DAY2 怪異
「いやはや、想像以上に鋭いね、彼。私のちょっとした介入に気付くなんて」
気付くと、そこは夢の中の教室……のような、場所に見えた。
見えた、というのは余りにも雰囲気が様変わりし過ぎていて同じ場所だと断定出来なかったからだ。
美しい落陽は既になく、あるのは深海のような深く、どこまでも深い静謐と青。僕の影はクラゲのように揺蕩い、机や椅子の影はまるで魚群だ。
教室にして、深海。深海にして地上。余りにも乖離した視覚情報に正気と思考のヒューズが飛びかける。
この変貌は一体何なのか、貴女は何者なのか、そんな疑問が口から一挙に出ようとしてーー目詰まりを起こす。否、無理やり堰き止められる。
「が、ガボッ」
口から泡を吐く。まるで水中にいるみたいに。
泡は上へ上へと立ち上り、弾けて、消える。
遅れて、思う。苦しい。息ができない。ここは地上の筈なのに。
「ごめん。君に発言の自由は与えられなくなっちゃった。君は私の想定よりも早く真相に近付いてしまったからね」
もがく。もがく。喉が、息が。
視界が歪む、魚群のようだった影が、魚の化け物のように見えて。
ソイツは、僕の口から、鼻から、穴という穴から僕の中に入り込んで。
♪ ♪ ♪
「……と!! おい、しっかりしろ海斗!!」
「っくはぁ!!」
目を覚ます。息が出来る息が出来る息ができーー
「オエッ……」
「クソ、まだ鼻の奥に海水が残ってやがったか。ほら、吐け。吐いてラクになれ」
手渡された紙袋の中に酸っぱい液体を思いっきりブチ撒ける。吐き出された液体からは喉奥を刺激するような酸っぱい臭いとーー僅かに、潮の香りがした。
「海水……? どうして」
「わかんねェ。お前がいきなり口から海水垂れ流し始めてそんまま白目むいてぶっ倒れた。ってのが俺が見たところだ」
「……なるほど」
どくどくと脈打つ鼓動を宥めるように深く息を吸う。鼻の奥が磯臭くて微かに眉を顰める。
「なぁ、これもしかして怪異の案件なんじゃねぇのか。先先代が経験したっていう」
「……かも、しれない」
なるべく考えないようにしていた可能性に対して、観念したように僕は言った。
怪異、それは実害ある非日常存在。オカ研の研究対象……に近しく、けれどその埒外にあるモノ。
オカルト的には研究のしがいのあるテーマにも関わらず研究対象から外れた理由は至極単純。余りにも危険過ぎるから。
例えば猿夢。ネット上では割とメジャーなこの怪異は、夢の中で電車に乗ってしまった人が順番に殺される、と言う物だ。それもえらく残虐な方法で。
都合よく逃れる方法は天運以外にはなく、お祓いも意味を成さない絶死の災害。それこそが、怪異。
その研究に熱を上げた先先代が悲惨な末路を辿ったこともあり、怪異はオカルト研究部にとっての不可侵にして不可触の領域となった。
……『かねてより血を恐れよ』。運良く怪異に触れずに終わったら別の先先代が学校を去る間際に残した警句はとあるゲームのパロディだったらしいが、この警句により救われた者も少なくないとか。
脱線した。
兎に角、怪異は基本的に触れてはならない領域のものなのだ。
「……康太は、この件から手を引いた方が良い。僕はこれから怪異調査に舵を切る」
「……分かった。行き詰まったら、そんときゃ、相談に乗る」
無茶だと、そう言わない幼馴染の優しさに感謝する。
もう既に僕は怪異に――ワタノハラフネに囚われてしまっているのだ。手を引いて助かる見込みもない。そもそもこれからどうなるかすら不明の最新の怪異。動かないままでいるのは楽観が過ぎる。
「ありがとう」
こうして、僕はこの夢を怪異であると断定して調査を開始した。