はいはい、欠陥令嬢欠陥令嬢
見切り発車で連載始めました。そろそろ冷やし中華も始まります。
ご都合主義と思い付きとノリと勢いの産物なので、なまあたたたたたたかい目でご覧頂けたらと思います。
神殿の大聖堂はその日、娘を持つ貴族たちで賑わっていた。
このアルバディール王国では七つになった貴族の娘は聖女判定を受ける義務がある。そのため、該当する年齢の少女とその家族が判定を受けるために集まっているのだ。
昔は聖女といえば、女神の加護を与えられ、奇跡の力を行使して国や民を護る貴重な存在であった。
しかし年を経るごとにそのような者は滅多に生まれることがなくなって、今では「女神の加護を与えられる可能性がある者」を探り出し、象徴としての称号を与える儀式へと変わり果てている。
それでも聖女を名乗ることができるのはたいへんに名誉なことであり、素質が全くないともなれば陰であれこれと言われてしまうのだから、大聖堂の中は奇妙な緊張感に支配されていた。
「レティシア・シンシパル嬢」
そんな中、大神官の静かな声が一人の少女の名を呼んだ。肩ほどまでの真っ直ぐなプラチナブロンドに青い瞳の、目を見張るほど美しい少女だ。
彼女は楚々とした所作で大神官の元へ向かうと、胸の前で指を組み、その場に跪いて首を垂れた。
少女の頭上に大神官が手のひらをかざす。
――だが、それだけだった。
本来ならば微かにでも淡い光が体を包むのが普通であるのに、それすらも起こらない。
レティシア・シンシパル――筆頭公爵家の令嬢にあたるこの少女には、聖女の素質が欠片さえも存在しないのだと、数多の貴族の前で不名誉な証明がなされてしまった瞬間が、まさにこの時であった。
「……はい。よろしいですよ」
不憫そうな大神官の声に、レティシアが立ち上がる。彼女はざわつく聖堂内の空気にも表情ひとつ変えず、困惑したような両親の元へ向かって行く。
——欠陥令嬢じゃないの。
誰かが小さくそう呟く声がしたが、レティシアは小さく息を吐いただけで、両親に連れられて大聖堂を後にした。
馬車に揺られて邸宅に戻ると、出迎えた使用人の中に少女とそっくり同じ顔、同じ髪型をした、けれど少年の衣服を纏った子供が駆け寄って来た。
彼は何も言わずに少女を抱きしめると、その手を引いて部屋へと向かっていく。残された両親はただただ困惑した表情で、使用人たちも神殿での出来事に触れる者はなく、皆何事もなかったかのように各々の仕事をこなし始める。
――そしてその年、結局聖女の称号を賜る令嬢はいなかったが、レティシア・シンシパルは欠陥令嬢である、という話だけは、消えることがなかった。
両親と共に参加した茶会では、表立って神殿での出来事を口にするものはいなかったが、離れた場所から感じる視線や微かな笑い声が何を意味するのか。それが分からないほどレティシアは愚かではなかったし、それを気に病むほど弱くもなかったが、両親の気分はいいものではないだろう。
レティシアは次第に両親に連れられての茶会に参加することはなくなっていったものの、それでも参席しなければならない場で囁かれる声は、結局一年経っても消えることなく、まるで社交界の常識のように蔓延しているのだと知る羽目になったのだった。
そんなある日のことである。
「王家から、婚約の打診が来た」
レティシアの父、ダリオールが渋面でそう口を開いたのは、家族四人が庭で茶の時間を楽しんでいたさなかだった。
レティシアは隣に座る双子の兄、アレクシスと顔を見合わせる。
「シスにですか?」
レティシアが首を傾げながら尋ねたが、父はゆるりと首を振ってそれを否定する。
「レティシアを是非ともクラミス殿下の婚約者にしたいそうだ」
「酔狂ですね」
「不敬だよ、シア」
父の言葉に呆れ果てて言えば、すぐさま兄に嗜められた。だが、これを酔狂と言わずして何と表せばいいというのか。レティシアは小さく肩を竦める。
「レティにはまだ早すぎますわ。八つの子供に婚約だなんて」
母のセリーヌも困惑より不快を露わにしているようで、その眉間にはわずかではあるものの、確かに皺が刻まれていた。
「『欠陥令嬢』を婚約者に据えるデメリットよりも、中立派で権力のあるシンシパル家の後ろ盾、というメリットを取ったわけですね」
