DAY2 海神の巫女
「元来私の家は大クトゥルフを崇めるカルトの一員でね。ルルイエの浮上を――大クトゥルフの復活を目論んでいたのさ。しかも何をトチ狂ったのかこの日本なんていう小さな島国での復活を、だ。馬鹿げているだろう? オリンピックでもあるまいに、ルルイエを日本に誘致しようと企んだのさ」
「そこで、私の両親は毎夜、ルルイエの座標をズラそうと悍ましい儀式を繰り返し、遂には隠岐諸島にまでルルイエを呼び寄せたんだ。そして、仕上げに巫女を立ててルルイエ浮上の儀式を執り行うところまで話が進んだ。それで、その巫女というのが――この私、渡乃原舟という訳だ」
途方もない話だと思った。これが出来の悪い創作話だったらどれだけ良いだろうとも。けれどそれが真実なのであろうことは理屈を抜きにして理解出来てしまう。
「さて、最初の質問に立ち返ろうか。何故君が私を殺す夢を見るのか。それは――私は君にこの儀式をご破産にしてくれる事を期待しているからだ」
「どういう、事ですか」
「単純な話だ。巫女だなんだと囃される私だが、結局は浮上の為の供物になる。であれば、供物を供物足り得なくしてしまえば儀式は失敗。ルルイエは浮上する事なく、積年の妄執は荼毘に付す訳だ」
「失敗って、それじゃあまるで……」
「そう、私が死ぬ」
なんてことないみたいに、普通な顔でそんなことを宣う彼女に思わず言葉を失う。
「何で、そんな平気そうな顔でそんな事を言えるんですか。自分の命でしょう……?」
「カルト一家に生まれたものの肝の太さは遺伝しなかったようでね。それにどの道私は死ぬ。ならまだマシな方を選びたいというのは当然の心の動きだろう」
どうせ死ぬ。その言葉には……余りにもなんの感情も乗っていなかった。諦めも、悲痛も、絶望も、何も。
ただ事実を機械的に述べているような、そんな薄寒さだけがあった。
「それに、言っただろう。悍ましい儀式を繰り返したと。幾多の人間の生肝を喰らって怪異に成り果てた私が、生きていて良い筈がない」
「生き、肝?」
「ああそうだ。ワタノハラという苗字。これを分解すれば腹のワタになるだろう? つまりはそういう事だ。人様の腑を喰らって喰らって喰らい尽くして、それすら誇りと捉える精神性は我ながらドン引きの一言しかない。……全く、私の一族はロクデナシばかりさ」
また、言葉を失う。
彼女が声を発する度に、形容し難い……常人が触れてはいけないモノに触れてしまったかのようなそんな感覚に襲われ正気と狂気の境界が、確かさと不確かさが曖昧になる。
「ネタバラシはこんなところだ。さて、そろそろ君の目覚めも近い。ここは一つ景気良く私の首をへし折って――」
「冗談じゃないっ!!」
気付けば、僕は叫んでいた。
「何で殺さないといけない!? 何でそんな簡単に生きるのを諦めれる!? 僕は、僕は、貴女を殺したくなんて――!!」
「そういうのは不要だ」
その声は余りにも冷たくて。
「勘違いしないで欲しいが、これは人類が唯一勝てる勝ち筋だ。それを感情論でふいにしたとあれば残された人類はどうなる。それこそ終末論者のカルトしか喜ばないだろう」
「っ」
「思い上がるなよ。矮小な人の仔。君の前にいるのは眠りについている大邪神の巫女。人の身でありながら人を忘れ、喪い、魔性に堕ちたモノ。人間の尺度で推し量ろうなど、無礼だと、そうは思わないかな?」
「君はただ享受すれば良いんだ。人知れず人類を救う栄誉を。喝采も報酬もないが、君は自らの手で人類の平穏を手に入れる。これほど旨みのあるリターンなどないだろう」
「とは言え急な話なのも理解しよう。勝手な話だとも。だから少し、考える時間を与えよう。それまでに決意を固めておく事だ。それでは不本意な別れ方にはなるが――さようならだ」