新婚初夜 その1
ムーンライトノベルズへの転載に伴い加筆した部分です。
第六幕最終話「王と臣下」の直後のお話になります。
王を見送ったリュシアンが戻ってきたと聞いて、メリザンドは慌てて彼の部屋へ向かった。
――陛下に付き添って王都まで行ってしまわれるのかと覚悟していたけれど……。
まさかものの数十分程度で帰ってくるとは、嬉しい誤算だ。
夫は長椅子にぐったりと寝そべっており、痛々しい傷跡の残る美貌には疲労感がたっぷり浮かんでいた。メリザンドが近寄ると、難儀そうに上体を起こしたため、慌てて押し止める。
「寝ていてください」
「ならば、膝枕をしてくれ」
「え?!」
メリザンドは飛び上がらんばかりに驚いた。公式寵姫時代、王に対してはよくやっていたため、慣れっこのはずなのだが……。
「嫌なのか?」
最初から期待していなかった、と言いたげな夫に、慌ててかぶりを振る。
「い、いえ、どうぞ」
メリザンドが長椅子へ腰を据えると、すかさずリュシアンの後頭部が落ちてきた。至近距離で視線が交わり、メリザンドの全身が熱を帯びる。
軽い抱擁と口づけは何度も交わし、少女の頃から憧れ続けた美貌にもすっかり見慣れたと思っていたが、未だにこんなにもときめくなんて。
――傷があっても、やっぱり素敵なお顔……。わたしの脚に頭を預けて寛いでいらっしゃって……。ああ、なんだか興奮してきたわっ。
油断すると口元が緩んでしまうため、必死に奥歯を噛み締めた。
対するリュシアンは、にこりともせず、ただ疲労感だけを滲ませている。
「一時はどうなることかと思ったが……なんとかお帰りいただけて本当によかった」
「そうですね……」
少女のように胸を高鳴らせるメリザンドとは対照的に、リュシアンは今日の一件をひたすら憂いているようだ。彼の形の良い眉が、くしゃりと歪む。
「陛下とお前の会話は、ぼそぼそと聞こえてきていた。ほんとうに肝が冷えた……。もし陛下が逆上してお前に危害を加えたらと……」
「……ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
メリザンドは真摯に謝罪する。メリザンドが王と二人きりで会話をしている間、リュシアンは相当気を揉んだことだろう。現に王は、リュシアンを手酷く暴行している。同じことがメリザンドに起こってもおかしくはなかった。
「国王陛下はどうなさいましたか?」
「屋敷の周りを近衛騎士が取り囲んでいた。陛下は彼らに預けた」
「なんてこと! 踏み込まれる寸前だったのでしょうか」
メリザンドはぞわりと震えた。
――わたしも監視されていたのかしら。もしかすると、何日も前から……。
護衛もつけず呑気に散歩する女など、いつでも攫ってしまえただろう。職務を放棄して王宮から出奔したメリザンドに対し、近衛たちがどんな感情を抱いているかは想像に難くない。
「いや、彼らは陛下を信じて、見守るだけに留めてくれていた。引き渡しの際、たっぷりと恨み節を吐かれたがな……。まったく、文句を言いたいのはこっちだ……」
「お疲れさまでした……」
ぼやくリュシアンの頭を、メリザンドはそっと撫でた。美しい銀髪が柔らかく指に絡み、窓から指す午後の光を反射して新雪のように輝く。ただそれだけで、メリザンドの胸に多幸感が押し寄せた。
リュシアンは大きく長く嘆息したあと、疲労感を追い出すように瞑目する。彼の目元を囲う長く濃密な睫毛を見ていたら、収まった動悸が復活してきた。
――ずっと、こうしていたい。
陶然とそう思ったとき、リュシアンがぱっちりと目を開けたため、メリザンドはひゅっと息を呑んだ。
「ところでメリザンド」
「は、はい」
妙に改まった声色に、何事かと夫を窺うと、どことなく強張った面持ちをしていた。
「今夜、お前の部屋へ行ってもいいか?」
「!!」
どきん、と激しく心臓が脈打った。
「ええと……それは、楽しくおしゃべりをするために?」
混乱のあまり、そんな言葉が口をついて出る。リュシアンは少しも相好を崩さず、硬い表情のまま言う。
「お前がそれでいいなら、酒を持っていくが?」
「ええと、あの、いえ、……できればお酒は無しで……あのその、お身体は大丈夫なのですか?」
「お前こそ、身体は問題ないのか」
これは、月の物の有無を尋ねられているということでいいだろうか。そう判断したメリザンドは、蚊の鳴くような声で答えた。
「なにも問題ございません……お待ちしております……身体を清めて……ああっ」
羞恥に顔を覆う。リュシアンと夫婦の契りを交わす夜をずっと待ち望んでいたはずなのに、いざそのときが来ると、こんなにも恥ずかしくなるなんて。
だが、リュシアンが大きなため息をこぼしたため、のぼせ上っていた心が一気に冷えた。恐る恐る夫の顔色を窺うと、メリザンドの膝の上で、拗ねたようにそっぽを向いていた。
――せっかくお誘いいただいたのに、ご不快な思いをさせてしまったわ!
