寵姫と王妃 その1
王妃オルタンスは、いつものように物憂げな様子で長椅子に横たわっていた。
身なりはきちんと整えられており、聞いていたほど体調が悪いようには思えない。
すぐに謁見の要求に応じてくれたこともあり、悪阻はもう落ち着いたのかな、と呑気に考えた。
彼女の前で膝を曲げ、『懐妊おめでとうございます』と言おうとして口をつぐむ。
少し思考を巡らせたあと、改めて声をかけた。
「お身体の具合はいかがでしょうか」
「んー、あー……よくはないわ。まあ、今は比較的マシな方よ」
王妃はのっそりと頭を動かし、メリザンドを視界に収めると、面倒くさそうに嘆息してから眉間にしわを寄せる。
「今度から香水をつけてくるのをやめてちょうだい」
王妃の言葉に、メリザンドはハッと目を開いた。妊娠中は匂いに敏感になると聞く。特に悪阻にみまわれているときなんて、香水の強い香りなど以ての外だろう。
「申し訳ございません、未経験のことゆえ、考えが至らず……」
メリザンドは慌てて後退し、王妃から距離を取る。このまま退出して出直そうかとも考えた。
「いいのよ。さっきも言ったけれど、午前中はそれなりに症状が軽いの。お昼過ぎからどんどん気持ち悪くなって、夜は自分の唾でも吐き気を催すの。もちろん犬の匂いもダメだから、隔離してるわ。悪阻の症状は人それぞれだって、医者が言ってた。しかも、前の王妃の方がずっと症状が重かったんですって。それで七人も生んだなんて信じられない……」
ひとしきりぼやいたあと、王妃は吐き捨てるように言った。
「国王から、腹の子の父親を探って来いと言われたのね」
「……おっしゃる通りです」
メリザンドの魂胆などお見通しというわけだ。王妃よりも、彼女の背後に控える二人の侍女の視線が怖い。
「とっくに逃がしたわよ。もう国内にはいないんじゃないかしら」
残念ね、と言わんばかりに王妃はケラケラ笑う。だがメリザンドは動じない。
「お腹の子の父親は、あなたの侍女ですね」
王妃の笑みがぴたりと止んだ。
「ほとんど姿を見せない、黒髪の侍女。その正体は男性だったのですね」
決してカマをかけているわけではない。メリザンドはそれを確信したうえで言っている。
「殿下に初めてお会いした日、その侍女に扉を開けてもらってから言い知れぬ違和感を覚えていました。その違和感の正体はずっと掴めなかったけれど、あなたの妊娠が点と点をつなげてくれた。小柄で線の細いひとだったけれど、女性とは明瞭な違いがあった。ちょっとした動作、肩幅、首筋、顎の線、骨張った手指、そして体臭……」
思い出せば思い出すほどに、『彼』は明らかな男だった。
ただ、王妃の侍女の中に男が混じっているなんてありえない、その先入観が『彼』を女に見せていた。わずかな違和感だけを残して。
「わたしがなにかに気づいた様子を見せたから、その侍女を隠し始めた。そうでしょう。女官長だったオフレ夫人は、犬にばかり気を取られて気づけなかった。そしてその侍女は逃げたりなんかせず、今も奥の部屋のどこかに潜んでいるのでは?」
淡々と告げる間、王妃は天井を見つめたまま押し黙っていた。一方で、侍女たちかは突き刺すような……いや、射殺すような視線を感じる。
――追い詰めすぎたかしら……。
メリザンドはべったりと冷や汗をかいていた。さすがに、『バレたからには生かして帰せない』なんてことにはならないとは思うが。
やがて、王妃の口元が笑みの形に歪む。
「すごいわねぇ、あなた。大正解よ」
ちょっとした喜劇でも見たかのように、パチパチと手を打ち鳴らした。ひとしきりそうしたあと、ぴたりと動きを止め、真顔に戻る。
「彼とは、わたしが教皇猊下のもとに匿われていたときに知り合ったの。親に売られて去勢歌手にされそうだったところを、猊下が保護していてねぇ……」
「ああ、得心がいきました。殿下の部屋から時折美しい歌声が聞こえてくると、ご婦人方が噂しておりましたから」
去勢歌手を禁じたのは先代の教皇だっただろうか。東方諸国が宦官制度を禁じ始めたことに倣ったらしい。異教の国々に対して人道で悖るわけにはいかないと。
メリザンドは去勢歌手の歌声を聞いたことはない。少年の歌声に成人男性の声量が合わさり、それはそれは素晴らしい歌唱能力を発揮していたという。
「モノは切り落とされなかったけど、おかしな薬をたくさん飲まされていたから身体はあまり成長しなかった。女として誤魔化し通せると思っていたけど、やっぱり身体のつくりが根本から違うものね。それに、子種もないだろうと油断して、避妊もおざなりにしちゃってたわ。ものすごーく薄い液体が出るだけだし……」
生々しい王妃の話に、メリザンドはくちびるをきゅっと引き結ぶ。
――まったくこのひとは、賢いんだか馬鹿なんだか……。
勝手に子種がないと決めつけて、結果こんなことになって。
どうしたものかと天を仰ぎたくなった、その直後……。
「国王には、腹の子はこっちで始末するから心配いらないと伝えてちょうだい」
世間話のごとく軽い調子で投げかけられた王妃の言葉に、メリザンドは身を強張らせた。
「し、始末とは……?」
「故国から堕胎薬を調達するわ。良く効くのがあるのよね。何年か前に、自分自身で実証済みよ。そういえば、そのときは悪阻なんてなかったっけ……」
「……っ」
想像を絶する話を聞かされ、あまりの痛ましさに王妃から顔を背けずにいられなかった。背後の侍女たちも、口元を震わせている。
当の王妃はあきれたように一笑した。
「あなたもわかっているでしょ、身体を使うのも、女の処世術だってこと。命を守るために、ちょっと我慢して股を開いただけ。あ、相手は聞かないほうがいいわ」
――この御人は……。
メリザンドは今このとき、王妃に対して深い敬服の念を抱いた。
たった十八年の人生で、いったいどれほどの辛苦を味わってきたのだろう。にもかかわらず、それをおくびにも出さない。言語に絶するほどの惨事の数々を、過ぎたことだと笑って話す。
いや、心の傷を笑顔で覆い隠しているだけなのだろう。心が壊れずに済んだのは、きっと侍女たちの献身の成果だ。
愛犬に滅国の王の名前をつけたのも、いつか自由を得たいと願うのも、彼女の境遇を思えば当然のこと。しばしば浅はかな言動をとるのは、破滅願望の表れなのかもしれない。
しかし、決して絆されてはいけない。メリザンドが望む未来を勝ち取るため、王妃の妊娠という好機を利用するべきだ。