つまり、と言い、レティシアは子供にしてはいやに優雅な手付きでティーカップを持ち上げた。
「王家はクラミス殿下をどうしても王太子にしたい、と」
「……そういうことだろうな」
どこか冷めたレティシアの物言いだったが、父は嘆息しつつも頷いた。
第一王子のクラミス・フェルト・アルバディールは正室の子ではあるが、王妃は弱小国の第三王女。それに比べて側妃はこの国の侯爵令嬢だった女性だ。政治においても発言力が強く財もある。それを遥かに越える後ろ盾となると、筆頭公爵であるシンシパル家以外に選択肢はない。
「第二王子だったら即答したところですけどね」
紅茶に口を付け、レティシアはままならないとばかりに息を吐く。すると、セリーヌが意外そうに目を瞬いた。
「あら、レティはルシアン殿下が好きなの?」
「どうせ断れない話ですし。クラミス殿下かルシアン殿下かと言われたら後者というだけです。ルシアン殿下は努力家で剣の腕も素晴らしいと聞きましたから」
「ああ……そういうことなのね……」
可愛らしい見た目に反して愛嬌のない返答に、セリーヌががっくりと項垂れる。
「母上、シアにそういうのを期待してはいけません」
こういうやつですから、というアレクシスを睨み付け、レティシアは「人の気も知らないで」と小さく呟いたのだった。
ティータイムを終えて書庫に足を運んだレティシアは、本棚から厚い本を抜き出しながら、
「婚約かぁ……」
と沈鬱な声を吐き出した。
「『欠陥令嬢』だし、逃げられると思ったんだけどなぁ」
「シアは『欠陥令嬢』じゃない」
耳を打つ憤ったような声に振り返ると、そこには兄のアレクシスがいた。
「大体あの年は聖女が出なかったんだ。仮に出ていたとしても、それならなおさら、判定を受けて落ちた全員が欠陥令嬢じゃないか」
「理論的にはそうだけど、相手の立場が上であればあるほど、小さなことを大きく取り沙汰してひそひそするのが楽しいんでしょ」
暇人ってそういうものよ、とレティシアが言えば、アレクシスはますます不愉快そうに顔を歪めた。
「……大人って汚い」
「そういう娯楽がないとやっていられない可哀想な人たち、って思ってあげたら? 父様や母様はそういう大人じゃないもの。全員を一緒くたにするのはよくないわ」
「……そうかもしれないけど。でも、シアを悪く言う奴はみんな嫌いだ」
本棚を背に座り込むアレクシスの隣に腰を下ろし、
「私もシスを悪く言う奴はみんな嫌い。だから気持ちは嬉しいわ。ありがとう、シス」
そう告げて、項垂れる兄の肩に頭を寄せた。
レティシアは自身を恵まれているのだろうと思っている。厳しくも優しい母に、真面目で情の深い父、そしてレティシアを何より大切にしてくれる双子の兄。使用人たちも皆優しく、決して世間がそうするようにレティシアを嘲笑ったりなどしない。
だが恵まれていることが即ち幸せであるとは考えていなかった。
なぜなら、レティシアは知っていたからだ。
レティシア・シンシパル公爵令嬢というものが、一体どういうものであるのかを。
第一王子との婚約を受諾した数日後、レティシアは両親と一緒に王宮へ向かう馬車にいた。
がたごとと車輪が道を走る音以外、聞こえるものはない。両親は揃って難しい顔をしており、レティシアはただぼんやりと、カーテンの隙間から流れていく街並みを眺めていた。
このまま王宮に付けば、婚約者となる第一王子クラミスとの顔合わせが待っている。シンシパル家からの返答を受け取ってすぐ、王宮への呼び出しがかかったのだ。まるでこちらの気が変わらぬうちにと言わんばかりに。そんなことをせずとも、どうせ王家からの打診を断ることなどできないというのに。
それとも、一刻も早く第一王子を王太子として冊立させたいのだろうか。
(……それはあるかもしれないな)
両親に悟られぬよう、レティシアは小さく息を吐く。
第二王子のルシアンに比べ、クラミス王子の評判は決して良いとは言えない。それは彼が不出来だとかそういうことではなく、単にルシアン王子が優秀――それさえレティシアから見れば、単に努力の賜物といったところだが――であるがゆえだ。