「あの、リュシアンさま……申し訳……」
「かわいい反応をするな。こっちも照れる」
想定外の言葉に、メリザンドの胸が再び強く高鳴った。
「かわっ……!!」
――リュシアンさまも照れてらっしゃるなんて!
やたら硬い顔つきをしているのは、緊張や気恥ずかしさのせいなのだろう。彼の思わぬ一面を垣間見ることができ、嬉しい、嬉しいのだけれど……。
「ううっ、生娘のような反応をして申し訳ありません。わたし……そんな資格ないのに……」
しどろもどろになりながら卑屈な言葉を口にすると、リュシアンはようやく表情を和らげ、苦笑めいたものを口元に浮かべる。
「気にするなと言っただろう。……それに、生娘を抱くのはいろいろと面倒くさそうだからちょうどいい」
「まあ、リュシアンさまったら!」
その口ぶりだと、実際に抱いたことはなさそうだ。その代わり、多くの既婚女性と関係を持ってきたのだろう。そう思ったら、俄然やる気が湧いてきた。夫の頭から、他の女との思い出を追い出さなくては。
心に炎を燃やしていると、リュシアンの手が伸びてきて、指先がメリザンドの頬を慈しむようにくすぐった。
驚いて彼の顔を見つめると、緑色の双眸がいつになく熱く滾っている……ような気がした。
「傷が癒えて体調が万全になったら、いよいよお前を全力で抱き潰してやろうと心躍らせていた。だが、ほかの男に奪われる可能性がほんのわずかでもあるのだと思ったら、もう待っていられない。一刻も早くわたしのものにしたい」
直情的な台詞がメリザンドの心をまっすぐ射抜く。
「リュシアンさま……!」
頬を撫でる夫の手に、自らの手を重ねる。
「わたしはもうあなた以外の誰のものにもなりたくありません。だから、今宵ほんとうの夫婦になりましょう」
「メリザンド……」
長い間離れ離れになっていた夫婦の視線が熱く絡み合う。今まで懸命に抑制してきた夫への愛があふれ出しそうになったが、必死にこらえた。
この場でリュシアンへ激情をぶつければ、彼は嬉々として応えてくれるだろう。ああ、そうしたくてたまらない。
けれどまだ日が高い。使用人がやってくるかもしれない。
ならば、夜のとばりが下りたあと、誰の邪魔も入らぬ場所で、存分に愛を確かめ合おう。もうちょっとの辛抱だ。
それでもあまりに離れがたく、しばらく熱い視線をぶつけ合っていたが、不意にリュシアンが口を開いた。
「ああそうだ、香油を塗るのは髪だけにしておいてくれ。あれは舐めると苦いからな。ベッドに花を散らすのも避けてほしい。あと、香りの強いキャンドルも使うな。気分が悪くなる」
「…………わかりました」
メリザンドは不貞腐れながら答える。
やるなと言われれば指示に従うが、つまるところ、リュシアンは他の女と経験して『嫌だった』ことを羅列しているのだ。
メリザンドだってすでに国王といろいろ経験してきた身だが、せっかくの初夜なんだから、いい雰囲気を演出させてくれたっていいのに。
――なんだか先が思いやられるわ!
ぷりぷりしながらリュシアンの部屋を出たが、夜が近づくにつれ、怒りも消えていった。




