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DAY1 ワタノハラフネ

 夢の中、彼女は初めて口を開いた。


「やぁ、おはよう。そして初めまして」


 それを聞いて、僕はプログラミングの授業で最初に習った「Hello, world.」を画面に表示するだけの短いプログラムみたいだ、なんて場違いに思う。

 今日も今日とて、僕は彼女と会合を果たした――のだが、これまでと決定的に異なる点が一つ。

 彼女は、起きていた。

 これまで長いまつ毛に遮られ見えなかった髪と同色の純黒の瞳が僕を映している。

 彼女が微睡む姿のみを見て、僕は彼女を美しいと評したが、起きている彼女は寝ているときとは比にならない程ーー美しい。

 ルッキズムの権化、とでも言おうか。暴力的なまでに、顔が良い。これと比べればアイドルやモデルのなんと不細工な事か。モナリザの作者が彼女を見つけたら彼女を模した絵がモナリザとして額縁に飾られていた事だろう。それほどまでに、超越している。


「お、おはようございます……?」


 だからという訳でもないが、僕の発した第一声は何というか、極めて陰キャ臭い。いや、事実陰キャには違いないのだけれども。


「ふふふ、そう硬くならないで。私と君の仲じゃないか」


「……そこまで関係性を深めましたっけ?」


「関係性は深めていないけど、代わりに毎日のようにキミのを私に、深く埋めたじゃないか」


「何をーー」


「ナニって、分かるだろう? 君の指を、私の首にグイッと」


 刹那、冷や水を頭から被ったような、そんな心地がした。彼女は「言わせないでくれよ恥ずかしい」なんて言うが、こっちにそれを気に留めておけるほど余裕なんてない。

 だって彼女の言葉で理解してしまったのだから。毎夜繰り返されるこの夢は、単なる夢ではないということを。


「どうしてそんなに怯えるんだい? 私は首を折られただけで容易く絶命するようなか弱い存在だというのに。それは君が一番よく分かっている筈だ」


 ガチガチという音がする。歯の根が噛み合っていない。喉がカラカラに乾く。

 酷い目眩に襲われて、頭を抱えて踞ろうとした。その時。


「……申し訳ない。少し茶目っ気を出し過ぎてしまったね。人と関わることが殆どないから加減が分からなかった。そんなに怖がらないでおくれ」


 僕の手に、彼女の両手が添えられる。

 暖かかった。いや、僕が冷た過ぎただけなのかもしれない。けれど、感じたその温度は、無意識の強張りを確かに緩めさせてくれるものだった。


「落ち着いたかい?」


「……なんとか」


「それは良かった」


 彼女は微笑みながら僕から離れる。触れた手の温もりに少しの惜しさを感じてしまう女々しさが我ながら情けない。


「さて、何を話そうかーーああ、自己紹介がまだだったか。私は渡乃原わたのはらふね。よろしく」


「僕は綿谷海斗です。よろしくお願いします」


「知ってはいたけど、少し面白いね。ほら、渡乃原と綿谷。ワタワタコンビだ」


「そうですね……?」


 何かが彼女の琴線に触れたのか小さく、それでいてどこか品を感じさせる所作で彼女は笑む。


「にしてもこう、名前について何かないのかい? 感想とか。フジヤマテレビの午後六時半くらいに始まる国民的な、そうであるが故に日曜日の終わりを告げる憎き使者と化したアニメのキャラクターの名前そっくりだとか」


「長いです。長い。あと範囲が限定的過ぎる」


 素直にホタテさんって言えば良かろうに。


「……で、感想ですか。そうですね、僕はどちらかと言えば、小野篁っぽさあるかなって、ところでしょうか」


「ほう?」


 彼女改め、舟先輩は形の良い眉をピクリと反応させる。


「わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣船。……渡乃原とわたの原。釣船と舟。類似点はあるかと」


