いきなり死後の世界、だけど行ったらとんでもなかった。
人が死んだら行く「あの世」。実は「天国」や「地獄」だけじゃなかった。仏教には、人が死んで転生するのは「異世界」ではなく「六道」という6つの世界。それを順繰り巡っていくという。ただ、ここの六道はそういうものとも少し違う。あの世をめぐる、どうしようもなく最低な世界を描くブラックコメディ。
LEVEL.0 三途の川
「はい。目を開けてぇー」
そんな声がして、気が付くと暗闇の中にいた。
目を開けるも何も、開けても閉じても真っ暗なのだから、自分が今開けているのかとじているのかすらわからない。
すると今度は、目を閉じてもわかるくらいの強烈な光が差し込み、クラクラして、ようやく目が慣れると、そこは、暗い夜の川岸に立っていた。
さらに、見回すと他に5人の男女が立っていた。
年齢はまちまちだが、だいたい30代から50代といったところだ。
当然だが、誰もが今まで会ったこともない初対面の人たちだ。
いや、そんな感じがする。
ここにいる自分含めて6人全員が今互いを見回して、そう思っているのだろう。
そして全員が同じことを考えて、少し困惑している。
それは何かというと、自分が誰か分からないのだ。
年齢も、出身地も、両親の名前や顔も思い出せない。当然、名前も職業もだ。
(記憶喪失? )
そう思ったが、本当に他のしょうもないことは覚えている。
例えば、好きなタレントとか、推しのアイドル、好きだったアニメのタイトル、内容やキャラクター、好きだったプロ野球の球団、選手。映画とか、食べ物とか、当然時事問題も最近の流行りの物も、しっかり覚えている。
でも、自分のことに関することだけが、すっぽり抜け落ちている様に思い出せない。
何とも妙な感じだ。この状況でも、特に焦ったり、狼狽えたりせず、何となく落ち着いていられた。
そこへ、また、さっきのあの声が聞こえて来た。
「皆さんは、たった今しがた亡くなりました。これから、あなた方には、その川を渡ってもらいます」
(亡くなった? 今しがた? 死んだのか? そうか、死んだんだ)
これも、特に、落ち着いて受け入れることができた。
特に自覚しているわけでも無いし、自分が何で死んだかも全くわからない。
でも、死んだと言われて、特に疑問も湧かないし、違和感もない。
極めて不思議な感覚だった。
そこへ、女の一人が、なんかテンション高めに、元気よく手を上げた。
「はい、どうぞ」
それを、あの声の主が答えた。
「これって、もしかして三途の川? 」
「はい。正解! 」
「やったぁっ! 」
(いや、ここに来て何クイズしてんだよ。別に点数くれるわけじゃないだろ)
そう思ったが、当然、女にそんな思いは通じていない。
女は続けて質問した。
「あ、じゃ、ここ賽の河原? 」
「はい、不正解! それは向う岸」
女は残念がって、悔しがっている。まったく、死にましたと言われた直後で、よくそのテンションでいられるものだな、と関心を通り越して呆れているが、そういう自分も、妙に落ち着いて、ちょいちょい二人のやり取りにツッコみを入れてたりするし、あの声が答えた内容にも、
(ああ、そうなんだ。賽の河原は向こう岸なんだ)
と思ったりしている。
賽の河原って言ったら、なんだったっけ? 確か、子供が石を積んでるんだっけ、てか、なんで、子供が石を積んでるんだっけ?
とか思ってたりもしていた。
すると、あの声の主は、説明を始めた。
「話し進めますね。渡し船がありますんで、渡船所の券売機で切符買ってください」
「あ、それ六文銭? 」
また、あの女が言った。
(あいつさっきから、うるさいなぁ。なんだよ、全部あたし知ってますアピール。じゃあ、あんた六文銭持ってんのかよ? 持ってたら出してみろ。説明の邪魔だ)
そう思っていると、今度は、少々、おどおどした男が手を上げた。
「すみません。僕、お金持ってないですけど」
おお、そうだ。船の券売機って言ったが、確かにお金を持っていない。
いや、ちょっと待て、なぜ、今、お金を持っていないとわかる?
そりゃ、死んだんだから持ってないだろ。いやいや、なんでそう言い切れる?
服は着ている。しかも全員、あの有名な死に装束でもなく、普通に普段着だ。
やたらとさっきからうるさい女は、キャラとは違って質素で落ち着いた装いだ。
かと言って、決して安物ではない。
おどおどした男は、上下の紺のスーツにノータイの白いワイシャツ。着慣れていることからもリクルートってわけじゃないし、スーツもぱりっとしている。黒縁の眼鏡も、特にダサいわけでもおしゃれってわけでも無く、嫌味じゃなく悪い印象はない。
それより、その隣にいる女は、二人と全く逆だ。化粧も濃いし、香水も臭い。服もブランド物で揃えていて、ジャラジャラ装飾が鬱陶しいくらい体に巻きついてる感じだ。
その横の男は、これまた、IT系に居そうな感じだ。ラフな服装だが、どれもなんとなくいい生地っぽい感じで六本木ヒルズに住んでそうな雰囲気だ。
そして、一番端に立つ女は、一番、歳を食ってそうな感じで、原色のスーツを着ている。
こんな服装するのは、社会的地位がそこそこあって、それなりに自己顕示欲の強い女なのだろう。あのうるさい女でもなく、かと言って、ジャラジャラ女でもない。嫌味じゃない程度に、それなりに装飾品も付けている。ただ、この女は、他の連中と違って、何か不満があるのか、眉間にしわを寄せて、ずっと仏頂面で、明後日の方向をずっと見ている。
「そうですよねぇ~。それね、今から説明しますからね」
「あ、すみません。邪魔しちゃって、構わず続けて下さい。どうぞ」
考えていたら、オドオドのスーツ男の質問に対して、今から説明してくれるらしい。
「えっと、その券売機の横に、ATMがありますから・・・」
(はぁっ? ATMだとぉっ? )
「ちょー待て待て待てーっ! なんで、あの世にATMあんねんっ? 」
気が付くと声が出ていた。いや、むしろ驚いたのは、自分自身だ。
(あ、俺、関西弁しゃべってる。俺、関西出身だったんだ、いや、やったんやぁ)
自分の事が分からなくなると、こういうことにも自然に驚けるものだ、とも思ったが、そんなことは、今はどうでもいい。
何より、なんで、あの世にATMなんてものがあるっ!
「聞こえませーん。挙手してくださーい! 」
(あ、挙手ね)
そう言えば、さっきの奴らも発言するときに手を上げてたな。
というより、そんなルールだったのか? 始めて知った。
「あの世にATMっておかしいやろっ! あの世まで金とられるんかい! 」
「聞こえませんよぉーっ。発言は挙手でお願いしまーす」
細かい奴だ、挙手しないと質問にどうあっても答えないつもりか。
大体こいつ声しか聞こえないけど、どっから見てる? 挙手してるかどうかなんて、見てないとわからんだろ。
仕方ない、ここはルールに則って、挙手してやろう。
「何でATMがあるんですか」
「教えません。はい、じゃっ、説明続けまーすっ! 」
「このっ・・・! 」
「そこで、皆さんの持ち金が表示されたカードが発行されまーす。そのカードは皆さんの今後に大きく関わってくる大事なカードですからね。大切にして下さい。船の切符はそのカードで購入してくださいね」
これを受けて、あのヒルズ男が手を挙げた。
「つまり、あの世にも金が要るけど、支払いは全てそのカードでいいってことか? 」
「その通りです」
すると、続けてジャラ女が手も挙げずに、
「ちょっと、だいたい持ち金って・・・」
と言いかけると、すかさず、
「聞えませーんってっ! 」
と声がする。だいたい、聞こえてるから言っているのだろうから、聞こえませんは無いだろう。ジャラ女は、仕方なく改めて手を挙げて言った。
「そもそも持ち金ってどういうことよ? 死んでんでしょ? 持ち金って言っても持って
るわけないじゃないの」
おお、ジャラ女のくせに尤もな事を言う。
そうだ、その通りだ。
「持ってたでしょ、死ぬ前に。保険金もこれに算入しますしね。安心してくださーい」
「ハアッ? まじかっ! 」
ついうっかり口に出てしまった。
なんだ、一体。なんで死んでからでも、金に振り回されなきゃならないんだ。
冗談ではない。
「じゃあ、買ってきて渡ってきて下さいねーっ! 」
この妙に明るく、高い声がすごく腹が立つ。
「このっ・・! おいっ! こらっ! 待てやっ、おいっ! 」
呼んだところで返って来ない。
「切れちゃったみたいね」
うるさい女が冷静に言った。
「何やねんこれ? 訳わからん」
とにかく正直に思ったことを、正直に吐露した。
誰もが同じ思いに違いない。
すると、この言葉を待っていたのか、端に居た仏頂面のスーツの女がようやく口を開いた。
「ね、おかしくない? おかしいわよね? 」
スーツの女は、急に馴れ馴れしく、みんなが思っていたであろう疑問をぶつけて来た。
「だってそうでしょ。いきなりあたしたち死んだって言われて、受け入れてるの、それ?
死んだ実感あんの? 」
すると、うるさい女はすかさず、
「あたし、受け入れてるわよ」
と言うと、続けてヒルズ男は、
「俺はある気がするくらいだ」
と言い、スーツの男は、
「僕は・・・、確かにない」
と何か自信なさげに周りを気にして言った。
「でしょ。私も死んだって実感ないのよ。だいたい、死んでるにしてよ、平均年齢低すぎない? じじいやばばあが一人もいないじゃないの」
(ま、確かにな)
それは、確かに疑問に思っていた。
この六人は、どういう基準でまとめられたのだろうか、見ず知らずの人間同士ということは、場所に限らず一定時間内に命を落とした者、とかある程度の基準があるのだろう。
ちなみに場所に限らずとしたのは、俺が普段喋るのが関西弁である事から、関西人だと思って、そういう風に規定してみた。
すると、スーツ女は続けて、
「あんたたちさ。自分のことどれだけ知ってる、いや、覚えてる? 」
ああ、その質問もしてくるか。
スーツ女がそう聞いてくると言う事は、彼女も俺と同様、自分に関する記憶だけが無いのは間違いない。俺は、この全員がそうだと思っていたが、ここで違ったら、少し怖い。
確かに聞いておきたいことではあった。
「わかりません」
今度はスーツ男が即答した。曖昧な返事は早いなこいつ。
「確かに、そう言われてみれば・・・」
うるさい女が、妙に自信なさげに言った。
いや、お前、今までその自覚無くてあんなに喋ってたのか。
「え、どうしよ。あたし、自分の名前も思い出せない」
ジャラ女も似たようなリアクションだ。お前ら、自分の事はどうでもいいのか?
「ついでに言うと仕事もよ。死んだ自覚はあるかもしれないけど死因ってわかってる? 」
おお、立て続けにいい質問をする。
「なんだ、俺だけかと思ってたけど違うのか? 」
ヒルズ男が言った。心配するな俺も含めて、これも多分全員だ。
「・・・わからない」
「私も・・・」
うるさい女もジャラ女も、神妙な顔して言った。
「おかしいでしょ? こんなことってある? そこへ来てATMだのお金だの、俗っぽ過ぎない? 」
(そうだ。そうだ)
と心の中でスーツ女の言うことに賛同していたが、ここで口に出して賛同するのは、少し待とう。あと、一人か二人くらいは賛同してからでも遅くない。
いや、待て。このスーツ女はまだ結論を言ってない。
こいつもしかしたら、答えも無くただ疑問を言っているだけかもしれない。ここで乗っかるのは時期尚早だ。この女の考えをもっと引き出そう。
「結局、何が言いたいねん? 」
そうだ、お前はこれについてどう思ってるんだ?
「死んでないんじゃないのかってことよ」
ああ・・・、そう来たか。
それも、確かにアリかもしれないが、
「出たな。陰謀論」
すかさずヒルズ男が言った。
陰謀論? 陰謀論なのか、この考えは?
確かに、死んでいないとすると、このシテュエーションはかなり手が込んでいる。ただのいたずらにしては度が過ぎている。まして、個人の記憶の一部分だけ操作するなんて、到底、易々とできる技術じゃない。
すごいな、このヒルズ野郎、一瞬でそこまで考えて、陰謀論って言ったのか? 頭の回転速すぎだろ。いやいや、待て待て、ずっと考えてて、口にしたな。てことは、質問に答えてたのは、わざと惚けていやがったのか。
嫌だなぁ、こっちの出方を伺ってたってわけか。
ヒルズ野郎の言葉で、スーツ女の考えは、なんとなく全員から却下されたような雰囲気になった。すぐに賛同しなくて正解だった。
「死んだんですよ。さっきあの人が言ってたじゃないですか」
スーツ男が言った。
「あんた、あれ鵜呑みにすんの? 疑いなさいよ少しは」
それは俺も同意する。こんな事実を鵜呑みにして、疑いも無く受け入れているのは、さすがにどうかと思う。
「言ってる意味がよくわかりません。宇野って誰ですか? 」
(マジかっ、こいつ? そうか・・・、こいつはそう言う奴なんだな)
真面目にスーツ着てやがるから、勝手に頭がいい奴と思っていたが、そうではないようだ。
「ともかく、ここが何処かもわからないうえに、周りに何もない。うだうだしてても何もできんだろ。まずは、言われたとおりに川を渡るしかないんだろうな」
ほら、ヒルズ野郎がそれとなく仕切り出した。
「そうよ、行きましょうよ。本当に死んでたのなら、これ「あの世」なのよ。これ、すごいテンション上がることじゃない」
うるさい女も、また息を吹き返したようになりやがった。
「あんたのさっきの受け答え聞いてたら、そりゃ、テンション上がるでしょうけどね」
スーツ女が嫌味っぽく、うるさい女に言ったが、あの女は聞き流している。
「なんや、棘ある言い方しよるな。なんかまだあるんけ? 」
「仮に、ここが「あの世」でも気に入らないだけよ」
こいつはこいつで、重箱の隅をつつきたがるような奴なんだろう。
「めんどくさい性格やの」
そう言って、結局はヒルズとうるさい女の先導で、ATMという機械で、各自カードを発行したが、妙に消費者金融の無人契約機みたいな感じがして、ただの自分の持ち金なのに、なんか借金してるみたいな後ろめたさもあった。
あの世と言うから、なんか、前時代的な印象を勝手に持っていたが、このATMも、生態認証で本人確認したりと、なんかあの世も現代に合わせて来て便利になったもんだなと少し感心した。
ただ、関西人の血か、生体認証するとアナウンスされたときにうっかり、
「いや、死んどるけどなぁっ! 」
と思いっきり突っ込んでしまった。
そして、続いて渡船場で切符を買ったが、ここでも自らの血を押さえられなかった。
「向こう渡るだけで、600円っ? 高いわっ! 向こう岸見えとるぞ。50mもないような川幅やんけっ! こういう所だけ、六文銭にあわさんでええわっ! 泳いで渡ったろか」
と言ったものの、泳いで渡る気はさらさら無い。
雰囲気だけは、なんとなく三途の川を渡る木製の渡し船みたいな感じだが、しっかり無人化されていた。多分、川底でワイヤーか何かに繋がれて、引っ張っているんだろう。
「どっかの遊園地のアトラクションかっ! 」
いかん。
もはや、ツッコミが止まらない。
俺意外多分全員、東京人か、もしくは関東圏の人間だろう。
こうもツッコみまくっていると、さすがに空気的に引いているのがわかる。
(自重せねば・・・)
そう思っていたのだが、向こう岸に渡って、下船すると、要らないだろと思うのに、アナウンスが流れた。
「毎度、御乗船ありがとうございまーす。「賽の河原」「賽の河原」でーす。お下船の際に足元ご注意くださーい」
(いらん、いらん。いらんよ、そのアナウンス)
「毎度てどういうことやっ、初乗りで終わりやろ! 」
ああ・・・、言うてもた。
「またのご利用心よりお待ちしておりまーす」
「また使うんかい、使えるんかっ? 」
うわぁっ! 立て続けにツッコんでもうた。
なんだ、もう、これはわざとボケているのか? ツッコんでくれと言わんばかりに来るではないか。
下船場を出ると、そこに一人の男が立っていた。
スーツ姿、いや正確には黒スーツに黒ネクタイだから、喪服姿と言った方がいいのか。
頭は、もはや潔いくらいに一本の毛髪も無く、毛穴にも一点の黒さも見えないテカテカの立派な・・・、いや、もうやめよう。
顔は妙にニヤついて、ふっくらとしている。そう言えば体つきも、少しふっくらとしていた。顔の二ヤついたところだけは、なんか腹が立つが、それ以外、悪い印象はしなかった。
そう言えば、おでこの真ん中、眉間のちょっと上に、ホクロ? いや黒くないから、イボ? そんなものがある。
「はいっ! ちょっと、みなさーんっ! こちらですよーっ! 」
その喪服の男がそう言って手招きをしている。
「あ、その声っ! 」
(さっきの声の奴やっ! )
そうあの喋り方と言い、高い声といい、間違いない。
「すみません。私、あっちの岸には行けないものでして、館内放送で失礼しました。」
「館内放送? ・・・て」
ヒルズ野郎が中途半端なツッコミをした。
「改めまして、私、皆様をご案内します、六地蔵といいます。正式名あるんですけど、便宜上、これで通してます」
「ああ、地蔵菩薩って奴」
また、うるさい女がプチ知識を放り込んで来た。
「はい、正解っ! 」
「ええっ! 嘘っ! 私、知ってる。どうしよっ? やばーいっ! 」
ジャラ女のリアクションも、なんとなく鼻に突く。いくつなんだお前?
