[書籍化進行中]天真爛漫な妹が良いと言ったのは皆様です
「まぁ、なんてお可哀想な事。それは大変でしたね。私、きっと貴方達の力になるとお約束しますわ。領民の皆様を守るのは領主であるフェミントン伯爵家の私の仕事です!」
潤んだ目で、その日、急に視察に参加したいと言い出した天使のように可愛い妹のアイビーが大きな声で宣言する。
目を輝かせて喜ぶ領民達と、笑顔をふりまく妹をいつものように静かに見つめながら、ルシェルは小さく溜息をついた。
また、だわ…。
いつもの事だ。
アイビーは私より2つ年下の妹で、キラキラと波打つ艶やかに輝く金髪に、吸い込まれそうな黄緑の大きな目をした美少女だ。
小さい時からアイビーは天真爛漫で明るく天使のように可愛い子供だった。
8才の時に母が亡くなり、当時6才だったアイビーが泣き喚く姿は周りの涙を誘い、そんなアイビーの隣で声一つ漏らさない姉の私は妹と違って可愛げのない令嬢と噂された。
あれから10年の時が経ち、アイビーはますます美しく成長をした。
修道院へ行けば、簡単に援助を約束し、屋敷から勝手に物を持ち出して人助けをした気になる。
人を助けたい、優しくしたいと思う気持ちは素晴らしいものだと私も思う。
今回の視察は、昨年末の冷害で、収穫量の減ったフェミントン領の東の山間部の村に行き、実際の収穫量と昨年までの収穫量の差を確認し、どのように補填するか、領民にどれほどの補償をするかを確認する為のものだった。予め予測して大体の補償等も補佐官であるテイルズと決めていて、念の為の最終確認の視察だったのだ。
領地経営のほとんどを私に任せきりである父に、行きたいと言っているアイビーも連れて行ってあげなさいと言われて仕方なく一緒に来たが、予想通り、今回もやってくれた。
目の前で今年の税は納めなくて良いと声高らかに宣言し、領民達に天使だと崇められているが、そんな事は出来ない。
そもそも毎年どこかしらの村に感染症が広がる事もあれば、今回のような冷害が起きるような、一筋縄ではいかないのが領地経営だ。
起きるたびに税をなくすなんてしていたら経営は成り立たない。税をなくすよりも、少ない収穫を通常より高値で買取り、今後被害が出ないように対策し、生活が出来るように整える事が先決だ。
「ねぇ、お姉様!いいですよね!?」
キラキラと輝く瞳で私を振り返るアイビーはいつもそうだ。助けるわ、私が何とかするわと簡単に言うが、言うだけで何もしないのだ。
そうして、アイビーに言われた夢のような救済を私がそこまでは出来ないと、否定することになる。
そうして、領民や周囲の人達からは天使のように優しい妹と、無慈悲で無表情な姉という構図が出来上がる。
無表情というが私だって感情がある。大好きな母が亡くなり、私だって声を上げて泣きたかった。でも、立派な淑女になってお父様や妹を支えてと言葉を残した母に、泣き喚いて醜態を晒すなど出来なかったし、心のままに泣き喚くアイビーをこれからは私が支えないといけないと、必死で歯を食いしばったのだ。
母を心から愛していた父は、母にそっくりな容姿のアイビーを溺愛し、甘やかすだけで、妻を亡くした失意から仕事は私や執事に任せて部屋に籠る事が多くなった。
子供だった私が、母親の代わりに屋敷を切り盛りし、領地経営まで手伝うことの大変さは、言葉に出来ないほどだった。
支えてくれる執事であるハリスやハリスの息子で私の補佐を務めてくれるテイルズの助けなくしてはやってこれなかったと思う。
専属侍女であるサティも、休む暇もない私にいつも気遣い、寄り添ってくれた。
屋敷の使用人達は、忙しい私の毎日の様子を知っているから、友人達とお茶会を開き、毎日楽しそうに過ごすアイビーが救済の天使と呼ばれている事に首を傾げている。
そんな時に、父から呼ばれて、信じられない事を告げられた。
父の横にはアイビーが居て、こちらを申し訳なさそうに見つめている。
「領民から次期伯爵家を継ぐのはお前ではなく、アイビーが良いという声が多数上がっている。
社交の場でもアイビーは救済の天使として令息達からも人気でな…。お前には悪いが、ハミルトン侯爵家の次男であるマークス様がアイビーとの婚約を希望している。マークス様はいずれ、我が伯爵家に婿入りしてもらう予定で話が進んでいた。」
そういえば、そんな話があると、前に聞いたことがある。私もいい年だ。普通の貴族令嬢なら婚約者がいてもおかしくない。忙しくて考える時間もなかったけれど…。
「…その…マークス様がアイビーを望んだと…?領民達からも私は領主に相応しくないと言われているという事…ですか…。」
気まずそうな表情で、父が私から目を背けた。
「…すまない、ルシェル。」
「ごめんなさい、お姉様。私、マークス様とは何度かお会いしてたの。まさか私との婚姻を望まれてるなんて知らなくて。でも、私、きっとお姉様よりずっとうまく領主として領民に尽くせると思うの。」
「アイビー…。」
尽くす…?どうやって…?助けるわ、と言うだけで、救えるとでも本気で考えているの?
