独唱会
王宮内に造られた小劇場にて。
国立歌劇場が誇る歌姫・エロイーズが、国王の御前で美声を披露していた。
曲目は馴染み深い歌劇の名曲だが、伴うのはオーケストラではなくピアノの音色のみ。
そのピアノ伴奏を務めるのは、第一王女マリエル。
十歳の彼女にとっては初の大舞台で、今回の催しの主役といっても差し支えない。
エロイーズもそれを理解してくれているようで、王女を出し抜いてひときわ目立ってやろうなどという高慢さは微塵も感じられなかった。それでも、のびやかでいて重厚な歌声は見事の一言に尽きる。
マリエルの奏でる音色も決して引けを取っていない。
二階中央席で王の隣に座しているメリザンドは、素晴らしい歌声に耳を傾けつつ、ちらりと王をうかがった。倦怠の色をありありと見せていたらどうしようかと思ったが、十二分に満足そうな表情をしていた。
続けて客席を埋める貴族らを眺めると、多少のひそひそ話はしているようだが、まあ大概の者は聴き入っている。たとえ歌に興味がなくとも、あからさまにそんなそぶりを見せる者はここにはいないようだ。
王族の面目を潰してやろうと企む不届き者が一人や二人はいるかもしれないと危惧していたが、杞憂に終わるだろう。
メリザンドがここまで周囲に気を配るのは、このイベントの企画者だからだ。もちろん己の楽しみのためだけでなく、公式寵姫の職務の一環として。
いや、もはや圧倒的に後者としての面が大きい。自分だけがエロイーズの美声を満喫したければ、財を投じて彼女の後援者となり、私的な空間に招けば事足りるのだから。
開催の主目的は、公式寵姫として王や貴族を楽しませ、王女のお披露目を済ませることなのだが、その裏にもう一つの目的があった。
幾人かの人物に恩を売ることだ。
まずは、国立歌劇場の関係者。
エロイーズを超える新たな歌姫はいまだガッリアに誕生せず、それゆえに民衆は彼女に飽き始めていた。
しかし、王宮に招かれ、王女の伴奏付きで歌唱を披露したとなれば、民衆は「さすが我らのエロイーズ」と再び彼女を称賛し、歌劇場につめかけ、万雷の拍手を送ることだろう。
劇場支配人のホクホク顔が目に浮かぶようだ。
次に、マリエル姫のピアノ教師役を務めている、サンカン夫人とその親族。
かつて王妹ヴィクトワールへピアノ指導をしていたサンカン夫人だが、ヴィクトワールの結婚が決まってからはさっさとメリザンドに鞍替えし、取り巻きの一人と化していた。
そんな彼女を、第一王女のピアノ教師に推薦したのはメリザンドだった。
王に指示されたわけではない。ただ、メリザンドは己の取り巻きたちに『良質の餌』を与え、彼女たちの忠義と献身によって自身を守ろうと画策しただけ。
しかし意外にもマリエル姫とサンカン夫人の相性はよく、三年前に王妃を亡くした姫への同情心と相まってか、夫人は姫を実の娘のように慈しんだ。三度の飯より醜聞が大好きだった彼女は、すっかり善良で温厚な中年女性になってしまった。
もちろんメリザンドにとって、それはとても快いことであったし、サンカン夫人の夫からは「おかげで夫婦仲が改善した」と謝意を述べられた。
厳格な陸軍佐官である夫君が、わざわざメリザンドのもとへ足を運び、頬を緩ませながら何度も礼を言うものだから、相当の効果があったのだろうと思われる。
今回の演奏会の開催は、蜜月へ戻った夫婦へのささやかな贈り物でもあった。
サンカン夫人は今、舞台袖で感涙に咽びながら教え子の成長を見守っているだろうし、その感動をのちのち夫に語って聞かせ、夫は激務の合間に愛と癒しを得るのだろう。
おかげで、陸軍に少しだけ縁ができた。有事の際は、便宜を図ってもらえるといいなぁと儚い希望を抱いても許されるだろう。
音楽が終わり、小劇場に集っていた貴族らが拍手を送る。
メリザンドも手を打ち鳴らしながら、再び王の顔色をうかがった。本心からの称賛を拍手に乗せているように見えたため、ほっと胸をなでおろす。
拍手がやむ頃を見計らい、王がすっくと立ちあがる。劇場内がしんと静まり返った。
「見事であった、エロイーズ。魂まで打ち震えるような歌声、とっくり堪能させてもらった。初めてその声を耳にした時から一切の衰えを感じぬのは、其方の研鑽の結果だろう」
王の賛辞に、歌姫は静かに微笑んで優雅に一礼する。権力者の前でのふるまいは、彼女にとって手慣れたものだろう。
「そしてマリエル。エロイーズの歌声に引けを取らぬピアノの腕、父として誇り高い。亡きアンヌも、天の国にて耳を傾けたことだろう」
演奏中は緊張したようなそぶりを見せなかった姫は、父王からの賛辞にようやく動揺を見せ、頬を赤くしてうつむいた。年相応の、実にかわいらしい反応だった。劇場内の雰囲気もふんわりと和んだものに変わる。
――よかった、今回も無事に終わったわね……。
メリザンドは小さく安堵の息をこぼす。だが、このあとも遠方から足を運んでくれた来賓をもてなしたり、関係者各位に謝礼の手紙を書いたりしなくてはならないため、気を緩めるわけにはいかない。
公式寵姫としてイベントを催すたび、心労に苛まれるのは本当につらい。しかし、今までなんとか大きなトラブルなく済んできた。
それは、宮廷内が比較的落ち着いているからだ。表立って対立しあう派閥も、大きな不満もなく。
だが水面下でなにかは起こっている。そのなにかは、間違いなく徐々に漏れ出しているだろう。そしてある日突然に大きく吹き出し、宮廷を一変させる。
――ユージェーヌさまの再婚が、引き金となるに違いないわ。
再来月、新たな王妃がやってくる。