「うんうん。そういうリアクションね。無理に若い娘ぶるのはともかくとして、そうなんですよ。実は偉いんですよ。・・・はい、そこで、あなた方には、閻魔庁から審判が下りてますので、それぞれの世界へご案内しまーす」
閻魔庁? 審判? それぞれの世界へご案内?
一体、何を言っているんだ、このハゲは・・・? あっ、言ってしまった。
つまり、単純に「あの世」という事じゃなくて、俗に聞いていた「天国」と「地獄」というのがあって、どっちかに行くって事か。
「ちょっと・・・、ちょっといい? 」
そう思っていると、あのスーツ女が手を挙げて、発言を求めだした。
「はい、どうぞ」
六地蔵が発言を許すと、
「なんか、さっきから、どうも気に入らないことが多いんだけど」
なんか直接クレームをつけるつもりらしい。
「あなたに気に入られる世界にはなってませんよ。何様か知りませんけど」
おお。なんか丁寧な口調だったのに、クレームにはそういう風に厳しく対応するのか。
「私がじゃないわよっ! 一般論としてよっ! 」
スーツ女も引かんな。
「もしかして、記憶の件? 」
六地蔵も、この手のクレームには慣れているんだろう。平常心で対応している。
「色々あるけど、それもよっ! やっぱり知ってるんじゃない。そこへ来て、本人不在で裁判で勝手に判決まで出すなんてっ! 」
あ、そこ。そこにツッコんで行くんだ。
「だって、必要ないでしょ。前世の記憶なんて」
「出たっ! 前世っ! やっぱりこれって輪廻転生ってことね」
「はい、正解っ! 」
いや、うるさい女、ここで出てくんな。邪魔だ。
「あんた、うるさいっ! 」
スーツ女がすかさず言ったが、同感だ。今は引っ込んでてくれ。
スーツ女は、気を取り直してクレームを続けた。
「ますます、受け入れがたいわ。傲慢にも程があるわよ。弁護人もない、本人に弁明の余地も与えないまま、記憶まで奪って。まったく信じられないわ」
なんか言い方が、野党の女性議員みたいな言い方だな、と思った。
「必要ない物は必要ないでしょ。弁明とかなんだとか、どうせ自分本位の嘘ばかりですし、ちゃんと真実のみを審理して、しかも情状酌量までしますからね。極めて公平公正な判決ですよ」
理屈になっているのか、それとも開き直っているのかわからないような返答を、六地蔵は自信満々に言った。これには、聞いていたジャラ女でさえ、
「自信満々に言っちゃうんだ」
と言ってしまったほどだ。
「そらもう、仏ですから」
それ理由になるのか。昔の日本人なら、いざ知らず現代に生きる日本人で、その理由で納得する奴はそんなにいないぞ。
「そうなんだぁ・・・」
と思っていたら、ジャラ女もスーツ男も納得した様だった。
「そこよっ! そこっ! 」
スーツ女は、逆にむしろその一点に嚙みついた。
「はいっ? 」
「そこが一番気に入らないのよっ! なんなのよっ、ここはっ? 」
(なんや、なんやぁっ? )
「地蔵だの、輪廻転生だのっ、仏だのっ! まったく、ナンセンスだわっ! ありえないわよっ! これだから、困るのよっ! とにかく、ここがあの世だと言い張るなら、私は返してっ! てか、少なくともここじゃないわよね」
「ああ、はあ、はあ」
さすがに六地蔵も返答に困っているようだ。
要するに、このスーツ女のクレームというのは、そういうことなのだ。
「だから、私は、キリストきょ・・っ! ムグッ」
言いかけた所で、いきなりスーツ女の口が強引に閉じられた。
六地蔵が指をつまむようにしている。
こいつ、一応やっぱり仏さんなのか。こんな芸当ができるんだ。
「はい、そこまで。・・・だめですよ、宗教観が無茶苦茶な日本人がつまらない所でだけ宗教主張したら」
どうやら、宗教が違うから返せってクレームも慣れているようだ。
それは、ここでは通用しないらしい。
スーツ女が黙らされたことで、うるさい女が、またしゃしゃり出た。
「輪廻ってことは、何? あの世って、天国と地獄じゃないってことね」
あ、そうなの?
「その通りです。これから皆さんと六道を巡ります」
六道?
「六道って言ったら、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の6つね」
なんだ、この女、気持ち悪い奴っちゃな。
「そうですね。6つの世界は段階になってまして、一番下が地獄、そこから順に餓鬼・畜生・修羅と来て、皆さんがいた人間、一番上が天道、ようは俗に言う天国となります」
「まさか、本当にあるとは思わなかった。あの世最高ね」
最高ではない。決して最高ではないぞ。うるさい女よ。
そう思っているのは、少なくともお前だけだ。
「さあ、どうでしょうね。さて、まずはあなた方もよくご存じの最下層の地獄からですね。
・・・あなたも、一緒に参りましょうか」
「んーッんんーっんんんん~っ!!」
口を閉じられたままのスーツ女は、今度は見えない縄に繋がれたように六地蔵によって引きずる様に連れて行かれ、俺たちも、それに付いて行った。
LEVEL.1 地獄道
地獄に向かうまで、歩きながら六地蔵は言った。
下層から上層とあるが、層が折り重なっていると言うよりは、それぞれの世界が独立して存在し、一部を除いて交わることが無いということ。
自分だけがそれを自由に行き来できるという。
だから行くのも、六地蔵にだけ、その世界を繋げる穴のような門が作れて、そこを通って行くと言う。
「私とはぐれたりしないで下さいね。集合は時間厳守でお願いします。でないと、望まない世界でも、そこに置いて行かれてしまいますよ」
もう、聞いているだけで質問する気も無くなった。
自分の知識では、もはや付いて行くのがやっとだからだ。
六地蔵の説明を聞くより他ない。あのうるさい女ですら、余計なうんちくや質問もしなくなって来た。
ここが、本当に「あの世」で、自分たちが本当に死んでいるのかという疑問すら、もはや、どっかに行ってしまった。
それくらい、今、自分の目の前に見える風景は、あまりにも何も無さすぎる。六地蔵が心なしか光って、彼が道を作っているような感じで、他は何もない真っ暗な世界だった。
「じゃ、これから地獄に入りますから、皆さん、しっかりついて来て下さいね」
そう言うと、六地蔵の体が消え、続けて引きずる様に連れて来たスーツ女の体が消えた。
消えた所を目掛けて、次々とそこに入って行った。
最後の俺も、その穴という門をくぐった。
くぐった瞬間に、視界に広がったのは、まさに、思っていた通りの地獄の光景だった。
ごつごつした岩や石、所々で噴火し、流れ出る溶岩、それ以上に、高く伸びる炎の柱、
地面に転がる岩一つとっても、血がべっとりついており、所々の岩肌どころか、歩く地面すら、血で濡れている。
耳に入って来るのは、獄卒と呼ばれる鬼の怒号と共に、亡者たちの悲痛な叫び声が至る所から響き渡っている。
一行は、刑場の一つと思われる所に着いた。
「すみませぇーん。見学でーす。お願いしまーす」
六地蔵が、受付と書いている看板の前で言うと、岩屋の中から、見た目が本当に赤鬼で顔面どころか全身凶器のような獄卒が出て来た。
もう一人、見た目がゲームで出て来るサキュバスとか魔族系のセクシーな衣装を着たナイスボディの青鬼の獄卒も悩ましく腰をくねられつつ、だるそうにあくびをして出て来た。
赤鬼の獄卒は何も言わず、顎をしゃくっただけで六地蔵はわかったらしく、
「はい、じゃあ皆さん、こちらでお掛けになって見学してくださーい」
階段を上らされると、椅子が6つ並んだ観覧席がちゃんとある。
丁度刑場を見下ろせる位置だ。ふと、足元を見ると、座席の前に列と同じ長さの透明のビニールシートみたいなものが折り畳んで置いてある。
一同は、とりあえず適当に並んで座ったが、ヒルズ男が挙手した。
「ああ、もう挙手しなくていいですよ。さっきは見えなかったからしてもらってたんで」
しれっと六地蔵が言った。
いやいや、それならさっき会ったときに言えよ。あん時から必要なかったんだろうが。
「とりあえず、これって、もしかして、見学用に設けた特設刑場って解釈でいいのかな」
いや、なんか回りくどい言い方だな。
「はい、そうですよ。他にも見学者向けに体験コースって言うのもありますよ。有料ですけど」
「金取るんかいっ! なんで、金払うて、痛い目に遭わなあかんねんっ! 」
い、いかん。うっかりツッコんでしまった。
「いやいや、意外と結構、御覧になってから希望される人もいるんですよ。だいたい、この見学だって、本来なら有料なんですよ。うちの方で必要経費として落としてるんですから」
なんだ、恩着せがましいな、こいつ、仏のクセしやがって。
「なんか・・・、世知辛いな」
おお、このヒルズ野郎、妙に神妙な顔つきで言うな。
「そうですねえ。ここも資本主義の影響で随分と変わりましたから」
(怖えーっ! 資本主義恐るべしっ! )
「で、ちなみにいくらだ? 」
「は? 体験コースですか? 」
「いや、それもそうだが、見学料は? 」
「お一人、2千円です」
・・・中途半端だな。
高いわけでも無いし、決して安いわけでも無い。微妙な所の価格設定が逆に絶妙すぎて、現実感が半端ない。
「で、体験コースが3万円です」
「たっかぁーっ! ますますアホみたいやないか」
「そういう人にとっては、それだけの価値があるんです」
そういう人って、そういう人なのかよ。
「はい。始まりますよ」
獄卒の青鬼が亡者を一人引き出して来た。
なんか、白装束に例の△の奴を頭に巻いている。
(こう言う所だけベタやな)
「いやだっ! いやだっ! やめてっ! やめてくれーっ! 」
やたら抵抗するが、見た目と違って、やはり腕っぷしは強いのだろう、引き連れて来る青鬼はびくともせずに、鉄の足枷と手枷を亡者に付けて、大岩でできた執行台にうつぶせで寝かせると、ちょうど首が嵌まる様に丸くへこませた岩をくびの上に乗せて、動けないように身体を固定させた。
赤鬼が、やたらと、
「うるさいっ! この悪党がっ! 」
と言う。さすがに顔面というか全身凶器とも言える鬼にふさわしい野太く低い声だ。
「やめてくれ、お願いだっ! 俺が何したってんだ。覚えてないんだぞっ! 」
「やかましいっ! おのれの業を悔い改める為におとなしく罰を受けろっ! 」
青鬼だ。う~ん、こっちこっちでキャラに似合って、若干酒焼けした様なハスキーと語尾が何故か抜けていく言い方がセクシーで、実に趣がある。
「だから、悔い改める内容がわからんて言ってんのにっ、おいっ、こらっ、やめてくれってっ・・・! 」
「おりゃーっ! 」
青鬼が亡者を抑えつける中、赤鬼は容赦なく、どでかい刃で亡者を切り裂いて行く。
「ぎゃーっ! 」
凄まじいほどの血が飛び散る。
「ああ、言い忘れてました。よければ足元のシート使ってくださいね」
「これ、もしかして・・・」
「返り血避けですよ」
「物騒やなぁっ! なんや、イルカショーか、急流下りみたいな感じで言うなっ! 」
あまりにも壮絶なスプラータショーにヒルズ男は吐き気をもよおしている。実際、自分だって、さすがに正視出来ない光景だ。目線をスーツ男に向けると、こいつは目を見開いて固まっている。あまりの光景に思考が停止しているか、目を開けたまま気を失っているのかもしれない。スーツ女も顔を伏せている。
ジャラ女は手で目を覆いつつ指の隙間で見てる。うるさい女だけは、興味津々にその光景を見ていた。
(こいつ、本当に大丈夫かっ? )
そんな中、六地蔵が説明を始めた。
「ま、地獄は説明不要ですね。皆さん知っての通り、前世の罪を地獄の責め苦で罰するところです」
ジャラ女は、その体勢のまま、
「あ、それ、私知ってる。ワニがいんのよね。温泉どこっ? 」
「それ別府ね。別府温泉」
六地蔵が、冷ややかにツッコんだ。こいつのツッコミには愛が無い。
「針山とか、嘘つきは舌抜いたりとかね」
うるさい女が、またプチ知識を放り込んで来た。自慢げに言うな。それぐらいは誰でも知っとる。
「八大地獄、それから枝分かれして全130以上の責め苦があります。罪状に応じた一定のルーティンで
刑場を廻って行きます。刑期はおよそ500年です」
「500年もっ! 」
ジャラ女が驚いているが、どちらかというと、聞きたいことは別にある。
「おい、それよか、あの囚人が言ってたのが気になるんだが・・・」
そこへ、ヒルズ野郎が質問した。
「はい? 」
「前世の罪を罰するのはいいんだが、あの囚人、罪状が何だかわからんとか言ってたぞ」
そう、そこだ。俺もそこが気になっていた。
聞かれた六地蔵は、なんだそんな事かとばかりに笑って、
「いや、そりゃそうでしょ。前世の記憶が無いんですから」
「はぁっ? おかしいやろっ! 」
記憶無いのに、罪を罰するって意味が分からん。
「おかしかないでしょ。記憶が無くったって、きっと前世でなんか重罪を犯したんだな、て思ったら、じゃ、次は罪を犯すまいと思うじゃないですか」
それに対して、ヒルズ男が、
「いや待て、罪状がわかるに越したことないだろ」
と言った。いやそうだ、その通りだ。
「駄目ですよ。罪の大小かかわらず皆一律で500年もいるんですよ。亡者同志で、お前なにした? とか会話になったらね。あるでしょ、ほら」
「まあな、刑務所とかでよく自慢することもあるわな」
つい乗っかってしまった。すると、これを待っていたのかと思うほどのリアクションがジャラ女から帰って来た。
「マジ? あんた行ってたの? 地獄確定じゃん」
いや、少なくともお前からは言われたくない。
「行ってへんわっ! アホっ! 」
そんなやり取りをしてると、ヒルズ野郎が冷静にツッコんだ。
「そもそも記憶ないだろ」
「いや、そやねんけど」
奴もツッコミに愛が無い。
「そんなときにね、俺一人殺した、とか5人殺したとか、フッ、まだ青いな、俺なんか100人だ。とかで、へぇ~すっげえなぁ。これから兄貴って呼ばせてもらっていいすか。なぁんて会話があると、あれ、ちょっと待てよ。なんで、そんな奴と同じ刑期で同じ罰受けてんだろ、俺? ってことになっちゃうでしょ。そうならない為にもね、曖昧にしとかないとダメなんですよ」
小芝居まで入れて言い訳しているが、かなり苦しい。
すかさずヒルズ男が、
「それ、あきらかにシステムに問題アリだろ」
と正解をツッコんだ。ここは愛が無くていい。
「ま、でもその反省を元に、次の世界で罪を犯さなくなるんだね」
うるさい女が、勝手にまとめに入りやがった。
そうはいくか、一番に矛盾しているところを突いてやる。
「いや、おかしないか。ほなもう、誰も罪を犯さなくなるはずやろ。ほな、地獄なんていらなくなるやんけ」
「あ、それもそうか」
さぁ、どう返す? 六地蔵。
「うん。まあ、なんか、釈然としないまでも強く反省をしてもね。次に転生した時、また全部忘れちゃいますからね」
「意味なっ! 」
「何それ、ちょー無駄じゃん」
さすがのジャラ女もツッコんだ。
「それでも、ほら、因果応報って言葉もあるじゃないですか。多少なりとも前世の記憶とか残るもんですよ」
そんな言葉で、締めくくろうとすんな。
納得できるか。
なんといういい加減な世界だ。まるで意味が無い。まったく無駄な5百年だ。
これでよく暴動が起こらずに、素直に刑を受けれるもんだ。
「ねえ、そんな事よりさ。あの囚人、頭以外全部バラバラにされたんだけど、これからどうすんの? 」
うるさい女が、話題を変えた。
見れば、いつのまにか言ってる通り、頭以外は完全にバラされてしまっていた。
いつの間にか叫び声も無くなって、当然、生きている様子も無い。
「ああ、それね」
赤鬼の獄卒が、突然、何かを念じ始め、そして両手を高々と上げて、
「活きよーっ! 活きよーっ! 」
と叫んだ。
すると、どうであろう。亡者のバラバラになった肉片も、臓物も、そして飛び散った血も、みるみる頭部に集まって行き、元の体が復元して行く。
「うぎゃーっ! ・・・あ・・・あ、あれ? 」
意識も戻ったようだ。
心なしか、刑を受ける前より、顔色も良くなり、血色もいい。肌だってつやつやだ。
「さあっ! 立てっ! 次だっ! 」
青鬼が首にかけられた岩の重しを軽々どけて亡者を立たせると、容赦なくまた引きづる様に連れて行く。
「今のはただのデモンストレーションだ。本番はまだ、まだこれからだ。覚悟しろ、この悪党め」
なるほど、やってる獄卒も罪状分からんから、ふわっとした表現で亡者を罵倒しるわけね。
「いやだーっ! 助けてくれーっ! 」
亡者は泣き叫びながら、連れて行かれてしまった。
「あ、なるほどね。ああいう風に復活すんのね」
うるさい女は、納得したようだ。
ま、地獄なんだし、いろんな責め苦があるから、そら元に戻らないと1回の刑で終わっちゃうもんね。
「次っ! 」
赤鬼は次を呼んだが、正直、まだ見せんのかと思った。
正直、一人で十分だ。お腹いっぱいで、もうしばらく動けないくらいだ。
そんな気持ちも伝わることなく、無情にも次の亡者が入って来た。
「はあーいっ! 」
入って来た亡者に、異常なほどの違和感を覚えたのは言うまでもない。
まず、こいつは青鬼に引きづられることもなく、自発的に一人でここにやって来た。
その上、異常に鼻息も荒く、興奮している。
「あらら、何か変な人来たよ」
うるさい女も、興味津々に立ち上って、前のめりに見ている。
「ああ、あの人ね。ベテランですね。ていうのより常連さんってのが正しいかな」
「常連? 」
六地蔵の言った「常連」という表現が正しかったことは、すぐにわかった。
「また、お前かーっ! なんか、さっきやった気がするぞっ! 」
「気のせいっすっ! 」
亡者は、何かいそいそと自発的に自らを拘束して、執行台に仰向けで寝そべった。
「おい、逆だ。うつ伏せ」
「いえ、今度はこれでお願いしますっ! これがいいんですっ! 」
亡者は興奮収まらず主張するし、別に仰向けだろうと、うつ伏せだろうとやることは同じだ。赤鬼は、重しを首に乗せようとすると、
「すみません。それ無しでお願いします。患部が見えないんで」
患部? それとも感部?
