第十四話
「美緒ちゃん! お願い、助けて! 私たちの夏を、救ってえええ!」
春下静香の悲痛な叫び。電話の向こうで、山内美緒と名乗った親友は、心底面倒くさそうに、しかし聞き慣れた様子で深いため息をついた。
『……はぁ。静香、あんた、また面倒そうなことに首を突っ込んでるわね。で、今度は何?』
「ゲームを作りたいの! 夏コミで! 最高の物語と、最高の絵と、最高の音楽と、最高のアニメがあるのに、動かす人がいないの!」
『……メンバーは?』
「私と、零ちゃんと、みのりんと……それと、シナリオ担当の、岩倉結城君!」
静香は、そこで一瞬ためらった後、声を潜めて、しかし興奮を隠せない様子で続けた。
「……あのね、美緒ちゃん、驚かないで聞いて。この岩倉君って人がね、本物の、『冬夜』先生なの!」
一瞬の沈黙。
それは、これまでの面倒くさそうな雰囲気とは全く違う、緊張をはらんだ静寂だった。
『……なんですって?』
「本当なの! 私、彼の書く物語を、どうしても世界に届けたいの! だから、お願い!」
『……分かったわ。三十分で着く。それと、今すぐ企画書のデータを全部、私に送りなさい』
通話は、一方的に切られた。
だが、その声色には、明らかに「興味」という名の熱が灯っていた。
そして約束通り三十分後、部室の扉を開けて現れた山内美緒は、黒縁メガネの奥の瞳を、狩人のようにギラつかせていた。
「話は聞いたわ、静香。そして、データも全部読ませてもらった」
美緒は、ズカズカと部屋に入ってくると、他のメンバーには目もくれず、まっすぐに岩倉結城の前に立った。
「あなたが、冬夜先生ね?」
その問いは、確認だった。結城がおずおずと頷くと、美緒は満足そうに口の端を吊り上げた。
「なるほどね。このシナリオのプロローグ、確かにあなたの筆致だわ。……面白い。面白いじゃない、この企画」
美緒は、他の三人を振り返ると、プロのプロデューサーのような口調で言った。
「けど、これじゃダメね。今の時代、ノベルゲームで立ち絵が突っ立ってるだけなんて、古すぎる」
美緒は、自分のスマホを取り出すと、ある動画を再生して見せた。画面の中では、一枚のイラストのキャラクターが、まるで生きているかのように滑らかに動いていた。
「Live2D。この技術を使えば、キャラクターの感情表現は格段に豊かになる。戦闘シーンのアニメーションと組み合わせれば、そこらの商業作品にも負けないものが作れるわ」
それは、悪魔の囁きだった。
だが、神崎零と月見里みのりの目は、すでにその提案に心を奪われている。
「もちろん、タダでとは言わない。私をこの地獄に引きずり込むなら、それ相応の対価を払ってもらうわ」
美緒の鋭い目が、再び、まっすぐに岩倉結城を射抜いた。
「冬夜先生。私は、あなたの『小さな世界の大きな一歩』の、ファンなのよ」
その言葉には、紛れもない愛と、そして、ほんの少しの怨嗟が混じっていた。
「私の人生のバイブルが、三年間も放置されている。この意味、分かるわよね?」
美緒は、悪魔のような、しかし、心の底から楽しそうな笑みを浮かべて、言った。
「いいでしょう。このゲーム制作、手伝ってあげる。私の持てる技術のすべてを注ぎ込んで、最高の器を用意してあげるわ」
「その代わり、条件がある。——『小さな世界の大きな一歩』を、今年の終わりまでに、必ず完結させなさい」
それは、呪いであり、祈りだった。
一人の熱狂的なファンからの、挑戦状だった。
もう、結城に迷いはなかった。隣で、静香たちが力強く頷いている。
彼は、目の前の魔王に、はっきりとこう答えた。
「……分かりました。やります」
二つ返事だった。
その声に、後悔の色は、ひとかけらもなかった。
こうして、四つの才能と一つの魔王による、夏コミと伝説の復活を目指す、無謀で、最高に熱い夏が、本当の意味で始まったのだった。