DAY2 クトゥルフ
ーー調査対象、渡乃原舟。
艶やかな黒髪と美貌を持つ少女、推定十七、八歳。
夢の中で彼女と接触しただけでは明らかな悪影響は認められないが、彼女の期限を損ねると至る所から海水を流し込まれ、現実でも呼吸困難、海水の吐瀉を引き起こす。最悪の場合、室内で溺死の可能性あり。
彼女の名前の由来や、引き起こされる現状の特性から海ーー隠岐方面?ーーに関係がありそうだが、現状実地調査は困難。
また、こちらから彼女に触れた場合、場面が強制的に教室から洞窟に移動。何故か僕は彼女を殺害する。
彼女はこれを「予行演習」としたことから、何らかの手段を用いれば彼女の殺害は恐らく可能。
今までは彼女の殺害をきっかけに夢から覚めたため、彼女を予行演習ではなく、本当の意味で殺害する事が出来ればこの怪異は終息するものと考えられる。
「ふぅ……」
ターン! とエンターキーを押すと目頭を揉む。
パソコンのメモにに現状判明している事柄を思い付くまま書き散らしてみたが、まぁ情報の少ないこと。
そも、彼女は本当に怪異なのか。確かに彼女は僕を害する行動を取ったが、あれは積極的な加害だった、と断言するには何か引っかかりが残る。寧ろ僕達が見えない虎の尾を踏んでしまったから、仕方なく、なんて線を追いたくなっている自分がいる。
「……」
くだらない感情論だと、そう一生にふせたらどれだけ良かっただろうか。
おかげで全く指針が定まらない。彼女をこちらから殺しに行くのが正しいのか、これまで通り静観を決め込めばやり過ごせるのか。どのアプローチが正解なのか僕には分からない。
けれど思考の間にも夜は深まる。何か、何かないかと記憶を浚いーー
「……『夢見るままに待ちいたり』」
その言葉を思い出す。
それは以前、彼女の言っていた言葉だ。夢見るままで待っています。……一体何を? いや、誰を?
いや、そもそもーー僕は、この言葉を良く知っている。知っているからこそ、今まで何の疑問も抱かなかった。だって、どうせ僕の夢なのだからと。
しかし怪異だというなら話は別だ。
自室の本棚の最下段。クトゥルフ神話に関連する書籍が並ぶ中の一冊。TRPGのサプリを取り出すと朧げな記憶を頼りにページを捲る。
「……やっぱり」
あった。
ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん……死せるクトゥルフ、ルルイエの館にて夢見るままに待ちいたり。
僕は彼女が目覚めるまで、あれがちょっと変わった連続性のある夢だと思っていた。
その理由ーー現実ではあり得ない、クトゥルフのエッセンスが存在したから。
TRPGリプレイで有名になったあのクトゥルフ神話だが、それはあくまでサブカルチャーの領域。大衆にクトゥルフとは何かを問うてもその根源たるラヴクラフト御大の名が出ることはごく稀だろう。ましてや、作中台詞の訳なぞ出てくる筈もない。
だからこそ、これは僕が見ている夢だと確信していた。
だが、だが。
もしも違ったとしたら……? 彼女がもしもクトゥルフないしそれに連なる存在だったとしたらーー
「十中八九、僕は死ぬ」
手先が凍える。なのに身体だけはやけに熱くて汗ばんでくる。
無理だ。クトゥルフ案件なんて、そんなもの、怪異なんかよりよっぽどタチが悪い。
だって、相手は祓って終わりの悪霊とか、天運があれば生き残る目のある怪異ではなく、神話の存在なのだから。
クトゥルフ神話。それはHPラヴクラフトが創造した創作を神話として体系化したもの。
宇宙より来たる脅威や冒涜的な古き怪異を描いたその物語群はコズミック・ホラーというジャンルを築き上げ、多くの人々を虜にした。
故にオカルト雑誌でも時たま内容が取り上げられたりしたものなのだが。その中にはクトゥルフの実在を証明するようなオーパーツだったり、クトゥルフ神話に登場する生物の写真だったりが載ることもあった。
僕はそれを一オカルト好きとして喜ばしく思いながら見ていたのだが、もしもそれが本当だったとしたら。
……いやもう迂遠な言い回しはやめよう。過程もこの際省略しよう。齎される結果こそが大事なことだ。
もし僕の予想通りならなんやかんやあってーー地球は、滅ぶ。