もうどうでもいい。さっさと済ませたい気持ちになったのだろう。両手で、様々な折檻具(というより明らかに凶器)を抱えるように持って、改めて亡者に問いかける。
「悔い改めたいのかっ! 」
その野太く低く、大きな声ではっきりと言われ、亡者の興奮は最高潮に達したらしく、
「はいっ! お願いしまーすっ! 思い切りやってくださいっ! 」
顔はもう紅潮して、目はもう真っ赤に充血して求めている。
「うるさいっ! 行くぞーっ! おりゃーっ! 」
鈍い音と共に、迸る血飛沫。
「ああ~・・んっ! 」
状況にまったく似合わない亡者の悦に入った叫び声が響き渡る。
「おらぁーっ! 」
「もっとぉーっ! もっとぉーっ! 」
飛び散る血と肉片や臓物の量と亡者のテンションが比例しつつ、異常としか言いようのない空間が視界に入って来る。
「・・・ドMや。究極の超ドMや」
「500年も経ったら、最終的にこうなるよな」
しみじみとヒルズ男も言った。
日々あれをずっと繰り返してたら、まぁ確かにああなるのは、なんとなく分かる。
「あの人の場合、この快感がたまらないらしくて、次に行っても罪を犯してここに入り浸たってしまって。ま、結構多いんですよ。そういう人」
「いや、だから、システムの問題だって」
ヒルズ男のツッコミの通りだ。
すっかり超ドMに仕込まれてしまって、なんでそうなってしまったのか分からなかったら、そりゃ、生まれ変わって人間社会に居ても、ただのドMよりも質の悪いスプラッター超ドM野郎になるだけだから、それこそシャレにならん罪も犯すことになるだろうよ。
「活きよーっ! 活きよーっ! 」
結局、バラバラになるまで喘ぎ悦んで死んだ亡者を復活させているのだが、正直、もう戻さなくていいのではないだろうか、とも思ったりする。
そんなことを思っている間に、無情にも亡者はすっかり元に戻って復活した。
「ふうわっ! 生き返ったぁーっ! たまらねぇーっ! この瞬間は最高っ! どうも、ありがとうございましたぁーっ! また、お願いしますっ! ・・・いやもうこれ、血管も甦るから血行も良くなるんだよな。いやぁ~、整ったぁ」
亡者は、赤鬼に一礼すると上機嫌で去って行った。
なんだろうか。気持ち、仕込み感が滲み出ているような気がした。
「おい、これ、仕込みか? 」
ヒルズ男も気が付いたようだ。
「いいえぇ~。なぁにを言っておられるのかわかりませぇ~ん」
六地蔵はそう言ったが、その言い方ではっきりわかった。
(こいつ、仕込んだな)
多分、実際、こんな奴がいるのだろう。
ただ、まともな人間なら、こんな地獄など当然願い下げだ。
いくらドMだろうと限度がある。これは、さすがに自発的に行きたいと言う奴はいないだろう。どんな罪によって行かされるか分からんが、ある程度、気を紛らせるような要素を見せておきたいのだろうな。
さて、ようやく一通りの見学プログラムはこれで終わったようだ。
獄卒の赤鬼は、その大きく厳つい目をこっちにギロリと向けると、
「あらー。ごめんね、みんな、お見苦しいとこ見せちゃって、エヘッ」
「声、高っ! 」
6人全員の声が揃ってしまった。
(しかも、かなりオネエ入っとるっ・・・! )
「いえいえ、お疲れさまでした。また、お願いします」
六地蔵が労っているが、獄卒は、指で六人それぞれを嘗め回すように差しながら、
「ええ、で、今回は誰~? もしかして、全員? 」
と言ったもんだから、6人全員、首を振った。
「いやこの中で、ひとりです。今から、ご紹介しますね」
(えっ? 一人・・・っ! )
マジか・・・。罪を犯した奴というから、自分がそれに当たらないと思ってはいるが、何分記憶が全く無いので、自信を持って言えない。
どうやら、全員、同じ気持ちのようだ。
声に出して驚くような奴はいない。
「というわけで、皆さん、残念なお知らせですが、この中でおひとり地獄行きの人がいます」
いよいよ、その一人の発表かと言う時に、今まで黙っていたスーツ男がいきなり、
「すみません」
と言って挙手した。いや、それはしなくていいって言ってただろ、と思ったが、この男は続けてこう言った。
「その前に、話が難しすぎて全然わからないんで、もう一度説明してもらっていいですか」
「はぁ? わからへんのか? 」
お前、絶対気絶してただろ、と思ったが、どうやらそうではなく、本当に理解できないようだった。
「難しい言葉ばかりで全然わかりません。つまりは、ここに行くと、ドMか、ドSのオネエになるってことでいいんですか? 」
要点端折り過ぎて、まったく理解していないのと同じだろ、それじゃ。お前は、発言切取り大好きのマスコミか、いや、その典型の購読者か。
「・・・うん、うんうん。まぁ・・・、そういうことでいいかな」
いいのかっ? この理解度を認めていいのかっ?
「あ、いいんですね。わかりました」
「いいのかっ? 」
ついに、全員が六地蔵にツッコんだ。
「あの人がいいって言うならいいんでしょ」
スーツ男はそう言ったが、良いわけがない。
無いとは思うが、人は見かけによらないものだ。まして、これだけ理解力の乏しい奴だ、変な奴に捕まって、妙な事を吹き込まれたら、疑いもせずに危険なことだってする奴だ。
おそらくこれは俺の単なる憶測と言うか、ほぼ偏見とも言えるかもしれんが、こういう奴が闇バイトとかに手を出して、やった後から「あれ?」と気付くような人間なんだろう。
いかん。この理解度で、こんな所に放り込まれたら、気の毒過ぎて、全く悪くないのになぜか罪悪感を感じてしまって仕方がない。
「とにかく、発表しますね」
「いいや、ちょー待て、もう少しちゃんと説明せんと・・・」
と俺が言いかけたと同時に、ジャラ女が、
「言わなくてもわかるけどね」
と遮った。
おいおい、そりゃないだろ。お前だって、立派な候補者の一人だが、一人全く理解していないのに、文字通りの地獄絵図、いや、そう言えばまさに地獄そのものだったが、そんなところへ無慈悲にも放り込まれるかもしれないんだぞ。
「そうか・・・、そうだよな」
おい、ヒルズ野郎までもか。お前は、もうちょい話の分かる奴だと思っていたぞ。
「あれ、もしかして僕ですか? 」
そうだ、お前だ。俺は今お前の為を思っているんだ。
「違うでしょ」
うるさい女が言った。
え? 違うの? じゃ、誰?
「んんーっんんんーっ」
そう言えば、スーツ女はまだ六地蔵に口をふさがれたままだった。ただ、なんだろう。俺に向かって何かを言っているようだ。
気が付くと、俺の周囲にスペースが空いていた。
全員の視線が俺に向いている。
「はぁーっ? なんでやねんっ? 」
「なんか、ほらもう。雰囲気からして」
このジャラ女、何度も言うが、お前には言われたくない。
「んん~っ! 」
スーツ女の口を六地蔵が解除した。
「ぷはぁ~っ! だってもう、言葉遣いが汚いわよ。関西弁だし」
くっそぉ~っ!
やはり、ツッコミが過ぎた。これは罠だ。関西人を地獄に追いやる巧妙に仕掛けられた罠なんだ。
「なんやっ! 人を見た目で決めつけんなや。お前もお前で、ようやく喋れた第1声で、関西人をディスんなやっ! 関西人なら地獄行きってええかげんにせぇよっ! 差別や差別っ! 」
「はい、皆さん。落ち着いて下さい。そうですよね、そう思いますよね。ツッコミがいちいちうるさいって思ってたでしょ。そうであってほしいと思いますよ。いや、そうでなければ」
「やかましいわっ! アホっ! 」
「ね。こんな感じで仏様にも容赦なくツッコんでしまうような人間でも、私は許せてしまう。ああ・・・、やはり私は尊い・・・」
こいつ・・・っ!
「ところがね、意外や意外、実は・・・」
六地蔵がそう言うと、スーツ女の足場だけが突然消えて、刑場に向けて落ちかける。
「きゃああーっ! 何? 何よ、助けてーっ! 」
寸での所で、崩れた足場のフチに手を掛けた。
まさに崖っぷちとはこのことだ。
六地蔵はそんなスーチ女に近づいて行く。
「助けて、早く。お、落ちるっ! 」
手を出して助けるのかと思ったら、六地蔵の口から信じられない言葉が出た。
「いいえ、落ちるんですよ。あなた」
「えっ? 」
「地獄行きはあなたですから」
下に待ち構える獄卒は、陽気に高い声で、
「あら、いらっしゃーい♡ 」
と両手を広げて、待ち構えている。
たかだか2mくらいの高さの崖だ。落ちた所で怪我すらしないかもしれない。
しかし、落ちたが最後、怪我どころか、これから何十何百何千何万回も五体が引き裂かれ、焼かれ、切り刻まれるような苦痛を通り越した地獄が待っている。
どんなに苦しくとも死ぬに死ねない、まさに地獄だ。
そして、行きつく先は、どのような苦痛すら快感に感じてしまう超絶ドMと化してしまうという、それもそれで地獄のようなオプション付きだ。
「いやっ! いやっ! な・・・なんで、あたしなのよっ! 」
「またまたぁっ! うすうす気づいてたんでしょ。微妙に自分がした罪を。地獄行きが避けられないかもと思って、さっきも咬みついてみたんじゃないんですか? 残念ですね、あなたの信じる神様なら、もしかしたら懺悔でもして許しを乞えば、天国行けたかも、なんて思ってました? 」
「あなたも仏でしょ、反省してます。懺悔します。だから、助けてっ! 」
「残念ですね。あなたのところみたいなご都合主義の神様じゃないのでね。反省するのはここで、十分に懺悔もできますよ、きっと」
「いやーっ! ドMになんかなりたくないっ! 」
(そこかっ? )
おそらく全員の脳裏に浮かんであろう。
地獄の責め苦すっ飛ばして、そこなのかと。
すると、六地蔵が、
「助かる方法ならありますよ」
と言い出した。
「えっ、うそっ? 何? 何なのよっ! 早く教えてっ! 」
スーツ女もそれなりに歳だし、身体だっておばさん体系だ。肥満気味の自身の体を、怠け切った細腕二本では持ちこたえられないだろう。
「保釈金です。金額によりますけど減刑も可能ですよ」
保釈金? 聞こえはいいが、この場合に、その単語は正しい用法なのかは甚だ疑問だ。
「要は、特権利用したワイロなんだけどね」
獄卒が、下で要約してくれた。うん、たしかにそっちの方がしっくりくる。
「ワイロて? ええんか? あの世でこれはええんか? 」
「地獄の沙汰も金次第って奴か・・・」
また、うるさい女がわかりきったような事を、どや顔で言った。
「それで、このカードってことなんか・・・」
「俗以上に、俗だな」
ヒルズ男が言った。
確かにその通りだ。相手の弱みに付け込んでワイロを請求するなど、仏の風上にも置けん所業だ。やることが、新興宗教というかカルト教団なみだ。
「この際、そんなことどうでもいいわよっ! ほんとにっ? いくらっ? 」
(聞くのか・・・、それを)
と思った。追い詰められているから、なりふり構っていられないのだろう。
どうせ吹っ掛けて来るのは目に見えてる。
「私の口では言えません。これはお布施ですから、貴方のお気持ち次第です」
(ザ・悪徳の極みっ! )
なんて奴だ。ここに来て、そういうのかっ!
弱みに付け込んでも、ちゃんと金額を言ってやるのが情けってもんだろ。これじゃ、渡したところで、
「じゃ、ちょっと、これでなんとかしなさいよっ! 」
スーツ女は、ギリギリの中、自身の体重をなんとか片腕で堪えつつ、カードを取って、震えた手で六地蔵に渡した。
六地蔵は、貰ったカードをリーダーにかざすと、
「なんだ、これだけですか・・・」
と冷たく言って、カードをスーツ女に返す。
返されたスーツ女はカードの残高を見ると、ゼロになっていた。
すると、獄卒の持ってた端末に通知が来た。
「あら、1年だけ減刑ね。刑期は499年」
「はい、じゃ、頑張って」
無情にも、何とか掴んでいた片手の指を一本一本、六地蔵は外して、最後の一本では当然持ち堪えられるわけも無く、スーツ女は、下で待ち構える獄卒の腕の中に落ちて行った。
「500年からたった1年て、おいっ、こらっ、このハゲーっ! 」
スーツ女は、そのまま、獄卒に連れて行かれてしまった。
「はい、皆さん。お待たせしました」
六地蔵の例の張り付いたようなにやけ顔が戻って来た。
前以上に、そのにやけ顔が、どうにも恐ろしく感じる。
「・・・あなた本当に地蔵さん? 」
うるさい女すら、そう言ってしまう。
「はい、そうですよ。ちゃんと仏心で救済してあげたでしょ」
救済? は? あれが?
