第十一話
夏コミまで、残り三ヶ月。
企画会議で役割と方向性が決まった翌日、同人創作サークルの部室は、早くも戦場の様相を呈していた。
「よし、じゃあ早速、物語の根幹になるプロットを考えよう!」
春下静香が元気よく言うと、神崎零は腕を組み、月見里みのりは静かに頷いた。その視線は、自然と岩倉結城に集まる。シナリオ担当である彼が、最初の叩き台を提示する番だった。
「えっと……一応、考えてきたんだけど」
結城は、おそるおそるノートを開いた。昨日から一睡もせずに考えた、王道にして鉄板のプロットだ。
「まず、主人公はごく普通の高校生。ある日、彼は不思議な事件に巻き込まれ、異能力に目覚める。その力で、街を脅かす謎の敵と戦うことになるんだけど、その過程で同じ力を持つ仲間や、敵対するライバルと出会って……」
「ストップ」
結城の言葉を遮ったのは、神崎零だった。
「普通すぎる。面白みがない」
「えっ」
「もっとハードな設定が必要だ。例えば、主人公が得る力は、古代の悪魔との契約で得たもので、使うたびに大切な記憶を失っていく、とか」
「何それ、救いがなさすぎない!?」
すかさず噛みついたのは静香だ。
「もっと、こう、キュンとくる展開がなくちゃ! 主人公の隣の席の気弱なヒロインが、実は敵組織の最高幹部で、正体を隠して主人公を監視してるとか! それで、最後は愛か使命かで葛藤するの!」
「……ロボは?」
今まで静かに聞いていたみのりが、ぽつりと呟いた。
「ロボは出ないの? 敵は、巨大なロボットの方が、動かしていて楽しい」
その瞬間、結城は悟った。
——ダメだ、この人たち、話が通じない。
彼女たちは、間違いなく天才だった。イラストレーターとして、漫画家として、アニメーターとして、それぞれの分野で頂点を極められるだけの才能を持っている。
だからこそ、傲慢なのだ。自分の「面白い」が、絶対に正しいと信じて疑わない。物語全体のバランスや、ジャンルとしての統一感など、まるで意に介していなかった。
そこからの会議は、混沌を極めた。
「悪魔との契約って設定なら、ヒロインは天使じゃないとバランスが取れないよ!」
「天使なんて陳腐だ。それより、敵の幹部が実は主人公の生き別れの兄だった、という方がドラマチックだろう」
「……兄より、ロボがいい」
「だから、なんでロボが出てくるのよ!」
「異能でロボを召喚すればいい」
「無茶苦茶だ!」
結城の必死の仲裁も虚しく、天才たちの不協和音は鳴り止まない。
一日が過ぎ、二日が過ぎ、三日目の夜を迎える頃には、部室には空のエナジードリンクの缶が転がり、全員の目の下には深い隈が刻まれていた。
そして、疲労がピークに達した時、静香が叫んだ。
「もう、分かった! 分かったから、全部入れよう!」
「……全部?」
「そう、全部! 零ちゃんの悪魔契約も、みのりちゃんのロボも、私の葛藤するヒロインも、ぜーんぶ詰め込んじゃえば、誰も文句ないでしょ!」
それは、もはや暴論だった。だが、三日間の不毛な議論に疲れ果てた頭では、それが唯一の解決策のように思えてしまった。
「……まあ、それもいいかもしれん」
「……異議、なし」
こうして、悪魔合体にも似た、奇跡のプロットが爆誕した。
一時間後。
三人の意見をまとめたプロローグのあらすじを、結城は死んだ魚のような目で見つめていた。
【プロローグ案】
ごく普通の高校生である主人公。ある日、彼の幼馴染のヒロインが、実は古代から続く天使の一族の末裔であり、主人公を守るために遣わされたのだと告白する。
その直後、街に謎の巨大ロボットが襲来。主人公はヒロインを庇って瀕死の重傷を負うが、死の間際に現れた悪魔と契約し、記憶を代償に異能力を手に入れる。
なんとかロボットを撃退した主人公の前に、敵組織の幹部を名乗る仮面の男が現れる。男は、なぜか主人公と同じ顔をしていた。
「…………」
なんだこれは。
これが、三人の天才の才能を結集させた、奇跡の物語の始まりだというのか。
王道、覇道、外道をすべて煮込んで、灰汁だけを残したような、史上最悪のプロローグが、そこにはあった。
夏コミまで、残り二ヶ月と二十七日。
岩倉結城の戦いは、味方の天才たちを相手にするところから、始まろうとしていた。