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王と臣下

「リュシアンさま、陛下と二人きりで話をしてもよろしいでしょうか」

「メリザンド……」


 応接間の扉の外で、メリザンドはリュシアンをやんわりと通せんぼした。

 夫の瞳の中に強い戸惑いが浮かびあがったが、すぐに諦念(ていねん)の詰まった息を吐き出す。


「わかった、お前の好きにしろ。ただ、なにが起こってもいいように、わたしはここで待機している」

「ありがとうございます」


 安心させるように微笑んでから、メリザンドは応接間へ足を踏み入れる。

 先に入室した王は、椅子に腰かけ、力なくうなだれていた。メリザンドは少し迷ったすえに、腹をくくって王の傍らに膝をつく。


「お待たせいたしました」


 努めて平静に声を発したが、心臓はどくどくと早鐘を打っている。一、二発は殴られる覚悟をしたうえで接近したのだが、怖いものは怖い。

 だが、王からはそのような気配は微塵も感じられなかった。ただ小さく背を丸めている。


「……見苦しいところを見せたな。さぞ見下げ果てただろう」


 王の口元に浮かぶのは自虐的な笑み。メリザンドはすぐさまかぶりを振って否定した。


「いいえ、決してそのようなことはございません」

「話はすべてリュシアンから聞いた」

「……さようでございますか」

「お前はずっと、あやつだけを想っていたのだな」

「……はい」


 実際のところ、リュシアンのことは何度も恨み、怒り、疑った。しかし少女の頃からの憧れはやがて愛情となり、心に残り続けた。最後は、なにもかも許して妻として側に戻ることを選択した。


 王はきゅっと口角をつり上げ、メリザンドに対してあきれたような視線を投げかける。


「まったく、お前という女は。我が元にいた四年近く、そのような素振りは微塵もみせなかったな。したたかな女だとは思っていたし、そこを好いていたが、今となっては恐怖さえ覚える」


 メリザンドが王宮からあっさり逃亡できたのは、リュシアンへの想いを完璧に秘め通したからこそといってもいいだろう。少しでも周囲に悟られていれば、王はメリザンドを王宮から出さなかったはずだ。


「申し訳ございません、陛下……。しかし、あなたになんの情もなかったわけではありません。わたしも確かにあなたのことを愛しておりました。ですがそれは女としてではなく、臣下としての愛……。すなわち、敬愛でございます」


 その言葉が王をどれほど傷つけるかわかっていても、言わねばならなかった。男女の愛と、臣下としての敬愛。この二つの愛情の線引きを濁してしまっていたからこそ、王はメリザンドへの想いを暴走させてしまったのだ。


 王は、太い眉をくしゃりと歪めながら、弱弱しく声を発する。


「メリザンド、我が元に戻ってきてはくれないか。お前が望まぬことはしない。結婚はもとより、公式寵姫の役目からも外そう。ただ我が元にいてさえくれればいい。わたしが悩み苦しむときに、そっと抱きしめてくれるだけでいい……。わたしをこれっぽっちも愛する必要はない。孤独なわたしをただ憐れんで、そばにいてくれ……」


 母に(すが)る子のように手を伸ばされたが、メリザンドはただ深くこうべを垂れただけ。


「国王陛下、恐れながら申し上げます。その『ご命令』には従えません」


 格式ばったメリザンドの返答に、王の瞳が絶望に陰る。

 先ほどの王の言葉は決して『命令』ではなかった。ただの『懇願』だった。

 だが、メリザンドはもう公式寵姫ではなく、ひとりの臣下だ。臣下として、王の言葉に応えたまで。


「メリザンド……もしわたしが、お前と結婚したいという気を起こさなければ、わたしのそばに生涯留まり続けてくれたか?」

「わかりません……。でもきっと、限界を迎えていました。ひたすら本心を笑顔の仮面で覆い隠し続ける生活に疲れ始めていたのは真実です」


 限界を迎え、心が壊れる前に逃げ去ることができた。そしてもう二度と、王宮には戻りたくない。メリザンドは自由という名の快楽を知ってしまった。


「……そうか、そうだな。わたしでさえ疲れ果てて逃げたいと思う宮廷に、どうしてお前のような平凡な娘が耐えられようか。いつも笑顔でいてくれるお前に甘えて、そんなことすっかり失念していた。見限られて当然の男だ」