「いや思いっきり収賄しとったやろ」
「収賄とは聞こえ悪いですね。ほんの心づけですよ。お賽銭みたいなもんですよ」
「賽銭って、そんな額じゃないだろ。いくらだったんだよ? 」
ヒルズ男も、くらいついて来た。
「心づけですから額じゃないでしょ。それにそんな個人情報教えられませんし」
「そうかもしんないけど、なんかこれから不安」
ジャラ女の言う通りだ。俺たちは、こんな奴に付いて行って本当に大丈夫なのか。
「大丈夫です。私がついてますから」
「いや、それが不安だってぇのっ! 」
うっかり全員でツッコんでしまった。
不安ではあるが、ここで頼れるのは、先導で案内役の、この似非坊主みたいな地蔵ハゲしかいないのも事実だ。信用できようができまいが、こいつを当てにしないと仕方がない。
本当に先行き不安である。
「次行きましょ」
スーツ男が言った。
本当に、こいつもこいつで大丈夫なのかと心配になる。
しかし、事ここに至っては、他人の心配などする余裕も無い。もはや誰も信用できないのだ。いや、というより、そもそもハナッから信用できる人間がいないのだ。
「はい。そうしましょ。では、皆さん、次の世界へ参りますよぉっ! 」
六地蔵の奴は、そう言って、また穴を作ると、通り抜けて行った。
次って、何だったか・・・。
確か、ガキ道とか言ったか。
LEVEL.2 餓鬼道
穴を抜けて、視界に入って来た風景は実に殺風景で、空は曇天、地表には見渡したところで一切緑が無く地獄と似た岩と石が転がり、全体的に青みがかっているような印象だ。
向こうの方にちょいちょい塔のような物が見える。
六地蔵の先導で、また何か、こういうツアー向けの会場みたいな所に連れて来られた。
「はい、じゃあ、皆さん、こちらに控えていて下さい」
六地蔵はそう言うと、徐に首から下げた笛を吹いた。
すると、方々の岩陰から、亡者たちが呻きながら登場する。
苦しみ悶えながら何かを掴もうというリアクションをしている。
多分、こいつらも仕込みなんだろう。おそらく演技だ。
なにか、暗黒舞踏でも無理やり見せられているような気がして、正直憂鬱になる。
苦痛に喘ぎたいのはこっちの方だ。
そう思っていると、こいつらは気持ち悪い動きをしながら、こっちに向かって来る。
「うわっ、何や? なんやねん、こいつら? 」
「なんなんだ? ここは? 」
ヒルズ男も、気持ち悪がっている。
「ここは餓鬼道です」
うん。なんか、さっき聞いた。
わからないのは、それがどういう世界なのか、ということだ。
始め聞いたイメージじゃ、ガキっていうから、子供だらけなのかというイメージを持っていたが、今、目の前にいる亡者たちは、至って普通の男女だ。変な暗黒舞踏をしてなければ、どこにでもいる。
「ガキ・・・、どこに? どこにガキがおんねん? 」
「バカね。そのガキじゃなくて餓鬼。飢餓にかかってる人のことよ」
うるさい女が、またマウントを取って来た。
「キガ? 」
「要するに飢えてんだろ」
ヒルズ男が、端的に説明したが、いやいや、飢えてることを飢餓っていうことくらいわかる。バカにするな。俺が聞きたいのは飢えている割に、この亡者たち、特にやせ細っているわけでもねえぞ。
「確かに、何も食べられる物は無さそうね」
うるさい女は周囲を見回して言っている。
「誤解してませんか? 食べようと思ったら、何でも食べられますよ」
六地蔵が言った。うるさい女が意外そうに尋ねた。
「え、そうなの? 」
確かに、痩せてるわけじゃない。ただ、こいつら亡者の目がどうにも気持ちが悪い。
目が血走っていて、いかにも何かを必死に求めているように見える。もうそれ以外、目に入って来ないかのようだ。
「そやけど、何かに飢えとるやろ? 」
「あなたたち? 何が欲しいですかーっ? 」
そう六地蔵が、亡者に問いかけると、亡者たちは思い思いに言い出した。
「めしーっ!食わせろーっ! 」
「金くれーっ! 」
「やらせろーっ! 」
「ブルマ脱いでくれー! 」
「王子様ぁーっ! 」
王子様と書いた団扇とサイリウムを振り回す女。
「ゲームゥ! 次のステージィッ! 課金だぁーっ! 」
「一人、変なんおる」
一人、危ない奴がいるが、総じて何となくわかった。
「一体、なんなんです? これ? 」
スーツ男が、六地蔵に訊いた。こいつはまだ分からんらしい。
「さぁ、欲しい物を望みなさい。望むものは全て出てきますよーっ! 」
再び、六地蔵が亡者に言うと、次から次へと彼らの手に、頭上に、ゲーム端末に、その欲した物があふれ出て来る。
一人は只管貪り食い、一人はシャワーのように浴び、一人は匂いを嗅いだり頬ずりしたり、一人は頭上で踊る王子様が次々とグッズを女の上に落とすのを必死に拾う。そして、一人は必死にゲーム端末にかじりつき、ゲームに没頭する。
しかし、彼ら誰一人として、その顔に満足感は無く、さらに目は血走って行く。
「ああ~、ああ~、違う~っ!こんなんじゃねぇ~! 」
「たりなぁ~いっ! 全然たりなーいっ! もっとぉ~もっとだぁ~! 」
亡者たちは、各々、そんなことをぶつぶつ言っている。
「ほら皆さんっ! あなたの欲しい物は向こうにありますよぉっ! 」
六地蔵がそう言うと、亡者たちはそれぞれ何もない方向を見ると、
「本当だぁーっ! 」
そう叫んで、それぞれ、その目指す方向に向けて走り出して行った。
「わかりました? 」
「何がよ? 無法地帯ってこと? 」
ジャラ女も分かっていないみたいだ。
「つまり、その・・・あれか・・・」
俺が要約して言おうかと思ったが、適切な言葉が出て来ない。
「さっぱりわかりません」
スーツ男も分からんようだが、あいつの場合はそうだろう。
「欲に飢えてるってことか? 」
ああっ、クソ! もたもたしてるうちに、ヒルズ野郎に言われた。
「はい、正解。ここは餓鬼と言っても、食に限った飢餓状態に限らず、所謂「富裕餓鬼」というものでしてね」
(富有柿? )
「今、柿を連想したと思いますけど、音は同じですが違いますよ。つまりここは、望めばなんでも叶いますが絶対に欲望が満たされない世界。食っても食っても満足できず、貯めても貯めても満足できず、やってもやっても全く満たされない」
「ある意味地獄だな」
ヒルズ野郎が、かっこつけてわかったようなことを言った。
「でも、地獄じゃないんだ」
ジャラ女も少し理解できたようだ。
「・・・そうか、富裕餓鬼か、そうなんだ」
そっちか? うるさい女。
「望めばなんでも叶うんですから、そりゃ地獄みたいに責め苦に耐えることもないんですから考え様によっては天国でしょ」
「そら考えようにより過ぎるやろ、いつまでもこの調子で求め続けるんやろ? 」
ヒルズ野郎に決して同調するわけじゃないが、確かに考えようによっては、地獄のようにも感じる。求めて、欲して、それが全て手に入っても、決して満足できず、次々に求めて行く、どれだけ進もうともゴールが無いのだから、これほど無駄と言えるものは無い。
仮に、六地蔵の言う通り、責め苦が無いにしても、地獄には気の遠くなる時間であっても、一応、500年という区切りがある。ここには、それすら無いのだ。
(ヒルズ野郎、あえて言わしてもらうぞ、お前のは表現不足だ。ここは、ある意味、無間地獄と言える。これが正解だ)
少し勝ったような気持ちになった。だから、どうってわけでも無い。
表現したところで、ここは地獄じゃないんだから。ただ、地獄から二番目の下層の世界だってことは納得した。
「ね、あの山とかは何なの? 」
とジャラ女がヒルズ野郎に聞いて来た。
「山? 」
聞かれたヒルズ野郎は、ジャラ女の指さす方向に目を向けても、彼女が言う山が見えないのか、困惑しているようだ。
「ああ、あれは全部ブランド品ですよ。女性の亡者ですけどあの山に埋もれて死んでるんじゃないですか」
六地蔵には見えたらしい。
「えっ、死ぬの? 」
うるさい女が、珍しく普通に尋ねた。確かに、そこは俺も気になった。
「そりゃ死にますよ。地獄は特別ですよ、他は普通にみんな死にますよ」
それだけ言って、ジャラ女に近づくと、まるで観光ガイドのように案内しだした。
「で、あっちは宝石の山ですな」
「どこもかしこも山だらけじゃない。ね、ちょっと、見に行っていい? 」
ジャラ女は、目を輝かせて言った。もう、居ても立っても居られないようで、足踏みまでしている。
「ええ、ええ、どうぞどうぞ」
六地蔵がそう言うや否や、ジャラ女は駆け出して行った。
「ああ、山以外に穴も開いてますから、落ちないように気を付けてっ! 」
「うん。わかったわぁーっ! 」
ジャラ女がそう返した瞬間、その姿が消えた。
言った先から穴に落ちたみたいだ。
「あ、おい」
ヒルズ男が気にかけたが、
「あかん、あいつ目の色変わって、足元見えてへんのと違うか」
「ね? 山以外の穴って? 」
また、興味津々にうるさい女が六地蔵に聞いて来た。
「ああ、物欲の山に対して、探求の穴ですよ」
「探求の穴? 」
「人の欲は、物欲もありますが、純粋な好奇心や探求心もまた欲です。決して悪い物じゃないですが、時として本来の目的を忘れて、それを求めることが目標となってしまう人です。例えば、金やダイモンド、希少な鉱物、一獲千金を夢見て、掘り探してたら、余りにも見つからなくてついに本来の目的すら忘れてしまうとかね。他にもありますよ、温泉とかもそうですし、遺跡や埋蔵金などの宝物もそう。学術的な探求においても例えられますよ、掘っても掘っても真実にたどり着かない謎とかね。解けない数式とか、円周率の終わりとか」
「なるほど・・・」
俺もヒルズ男もうるさい女も、要はスーツ男以外は、なんとなく納得が行った。
逆に、ここには誰もが一つくらい持っていてもおかしくない欲求というものが、まるで罪であるかのように扱われていることにやや違和感を覚えた。特に、好奇心や探求心すら罪であったなら、これまでの文明の発展すら罪の積み重ねのように囚われているような気がして、何か仏教がかった世界観が説教臭くも感じて来た。
そうこう考えている間に、ジャラ女が、ぶつくさ文句を言いながら穴から這い出て来た。
どうやら、穴の住人から邪魔だとか言われて追い出されたのだろう。
穴の住人が、どういう欲求で穴を掘っているのか知らないが、あのジャラ女にとっては理解できないものなのだろう。
気を取り直して、ジャラ女はまた走り出したが、今度は少し足元に気を付けながら走っている。
「じゃ、そろそろ行きますか」
いきなり六地蔵が言った。
「おいおい、早いな、置いて行くなよ」
ヒルズ男が、さすがに六地蔵に言った。
「呼んで来る? 」
うるさい女が、気を使ってそう言って、走り出そうとした。六地蔵は、慌ててこれを制して、うるさい女に言った。
「やめといたほうがいいですよ。無駄ですから。特にあなたはここから離れない方がいい」
「えっ? なんで? 」
「では、あなた」
と言って、スーツ男を呼んで、
「あの山見えますか? 」
と尋ねた。
「いえ。全く。さっきから特に何も」
スーツ男は、普通に答えた。
「え、嘘っ? あそこにも、あそこにも、山があるじゃない? 」
うるさい女は、スーツ男に言うが、スーツ男には本当に見えていないらしい。指さすところも適当で方向も合っていなかった。
実際、俺もうるさい女が指さした方向には何も見えない。
視線をヒルズ男に向けたら、彼も俺と目が合うと、首を振った。見えていないのだ。
「ここはね、本来、何も無いんですよ。物欲に溺れた亡者には見えても、それを望まない者には見えない。先程のは、それではわからないのでわかりやすくデモンストレーションしただけのこと」
「え、何? じゃ・・・、え~っ? 」
うるさい女は、さすがに呑み込みが早いようだ。
一歩でも六地蔵のいるこの領域から出れば、何者だろうと欲求の虜となってしまうようだ。思うに、この女も、やはり女だ。それなりに色々と欲しいものはあるだろう。それより、多分、この女の場合は好奇心や探求心が強いのだと思う。というより、知識欲と言おうか、この世界には向いている。ただ、物欲においてジャラ女の方がより強かっただけのことなんだろう。
「お前はやばいってことだ」
ヒルズ男は、うるさい女にそう言った。
お前とは、結構馴れ馴れしく言うもんだ。こいつは、おそらく人を見下す奴なんだろう。
ヒルズ野郎とあだ名したが、多分、こいつは本当にヒルズ野郎なのかもしれない。
何かそんな匂いがプンプンする。金持ち特有のフェミっぽい言い方とは別に腹の中で、自分は特別で、庶民を下に見る様な言い回しをする時がある。
「彼女は? 」
うるさい女が、ジャラ女を気遣ったように、六地蔵に尋ねた。
「あの彼女にはよほどの山が見えたのでしょうね。物欲の塊みたいな人です。彼女はこの世界に魅了される、誘われるべき人だったんです」
「どうなる? 」
今度はヒルズ男が訊いた。
「もう手遅れでしょう。この世界の物に触れたら最後です。もう、死ぬまで物欲は満たされず止まることもない」
「あないに脅されても欲しなるもんかね。わからんわ、女は」
正直な感想だ。
「うるさいわね。男だってあるじゃない。時計とか、車とか、しょうもないフィギア集めたり」
言われてしまうと、確かにそれはある。趣味として金になるかもわからんものを集めてしまうのは、どちらかというと男の方だ。それに反して、女の方はより換金しやすい金目の物を集めることが多い。いやいや、違うかもしれない。需要があるから、物に価値が付くのであって、需要が高ければ、価値はそれによってより高くなって行く。男の趣味のコレクションには、かなり限定された需要と言えるが、女性はそうではない。
つまりは、やはり女性の物欲は巨大な市場を形成するほどの強さを持っていると言う事だろう。卵と鶏の話と言えるかもしれないが、自分をより高める為の装飾品に勝ちを求める欲求は女性の方が強いということからも、やはり、この世界の女性比率はたかいのだろうなぁ、なんて勝手に思ったりした。
「だいたい」
うるさい女は何か自分が欲深い女と思われたのがよほど気に入らなかったのか、六地蔵に向かって文句を言い始めた。
「こんなのダマシみたいなもんじゃないの」
「何言ってるんですか、人聞きの悪い。ちゃんと忠告したでしょ」
(したか? )
「何言ってんの。立派に煽ってたじゃない」
「そうですか? 」
「いや、煽ってた」
ヒルズ男も言った。俺も確かに、あれは意図的に煽ってたと思う。
「そうですかね? ま、この世の物は全て幻ですから、もともと満足するはずもないんですけど・・・」
「何よ、悟りきった事言って」
「そりゃ、仏ですから。地蔵菩薩ですから」
何か、意味の無いようで、そのくせ何か深い意味がありそうなことを言いやがった。
「次行きましょ」
スーツ男が言った。
こいつはさっきからなんなんだ。
何かに興味を示すものでもなく、関心も無い。人に言われたことについては、全部鵜呑みにして疑わない。かと言って、言われたことを理解しようというわけでもない。どちらかと言えば、ほとんど理解もしていない。
どう言ったらいいのだろう。何とも表現し辛い。
イラっとする所もあるが、仕方ないと思ってしまう所もある。
なんだろう。こういう奴って、どこにでもいそうな気がする。
一行は、こうしてジャラ女を置き去りにしたまま、餓鬼道を後にした。
さて、ジャラ女はというと、ついに山にたどり着いていた。
山のようにうず高く積み上げられたブランド品の下に埋もれた手が少し出ている。
恐らくこれを求めた張本人だろうが、その手も、もはやピクリとも動いていない。どうやら、下敷きになって死んでいるのか、死にかかっているのだろう。
しかし、ジャラ女は、そこには目もくれず、ひたすら、そのブランド品の山を一つ一つ拾っては見ていた。
「すっごーいっ! これ、エルメス、バーキン、シャネル、イブサンローラン、何でもあるじゃなーい」
他人から見たら、人が一人横たわっているのに、それを見ることなく、何も無いところを必死になって探っては、一人でテンションが上っているようにしか見えない。
「うわぁ~、これ・・・? あれ? あれれ? き・・・消える? 消えちゃうっ! 」
慌てるように次から次へと手に取ろうとするが、手に取ると、その物が次々に消えてしまうらしい。
「これもっこれもっ、これもこれもこれも全部消えちゃうっ! なんで? なんでよっ? もう少しだけでも見せてよっ! もっとっ! もっとーっ! 」
そう叫ぶと、突然、上からバックが落ちてくる。
「ああ~・・・、これよ。ああ~、インスタ載せれないっ! スマホがないっ! 」
すると今度はぽとっと、スマホが落ちて来た。
「やったーっ! さっそく・・・いや、待って。さっきのと違うくない? なんか、これじゃない気がする。違うのよ、これじゃない」
また上から、バックが落ちてくる。そして次々に落ちてくる。
「いや、違う。これじゃなくて、これでもないっ、違う、もっと違って、・・・もっと、もっとっ! もっとぉーっ! 」
ボトボトボトボトッ
どんどんとバックにポシェット、ハンドバックに洋服と様々に高価なブランド品が雨のように落ちて来た。量に対処しきれず、見る見るうちに彼女はブランド品に埋もれて行った。
LEBEL.3 畜生道
穴を抜けて行くと、そこは暗い洞窟のような場所で、当然のことながら空は見えない。空気は淀んでいて薄い。うっすらと作業用の電灯がちらほらついている程度だ。
頭だけが馬の獄卒が何か手板を持ちながら亡者たちを指示している。亡者たちは、過酷な環境下で何かを掘り出す作業に従事しているようだった。
馬頭の獄卒が発破をかける。とは言っても、ダイナマイトではない。単なる言葉の発破だ。
「休むなーっ! 働けーっ! 働けることに感謝しろっ! もう少しだぁーっ! 今日のノルマをこなせぇーっ! あと10mっ! 」
作業は、手作業。それぞれスコップや鶴嘴を持って掘っているだけ、見た目だけでも結構頑丈そうな岩盤だったりするのに、これをあと10mも掘り進めないといけない。
しかし、亡者たちは泥だらけで汗まみれだが、何故か皆、文句も言わずに働いている。
亡者の一人がフラフラしながら斃れた。
すると、馬頭の獄卒が鞭打って「働けーっ」とでも言うのかと思ったら、
「大丈夫かっ! 後ろで休んでいろ」
とイメージに合わない優しい声を掛けたと思ったら、どうやらその亡者と同じ班の連中に、
「おい、彼の分までフォローしてやれ、彼のノルマ分を誰か肩代わりしろ」
と本人の目の前で言うものだから、亡者も無理して、
「だ・・・大丈夫です。まだ、働けますっ! 」
などと言ってしまう。そう言ったら、馬頭獄卒も、
「そうかっ! よし、頑張れっ! もう少しだ」
とすぐさま励ました。それと同時に、班の連中もその亡者に寄り添い、肩を抱き、
「大丈夫か? 」とか「一緒に頑張ろう」とか言っている。
そうして亡者たちは黙々と作業を再開した。
馬頭獄卒は、その後も発破をかけ続ける。
「いいかっ! 掘れっ! 掘って掘って掘り続けろーっ! 」
するとサイレンが鳴り響いた。
亡者たちが作業を止める。
「よぉしっ! 本日作業終了っ! 作業やめーっ! じゃ、日当だっ、並べっ! 」
馬頭獄卒がそう言うと、亡者がカードを持って並ぶ。順々にカードを馬の口に差し込むと
「ヒヒーン! 」
という嘶きと共に、カードに入力されてゆく。
あれがタイムカードみたいになっているのか?