「それに、お前にも縁談が来ている。
ヒューガルド伯爵家の嫡男であるユーリ殿だ。彼からはずっと以前からお前に縁談の申し入れが来ていた。お前が我が伯爵家を継ぐならユーリ殿は相応しい相手ではないと考えていたが、アイビーが家を継ぐなら話は別だ。彼は嫡男で、豊かなヒューガルド伯爵家を継ぐ方だ。お前にはこれ以上ない良い縁談だと思う。」
「ユーリ様が…?ずっと以前からって…いつですか?」
「あぁ、…その…10年前からだ。」
は…10年…??
一度もそんな話を聞いたことがない。
10年も婚約の打診をしてくれていたの?
ユーリ様は母の親友だったヒューガルド伯爵夫人であるリーシェ様のご子息だ。
2人兄弟の兄で、私より3才年上で、幼い時から伯爵を手伝い、海に面しているため海賊の被害が多かったヒューガルド領を斬新な改革でまとめ上げたと聞く。今では海賊だった者達を領の護衛として雇い、領内も海の上でも安全に過ごすことが出来る物流の盛んな場所となった。
10年前はまだ海賊被害で豊かではなかったから、お父様は無視したのね…。
「…わかりました…。」
「ヒューガルド伯爵には婚約の了承の手紙を送るから、お前もそのつもりで準備しなさい。顔合わせに必要なドレス等は好きに買っていい。」
「お父様、私もマーカス様に気に入って頂けるよう、新しいドレス、買っていいでしょ?この前のお茶会で流行ってるって聞いたドレスで欲しいものがあるの!」
可愛い顔で甘えるように父に抱き着くアイビーに、愛おし気に笑顔を見せながら何でも買えばいい、と返す父を横目に部屋を出る。
出たところで心配げな顔のサティと、不機嫌なテイルズが立っている。
「ルシェルお嬢様…。」
フッと私が笑うと、サティは泣きそうに顔を歪めた。
「そんな顔しないで。私の部屋へ行きましょう。」
「信じられません!!これまで誰がこの伯爵家を支えて領民の生活を守ってきたと思っているのですか!!まだ子供だったルシェルお嬢様にすべてを押し付けて、現実から逃避し続けていたのは旦那様じゃないですか!救済の天使?ハッ、笑えますね。耳に心地よい言葉だけで領民を守れるなら誰だって出来ますよ!アイビー様は確かに天真爛漫でお可愛らしいですが、なにぶん無知が過ぎます。16才にもなってあれだけルシェルお嬢様が言っても学ぼうともせず、たまに気が向いてこちらに干渉してきたと思ったら邪魔ばかり。私が守るわ助けるわと声高らかに宣言するなら全て自分でなさればいい!!」
ハァ、ハァと怒りを爆発させているテイルズにフフッと笑顔が漏れる。
「…ありがとう、テイルズ。あなた達がいてくれるから私はやってこれたのよ。それにね、私、領民たちに領主として相応しくないって言われたのはつらかったけど、この家から離れられるのは嬉しいの。だってお父様もアイビーも、私を都合良く使うだけで感謝一つしてくれない。領民だってそうよ。感染を抑えるために衛生面を整え、無料の診療所を建てた時も、開院日に来ただけのアイビーに感謝して私には見向きもしない。いつだって主役はアイビー。…私もあの子の事は妹として愛しているわ。お父様もね。でも、頑張っても私の評判は下がるばかり。傍にいてくれるあなた達だけが私を認めて支えてくれた…。」
寂し気に笑うルシェルの手を、サティがギュッと握った。
「お嬢様!私はお嬢様にどこまでもついていきます!お嬢様は聡明でお優しくそれにとてもお綺麗です。10年前から縁談を申し込まれていたヒューガルド伯爵令息様はきっと、お嬢様の本当のお姿を知っていらっしゃるのかもしれません。きっとお嬢様は幸せになれます!!」
