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少ない果実、第一の推理を供する

十葉とおば銭湯とは昔ながらの通りにある昔ながらの銭湯だ。

暖簾のれんをくぐった先には、碁盤ごばんの目のような木の靴置き場がある。

これがまた年季の入った代物しろもので鍵も扉もついていないロッカーなので、パッと見ただけで中にどれだけ人がいるか分かるわけだ。

さっき見た時にはつぶしたサンダルが1つだけ入っていた。

恐らく番頭さんのだろう。開くのは15時からだと言うのに番頭のおばあちゃんはこころよく私達に対応してくれた。

長年、番台から客を見てきたというおばあちゃんは一度来たお客でも忘れはしないと太鼓判たいこばんを押してくれたけど、私達の求め人に関しては「いや、そんな子は来てないねぇ」と言った。

「頭がピンクって言うなら、わしでなくても忘れないと思うがね」

そうなのだ。上野さんの元恋人の浅草さんとはピンクの頭髪を持つ捜索そうさく難易度星1つ、の御仁ごじんだった。

服屋で服のラベルを見て「え、これピンクなんだ」と分かる正体不明のピンクでなく、5人いれば5人とも、100人いれば100人がそうだと頷くパッションピンク。

視界に入ったなら見逃さないはずだし、3日経とうと忘れる事は無いだろう。

と言う事は、浅草さんはこの銭湯には来ていない事になる。

この徒労は中々痛かった。

さっさと終わらして兄との楽しい休日に回すはずだった30分を無駄に消費してしまった。

そこへ来て、今度は新木場が「ちょっとお手洗いを借りてもいいですか」なんて言い出して「君もついてきてくれ」と兄を連れて行ってしまってから10分が経過している。女学生じゃあるまいし、やめてほしい。

兄も兄で男の申し出に「はい!先生!」といい返事をして二人仲良く男湯の暖簾のれんをくぐっていってしまった。こうなると私達にはどうしようもできない。

いくら今は人がいないからって心情的に入りづらいのだ。

「あやしい」

「なにがあやしいの?」

私のポツリと呟いた言葉に上野さんはアイスキャンディーをかじりながら聞いた。彼女はレモン味。私はメロンだ。

十葉銭湯の右隣には『一葉いちよう商店』というこれまたレトロな駄菓子屋があり、私達はそこの軒先のベンチで氷菓子で涼をとっている。

ちなみに十葉銭湯の反対隣りには『千葉ちばビル』、『壬葉喫茶店』とあり、壬生みぶの壬に葉っぱの葉で「みずは」と読むらしい。何となく察しがついただろうか?

__その昔、壬葉喫茶店の隣には『にこにこ整骨院』なるアウトサイダーがいたらしいが、今はそこは空き地になっている。その呪いを恐れてか一葉商店の隣には『焼肉 よう』という今時のおしゃれな焼肉屋がある。しかし、肉なのに『葉』とは

6軒で1ブロックである事に感謝である。これ以上増えようものなら『壬』に一つ線を足した新しい漢字を産み出さないといけないし、逆を行くならもはや『枝』とでもやって呪いが降りかかってこないか戦々恐々(せんせんきょうきょう)しながらやり過ごすしかない。

「あの男です。あやしくないですか?」

「見るからにあやしいわよ」

どうやらもう『あやしい』、『あの男』で新木場と回路が繋がるぐらいには彼女もこちら側にひたってしまったらしい。

「まあ、確かに何もなくてもあやしい男ですが」

「ねぇ、それでなんだけど何でここに来ようと思ったの?」

早々にアイスキャンディーを食べ終えてしまった彼女が木の棒を手持ち無沙汰ぶさたにいじりながら言った。

明け方まで雨が降り続いていた空は一転して快晴、久しぶりのお天道様にどの家の軒先にも洗濯物の白い揺らめきが、どこかからは工事の音がする。ヘルメットをかぶった男が二人、音の方へと一輪車を押している。(勿論、学童でもなけりゃ大道芸人でもないのであの一輪車ではない。ねこ車のほうだ)「遅れるんじゃねぇぞ!」ここまで聞こえる怒鳴り声に対して下っ端らしき男は足を速めた。車も通せない狭い道が多い為だろう。機材の運搬だけでも一苦労だ。

ここら辺の職人の元締めの力のおかげだろうか、最近じゃ禁止されつつあるニッカポッカ、それから足袋を履いていた。

「靴です」

「え、靴って、あのスニーカーの事?」私は首を振る。

「いえ、あの男の玄関の様子を思い出してください。

それから奴が今履いてるものの事を」

暫くして隣から「あっ」と小さな声がもれた。「靴がないわ」

上野さんの言葉に私は頷いた。

「そうなんです、あの玄関こざっぱりとしていて表に出ていたのは浅草さんのスニーカーと一本下駄いっぽんげただけ。まさか、一本下駄を日頃から愛用しているわけじゃないでしょうから__しかも、この一週間は雨、3日前には買い物で重たい物を持っていた、なんて言っていたから、あの男が普段使っている靴がある筈なんです。でも、それがない」

「確かにおかしいわ。

今履いているのはスリッパでそれはベランダから逃げた時に履いていたからであって、さすがにスリッパを普段から内外うちそと両履りょうばきにしていることはないでしょうから、、、ないわよね?」

「安心してください。それはなかったです」

「もしかして、普段履きのはシューズボックスとかに閉まってあったとか?」

「普段履きのものをしまう理由がないですよ」

「そうね、もし隠すためだとしても普段履きの方を隠してもしょうがないわ。

冬樹の事で後ろめたい事情があるのなら、スニーカーの方を隠すでしょうし」

「つまり、あの家には正真正銘しょうしんしょうめい家主が履いていた筈の靴がないんです」

「そう言うことになるわね、、、なんで冬樹のスニーカーがあって新木場さんの靴がないのかしら」

本来ないはずのものがあって、代わりにあるべきものがない。

そんなあべこべに上野さんは「うーん」と考え込んだ。

だが、それは至ってシンプルで簡単な話なのだ。

「考えられる事はあの男が自分の靴ではなく、浅草さんのスニーカーを

つまり、靴を履き間違えたからなんです」

上野さんが二度目の「あっ」をもらした。

その時丁度、新木場と兄が長いお花()みから戻ってきた。

新木場は「ん?なにか??」という風に首をかしげて、そのとぼけた顔で私達の視線を受け止めたのだった。

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