なんとも、デジタルと言うかアナログと言うか・・・。
すると、カードに入力された金額を見ることも無く、何故か終了と言われているのに各々、作業に戻って行く。
馬頭獄卒は、「ヒヒーン! 」嘶くだけで、それが見えているのに何も言わない。
(こんなところでも、サービス残業かよ)
作業の最中でも、亡者たちが食料をカートに乗せてやって来て、作業の傍ら、食べ物を買って、食っている。
聞いていても、その食い物だって高くない。焼き鳥一つとっても500円もする。
そんな中でも、きっちり仕事を上がる奴もいる。
カートの連中から、缶のビール(1本1000円)を買おうとするが、そこはケチって、1本800円の第3のビールを買った。
こんなとこでも、第3のビールがあることが実に俗っぽいが、亡者は、缶ビールをおもむろに手に取って頬に当て、
「キンッキンッ! に冷えてやがるっ! 」
と言って、栓を開け一気に口へ流し込んだ。
「うおーっ!うめぇーっ! このために生きてんなぁっ! 」
と上機嫌でグビグビ飲み干した。
これを見た他の亡者もさすがにたまらず、皆、ビールを買って、各々飲み始めた。
各々は口々に先に飲んだ亡者と同じことを飲んだ後に言う。
「ああ・・・なんかこれ・・・」
「見覚え有りますよね、これ。ていうか、どこにでもある光景ですよね」
六地蔵が言った。
「ここは、畜生道です」
そして、改めてこの世界を紹介したが、うるさい女が案の定食いついた。
「えっ? 畜生なの? 」
「意外そうですね。まさか畜生って動物だと思ってました? 」
「違うの? 見た感じ畜生なのは、馬頭の獄卒だけみたいだから」
「畜生とは家畜の事というのは合ってますけどね。ま、要は家畜並みの労働環境で生き続けるってことです」
「カードでお金貯めてるってことは、お金はもらえるんだ」
「かなり低い超低賃金ですけど、食費はバカ高いですし」
「そんな中、なんのモチベーションあって、やってんの? これ? 掘っているからには何か出て来るんでしょ? 見た感じ炭鉱っぽいし」
「・・・出て来やしませんよ。何一つ」
「は? 」
おいおい、ちょっと待て、マジか。何も出て来ないのに、こいつらなんでサービス残業まで掘っているんだ。
「ちょー待ってくれ。ほな、こいつらは何をモチベーションに頑張っとんねん? 」
「彼らは、日々のノルマを目標に頑張ってるだけですよ。何を目的に掘っているかなんて、誰一人知りませんし、興味もありません。言われたノルマをただただこなすことが彼らのモチベーションです。そして、それをこなした後、高い(安い)ビールを飲み干すことで、日々の労働に喜びを感じる。それが彼らの幸せなんです」
「んな、アホな」
「何言ってるんですか。さっき、どこにでも見る光景だって言ってたでしょ」
返す言葉が無かった。
確かに、この日本では日々当たり前に見てきた光景だった。
最近では、働き方改革だので多少は変わって来たが、未だに大手の上場企業以外、日本の8割以上を占める中小企業ではブラック企業は普通に存在し、労働力は搾取されている。
さらに、外国人まで呼んで来て労働力を増やしている。
かと言って、経済力は上向きにならず、ずっと不況にあえぎ、賃金も上がらない。
ただ、何故か大手の企業は増益を重ね、株価も上がり、税収も増えているのに、まだ足りないと言って増税して行く。ただただ、搾取され続けているのに文句ひとつ言わず、目標も分からず、目的も知らず、ただただ日々の目標だけに追われて仕事をしている。
まさに、日本の現状そのものを現しているような気になった。
そう言えば、いつもちょいちょい口挟んで来るヒルズ野郎が何も言ってない。
あの野郎、やっぱり冗談抜きで本当にヒルズ野郎だったか、勝ち組、搾取する側の人間だから、これを見ても何も言わないわけだ。いや、何も言えないに違いない。
そう思って、ヒルズ野郎の方を見たら、何か奴は違う方向を見ていた。
(くそ、こいつ視界にすら入れねえのかっ! )
「おい、あいつ、どこ行った? 」
ようやく口を開いたと思ったら、あいつって誰だよ。
・・・あいつ?
そう言えば、スーツ男の姿が無い。
「もともと影薄いからわからんわ」
そう返したが、うるさい女がすぐに気付いた。
「えっ、ちょっともしかして・・・」
うるさい女が指さした方を見ると、そこにスーツ男、いや、すでにスーツではなく亡者と同じように作業服とヘルメット姿で亡者たちと一緒に働いていた。
しかも、意外と無茶苦茶キビキビと働いている。
「ほらーっ! 働け、働けーっ! 働くことに喜びを感じろーっ! 」
スーツ男は、
「はいっ! 」
と元気よく返事しながら、黙々と働いている。なぜか、もう仲間とも打ち解け合っているようで、声を掛けたり、励まし合ったりもしていた。恐ろしい程の環境適応能力の高さであろうか。
「あ~、あ~、あ~。従順すぎるやな、あいつ」
「あの強い口調に、うっかり従っちゃったのかな? 」
「いや、普通従わんだろ」
ヒルズ男もさすがに呆れていた。俺も正直ここまでとは思っていなかったが、ある意味こわい。
「ま、ええ奴やな。まじめで従順で、欲もあらへんし」
「ええ、そうなんですよねぇ。惜しいなぁ~。あともう一つあったら、天国にも行けるんですけどねぇ」
六地蔵も乗っかって来た。
「え? 何が足りないの? 」
うるさい女が訊いて来た。
「え、わかりません? 」
六地蔵が意外そうに言ったが、
「俺わかったわ」
「俺も」
俺も、ヒルズ男も同様に六地蔵に同調した。
「うそっ? なになに? 」
うるさい女が興味深そうに聞いて来たが、そもそもそんな興味深いようなもんじゃない。
誰でも見てりゃ分かることだ。
「バカなんだよなぁ~。本当」
六地蔵とヒルズ男と俺の言う事が見事に被った。
「あ・・・あぁ、なるほど・・・」
ほらやっぱり、そんな興味引くほどの答えじゃなかったろう。
「アホやから、従うことに疑いないんやなぁ」
「考える事は常に他人任せってこと」
「要するに「おのれ」がないんですね」
「・・・ボロカスね」
「いやいや、ああいう奴はこわいで。やれと言うたら疑いない分徹底してやりよるし、従順で真面目やから手を抜かんし」
「要は一兵卒には最適だな。雇う側からすれば一番使いやすい奴だ。一定のレベルまでは出世するタイプだろうな」
「ほら、見て下さいよ、あれ」
スーツ男の周囲に、亡者たち集まり、なんかワイワイ。
馬頭の獄卒まで、肩を叩いてる。
「なじんでるよ。もう」
全員が、スーツ男の恐るべきポテンシャルに呆れるように言った。
ただ、なんだろう、俺は凄く腑に落ちたと言うか、納得したと言うか、あの男は、ここにあまりにも合い過ぎているように思った。
こんな面子の中に居て、妙に存在感も無いくせにキャラが立っている様にも思えるこの不思議なキャラクターに特別何かを感じることも無かった理由が分かった。
逆に普通だったからだ。
彼はどこにでもいる普通の日本人そのものかもしれない。
思い返せば、彼を評してみると、まさにそう思う以外に無いように思える。
そして、彼のようなキャラクターが大きく言えば、普通の日本人と言えるのは、何も不思議じゃない。
子供のころから、そうなるように教育され続けたのだ。
一律横並びに同じように教えられ、どうしてそうなるのかということより、答えを覚えるように教育された。宿題や課題は、なぜそれをするのか、その必要性はあるのか、と考える事も無く、やって提出することを強要され、親すらその説明なく、しろしろ、やれやれと強要する。なぜかではなく、その過程も無く、答えは一つとばかりに覚えさせられ、詰め込まれ、それを確認するテストさえできれば良しとされた。
積み込まれた知識は、使わなければただ忘れて行くだけのものだ。
小・中・高、それにたとえ大学を出たとしても、必要な答えだけを残して、何も考えない人間は、何も考えずに社会に出て、言われた通りの答えだけを求めて、ひたすら働き、何も疑問に思わない。ただ、日々の一握りの幸福にしがみ付き、それを離さないように必死に働くだけ。
あのスーツ男のような庶民の完成だ。
なるほど、スーツ女はともかくとして、少なくともジャラ女もスーツ男も、落ちるべくして落ちる世界に落ちて行ったという訳か。
(よくできているな)
と感心した反面、ふと思った。
(じゃ、俺はどうなんだ? 俺は普通の人間じゃないのか)
悟ったかのように、偉そうにジャラ女やスーツ男のことを語っているが、俺は一体何者なのだろうか。
ヒルズ男やうるさい女のように、見た目からして勝ち組っぽい感じを自分には感じない。
なのに、なんであいつらの事をどこか下に見る様な言い方で偉そうに評しているのだろう。
「それじゃ、次、行きましょうか」
六地蔵はそう言って、また穴を通じて、畜生道を後にした。
LEVEL.4 修羅道
四角いリングの上で、中央にレフリーが立ち、
「・・ファイッ! 」
と言うのと同時に、どこからともなく(カァーンッ! )というゴングの音が鳴り響き、四角の対角線に控えていたボクサー2人が、殴り合って闘う。
そうボクシングが始まった。
と思ったら、隣ではプロレス、そのまた隣ではバリトゥード、上では麻雀に将棋に囲碁、クイズをやっているのかと思ったら、サッカーに野球、テニスなど各種スポーツまでやっている。観客もいるが手には何か半券みたいなものを握りしめ半狂乱のように応援しているところを見ると勝敗を賭けているようだ。
他にもカードバトル、トレーダーが株の値動きで勝負をしているし、その横ではオークションで競り合っていたり、何の目的かも分からないオーディションをしていたり、プレゼンで競合していたりもする。
「何や、ここ? 」
「ここは、修羅道。闘いの世界です」
「闘い・・・? 」
「闘いっていうから、もっと殺伐としたとこかなと思ったら」
ヒルズ男は、相変わらずクールに感想を言いやがる。
「いえいえ、この世界のルールはもっとシンプルですよ。要するに何でもいいから勝てばいいんです」
「ほな、バクチでも? 」
「はい」
「クイズでも? 」
うるさい女が訊いても、
「はい」
六地蔵は、淀みなく即答する。
「ジャンケンでも? 」
ヒルズ男の質問にも、六地蔵は答えた。
「はい、なんでも。相手にジャンルを決め、対戦を挑み、相手が同意すればあとは勝てばいい。勝てば、相手のカードの持ち金を奪えます」
「へぇ~、こりゃなかなかおもろい所やな」
とは言ったものの、見てる分には面白そうだが、勝負事には縁が無い。
なんとなく何事においても勝てる自信が湧いて来ないのだ。
「勝てば全てが手に入り、負けたら全てを奪われるわけか」
ヒルズ男は、やっぱりというか、興味がありそうに見えた。
「当然、勝負が全てですから」
そう六地蔵が言った後、突然大きな歓声が湧いた会場があった。
亡者同士が刀で闘い、相手を見事に斬り倒したところだった。
よほど壮絶な戦いだったのだろう、勝った方も血まみれだった。
「命を懸けた決闘もOKです」
「いやいや、あかんやろ」
「うん。でも、こっちの方がイメージ通り。・・・あれ、死ぬの? 」
「当然、この世界も死にます」
「殺した奴は地獄行きか? 」
「勝負のルールを守ることだけがこの修羅道の法です。つまり、勝負で相手を殺しても罪にはなりません」
「はぁ・・・。ある意味厳しい世界だなぁ」
うるさい女が、普通に感想を言った。いや、もう普通過ぎるほどの普通の感想だった。
こいつは、確かに俺以上にこの世界に縁が無いように思う。残ればひとたまりもないだろう。一瞬で全て奪われそうだ。
ちょっとばかり知識があっても、ここには生き残ろうとする精神力や運だっているだろう。勝負の世界と言うのは、それだけ厳しい。
「でも、勝負に拘る勝負師にとっては天国でしょ。勝てばいいんだから」
とそこへ亡者たちが、ワイワイ言いながら一行の横を通り過ぎて行く。なにかまた、勝負事のイベントがあるようだ。
「おい、今、アレやってるらしいぞっ! 」
「今回もすげぇらしいぞっ! 」
野次馬の亡者たちが口々に言いながら、足早に駆け抜けて行った。
(アレ? )
野次馬根性からか、「アレ」が気になって、亡者たちの流れに乗って、会場に向かってみると、ゼッケンつけた亡者が細い鉄骨をフラフラしながら渡って、一人また一人と落ちて行っている。
(おい、おい、誰だよ。これ、勝負しようって言った奴)
既視感が半端ない。
どこかで見たことがある光景だ。
そこへ、お約束のように亡者の若者を先頭に、亡者のおっさんが後に続いて鉄骨を渡り出してるではないか。
(やばい。やばいよ、これは)
何か思った通り、某映画にもなっている漫画の焼き直しのようなやり取りが繰り広げられていた。
会話の詳細はこの際省くとして、比較的感動的なシーンだったなぁと思う。
亡者のおっさんが、亡者に自分のカードを差し出している。
そうそう、ここでね、良いこと言うんだよ、あのおっさんが、ほんで、それを主人公が受け取ってさ、
「決して振り向くんじゃない。前だけ見て行くんだ」
なんておっさんがいう訳だ。
ほんで、主人公が前見て進み出すんだよ。
そしたら、後ろに居るおっさんが、
「思えば、本当に無意味な、無駄な一生だった。勝てよ」
と主人公に言って、言われた主人公が、無駄じゃないって言って振り向くと、もうおっさんは無言で落ちてていないわけ。
もうそれが分かった時の主人公の、慟哭。あれがいいわけよ。
自分に動揺を与えないように最後まで主人公を気遣って落ちて行ったおっさんの為にも絶対渡り切るって主人公が決意を固める訳よ。よかったわぁ・・・。
どうも、そのまんま地でやっているようだ。
(アホやな。どうせこいつが勝負をこれにしよう言うたんやろな)
それにしても、小芝居に付き合わされて落ちて行った、あのおっさんは可哀そうに。
ただの小ネタに命かけてどうすんねん、と思ったが、ちょうど、目線をスタート地点にずらすと、そこに思いもかけない奴がスタートに控えていた。
誰かからこの鉄骨を渡るように言われて、うんうんと聞いて待機している男がいる。
「渡る! 絶対に渡りきる! 」
小芝居が続く、若い亡者の男が、決意も新たに前を向いて進んで行く。
すると、いよいよスタートを告げられた男が、
「いいんですか? 行くんですか? ・・・あ、いいんですね。じゃ、行きます」
そう言うと、普通に、ごく普通に、何の躊躇も、動揺も無くスタスタ歩いて、その若い亡者の後ろにまで来ると、
「すみません。通りまーす」
と、これまた何の躊躇も無く若い亡者をどかした。
「ああ~っ! 」
彼はただ落ちて行った。
(ああ~・・・。落ちたか)
その後も、一切スピードを落とすことなく男は渡り切った。
あまりの呆気なさと、スリルもへったくれも無い勝ちっぷりに、会場は一瞬の沈黙に包まれたが、その内に勝利を称える歓声に変わった。
そう、その歓声に包まれた男は、紛れも無き、畜生道に落ちたスーツ男だった。
ここでも見せた恐るべき日本人の性質。
言われたことが例え危険な事であっても普通に恐れることなくやり切る忠実さ。それをやる為なら、どんなことでもやり通す非情さ。
こいつ、やはりただ者ではない。
「こりゃ、驚いた。ここに上るまで、相当稼がないといけないのですが」
さすがの六地蔵も驚いたようだ。
どこにでもいる普通の日本人の代表みたいな奴と言ったが、代表的過ぎて逆に飛び抜けているのかもしれない。
「ついさっき行ったばかりなのに・・・」
うるさい女も、さすがに絶句している。
「お久しぶりです。皆さん」
スーツ男が普通に俺たちに気付いて挨拶したが、
(久しぶり? )
「たいして久しぶりでもないんだが・・・」
ヒルズ男も久しぶりと聞いて、少し調子が狂ってしまったようだ。
こいつの時間感覚はいったいどうなってんだ。
いや、ちょっと待てよ。もしかしたら、各世界で時間の進行にずれがあったとしたら、どうだろう。
「いや、お前、どないしてここに来た? 」
そうスーツ男に訊いてみた。
すると、
「いや、いつも通り掘って行ったら、なぜか地上に出て、気づいたらここにいたんです」
とスーツ男が言ったので、六地蔵に、そのままどういうことか聞くと、
「ああ・・・、なるほどねぇ」
と一人納得したっぽい事を言うので、説明しろと問い詰めると、
「非常に珍しいんですけど、畜生道はここの下層になりますから、そりゃあ、あそこから掘り上げて行ったら、ここに出てきますよね」
と言った。
それのどこが珍しい話なんださらに聞くと、要は、あの畜生道の人間は、全員、ただひたすら掘り下げて行くらしい。だから、永遠に何も出て来ないし、どこにもつながらない。
上向きに掘ろうなんて考える奴は、そもそもあの世界に行くことは無いのだと言う。
ただ、極たまに、上下の区別のつかない奴がいて、無意識に上に掘り上げて行って、この修羅道に来てしまうことがあるらしい。
その説明を聞いて、十分だった。
こいつならやりそうだとすんなり納得したからだ。
時間の進行が違うのかと思ったが、何のことは無い。こいつはあの後、そのまま掘って行って、ここに到達しただけの事だ。
すると、また亡者たちが何やら噂している。
「おい、なんかすごい奴がいるらしいぞ」
「おう、強者たちを次々と倒して行ってるらしい」
「そいつ、地獄から来たらしいぞ」
口々にそのすごいという奴の噂をしている。
そこに、六地蔵に気付いて声を掛けて来た亡者がいた。
「おっと、これは地蔵様。・・・あ、そうだ、そいつ地蔵様を探してるようですよ」
「え、私ですか? 」
そんなことを言っていると、遠くから声が聞こえて来た。
「そこにいたかぁーっ! このっ・・ハゲーッ! 」
どうにも聞きなじみのある声だ。
これも懐かしいと言うよりは、ついさっきまで聞いていた声だから、正直間違いようもない。
スーツ女が姿を現した。
一体、なんなんだろう。次から次へと、既に落ちて行った奴が復活して来るとは、この修羅道と言う所はなんでもありなのかと思うくらい無茶苦茶だ。
「うわっ、出たっ! こいつだっ! 」
亡者たちの噂してたすごい奴と言うのが、どうやらスーツ女の事らしい。
一体、このおばはんの何がそんあに凄いのかがさっぱり分からない。
それほど強者どもを次々に倒すほど、武闘派には全く見えない。
まあ、それはさておき、こんな所まで六地蔵を追い掛けて来るとは、よほど地獄での事を恨んでの事だろう。
「あなたは・・・、確か・・・、誰でしたっけ? 」
六地蔵は六地蔵で、かなり切ない事をしれっと言う。というか、さっき会ってた人間を忘れるか普通。だいぶインパクトのあるキャラだと思うぞ。
こいつ、間違いなくわざと言っているのだろうが、だとしたら、それはそれでかなり性格悪い坊主、いやもとい仏だ。
「忘れるなーっ! どんだけシビアな仏だ、このやろーっ! 」
そう言いたくなるよな、わかるよ。
「おお、そう言えば、あなたは確か地獄行の。名前が無いからいちいち忘れちゃいますね。
てへ、ぺろ」
腹が立つな、このハゲだけは。
「名前不要だって言ったのてめぇだろっ! てめぇを追いかけて、地獄の底から甦ったわよっ! 」
そうそれだ。
「一体、どうやって? 」
ヒルズ男が、代表して尋ねた。
「保釈金積めばよかったんでしょ。積んでやったわよ」
「積んだんかいっ? 」
「いやでも大金よ。あんな地獄でどうやって? 」
うるさい女も、不思議がって尋ねた。そう、どうやって?
