第十二話
夏コミまで、残り二ヶ月と二十七日。
史上最悪のプロローグが爆誕した翌日、同人創作サークルの部室には、重く、よどんだ空気が漂っていた。三日間の激闘を終え、昨日は「やりきった」という顔で帰っていった三人も、一晩寝て冷静になった頭であらすじを読み返し、そのあまりの酷さに気づいてしまったらしかった。
「……どうしよう、これ」
春下静香が、青い顔でテーブルの上の原案を見つめている。
「……まあ、昨日のテンションなら面白いと思ったんだが」
神崎零はそっぽを向き、月見里みのりは無言で天井を仰いでいた。
天才たちが、初めて「自分たちの間違い」を認めた瞬間だった。だが、認めたところで、解決策がなければ意味がない。このままでは、また不毛な議論が三日三晩繰り返されるだけだ。
その沈黙を破ったのは、岩倉結城だった。
「……一つ、提案があるんですけど」
三人の視線が、藁にもすがる思いで結城に集まる。
結城は、覚悟を決めて口を開いた。
「もう、議論で決めるのはやめにしませんか」
「えっ、でも、それじゃあ……」
「代わりに、くじ引きで決めましょう」
「「「くじ引き?」」」
三人の声が、綺麗にハモった。
結城は頷くと、ホワイトボードの前に立ち、さらさらと文字を書き始めた。
「いいですか。僕たちの問題点は、皆さんの才能が強すぎることです。自分の『面白い』を足し算しようとするから、全部乗せのラーメンみたいに味が喧嘩してしまう」
結城は、マジックペンを三人に向けた。
「だから、発想を変えましょう。足し算じゃない。——掛け算です」
結城は、ホワイトボードに大きく四つのカテゴリを書いた。
【A:世界観】
【B:主人公設定】
【C:ヒロイン設定】
【D:物語のギミック】
「今から、皆さんには自分の創りたい物語の要素を、このカテゴリに分けて紙に書き出してもらいます。例えば、静香先輩なら【C】に『実は敵幹部の幼馴染』とか。零先輩なら【B】に『悪魔契約者』、みのり先輩なら【A】に『巨大ロボット戦記』といった具合に」
結城は、空のコーヒー缶をテーブルの中央に置いた。
「書き出した紙を全部この中に入れて、各カテゴリから一枚ずつ引く。そうやってランダムに選ばれた四つの要素を『絶対のルール』として、一つの物語を創り上げるんです」
それは、あまりにも突飛な提案だった。
だが、その瞳は真剣そのものだった。
「『学園ラブコメ』×『悪魔契約者』×『巨大ロボット』。一見、無茶苦茶な組み合わせでも、それを成立させる方法を考えるのが、僕たちクリエイターの仕事じゃないですか。その化学反応こそが、誰も見たことのない、全く新しい物語を生むんだ」
結城の言葉に、三人の目に、徐々に光が戻り始めた。
面白い。そのやり方なら、面白いものができるかもしれない。
「……乗った」
最初に口火を切ったのは零だった。
「面白そうじゃん、それ!」と静香が続き、みのりもこくりと頷いた。
そこからは、早かった。
t三人は、堰を切ったように、自分の欲望を小さな紙切れに書きなぐっていく。
『天使と悪魔の千年戦争』『サイバーパンク』『タイムループ』『実はヒロインも悪魔と契約していた』『主人公の異能は、食べたものの能力をコピーできる』……。
t混沌としていたアイデアが、くじ引きの要素として、整然と分類されていく。
t数十分後。
t希望と欲望が詰まったコーヒー缶を前に、四人はごくりと唾を飲んだ。
t運命のドローを担当するのは、発案者の結城だ。
「じゃあ、引きます」
t厳粛な雰囲気の中、結城は缶の中に手を入れた。
「まず、【A:世界観】は……これだ!」
t結城が広げた紙には、みのりの書いた文字が踊っていた。
——『巨大ロボットが日常的に闊歩する、近未来の日本』
「よしっ」と、みのりが小さくガッツポーズをする。
「次、【B:主人公設定】!」
二枚目の紙には、零の、硬質な文字。
——『大切な何かを代償に、異能の力を使う悪魔契約者』
「ほう、悪くない」と零が頷く。
「続いて、【C:ヒロイン設定】!」
三枚目。それは、静香の丸い文字だった。
——『主人公を監視・抹殺するために送り込まれた、敵組織の少女エージェント』
「おおーっ! 燃える展開!」と静香が興奮する。
そして、運命の最後の一枚。
「最後、【D:物語のギミック】は……!」
t結城が広げた紙に書かれていたのは、零が書きなぐった、禁断の追加ルールだった。
——『ヒロインもまた、主人公とは別の悪魔と契約している』
四枚の紙が、テーブルの上に並べられる。
部室は、一瞬、静寂に包まれた。
巨大ロボットが闊歩する世界で。
悪魔と契約した少年が、敵対組織から送られてきた、同じく悪魔と契約した少女と出会う物語。
それは、昨日の混沌が生んだプロローグとは、似て非なるものだった。
無秩序な足し算ではない。奇跡の掛け算によって生まれた、確固たる骨格を持つ、全く新しい物語の原石。
「……何これ」
静香が、震える声で言った。
「……最高じゃん」
零が、不敵な笑みを浮かべた。
「……動かせる」
みのりが、確信に満ちた声で呟いた。
そして、結城もまた、感じていた。
書ける。いや、書きたい。この、無茶苦茶で、最高に面白そうな物語を。
岩倉結城の戦いは、今、本当の意味で、その幕を開けた。