ぎ込んだ、最高のノベルゲームだ!」