「金集めたのよ。なんか、元々すごい得意だったみたい」
集めた? 何して? 色々疑問があふれ出るが、この女については何となく、生前何をしてた奴か、薄らボンヤリだったがイメージできていた。
「絶対、元政治家やなこいつ」
なるほど、金集めも支持集めもお得意ってことで、なんか地獄の連中の不満を集めて、それを自分の支持に変え、さらに金に換えたってところだろう。
「というわけで、お前を追いかけ、ここに飛んで来たってわけよ」
「いやいや、それは良かった」
六地蔵は、別に驚きも何もせず動じない。
「よかないわっ! このハゲーっ! よくも、よくもこの私を地獄に落としてくれたわね」
「私が落としたわけじゃないですから」
「うるさーいっ! この私に向かって、この・・・このっ・・・ああっもう、名前が出ないけど、
この私様に向かって口答えするなぁっ! 」
「あの・・、私、地蔵菩薩。わかります? あなたよりずっと偉いんですけど・・・」
「うるさいっ! うるさいっ! うるさぁーいっ! 」
この女が、元々政治家なんだろうなと分かると、妙に納得できる性格だな、と思った。
敵対する者、意見の合わない者にはやたらと噛みついたり、尊大に振舞ったり、居丈高な態度を取ったり、そのくせ、票や金が欲しい時は、これでもかと言うほど下手に出る。
どっかの女性議員のイメージそのまんまだ。
そりゃ賢いのだろうけど大して中身も無いのに、やたらと箔を付けたがるし、名誉にうるさい。だから結構自分が見えていないから、偉そうに指摘したり、抗議したりしても、すぐにブーメランが返って来る。
「あれ、あなたもここにいたんですか? 」
スーツ男が、スーツ女に気付いて、というより当に気付いているだろうが、声を掛けた。
そりゃ、あいつもスーツ女が地獄に落ちたのは知っているから、ここにいることに多少は疑問に感じたんだろう。
スーツ男ににスーツ女じゃ、何となくややこしいな。
こいつはもうスーツじゃないから作業着男と仮に言っておこう。
「ん? ・・・あら、ええ・・・と、・・・ああっ、そう言えばいたわね」
スーツ女も、すぐには思い出せなかったみたいだ。あいつのいた段階ではそれほどキャラも出てなかっただろうから印象が薄いのだろう。さらに、スーツ姿じゃなくて作業着になっているから猶更だ。
「地獄で立派なドMになられたんですか? 」
スーツ、いやもとい、作業着男がどストレートに尋ねた。
「ならんわっ! なりたくないから金集めて来たんだよっ! 」
それを聞くと、作業着男は見る見るうちに顔を真っ赤にさせて怒り出した。
「えっ? ドMになってないんですか? なんでなんですか? ドMになるんじゃないんですかっ? なんで、ドMにならないんですかっ? ドMになる為に、あそこに行ったんじゃないですかっ? 」
一体、何をそんなにドMに拘っているんだろうか、と思ったが、それよりもその言い方だ。
「なんだか、自発的に地獄に行ったみたいな解釈してない? 」
うるさい女が、家事ていた疑問を端的に言葉にしてくれた。
「こいつに、自発的という言葉が辞書にあればな」
ヒルズ男もこれに分かりやすく付け加えてくれた。
「命令イコール自分の意志みたいな奴やからな」
俺も一つ付け加えておこう。
そうだった、こいつには意志が無かったから、嫌だろうが、やりたくなかろうが、やれと言われれば、それをやり切る奴だった。
つまり、ドMになれと言われたのに、それを放り出して逃げて来たことに怒っているのか。余計なお世話と言いたいが、こいつにはこいつのルールがあってのことだろうから、理解はできないが仕方ない。
「ドMドMうるさいわねっ! あたしがドMになろうが、なるまいが、あんたにゃ、関係ないだろうがっ! 」
いや、そりゃ、確かにおっしゃる通り。
「いや、それがルールでしょっ? 違うんですかっ! 」
作業着男は六地蔵に詰め寄った。
「いや、・・・まぁ・・・そうなんですけど」
六地蔵も返事に困っていた。
「ほれみい、ざっくり説明するから」
そうだ。あの時、やっぱりちゃんと説明してやれば良かったのだ。ざっくり過ぎるほどざっくりした理解になっているから、ドMになるのが義務みたいに解釈してやがる。
「ルールは守らないといけないっ! ズルはダメです」
「ズルじゃないわよっ! ルールは守ったわよ。ねぇっ? 」
「はぁ・・・、まぁ・・・、そうなんですけど」
六地蔵はますます返答に苦慮しているようだ。
「はっきり言ったら、保釈金というの名のワイロだって」
うるさい女が、はっきり言ってしまった。
それを聞いた作業着男は、これまでのキャラでは考えられないくらいに、烈火のごとく怒り出した。
「ワイロ・・・? 許せないっ、なんて不平等なんだっ! 」
ああ、なるほどね。そうだろうね、こういうところは怒るんだよね。
ワイロとか、特権を利用した便宜とか、立場を利用した不正とか、利権とか、自分は良くても芸能人の不倫とか。
隣の国なら、石投げて「吊るせっ」とかなるらしいが、幸いそこまでは行かないのが、まだ救いだけど。
「・・・いいでしょうっ! 僕が勝負を受けますっ! 」
おいおい、作業着男よ、なんでそうなる。
「あら、そう。私に勝負を挑むとはね。いいわっ! 受けて立つわっ! 」
スーツ女がそう言うと、いきなり周囲が明るくなり、何もない所からいきなりステージが浮かび上がって来た。どこからともなくアナウンスが流れて来た。
「勝負のコールに対し、プレイヤーが宣言しました。勝負を設定します。何で勝負しますか? 」
すげえ・・・。なんだか凄いな。この世界は・・・。
「僕は男です。そちらで決めて下さい」
「ふん、かっこつけてるつもり?後悔するなよ。勝負は当然・・・」
スーツ女は、思いっきり貯めた。そして叫んだ。
「選挙よーっ! 」
「うわっ! 出たっ! 完全得意分野っ! 」
何がこいつの強みか知らないが、この世界でも強い奴をどんどん負かして行っているのはこういうことか。
(パッパラパーッ! )
妙なジングルが鳴って、ステージはさらに変わって行く。そして、ステージの前にわらわらと亡者たちが座る観客席まで生えて来るように出て来た。
「ゲームが選定されました。選挙のステージを展開します」
「選挙勝負って、ちゃんと設定あるんだ・・・」
ヒルズ男が感心して、その様子を見ていた。
「ええ、とにかく要望があれば何でも叶えますよ」
六地蔵が自慢げに言った。いや、お前がやっているわけじゃないだろ、と心の中でツッコんだ。
「では、ルールを説明します」
アナウンスが、選挙勝負の説明を始まると、ステージ上に大きなモニターまで出現した。
モニター画面に映し出されたのは、大きく4つのアイテムが表示されている。
それと同時に、画面上部の両端に、プレーヤーとなる二人の顏が小さく出ていて、その横にそれぞれ小さく数字が出ている。
「そちらのモニターに表示されたアイテムを各自の持ち金で購入し、3回勝負をして頂きます。但し、この勝負には勝敗は影響しません。この3回勝負を、こちらで無作為に選んだ100人の亡者に、最後にどちらが勝者にふさわしい人間か投票してもらい、その投票結果を以て勝敗を決します」
モニターに表示された4つのアイテムは、それぞれ「スピーチ」「握手」「実弾」「スキャンダル」。それぞれに金額まで表示されていたが、「スピーチ」と「握手」が10万円、「スキャンダル」だけ1万円、あと「実弾」がなんと1億円と出ている。
「生々しいな」
ヒルズ男が呟いたのもわかる。「実弾」っていうのは聞いたことがある、多分「現金」の隠語だ。要するに金で票を買うと言う事だろう。卑怯の極みだが、これが選挙という勝負である場合、恐らくこれは選んで勝たないと、とんでもないしっぺ返しが来るというリスクも伴うのだろう。プライドの塊みたいな女だから、最終的に勝つ為には手段を選ばないだろう。これはどう考えても女への罠みたいなもんだ。
だいたい、作業服男が使うとは思えないし、持ち金で1億もあるとは思えない。
「そらそうと、あの上にちっちゃく出とる表示は何や? 」
「あれは、支持率ですね」
六地蔵が説明した。
「ほな、その下のもう一つ小さい数字は? なんや、小数点2位まで出とるけど」
「あれは・・・倍率ですね」
「倍率・・・? てことはオッズか」
なるほど、なめていた。そう言えば、この世界は勝負の世界だった。
選挙勝負と言っていたが、実際は単純な投票ではなく、どちらが勝つか100人で賭けているのだ。勝負の舞台裏でも勝負しているわけだ。
「ああ、でもね」
六地蔵が補足した。
「掛金の総額で無くて、あくまで一人一票の勝負なんです。ここがミソです」
つまり、こういうことか、例えば持ち金千円の奴が、作業服男に賭け、1億の奴がスーツ女に賭けたとして、金額ではなく投票数でということは、仮に女が勝ったら、儲けは千円ぽっち、逆に男が勝とうものなら1億丸儲けってことか。負ければ全額没収、勝てば勝った奴らで均等にそれを山分けって事か。
そうなると、支持率がそのままオッズに比例するってわけでも無いってことになる。
ゲームの進行によって、その支持が動いて行くとなると、オッズもとてつもなく動いて行く。最終的に投票するまで、賭ける方も慎重に見ないといけなくなるって事か。
「よく考えられているな、これは」
ヒルズ男も同じように考えていたようだ。
確かにそう思う。
改めて表示を見ると、始まる前では、やはりスーツ女が圧倒的優勢だ。
オッズに至っては、倍率0.00になってる。男の支持率が一応2%になってるから、ゼロってわけじゃないだろうが、一獲千金目当ての貧乏票だけが支持してるのは想像に難くない。
「長い闘いになるな」
ヒルズ男が言ったが、正直、
(そうか? )
と思った。始めた所で、おそらく票に動きは無いだろう。
作業服男に到底勝ち目があるとは思えない。
スーツ女もおそらくスピーチと握手だけで十分勝てると見込んでいるだろう。
「それでは、ゲームスタートですっ! 」
会場は異様な熱気に包まれている。アメリカの大統領選挙並みだ。日本の選挙では、あり得ない盛り上がりだ。
「それでは、各自アイテムの購入をお願いします」
とアナウンスされるや否や、すぐさま、スーツ女が、
「スピーチ」
と先に購入した。
これもよく考えられているな、と思った。
3回勝負で主催側がお題を決めればいいものを、わざわざ勝負のネタをプレーヤーに買わすところが、なんとも気持ち悪い。要は、購入することで自分の得意分野で勝負できるということだ。当然、一勝負の勝敗は影響しないと言うが、この修羅道で「勝つ」と言うことの意味は恐らく相当大きいはずだ。それが、直接、人気や好感度に繋がり、支持率を高めることになる。
(出来レースもええところや)
一番勝負のスピーチは、お題を「どうするどうなる地獄道」という、これもスーツ女に有利なお題にされてしまった。
さすがというか何と言うか、問題点は具体的な事例を挙げて、聴衆の共感を引き出して行き、「これでいいんですか、皆さんっ! 」とお決まりの文句の後に、これに対する具体的対案無しにいきなり結論だけ言って、後は「頑張ります」とか「やりきります」とか「あきらめません」等の適当な事を言っては、ちょいちょい聴衆の一人をいじったりする手法だ。
具体的な方法論を言っても、聴衆は理解できないし、尚且つ言ってる本人だってわかっていないのだろうから、演説なんて結局意気込みと話が面白ければ、それで成り立つのだ。
結果、大多数の聴衆はそれでなんとなく満足してしまい。この人だったらなどと思ってしまうから不思議なものだ。
当然ながら対する作業着男がそんなに巧みな話術など持ち合わせているはずも無く、たらたらグダグダと話して、例えにもなっていない私事を言い、スーツ女のスピーチから拝借したネタを喋り、オチも全く無く、「頑張ります」で締めくくった。
もう一番勝負の勝敗は聞くまでもないし、そもそも勝敗を決めるものでもないからアナウンスは一番勝負の終了を告げるのみ。
ただ、票の動きもオッズも如実にその結果を裏付けた。
(勝負にならん)
続く二番勝負も、スーツ女が「握手」を購入。
中には、昔の競艇場や競輪場にいたような予想紙を腋に挟んで、赤ペンを右手に左手にワンカップ酒を持った汚い亡者もいるのに、嫌な顔一つせずに、笑顔で声を掛けて握手している。いやいや、見習いたいくらいだ。
本当は「寄るな触るな近づくなっ! 」と言いたいところをグッと堪えているのだろう。
地獄までの道中といい、今ここでのやり取りと言い、実際、言ってる所を見たわけではないが、自信を持ってそうであると断言できる。
対する作業服男は自分だって泥だらけの作業着姿のくせして、握手するのもいちいち躊躇していたり、よせばいいのに「手を洗いました? 」とか聞いていたりする。
これも結果は一目瞭然だった。
もうこれ以上やる意味あるのかと思ったのか、スーツ女が勝利宣言をした。
ところが、作業着男は、まだ敗北を認めずに、
「次行きましょう」
と前に道行きで聞いたようなことを言っている。
「おいっ! もうええからやめとけ」
「そうだ、もう勝敗は見えてる」
ヒルズ男もどうやら同じ思いだったようだ。
「いやいや、最後の勝負が肝心です。大逆転もありありですよ」
と六地蔵が言うとメモみたいなものをそれとなく作業着男に渡した。
「次の勝負を選択して下さい」
アナウンスが流れると、すかさず作業着男が手を挙げて、
「じゃ、実弾で」
「なにーっ? 」
一同全員が驚いた。
(迷い無しで、禁じ手選びよったっ! )
ところが、すぐにブブーッとブザー音が鳴ると、
「・・・残高不足で購入できません」
と結構恥ずかしいアナウンスが出た。
「あの・・・ローンとか使えません? 」
作業着男も結構見苦しいことを平然と六地蔵に聞いて来た。六地蔵は少し困りながら、
「いやぁ、すみません。うち、そういうのやってないんですよ」
とまぁ、取って付けたような慣用句を言うと、作業着男は、
「ええ? だって、あの人は、地獄でさっきのスピーチみたいな事言って、人から金集め
た挙句、自分だけその金でワイロと言う名の莫大な金額の保釈金払って出て来たんでしょ。
ダメじゃないですか普通」
(あれ? ・・・もしかしてこれって・・・)
「ちょ・・・ちょっと、変な言いがかり付けないでよ。正規の手続きを踏んで、私は出て来たのよ。何か悪い事したみたいじゃないのっ! それに、こうして地獄の現状を訴える為に亡者を代表して地獄から出て来たのよっ! その為の資金なんだから」
「その割には、さっきから六地蔵さんへの恨み言しか言ってないじゃないですか」
「そっ・・・そんなことない・・・わよ」
おやおや、スーツ女の歯切れが悪くなって来た。
「購入可能なアイテムを選択し直して下さい」
アナウンスが催促して来た。選択しろと言われても、もう「スキャンダル」しか残されていない。
「あ、じゃあ、仕方ないんでスキャンダルで」
「ではスキャンダルが選択されました。では、まず選択者のターン」
煽りのジングルが鳴ると、
モニターに映し出されたのは、畜生道の馬頭の獄卒や同じ班の亡者たち。
作業着男の人物評を聞かれて、どいつもこいつも非常に好感が持てる様なインタビュー結果が流れる。