力強く握られた手の温かさにフワッと心が温かくなる。
「ありがとう、サティ。あなたが一緒に来てくれると嬉しいわ。それにね…ユーリ様は…私の初恋なの。だから私を望んでくれたのだと思うと嬉しい。」
少し頬を染めて笑うルシェルを見つめながら、テイルズとサティはうっとりと見惚れた。
サラサラの銀糸のような髪も、長いまつ毛に彩られた涼やかで深い海のような青い瞳も、シミ一つない白い肌も月の女神の様でとても美しい。いったいどうして皆はこの方よりアイビー様をチヤホヤするのだろう。旦那様もだ。アイビー様の金色の髪に黄緑の瞳という外見の色味は確かに亡き奥様に似ているけれど、聡明で落ち着いた穏やかな性格はルシェル様が受け継いでいるのに。
「お父様は早く引退したいみたいだし、マークス様はすぐにでもアイビーと結婚したいそうよ。だからあの二人の婚約が調ったら私は引継ぎをすませてここを出るわ。テイルズ、後の事、任せてもいいかしら?」
「…ルシェル様が望まれるのでしたら…。でも、私も全ての引継ぎがすんだらお嬢様の元へ参りますのでぜひとも雇っていただきたいです。」
「まぁ…!フフ…ありがとう。あなたがいてくれたら私は最強ね。」
それから数週間。
私は予定より早く家を出ることとなった。
婚約の了承の手紙を送った数日後にはユーリ様が会いに来られたのだ。
「ルシェル嬢、この度は私との縁談を了承していただき、感謝致します。私、ユーリ・ヒューガルドはこの先一生貴方を守り、生涯大切にすることを誓います。」
膝をついて王子様の様に誓いをたてるユーリ様にときめいたのは私だけではなかったはず。
母の葬儀の日、涙を堪える私の元へきて、この方は言ってくれたのだ。
「今のあなたの姿をみて、きっと誇りに思っておられるはずだ。」と。
藍色がかった黒髪に、セルリアンブルーの瞳、整っているせいか、少し冷たげな印象だが、出てくる言葉はとても温かかった。
ユーリ様は二人の時間に乱入してくるアイビーの事も目に入らない様子で、私の事を愛おし気に見つめて私の意を汲んでくれる。一日も早く結婚したいと、部屋は用意しているからいつでも来て欲しいと熱心に口説かれ、私はあっさり陥落してしまった。
結局流されるままに、婚約と同時に、居を移し、伯爵夫人について学びながら結婚の準備を進めることとなった。
家を出るその日、迎えに来てくれたユーリ様と私の前に、父は何とも言えない顔で立っていた。
アイビーはマークス様から贈られたというフワフワのドレスを身にまとい馬車に乗り込む私に抱きついてきた。
「お姉様、お元気で。あとの事は私に任せてください!マークス様と二人で頑張りますわ!」
いつだってこの子は変わらない。天真爛漫、可愛い妹のまま。
「…ええ、頼んだわね。お父様、お体お大事に…。」
そういうと、私はユーリ様に支えられて共に馬車に乗り込んだ。ハリスやテイルズ、屋敷の使用人たちがみんな涙を浮かべて見送ってくれる。
「ルシェルお嬢様、お元気で。お幸せに!!」
使用人たちからはルシェルの好きな焼き菓子や花の苗、手紙やプレゼントをもらった。
あぁ、私はちゃんと愛されていたわ。
「ルシェル嬢、君がいかに努力してきたのか使用人たちの様子でわかる。でも、これからは私が君を守るよ。何でも頼って欲しい。どんな些細なことも私に言ってくれたらちゃんと考える。私はね、初めて会った時から君に夢中なんだ。妹の手を握りながら強くあろうと涙を堪えて頑張る君に、一目で惹かれた。それから君に恥ずかしくない自分でありたいと必死で学んだ。君の噂を聞くたびに、頑張っているんだなと嬉しくなった。今の僕があるのは君のおかげなんだ。」
