王妃の口から語られること
オフレ夫人の決死の交渉が実を結んだのか、その日のうちに王妃が謁見を承諾した。『明日の朝食後にでも来なさいよ』と軽い調子で言ったらしい。
その言葉通り、メリザンドは翌日の午前に王妃の居室の扉をくぐった。
王妃は前回と同様に、寛いだ格好で長椅子に寝そべっていた。表情に怒りや不快感は見受けられなかった。相変わらずの澄まし顔で、愛犬の顎をくすぐっている。
やはり、なにを考えているのかさっぱりわからない。
ついでに、周囲の侍女らにも視線を巡らせる。彼女たちも相変わらず忠犬のように主人の周囲に控えていた。
以前、妙な違和感を覚えた侍女はこの場にいなかった。オフレ夫人に尋ねたところ、彼女だけガッリア語を習得しておらず、それを恥じて王妃の前以外では一言もしゃべらないらしい。
だが、王妃がもっとも信頼しているのは、その侍女のようだという。
――今は、その侍女のことを気にかけている場合じゃないわね。
「このたびは、急なお目通りのお願いにもかかわらず、迅速にご対応いただき幸甚に存じます」
楚々とこうべを垂れたあとは言葉を止め、王妃の反応を待った。
「んー……悪かったわね、メリザンド」
聞こえてきたのは、まさかの詫び言。想定外すぎて、目を真ん丸にして王妃を凝視してしまった。
王妃は、ばつが悪そうに肩をすくめ、罪悪感をごまかすように髪をいじっている。
「あの庭園を荒らすのは、ちょっとやりすぎたみたいね。許してちょうだい」
軽い調子ではあったが、まごうことなき謝罪だった。
――意外と、話せばわかる御方なのかしら……。
思い切り身構えてきたというのに、まさかこんなにあっさり非を認めてくれるとは。
拍子抜けしたが、図に乗って勝ち誇ったような態度を取ってはいけない。せっかく向こうが謙虚な姿勢を見せてくれたのだから、こちらも立場をわきまえ、分相応に返答しよう。
「滅相もございません。わたしは、殿下に対して許す許さないなどと言える立場にありません。ただ、今回の件、幼い姫君らの心痛を思って無礼を承知で参りました。ゆえに、同じことを繰り返さないとお約束いただくだけで十分だと思っておりました。にもかかわらず、身に余るお言葉、王妃殿下の寛大なお心の一端に触れることができ、感激の極みでございます」
「大仰ねぇ」
王妃があきれたように嘆息する。ちょっと謙遜が過ぎたか。
「いいえ、本心でございます。ご不興を買い、お叱りを受ける覚悟で参りましたが……」
「あー……うーん……わたしこそ、あなたに怒鳴り込まれるのかとハラハラしちゃったわよ。あなたとはうまくやっていきたいからねぇ」
王妃は薄い笑みを浮かべながら、のんびりとした調子で言った。そこでようやく、メリザンドは彼女の心の内を理解した。
――このひとは本当に、気ままに暮らすこと以外に興味がないんだわ。
そんな王妃にとって、面倒な公務を肩代わりしてくれるメリザンドは非常に有益な存在。その有益性を保つためには、謝罪の一つや二つ惜しくないのだ。
実にシンプルでわかりやすい。メリザンドはほっと肩の力を抜いた。
ある意味で、前王妃アンヌの態度と似ている。彼女はメリザンドに感謝し、仲良くしてくれようとした。
一方のオルタンスは、親交を深めるまでは望まないが、無難な関係を築いていこうとしている。公務を押し付けられるのは癪だが、敵対されるよりずーっとマシだ。
だが、これでめでたしめでたしというわけにはいかない。このまま『では今後ともよろしく』と立ち去ったところで、宮廷内での王妃の問題行動は止まらず、いずれメリザンドとの関係に決定的なヒビが入るだろう。
ならば今こそ、千載一遇の機会。一か八かの覚悟で、王妃をたしなめてみよう。