「真面目」「一生懸命」「誠実」「堅実」「優しい」「気遣いの人」などなど、良い所のオンパレードだ。「根本的に人に無関心」とか「世間体だけで自分が無い」とか悪く言う事はいくらでもできるだろうが、一切悪い事は言わない。
「続いて、女性のターン」
あおりのジングルが鳴り、続いて、
「そこにいたかぁーっ! このっ・・ハゲーッ! 」
とスーツ女の鬼の形相がモニターに映し出され、それと共に大音量で声も流れた。
立て続けに続く映像、
「どんだけシビアな仏だ、このやろーっ! 」
「てめぇを追いかけて、地獄の底から甦ったわよっ! 」
「保釈金積めばよかったんでしょ。金集めたのよ」
「地獄で立派なドMになられたんですか? 」
「ならんわっ! なりたくないから金集めて来たんだよっ! 」
なんか、モニターに映し出された映像と音声にさらにナレーションまで入った。
「このように地獄の惨状を世間に訴えると称して地獄の亡者の方々から資金を調達し、その資金を使って高額の保釈金を支払い、自分一人だけ地獄を抜け出し、先ほどにも発言していたように、本来の目的は自分がドMになりたくないからとはっきり言ってます」
すると、モニターは、どっかのスタジオに映像が切り替わり、地獄にいた赤鬼の獄卒が銀縁眼鏡を掛けて、ワイドショーのコメンテイターのように、
「いや、もう許せませんよね。人から尤もな事を言ってお金集めて、蓋を開けたら、ドMになるのが嫌だとか、地蔵様に対する単なる私怨という見方もありますね」
すると、司会なのだろうか、青鬼の獄卒がセクシーな衣装と打って変わって、パリッとしたスーツ姿で、メガネまで掛けて、
「そうですね。六地蔵様に対する非常に聞くに堪えない罵詈雑言の数々も人格を疑いますね。・・・おっと、ここで六地蔵様のインタビューが入って来たようです」
映像が切り替わると、どっかからの中継らしく、六地蔵にマイクを向けられている。
(これ、いつの間に答えとったんや? )
なぜか、六地蔵が泣いている。時々、声を詰まらせつつインタビューに答える。
「・・・私はね・・・、お亡くなりになられた方々が迷わねように、そりゃもう誠心誠意、心を込めて、いつも皆さんを導いているんです。それをっ・・・ううっ・・・すみません・・・。それをね、あんな風に言われるなんて、・・・もう、ほんと・・・、耐えられなくてっ」
最終的には、その場で泣き崩れるところまで、映像が流れた。
(キャラちゃうわぁ~・・・)
もはや、こっちは呆れるしかない。
画面は再度スタジオに切り替わって、青鬼が赤鬼にコメントを振った。
「これはもう、本当に胸が痛くなります。ただ、手続き上は問題ないと言う事ですよね」
「ええ、保釈金も含めルールには則っているものの、やはりこれは道義上の責任は問われるべきと思います」
赤鬼がコメントしたが、冷静に見れる立場の人間からすると、お前らが、その問題のある保釈金を受け取った側の人間違うんかいっ、とツッコみたくなる。
自分たちの責任をうまくスーツ女の責任にすり替えているようにも見えた。
「以上です」
青鬼が締めた所で、映像は終わった。
「では、3番勝負をこれにて終了します。これより、投票開始します。」
すかさずアナウンスが流れたもんだから、スーツ女が慌てて叫んだ。
「えっ! いや・・、ちょっと待ってっ! 何なのよっ! これっ! 全然違うっ! こんなの切り取りの印象操作よっ! 偏向報道だわっ! 事実無根の捏造よぉーっ! 」
事実無根でも捏造でもない。あの女の本音の部分を直に聞いてるから、大筋は間違ってはいないが、切り取りに印象操作やりまくりの偏向報道というのは、全くもってその通りと思う。
まぁ、作業着男が選択して金を払ったのだから、あいつ寄りになるのは分かるが、ここまでやるとは思っても無かった。
「すごくよく考えられているな」
またヒルズ男が感心しているが、そんなことよりも、なんだこりゃ? というのが俺の正直な今の感想だ。
生々しく、それでいて相当俗っぽい。
これが本当に死後の世界だって言うのなら、本当にクソのような世界だ。
(それに、あの六地蔵や。ほんまにあいつは怖い。敵に回すと碌な目に遭わん)
三番目の勝負の前に、作業着男に渡したメモみたいな物は、恐らくここまでに至る筋書きと言うか指示書なんだろう。指示さえあれば、あの作業着男はそれを忠実に実行するだろう。
まぁ、元々喧嘩を吹っ掛けられたのは六地蔵なんだから、その代理に勝負を受けた作業着男側に付くのは仕方ないとしても、ここまで大掛かりにやるとは余程、あの女の鼻っ柱を粉砕するくらい折ってやりたかったのだろう。
「投票受付を終了します。ただいま、開票集計中です。」
さて、そうこうしてるうちに無情にもドラムロールが鳴っている。
さっきのアナウンスと共に最終投票が女の抗議も虚しく無視され、開始されていた。
そろそろ、集計結果も出そうだ。
盛り上がりの為か、それとも誘導することが無いようにかわからないが、モニターに表示されていた支持率やオッズも途中から消えていた。
ドンッ!
一同は固唾を飲んで、結果を待った。
「開票結果を発表します。男性、74票。女性、24票。よって、男性の勝利! 」
すると場内に映画「ロッキー」のテーマ曲が流れ、ウワーッっていう歓声が上がった。作業着男は当然喜び、関係ない亡者たちが彼の元に集まり、次々握手を交わし、六地蔵ともがっちり握手している。ダルマが何故か持ち込まれ、目まで入れ始める。そして、何故か作業着男に傍らに見ず知らずの女の亡者が涙を流しながら、周りの亡者たちに何度も頭を下げている。どうやら、候補者の奥さんの位置づけなのだろう。さらに続いて万歳三唱へと移って行った。
それを見ているヒルズ男が、ぼそっと呟いた。
「・・・勝っちゃったよ」
「アホやのに・・・」
「これ本当の選挙なら、こわいことよね。あのバカが議員よ」
「いや、ぶっちゃけ、ほんまの選挙もこんなもんやろ」
そう思いたくもないが、現実は確かにこんなもんなのだろう。
ところが、この結果に当然、スーツ女は納得していなかった。
「ふざけんなっ! こんな勝負は認めんっ! こんなバカにこのあたしが負けるわけないだろっ! 」
作業着男は、ごねだしたスーツ女に向かって、改めて勝利を宣言した。
「いや、僕が勝ちました」
「うるさいっ! 黙れっ! 」
この手の女性と言うのは、いつもこうだな、と思う。
返答に窮したり、論破されそうになると、必ず逆ギレする。
「勝負は勝負ですから」
作業着男の言う通りだ。
特に中立の立場として見ていても、この勝負については公平に行われている。
多少偏向し過ぎな所は合ったが、元々、このアイテムを購入したのは作業着男ではあるから、これも有りだ。第一、自分に有利なゲームで、かつ有利なアイテムを使っている以上、これに文句をつけるのもおかしい。
「こんな勝負は無効だっ! あたしが勝たない勝負は全部っ! 無効だーっ! 」
ああ、言っちゃったよ。もう小学生以下のレベルのわがままだ。
聞くに堪えん。
「なんて人だっ! 見苦しいですよっ! 」
勝負はついた。アナウンスはこう告げる。
「それでは女性の持ち金が男性に全額移行されます」
「ちくしょーっ! あたしの金がっ! あたしの金がぁーっ! 」
カードの残高を見て、絶叫するスーツ女だが、
「お前の金とちゃうやろっ! 地獄の亡者どもがお前に託した金や。どうすんねん? 何の成果も出せんまま、おまえのわがままで無一文になってもうたぞ。このままなら、お前は詐欺師や」
これを聞いたら、スーツ女はますます半狂乱のようになって、再び六地蔵にしがみついた。いや、さっきまでの勢いはどうした、現金な女だ。
と思ったら、
「望めば、出て来るのよね、ここは? 」
「ああ、はい。そうですね」
六地蔵は答えた。
「じゃあ、お金も出て来るの? 」
「はい、出ては来ますよ。ただし、現金です。・・・わかります? ここでの支払いも購入も全てカードで済ませますので、出て来た現金はただの紙切れですよ」
「はぁぁぁ~っ! 」
本当に現金な女になろうとしていたみたいだが、世の中、そう思うようには行かない。
いよいよ、追い詰められたのか、小さく「やばい、やばい」と連呼して呟き出すと、突然、何かを閃いたようで天に手をかざすと、ナイフが二本落ちて来る。
一本を手にして、もう一本を作業着男の足元に向かって蹴り飛ばした。
「拾いなさいよ」
と作業着男に向けて言い放つと、命令されればうっかりその通りやってしまうのが、この男の良い所でもあり、悪い所でもある。
作業着男が拾うや否や、スーツ女は、
「金返せーっ! 」
と叫びつつ、作業着男にナイフの刃を突き立て向かって行った。
いきなり刺された作業着男が、倒れ込むとスーツ女はすかさず馬乗りになって、複数に渡って刺した。
あまりの突然の事に、呆気に取られていたが、ハタと気付いて全員でスーツ女を止めに入った時、既に作業着男は、十数か所刺されていた。
スーツ女は取り押さえても、興奮が収まらず、
「勝ったわよっ! あたしの勝ちだぁーっ! どうだぁーっ! 金は取り返したわよっ! あたしがあんたなんかに負けるわけが無いのよっ! 」
と、そんなことをずっと言っている。
すると、突然、サイレンが鳴り響く。
獄卒共が多数会場に雪崩を打って乱入して来ると、一気に総出でスーツ女を羽交い絞めにした。
「何よ、ここじゃ殺しても罪にならないんじゃないのっ? これは、勝負よ! 私は勝ったのよっ! 」
「いいえ、勝敗は決してます。完全なルール違反です。残念ながら、二度と出られぬ地獄行きです」
六地蔵がそう言うと、スーツ女は獄卒たちに引きづられ、連行されて行った。
「いやだー! あたしは、ドMになりたくない! あたしはっ、どっちかと言うと、ドSなのよっ! 」
そうだろうよ。
この作業着男の姿を見れば一目瞭然だ。
スーツ女が連れて行かれた後、殺された作業着男も馬頭の獄卒たちがやって来て、引きずられながら退場して行く。
「あら? 畜生道の馬じゃない? 彼、どうなんの? 」
「死んだようで死んでません。元は畜生道の住人ですから、畜生道でないと死ねないのです。だから、記憶も消されず戻ってやり直しです」
そうなのか。
いい加減な割に細かい設定もあるんだな。
いや、こりゃ逆だな。いい加減だったから、後で細かい設定が付け加えられているような感じだろう。
「はぁ・・・」
ヒルズ男がため息をついた。わかる気がする。
俺も同じ思いだ。
「なんやろうな・・・、何か」
別に、あの世を天国だと思っていたわけじゃないが、もう少しはマシな世界だと思っていたのに、実際、見ると聞くでは大違いなんて言うが、マーライオンなんて比にならないくらいのガッカリぶりだ。
「なんですか? どうしました? 」
六地蔵も察してか、わざとらしく尋ねて来たが、正直、わかるだろっと思って、イライラする。
「いやなんか・・・碌なとこないな・・・と」
ヒルズ男が正直に答えてくれた。本当にまったくだ。
「そうですか。ま、次はいよいよ、お待たせしました。天道ですよ。いわゆる天国です。
気に入ること間違い無しです」
そう聞くと、確かにやっと天国だ、と思えて来た。
言っちゃんなんだが、これまでのクソみたいな世界は、全部人間世界よりも下に位置する世界なんだから、そりゃ、確かに良いはずが無いのだ。
その分、人間世界よりも上の天国なら期待できる。
「そうか。天国かっ! てか、俺でも行けるんやなぁ~」
生きてた頃の自分が何者で、善行も悪行もやった記憶が無いけども、天国に行けるってことは、それなりに良い人間だったのだろう。
「そりゃ、ここまで来ましたから。皆さん、良かったですねぇ~」
六地蔵も乗せて来るのだが、こいつが言うと、どうも怪しく感じてしまう。
「ね、あたし、ここに残るわ」
突然、うるさい女がそう言った。
「は? え? マジかっ? こんなとこでええんか? 次は天国やねんぞっ? 」
「わかってるわよ。でも遠慮しとく。だいたいどんな所か察しがついてるから」
「はあ、わからんわぁ。まったく理解できんわ」
「地蔵様の言う通り、要は考え様よ。あたしにとっては、ここの方が天国かもしれないし、ずっと楽しいと思うの。闘うって言っても、こっちが受けなかったら殺し合いにはならないし、殴り合いにもならないでしょ。好きな勝負で勝ち続けりゃいいんだから」
はぁ、そんなもんかなぁ・・・。
単に勝ち続ければいい、て簡単に言うけど、それはそれでかなり難しいと思うし、考えただけもしんどくなって来る。俺なら、ストレスで死んでしまう自信がある。
「ま、いいですよ。あなたがそう望むなら、全然」
六地蔵は相変わらず強要することなく、本人の希望に任せている。
そして、六地蔵はヒルズ男に声を掛けた。
「・・・どうしました? 妙に思いつめて? 」
「いや、そんなんじゃない。別にどうもしない」
「そうですか。じゃ、行きますね。お気をつけて。この世界を楽しんで下さい。・・・あ、そうだ」
「なに? 」
「ああ。いや何、何でもありません。それでは」
六地蔵の何か意味深な、この時のやり取りを、天国への期待感でいっぱいだった俺は、うっかり聞き逃していた。
「じゃあねーっ! 」
うるさい女は、元気に手を振って俺たちを送り出してくれた。
そして、六地蔵とヒルズ男、そして俺の三人は、ついに天国に向かった。
LEVEL.6 天道
「さて、今までに「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」と巡って来ました。次は、皆さんがいらっしゃった人間道となりますが、当然ここの説明は不要です。そして、次が最後の世界。皆さんもよくご存じの天道、つまり俗にいう天国です。または極楽浄土と言われる楽園です。そこにあるのは、あらゆる苦しみから解放された悦びと楽しみしかない完全なストレスフリーの世界。思いのままに飛べる自由自在の楽園。さあ皆さん、よくおいで下さいました。思う存分にご堪能下さいっ! 」
なんとも、派手に仰々しく謳った六地蔵の紹介に、期待が高まった。
世界は、青く美しく晴れ渡った空が広がり、そこに一朶の雲が流れている。
地には金色に輝く御殿があり、宙を天女が舞い飛び、数人の仏が御殿をゆっくりと歩いている。庭先な大きな池には蓮の花が咲き乱れている。
「すげえ・・・」
息を呑む程の美しさとは、まさにこういうことかと思った。
確かに、これは楽園と言うのに相応しいと心の底から納得した。
が、肝心の亡者がいない。
視界に入って来ない。
御殿へと続く小径を六地蔵の先導で歩いている。
小径の両側は、池以外、一面の花畑になっている。というより、花で一面覆い尽くされ、地面が見えない。
だからこそ、この美しい光景となっているのだろうけど、そこにいるべき人の姿がない。
いたらいたで、正直、景観を損ねそうな気もするが、いないと不安になって来る。
「六地蔵、人がおらんのやけど、どこかにおんねんな? 」
恐る恐る六地蔵に訊いてみた。
すると、六地蔵はきょとんとした顔で答えた。
「何言ってるんです? そこら中にいるじゃないですか」
「は? 」
そこら中? どこに?