 力なく(うつむ)く王へ、メリザンドは素直な自分の気持ちを告げる。


「国王陛下、あなたは間違いなく素晴らしい君主です。父君が急逝され、なんの心構えもないままに若くして即位されて……それなのに立派にガッリアを支えてこられた。どうかこれからも、名君であり続けてください。あなたは決して独りではありません。王妃殿下や御子らと手を取り合って、この国をさらなる高みへ導いてくださいませ」


 王は返事をしなかった。瞑目し、指先で強くまぶたを押さえて、なにかを考えこんでいるようだった。


「……そうか、そうだな。わたしにも『家族』がいる。これまで(かえり)みてこなかった者たちと、向き合う良い機会なのかもしれない……」

「ええ、ぜひそうなさってください。王女マリエルさまをはじめとして、みなさま、いつも父であるあなたのことを気にかけておいででしたよ」


 独唱会のとき、父王に褒められてはにかんでいた姫君の顔を思い出す。あんなにかわいい娘が五人もいるなんて、王はほんとうに果報者だと思う。それに気付いてほしい。

 王妃オルタンスも、不義の子の出産を許してくれた王に感謝していた。縁あって夫婦になったからには、手を取り合って末永く国を導いていってほしいものだ。


 王はしばらく口を閉ざしていたが、やがてなにか思いついたように顔を上げ、少し視線をさまよわせたあと、右耳についていた耳飾りをむしり取った。

 小さなダイヤモンドがついたそれを、メリザンドへ押し付ける。


「これをもらってくれ。身に着けてくれとは言わない。ただそばにおいてやってくれ。愛する者の心が我が元になくとても、わたしは一人の男として祈り続ける。我が最愛の女が、生涯幸福でありますようにと」

「……ありがたく賜ります」

「リュシアンとの生活に飽いたら、それを売って遊興費に充てよ」

「ぜひそうさせていただきます」


 思わずくすりと笑うと、王も微笑みを見せた。沈鬱だった面持ちがわずかに明るくなり、メリザンドに向かって熱くささやく。


「最後に名を呼んでくれないか。いつもそうしてくれていたように……」


 メリザンドははっと目を見開いたあと、少し迷った。四年近く(ねんご)ろだった男に対し、最後の手向けとして、そのささやかな願いを叶えてやるべきかと。

 だが結局、メリザンドは首を横に振った。


「……いいえ、臣下としてそのような恐れ多いことはできかねます」


 それからすっくと立ちあがり、王に対して深々と頭を下げる。


「陛下、あなたの御世がかつてないほどに輝かしいものとなり、名君としてこの先何百年も名が残るよう、陰ながら祈念しております」


 これが、メリザンドから王に対しての精一杯の(はなむけ)。もうこれ以上交わす言葉はないという意図を込めて。

 王と臣下がいつまでも気安く会話を続けていて良い道理はないのだから。


 王は大きく嘆息したあと、天を仰いでこれだけ言った。


「……相わかった」


 王の目元に光るしずくがあったが、見ないふりをした。ほんの少しだけ鼻をすする音がしたが、聞かなかったことにした。


 それからほんのわずかの時間、王は石像のように固まっていたが、やがて難儀そうに立ち上がる。

 そして、メリザンドに一瞥(いちべつ)もくれることなく、応接間を出て行った。


 そのあとのことはリュシアンと家宰に任せ、メリザンドは自室に戻って少し泣いた。


王視点で読むとつらい。


あとはエピローグとなります。


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― 新着の感想 ―
[一言] それでも、王位を捨てて彼女と結婚しようとは思わなかったら、周りの協力もそこまではなかったでしょう。永遠に続く関係ではなかったとしても、もう少しは、関係があったかもしれませんね。 結局、彼女が…
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