「王妃殿下、恐れながら申し上げます。このままでは遠からず、宮廷内での居場所を失うでしょう。分をわきまえぬ発言だと承知の上で申し上げます。どうか言動を改め、立場にふさわしい立ち振る舞いをなさってください」
さすがに口が過ぎるか……。激高されるか……。メリザンドはこうべを垂れ、こわごわと王妃の反応を待つ。
以前、王妹ヴィクトワールへ同様の言葉をぶつけた際は、二人の断交のきっかけとなった。それでも、メリザンドは間違ったことを言っていない。
公式寵姫であるメリザンドは、王が心変わりしたときにその地位を失うが、王族は永遠に王族。王妃は自身のためにも、言動を改めるべきだ。まだ若いのだから、軌道修正は可能なはず。
「……ねえメリザンド」
王妃の呼びかけに、怒りの色は感じられない。
ゆっくり顔を上げると、王妃は不満そうにくちびるを尖らせていた。だが、苦言を呈されて機嫌を損ねているというふうでもない。
王妃は大きく嘆息したあと、難儀そうに口を開く。
「うすうすそんな気はしていたけれど……あなたまさか、なにも知らないの?」
「……え?」
目をぱちくりさせていると、王妃は再び息を吐いた。
「国王からなんにも聞いていないのねぇ。あっきれた、ちゃんと説明しておきなさいよね」
「ど、どういうことでございましょう」
混乱しながら、メリザンドは必死に記憶をたどる。王からなにか言われただろうか。メリザンドがそれを忘れているだけだろうか、と。
いや、あの御仁は、メリザンドの前では王妃をいないもののように扱っている。なんの『説明』も受けてはいない。
戸惑うメリザンドに対し、王妃は声を張り上げた。
「わたしはね、わざとああいう振る舞いをしているのよ。空気を読まず、宮廷作法を守らず、みんなが眉を顰めるような言動をね」
「っ、どうして、そのような……」
「離婚しやすくするためよ。わたしの素行不良、そして不妊を理由にね」
――離婚のため?!
メリザンドは言葉を失う。さっと血の気が引いたかと思うと、かっと全身が熱くなり、ぶわりと嫌な汗がにじみ出た。
「国王とはなにもないのよ。結婚初夜も、そのあともずーっと。彼がこの部屋に来たときは、ただ一緒のベッドで背中を向けて眠るだけ。だから妊娠するわけないんだけど、不妊は重大な離婚事由になるからね」
王妃はさも得意げに言う。あの男と肌を重ねたことはないから、あなたは安心しなさいと言わんばかりだった。
「晴れて離婚と相成ったあとは、王から田舎のお城と年金をもらって、自由きままに暮らすのよ。ああ、その日が楽しみでしかたない。――ねぇみんな!」
王妃が周囲の侍女たちに呼びかけると、みんな肯定を示すようにクスクスと笑い始めた。誰も彼も、その日を本心から心待ちにしているようだった。犬でさえ、周囲の歓喜を察してぶんぶんと尻尾を振り始めた。
その光景の異様さに、メリザンドはぞわりと肌を粟立てる。一刻も早くここから逃げ出したくなった。
「詳しいことは、国王に聞いてちょうだい。で、すべて理解できたら、改めて『長い付き合いにはならないと思うから、うまくやりましょ』。あなたはせいぜい私の悪評を広めてちょうだい。あの女は王妃にふさわしくない、さっさと離婚するべきだ、って」
「そ、そんなこと……」
弱々しく拒絶すると、王妃はかっと目を見開き、はっきりとよく通る声で言う。
「国王は、わたしと離婚したあと、あなたと結婚するつもりよ。よかったわね、メリザンド」
「え、なん……」
「だから、わたしたちが一日でも早く円満に離婚できるように、協力してちょうだいね!」
そのあと、どうやって自分の部屋に戻ったかまったく覚えていない。