すると、ヒルズ男が、花畑の花をかき分けて地面を見ると、顔面蒼白になりながら声を掛けて来た。
「おい。見ろ」
言われて、俺もそれを見た。
「げっ・・・」
複数の亡者が、頭に一輪の花を咲かせている状態で白い柔らかいソファみたいなものに首から下が埋まって、その顔は気持ちよさげに悦に入ってる。
「ぎゃあああ~っ! 」
気持ち悪っ! この一面に咲く花一輪一輪、全部が亡者たちの頭から咲いている花だった。しかも、全員が、まるで危険ドラッグを打った後のように、恍惚の表情を浮かべて、埋まっているのだ。
(マンドラゴラか? )
と思わず、心の中でツッコんでしまいそうになる。
いや、マンドラゴラは根っこだが、こいつら、頭に花を生やしている。
つまりは、頭が株で、体が根っこみたいになってる。
「いやっ、あかんあかんっあかんっ! やばいっ! やばすぎるってっ! 」
「は? 」
六地蔵がわざとなのかどうか知らないが、あざとく惚けるように言った。
「は? やないやろっ! 飛んでる言うか、もう飛び過ぎやがなっ! 皆して、イッてもうとるがな」
「そりゃそうですよ、天国ですもん。言ったでしょ、苦しみのない、悦びと快楽だけの」
「字面そのまま表現したら、そらそうなるかもしれんけど、マジでただの違法薬物の中毒患者やろ! 」
「もしかして、あなた、とある危険ドラッグの中毒患者みたいに思ってません? 」
「ちゃうんかい? 」
「違いますよ。全然違いますよ。だって、体に害ないですもん」
「ほう・・。心なしか、こいつら全員、気持ちよさげにしつつ、目にクマができとるで、しかもガリガリやし。土地に養分吸い取られとるんとちゃうか? 」
「ま、確かに気持ち良すぎて動かないですから、疲れないので寝ませんし、おなかも空かず食べませんし、ま、よく言う所の根が生えるって奴になってますけど」
「不健康やないかっ! 」
亡者をどつく。
「あー、あー、あー、ダメダメ、駄目ですって、頭はたいちゃ」
「なんでやねんっ? 」
「この花に当たったら、死んじゃいますから」
「えーっ? 天国でも死ぬのっ? てか、打たれ弱っ! 」
「言ったでしょ。地獄以外は死にますよ、普通に」
「死ぬんやぁ・・・。つうか、この花、なんやねん? てか、この花があれか? ドラッグ的な役割果たしとんか? 」
「まぁ、そんな所です。死ぬと花が枯れて、体中垢だらけになります」
「それ風呂入ってへんだけやろ。ほんま、ここまで期待持たせて最後の天国まで、こんなんかいな」
「別にあなたの趣味嗜好に合わせて世界があるわけじゃないですしね。これでもここがいいって喜んでる人もいるんですよ」
「おるかいっ! 」
同意を求めて、ヒルズ男の方を向くと、ヒルズ男は気持ちよさげにしている亡者たちをずっと見ていた。その見つめる目が、どことなく寂し気で、それでいて憧れの眼差しにも見えた。
「おい・・・?? どうした? 」
「・・・ん? ・・・あ・・・ああ、俺、ここがいいかも」
「はぁっ? 気は確かかっ? こんなんどこがええねんっ! 」
こいつは何を言っているんだ?
あまりの言葉に、根っこどころか、草が生えるわ。
こいつらは、ただひたすらストレスの一切ない快楽だけを求めて、動くことも無い。
この世界でも一番のダメ人間たちと言ってもいいくらいだ。
こんな奴らに憧れる? こんな奴らと同じようになりたい? 何を言ってるんだ、こいつは? おいおい、お前、ヒルズ男だろ? こんな奴らとは一番縁遠い男やないんか?
「お前には、わからんのだろうけど・・・、俺はもう疲れたんだ」
「いやいや、そら合法かもしれんけど、完全にジャンキーの世界やぞ」
「もう何も考えなくてもいいんだろ。俺の望みは唯一それだけだ」
「はぁっ? あかんっあかんっ! 気しっかり持てっ! 何があったんやっ? 」
必死に訴えても、ヒルズ男の目はすでに虚ろになっている。聞いているようで、すでにこっちの声も聞こえていないように、目線は徐々に宙を泳ぎだしていた。
うわ言のように、ヒルズ男は言い出した。
「罪も犯さず、欲望も押さえつけ、真面目に、かつ必死に考え、競争にもなんとか頑張って打ち勝って来た、もう望む物は無いんだよ、安らぎしか。本当に何もかも疲れたんだ」
「・・・おい、ちょー待て。お前、まさか記憶が・・・? 」
明らかに自分が何者で、生前何をやって来たか分かっているような物言いだった。
「俺はここにいていいのか? 」
ヒルズ男は、虚ろな目をしたまま六地蔵に尋ねた。
「ええ、ええ。あなたが望むなら。花が咲きますよ」
六地蔵は止めもせずに、またここでも煽った。
「咲かすなっ! 咲かしたあかんってっ! 」
六地蔵の声は聞こえても、必死に止めようとしている俺の声は一切、こいつに届いていない。
「やっとだ。やっと解放されるんだな・・・」
一体、生前のこいつに何があったんだ?
お前は勝ち組やったんと違うんか?
「そうですよ。ここであなたはようやく救われるのです」
「やめえっ! お前、煽んなや! 」
「そう・・・かぁ・・・」
ヒルズ男の体が見る見るうちに雲のような白いふわっとした地面に沈んで行く。
首まで沈み込むと、するとヒルズ男の髪が根元から膨れ上がる様になって来た。
「はぁっ? 」
根元から膨れ上がる? 根元から?
(やばいっ! まっ、まさか、こっ・・・こいつの頭っ? )
そう、頭頂部から花が生えて来たのだ。あいつの頭の地肌から。
そしてそれを阻むものを押し上げてまで、力強く生えて来たのだ。
本来、それが髪の毛であったなら、どれ程良かったことだろうか。
花はかつらを押し上げ、ついにずれたかつらを完全に落として、一本もない輝かしい頭頂部に美しく大きな一凛の花が咲いた。
「うわっ! うわっうわっ! えーっ? ええーっ? あかんっ! あかんっ! えらい
ことなってもうたでぇーっ! 」
もう見ていた俺も、あまりのヤバい光景に、適切な表現が思いつかなかった。
「往生なさいましたな。いや、重畳、重畳」
六地蔵、美しく輝く頭同士に共感したのかは知らないが、思わず手を合わせていた。
「重畳な訳あるかいっ! お前、わざと煽ったなぁ! それこそ、文字通り墓場まで持ち込んだ秘密が、今、白日の下に晒されてもうてんぞっ! 」
「だとしたらどうなんです? みんなわかってたことです。よかったじゃないですか。全て曝け出せて。で、あなたは、どうするんです? もう行く所が無いじゃないですか? 」
「もう一つあるやろ? 人間道が。戻せ」
「なんで戻りたいですかねぇ? 巡ってきた五道を落ち着いて考えて下さい」
「当たり前やろ。身に覚えもない罪で理不尽に痛めつけられる世界も、欲望が満たされない世界も、労働を強いられる世界も、勝ち続けなあかん世界も、ヤク中みたいに飛んどる世界も全部。ん? 」
あれ? 全部?
なんだろうか、その後に俺は何を言うつもりだったんだろう。
どこかで、気づいていたのかもしれない。
この世界って、一つ一つ別々になっていたから分かり難かっただけかもしれないが、そうだ、これって全部・・・。
「そう、全部人間界にありますよね? この理不尽な世界が、あなたが戻りたいと望む人間道そのものじゃないですか? 金・物・欲にまみれ、理不尽に振り回され続け、勝ち続けなければ何も得られない、負けて罪を犯しても、そこから快楽と悦楽に逃げ出しても、二度と這い出せない地獄に落ちる。いったい何が違うというんです」
そうだ。
六地蔵の言う通りだ。
まさしく、俺たちの生きていた世界そのものだ。
「なんやここは? なんでこんなとこ作ったんや? 」
死んでまで、なんでこんな所におらなあかんねん。
死んだら解放されるんと違うんか?
悪趣味が過ぎる。一体、何の冗談だ。
「当然、私が造ったわけではありませんよ。・・・勝手に出来上がったんです」
「勝手に?出来上がった? 」
何を言ってるんだ、このハゲ坊主は?
「・・・だから、誰が造ったんや? 」
「決まってるでしょう。人間ですよ。他に誰がいます? 」
はぁ? 何を言い出すかと思ったら、人間だと? 現世で死ぬほど嫌な思いをさせられて、それで死んでもまだあの思いをしたい奴らがいるって言うのか?
「アホとちゃうか? 人間が望んだ・・・? パチモンの人間世界を・・・? 」
「はい、正解! 造られた過程は餓鬼道と同じ理屈ですよ」
「餓鬼道と同じ理屈? 」
餓鬼道って何だったっけ?
確か、望む物が手に入るが、絶対に満たされないって奴だったよな。
「あなたは、何を望みます? 命? そりゃ無理です。だって、死んでるんですからね。じゃあ、命の次に望むことって何ですか? 」
「命の次? 望む物? 」
そう聞かれて、すぐに思いつかなかった。
六地蔵はゆっくりと、この六道の成り立ちを語り出した。
「簡単な話ですよ。昔話の説話みたいに言えば、死んだ人間にお釈迦様が同じように問いかけたのです。すると、亡者は答えました。食い物を腹いっぱい食べたいと。可哀そうに、その亡者は飢え死にでもしたんでしょうね。お釈迦さまは、望み通りに食べ物を一杯上げました。でも、そもそも死人ですから、満腹になりません。どれだけ食べても、食べても、決してお腹は膨れません。また、ある者はお金を望みます。これも同じく、死人にとっては価値のない物です。ある者は性欲を、またある者は、・・・とまあこんな感じで、求めても叶わない物を、人は次々に形にしていきます」
なんだ、この話は、なにかに例えているのか? そんな感じがする。
説話だから、何かを例えているのだろうけど。
「そうしていると、ある変態が望みます。痛みが欲しいと、自分に七難八苦を与えて欲しいと。また、ある者は、自身の探求心を満たす為に、代わりに掘ってくれる者たちを求めます。すると、ある者は働きたいと望みます。そして、ある者は、ただ勝負がしたい、常に闘いに身を置きたいと望みます。またある者は、ただただ、安楽した日々を過ごしたいと望みます。・・・わかります? これがこの世界の成り立ちです」
つまり、全部、俺たち死んだ人間が望んで作り上げた世界だと?
妙に俗っぽいのも全部、人間社会のコピーのような世界を作りたかったから?
「理不尽に見えますけど、結局、これ全て皆さんが望んだ世界ってことですよ。その証拠に皆さん、ま、お一人は除いて、御自分の意志で喜んで行かれたじゃないですか。私からすれば、あなたがおかしいんですよ。お聞きしますけど、あなた、何が望みなんです? 一体、この世界に何を求めてるんです? 」
「お・・・俺は・・・」
この問いに答えることができない。
そうだ、俺は一体、何を求めているんだろうか。
いや、違う。
何をこんな似非地蔵に惑わされているんだ。
もっと前に、一番疑問に思っていたことがあっただろう。
「死んだ人間全員ここに来てへんな? いっちゃん多いはずのじじいばばあがほとんどおらんけど。そいつらは、どこへ行ってん? 」
そうだ。
ここにいる連中は、死んだときの年齢のままだ。とすれば、全員若すぎるんだ。
いなかったわけじゃないが、それにしても少なすぎる。本来、大多数いるはずの老人が非常に少なかった。
つまり、死んで向かう場所は、この六道だけじゃない。
大多数の人が向かう、もっと他の世界があるはずだ。
「そりゃ、嘘でも幻でもない、本当のあの世ですよ」
「やっぱあるんやっ! 」
「あります。仏の世界、真の天国といえる「涅槃」が」
ほら見ろっ!
もったいつけやがって。俺がこんなろくでもない世界を求めるわけがない。
いや、ほとんどの奴らもきっと同じなんだ。
「あるんやぁ~、へ~。なぁ? どないしたら、そこへ行けるん? 」
「無理ですよ。行けやしません。必須条件が欠けてますから」
「必須条件? 何やそれ? またカネか? なぁ?カネなんか? 」
「お金じゃなくて、「悟り」・・・ですよ」
「悟り」?え?「悟り」?
また、難しいことを言い出したぞ。このハゲが。
「なんや? 「悟り」って? 何を悟るんや? 」
「それ言ったら、答えになっちゃうじゃないですか」
「それもそやな。・・・ごめぇ~ん、何かヒントくれや。いやくれへん? いや下さい。お願いします」
ここまで来たら、どんなに気に入らないハゲだろうと関係ない。ずっと、いるならできるだけ納得できる場所に居たい。少なくとも、この六道は、俺が居たい場所じゃない。
このハゲに媚びを売ってでも、その「涅槃」とやらに行きついてやる。
「・・・ま、仕方ないですね。じゃまず、この六道が何故あるか。そして、涅槃へ行く者と、あなた方、亡者の違い。ま、こんなとこですか」
はぁ? ヒントにもならん。なんでこいつは、こんなに禅問答のような事を言って来るのかと思ったら、そらそうか、こいつ仏だった。
「・・・わからん。まったく、ピンともこうへん」
「当たり前です。そんなすぐにわかったら苦労しません。ま、もう少しヒントを出してあげましょう。この六道が造られたのは、唯一の願望を叶えたいからです。その願望が故に、縛り付けられ、永遠にスパイラルのように巡り続ける。その願望こそが、悟りに対する最大の障壁であり、最大の罪であると言ってもいいでしょう。じゃ、その願望ってなぁ~んだ? 」
「お前、ごっつうバカにしとるやろ? 見下されながら偉そうに説教されとる気がする」
「気がするんじゃなく。その通りです」
「ふざけんなやっ! くっそぉーっ! そこまで言われたら絶対に解いたるからなっ! お前が見下す欲深で、低俗な人間たちの知恵っちゅうもんを思い知らせたるっ! あいつらにもう一回会わせろっ! これは、あいつらと一緒に解かせて下さいっ! もう、ほんまにお願いしますっ! 」
腹が立って忘れていた。こんな奴でも、仏は仏、媚びを売ってでも、問題を解くんやった。
「え? は? ・・・偉そうに啖呵切ったと思ったら、自分一人では絶対に解けない自信はあるんですね。ま、いいでしょう。その素直さに免じて特別サービスです。欲に溺れ、因果に縛られる六道において、唯一「悟り」を開けるのは欲と因果の起源である人間道のみ、大ヒントとして、人間道への体験ツアーに招待します。そこで彼らと己のカルマを見極めるがいいでしょう」
六地蔵が、そう言うと、突然、体が宙に浮き、竜巻にでも遭ったかのように体が渦を巻いて回転しだした。そのまま、ぐんぐんと上に吸い上げられると、突然、渦は止まり、上空まで持って行かれた体は急に重力を取り戻し、真っ逆さまに落ちて行った。
「お? おおおーっ? おっ・・・おちっ?・・・落ちるぅぅぅーっ!!」
落下するGに耐えられず、俺は気を失ってしまった。