「ユーリ様…。でも、私の噂は悪いものばかりでしょう…?」
「馬鹿な連中が言うことなど真に受けてないよ。伯爵が妻君亡き後、領地の事等ほとんど関わっていないことは会話でわかったし、救済の天使と噂される妹君はいつも社交の場にいた。ではあれほど国中に拡がった感染症を最小限で押さえて各地に診療所を立てたのは誰だという話になるだろう。フェミントン領はこの10年素晴らしく安定している。住みよい領地として人気だ。君の努力は素晴らしい。僕は一人の女性として君に恋をしたが、人として尊敬もしている。とにかく、すべてにおいて可愛い君に夢中なんだ…。」
向かいに座っている私の横で、サティがキャーーと嬉しげな歓声をあげる。もちろん私も真っ赤になっている自信がある。これほど私をわかってくれる人がいることがどれほど嬉しいことか。
それから私はヒューガルド伯爵家に入り、義母であるリーシェ様に可愛がられ、尊敬できる素敵な旦那様に愛され、幸せな毎日を送っている。もちろん、補佐をしてくれていたテイルズは今はユーリ様の補佐官として無事に採用されバリバリと楽しそうに働いている。私も旦那様の力になれるよう、共に視察に行ったり、相談されて一緒に考えたりと、今までの知識も役立てながら邁進している。
私が家を出てから1年。
「いい加減にしてくれ!君は何を考えているんだ!」
「だって、みんなが大変だって言うから…。」
「だからって、減税したり無くしたり、我が伯爵家はどうなると思っているんだ!!国にも税を納めないといけないんだぞ!!」
マークスは美しく可愛い妻を貰って幸せだった数か月前の自分がいかに何も見えていなかったかを実感している。
救済の天使??
どこがだ!!
なんの知識もない、責任感もない、ただ、耳に心地よい言葉を声高らかに言うだけで、一向に何もしないのだ。このフェミントン伯爵家に来た当初は統制がとれていた屋敷も、しばらくすると荒れ始めた。
引継ぎとしてついていたテイルズという者はとても有能で、聞けば何でも答えてくれたが、アイビーに対しては驚くほどそっけなかった。渡された引継ぎ資料は事細かに美しい字でまとめられ、それを作ったのは姉のルシェル嬢だという。
対して、アイビーは全く何も知らない上にこうしたらいいわ、と言い出す事は全て夢のような現実感のない話で、実際、アイビーが行った事など皆無だった。
家政についても然りだ。
統率のとれた屋敷内は、姉であるルシェル嬢がいなくなってからは荒れていく一方で、とうのアイビーは茶会だ何だと出かけてばかりで一向に家の中の仕事をしない。
最初、この縁談は姉であるルシェル嬢が相手だった。
あまり社交の場に現れないため、友人に聞くと、救済の天使と呼ばれる妹とは正反対の、無表情で無慈悲な令嬢と言われているという。そんな女より何度か挨拶を交わしたことのある可愛いと令息に人気のアイビーが相手だったらいいと考えた。
それがどうだ。蓋を開けてみれば、家政も、領地運営も社交の時間もないほど忙しく取り仕切っていたのはルシェル嬢で、さらに妹と正反対と聞いていた容姿は…先日の夜会でヒューガルド伯爵令息にエスコートされて入場した彼女は…とても美しかった…。
可愛いより綺麗な女性がタイプだったマークスは、幼なげなアイビーよりずっと、洗練され、落ち着きのある淑やかな美しさのルシェル嬢の方が断然惹かれた。
有能で、自領で立ち上げた商会が大きくなり、外国との繋がりも得た事により、王城で外交の補佐に抜擢されたユーリ殿の不在を見事に預かり、さらに発展させているという。