 そこまで一息に言うと彼女は……分かりやすく、ドン引きしていた。感想を求めておりながら、なんたる理不尽。


「いや、初見で名前の由来を言い当てられればそうもなるだろう? ……というか、君が何故ピンポイントで小野篁を知っているのか甚だ不思議なんだが」


「別に不思議もないでしょう。百人一首に出てますし。それに小野篁はあの世とこの世を行き来していた、みたいな伝承があったりでオカ研の先輩が研究してたんですよ」


「凄い研究をするものだね。君達は」


 まぁ、元を辿れば地獄を舞台に獄卒の日常を描くギャグ漫画の中で小野篁についてのエピソードがあったからその先輩が研究し始めただけで、バリバリに地獄について調査した結果行き着いた訳じゃないっていうのがオカ研クオリティーなのだけども。

 それはさておき。

 名前の由来がこの歌なのは、なんとなく妙というか腑に落ちないというか。

 何故ならこの歌ーー流刑に処される時に小野篁が詠んだ歌なのだ。旅立ちを意味するには余りにも不穏。

 百人一首の知識があるなら別の歌を選んでも良かったろうに。

 例えばーー


「わたの原漕ぎ出でて見ればひさかたの雲居にまがふ沖つ白波」


「……ナチュラルに思考を読まないで下さい」


「君の表情が分かりやすすぎるのが悪い。……沖つ白波。良い歌だ。ぶっちゃけると私の名前もこっちが良かった。渡乃原白波。……どうだろう」


「そっちのが僕も好きです。ただ、相変わらずホタテさんみが抜けきらないですけど」


「一言余計だ」


 そう言うと先輩は立ち上がり、「少し、外を見てみたくないか?」と問うた。

 僕はただこくこくと頷きを返して微笑を浮かべる彼女の後ろを着いて歩いた。



♪ ♪ ♪


 歩いて暫く、辿り着いたのは……僕の通う学校の教室だった。


「どうして洞窟から教室に……」


「なに、驚くことはない。ここは夢、どこでもあり、どこでもない場所。ならば洞窟から君の教室へだって移動出来るさ」


 何て言いながら彼女は白いチョークで黒板に落書きを始める。……デフォルメされたタコの絵だ。やはりというか、海にまつわるものがお好みのようだ。


「……良い教室だ。学徒達の青春の息吹を感じる。私はただ見ているばかりだったから、これは少々羨ましい」


「学校、行ってないんですか? ウチの学校の制服着てるのに」


「当然。寧ろ洞窟の中でずっと眠っているようなモノが普通に学校に行けるとでも?」


「そんな胸を張って言われても……」


 ふと、日差しが眩しくて目を細める。逆行が彼女の表情を覆い隠してしまう。

 けれど。


「……見てくれ。君の教室から見る夕陽は、こんなにも美しい」


 その声色からは、微かに哀しみが滲んでいるような。そんな気がした。


「……そうですね。僕も夕陽は割と好きです。部活してるとあんまり崇めませんけど」


「おや、それは勿体無い。見よう。しっかり目に焼き付けよう。忘れられないくらい鮮明に。網膜が焦げ付いてしまうくらい、しっかり」


「失明したら駄目でしょう」


 視線を窓の外へと移す。……落日の赤だ。線香花火の、落ちる寸前に放つ一瞬の煌めきのような、鮮烈な赤色。

 夜の先ぶれ。夜の訪れを告げる、先駆け。


「もうすぐ、夜か。となると今宵の会合もこれにてお終いだね」


「え?」


 しまった。全然話せてない。

 いや、女性を前に詰問するのは気が引けるがとは言え情報が。情報がまだ足りてない。


「惜しいかな?」


「はい」


「そうかい。じゃあ特別サービス。一つだけ、何でも質問に答えようじゃないか」


 僕はそれに対して、ほぼノータイムで。


「何で、貴女は……僕に殺されるんですか?」


「難しい質問だ。詳細に答えるには時間が足りない。故に詳細は控えさせて貰おうか。申し訳ない。だが、強いて言えばーー」


「ちょーー」


 消える。消える。消えてゆく。消えてしまう。

 穏やかな空気が漂う、美しい夕暮れの教室が。

 虚に、移ろう。あの、忌々しい洞窟に。

 そして気付けば僕の手は、彼女の細くて白い首を鷲掴みにしていて。


 ーーこれは、予行演習だから。とでも言おうか。


 僕はまた、先輩を殺した。

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