虫愛ずる王太子・プルヴェ夫人の胸裏は読めず
国王の長子セドリックとは、何度か顔を合わせたことがある。
黒髪や太い眉は父親似だが、目鼻立ちは母親似だった。
性格はどちら似とも言い難かった。
植物や昆虫が好きで、地面に腰を据えてスケッチしているところをたびたび目撃した。描いたものを見せてもらったが、目を見張るほど上手だった。まるで生き物をそのまま紙の中に閉じ込めてしまったかのように。
初対面の折は、庭園に舞う蝶々の話を延々としてくれた。周囲があきれ返って、クスクスと笑われているのも気づかずに。
メリザンドは王子の話にこれっぽっちも興味はなかったが、根気良く付き合った。
母方の叔父が似たような特性の持ち主で、対応には慣れていた。叔父は細かい作業が非常に得意で、嘘やごまかしができず、銀行家である父には重宝されていた。
セドリックも、王の長男にさえ生まれなければ、自身の特技を生かせる道を進むことができただろう……。
今は海外へ留学中だが、外国で貴族の子女らに囲まれてうまくやれているのか、少し心配になる。
帰国した頃に、きっと父王からすべてを聞かされるのだろう。その後、すべてを託されるのだろう。
いや、すべてを託されるのは、セドリックの後ろ盾となる人物だ。若き新王の背後で、国政を牛耳る者が必ず出現する。政権闘争が起こるのか、あるいは教皇が介入するのだろうか。
ユージェーヌはどこまで考えているのだろう。王妃と離婚するまでにできる限り土台を整えておくつもりらしいが、どうなることやら。
ガッリアの行く末をぼんやりと案じながら、メリザンドは眼前ですすり泣くプルヴェ夫人が落ち着くのを待った。メリザンドの『話』が終わるや否や、大粒の涙をこぼし始めてしまったのだ。
「なんと嘆かわしい……マリーさま……」
プルヴェ夫人は泣きながら誰かの名をつぶやいた。おそらく、先代国王妃……つまりユージェーヌの母親のことだろう。プルヴェ夫人は先王妃の侍女で、彼女が宮廷でうまく立ち回れるよう間諜のような役目もしていたとリュシアンが教えてくれた。
かつて仕えたあるじの息子が、色恋に溺れて重責を投げ出そうとしているのだから、相当ショックだったのだろう。
つまり、プルヴェ夫人が流している涙は、メリザンドではなく亡きマリー王妃のためのものなのだ。ちょっと寂しい。
「ごめんなさいメリザンド……わたくしとしたことが、ひどく取り乱してしまって」
「いえ、当然のことです。こんな話を聞かされて、平静でいられるはずがありません……」
淡々と言いながら、メリザンドはテーブルに並べられた茶器と菓子に視線を落とした。食欲はまったくなかったが、せっかく侍女が用意してくれたものだから、と奮起して手を伸ばす。
口に含んで嚙み締めた瞬間、『甘いな』とは感じたが、『美味だ』とは思わなかった。
無理やり飲み込んで、沈痛な面持ちのプルヴェ夫人へ言葉をかける。
「夫人……わたしはこれからどうすればいいのでしょう……。今まで通り、ユージェーヌさまの腕の中で流されるままにしているのが一番いいのでしょうか……」
国王夫妻の離婚が成立するまでは公式寵姫として宮廷に君臨し、ゆくゆくはユージェーヌと共に王宮を去り、二人でのんびりと生きる。
ガッリアの未来なんて知ったことか。子どもを産んで、ただ女として母として生涯を閉じればいい。それがもっとも安楽な道のように思える。
もとより女の人生は女が自由に決められるものではない。メリザンドが王に見初められることがなければ、父にとってもっとも都合の良い相手のもとへ問答無用で嫁がされていたはずだ。それがどんなにろくでもない男だろうと。
それと比べれば、今の状況はとても恵まれたものだ。少なくともユージェーヌはメリザンドを深く愛してくれている。退位して王宮を離れても、それなりに裕福な生活を送れるはずだ。
「昨晩から何度も何度も考えました。これからどうしたらいいのか、あるいはこの状況を変える方法があるのかを。でももう、なにもかもわからない。すっかり疲れてしまいました……」
最後は力なくつぶやいて、深くうなだれる。
現状、逃げ場がないのはもちろんだが、逃げたところでその先が見えない。隠遁生活を送る覚悟も、王に逆らう度胸もない。
いつも笑顔の仮面をかぶって、事を荒立てず、ただ平穏に生きてきた自分には、ここぞというところで行動を起こす気概が身につかなかったのだ。
そんな女にふさわしいのは、人生を他者にゆだね、ただ流されるままに生きること。心を殺して、ただ人形のように笑い続けていればいい。
「メリザンド……」
プルヴェ夫人の呼びかけに顔を上げると、彼女はびっくりするほど険しい表情をしていた。怒っている、という様子でもない。メリザンド以上に、なにか思い詰めているように見えた。
「たしかに、国王陛下に逆らうのはひどく難しいでしょう。王妃殿下に教皇猊下まで背後にいるのですから。でも、あなた自身は陛下との結婚を微塵も望んでいない。そうですね?」
「は、はい……」
「そして、いずれはバルテ侯爵と夫婦に戻りたい、その思いに変わりなはいですね?」
「もちろんです」
リュシアンがそれを望んでくれているのなら、という言葉を飲み込んで、メリザンドは強く肯定した。
するとプルヴェ夫人は、安心したように微笑む。それでも彼女の瞳の奥には、なにか暗いものが宿っているように見えた。
「メリザンド、もちろんわたくしも、陛下とあなたの結婚は反対です。ですがわたくしにできることは本当に少ない。それでも、この状況を打破できるように、陰ながら力を尽くします」
「ありがとうございます、プルヴェ夫人……」
目尻を拭いながら礼を言うと、夫人は柔らかく微笑んだ。
「では、今まで通り、何事もなかったかのように過ごせますか? 陛下に本心を悟られないよう、笑顔の仮面をかぶり続けるのです」
「はい」
メリザンドは強くうなずいた。
今日ほどプルヴェ夫人の存在を心強いと思った日はない。だが、どこか只ならぬ雰囲気が漂っており、非常に気がかりだ。
ここで問いただしても仕方ないだろう。いつか話してくれるはず、と楽観的に考える。
それが正解だったのかは、わからない。
何年あとにも、何十年先になっても。
このときとこれからのプルヴェ夫人に対する正しい対応は、わからなかった。
国王の次男は性格が悪く、取り巻きと一緒になってお兄ちゃんを嘲笑したりしています。
長男次男も、人格者である先王妃から引き離されて育てられました。