全く、同じ姉妹でどうしてこうも違うんだ。最近は領民に好き勝手に補償や減税を約束するアイビーのせいで、領民の真面目に働くという意識が下がり、治安も悪くなっている。
あれほど豊かで住みやすいと評判だったフェミントン領は、アイビーのお花畑な頭のせいで収入も治安も悪くなる一方だ。昔から住む領民はしっかりと領民の未来を考えて働いていたのが誰だったのか、身をもって思い知らされ、後悔していると聞く。
マークスは目の前に積み重なる問題だらけの書類にチッと舌打ちをすると、ハリスを呼んだ。
「お呼びでしょうか?旦那様。」
「…ああ。すまないがアイビーの外出も散財もしばらくとめてくれ。私の指示だと言って。
家庭教師も何人か見繕ってくれ。出来るだけ厳しい者を。あの、脳みそのわいたバカな女を再教育する必要がある。ハリス、お前は知っていたのか?こうなることを。」
ギロリとマークスに睨みつけられるが、ハリスは変わらない表情で淡々と答える。
「はい。当然でございます。奥様が亡くなってから寝る間を惜しんで家政も領主としての仕事も、必死で支えてきたのはルシェルお嬢様です。お優しいお嬢様は世間で酷い噂を立てられても、旦那様やアイビーお嬢様の事を責めませんでした。亡き奥様に最後に頼まれたからとおっしゃって…。だから私は今回の話を事前に聞かされた時、旦那様を諫めたりしませんでした。これ以上、ルシェルお嬢様を蔑ろにするご家族から解放して差し上げたかったからです。マークス様、私のようなフェミントン伯爵家の為にならない執事など必要なければ解雇なさってください。」
ペコリと頭を下げる白髪の執事は、先代からずっとこのフェミントン伯爵家に仕えているという。
マークスはため息をつくと首を振った。
「いや。お前のような者がいないとダメだ。私の妻となったあの女や、フェミントン伯爵への愛情はない。ただの政略だ。だが、私自身の為にこの家を守らなければならないのだから、これからは必要な知識を詰め込ませ、自分の仕事はしてもらうように動く。お前にも協力を頼みたい。」
「…もちろんでございます。」
そこで初めてハリスは笑顔を見せた。
馬車が到着する音がする。
ルシェルはサティを伴って1階のエントランスへ降りると、扉の前で待機しているヒューガルド伯爵家の執事に笑顔で頷く。
テイルズと共に帰ってきたユーリ様を見て、駆け寄りたい衝動を抑える。
上着を脱いだユーリ様が顔を上げてルシェルを見つけると、途端にパッと破顔して駆け寄ってくる。
「ただいま、ルシェル。」
「おかえりなさいませ、ユーリ様。」
優しく抱き寄せられ、額にチュッと口づけをされると、ほとんど毎日繰り返しているというのに、ルシェルは真っ赤になってしまう。
そんなルシェルを見つめ、愛おし気に目を細めるユーリ様に、ルシェルの後ろから呆れた様なリーシェ様の声が聞こえる。
「相変わらず、私の事は見えてないようね。」
抱き寄せた腕はそのままに、笑ってユーリ様がお母様に挨拶をする。
ヒューガルド伯爵となったユーリ様の、婚約者となったルシェルを気遣って結婚式まで領地に残って下さっているリーシェ様は、引退して別宅へ先に行かれた大旦那様と、今でも仲睦まじいご夫婦だ。
あと3か月後には私はユーリ様の妻になる。実家にいた時はこんな幸せな未来なんて予想できなかった。
辛いこともあったけど、こうして今までの自分も幸せだったのだと思えるのは、きっと甘えさせてくれるユーリ様のおかげだ。
温かい腕の中でルシェルは幸せを噛みしめるのだった。