早々に第一王子を王太子とし、年頃になるまでに地盤を固めておきたいという目論みでもあるのだろう。
(まあ、どうでもいいけど)
王家の思惑など知ったことではないし、この歳で婚約者を持つことも、正直レティシアにとってはどうでもいいことだ。
ただひたすらに、面倒だな、と思う。それだけだった。
馬車は無事に王宮へ到着し、国王夫妻との謁見、婚約者となるクラミス王子との顔合わせは、恙無く終了した。書類にもサインを終えて解放されるかと思いきや、
「これから長い付き合いになるのだから、互いを知る時間も必要だろう」
という国王陛下の大変ありがたいお言葉によって、レティシアは薔薇の咲き誇る庭園に連れ出され、クラミス王子とささやかな茶会をする羽目になった。
クラミスは王子というだけあって、顔立ちは整っている。少しくせのある金色の髪は美しく、深い翠の瞳も宝石のようだ。
しかし彼はメイドが紅茶をカップに注いで下がるや、レティシアに向かってこう言い放った。
「自分が公爵家の令嬢であることに感謝するんだな。お陰で『欠陥品』であるにも関わらず、この俺の婚約者となれたのだから」
「ねぇわ」
「……は?」
「何でもございませんわ、お気になさらず」
きょとんと目を瞬く王子にはんなりと笑い、レティシアは楚々とした仕草でティーカップを持ち上げた。クラミスは怪訝な顔をしつつも、同じように紅茶に口を付けている。
母セリーヌとよく似たレティシアは、よくその外見を儚げで嫋やか、まるで妖精のようだと評されるし、性格も大人しく控えめであると言われているから、おそらくクラミスもそう思ってあのような言葉を吐いたのだろう。
しかし、レティシアは言葉少なに過ごしているだけで、決して外見に添った大人しい少女ではない。
レティシアはクラミスの存在をまるっと無視して紅茶を堪能し、咲き誇る見事な薔薇を眺めた。そうしているうちに、次第にクラミスの方から苛立つような空気が感じられるようになった。
それもそうだろう。開口一番にあんな言葉を向けてくるということは、完全にレティシアを下に見ているということであり、クラミスにとってレティシアは、己に媚びて機嫌を取らねばならないちっぽけな存在なのだ。
その公爵令嬢という肩書を持つだけの取るに足らない少女が黙ったまま何も言わないなど、さぞ不愉快で腹立たしいことだろう。
――知ったこっちゃねーっつうの。
内心でそう吐き捨てながら、レティシアはにこりと笑い、控えているメイドに向かって言った。
「紅茶のお代わりを頂けるかしら」
視界の端に体を震わせている何かが見えたような気がしたが、この国にも他国にも魔法や魔道具が存在するのだ。震える置物も世の中に一つくらいは存在するだろう。紅茶を注いでくれるメイドに「ありがとう」と礼を告げて以降、置物については忘れることに決め、レティシアは両親が迎えに来るまで、一言も口をきくことはしなかった。
帰りの馬車の中は行きと違い、どこか落ち着かない空気が漂っている。レティシア行きと同様にカーテンの隙間から外を眺めていたが、ほどなくしてわざとらしい咳払いの後、父ダリオールが尋ねてきた。
「その、レティシア。殿下はどうだった?」
「控えめに申し上げれば、クズでしたわ」
「レティ、言葉が乱れていてよ」
「いやですわ、お母様。これでも最大限やわらかく表現いたしましたのに」
窓から母セリーヌへと視線を向け、頬に手を添えていかにも困りましたとばかりに眉尻を下げて首を傾げると、母ではなく父が額を押さえてため息を吐いた。
「……よろしい。ここには我々だけだ。取り繕わずに思った通りのことを言いなさい」
「男の風上にも置けない腐ったようなどこに出しても恥ずかしいクソ野郎」
レティシアが真顔できっぱりと言い放つと、母がああ……と両手で顔を覆って項垂れた。その姿に申し訳なさを感じないわけではないが、許可を出したのは父なのだし、これが自分の元々の性格なので仕方ない。
「それで……殿下と何か話したりはしたのかね」
「殿下が何も仰らなかったので、発言を許されていないものと思い、立場を弁えて静かにしておりましたわ」
額を押さえたままの父ににっこりとそう告げると、父はとうとう両手で頭を抱えてしまったのだった。