出迎え
港に到着したメリザンドを恭しく迎える一団があった。
王国近衛騎士団だ。
彼らに取り囲まれた瞬間、筆舌に尽くしがたい悲憤に襲われた。彼らは当然、メリザンドを離宮ではなくリュテス宮殿へ運ぶだろう。一日でも早い寵姫との再会を願った王が、騎士団を動かしたのだ。
要するに、メリザンドの『休暇』はここでおしまい。
――あと数日、羽を伸ばせると思ったのに!
心の中で滂沱の涙を流しながら、メリザンドは騎士たちに柔らかい笑みを向けた。
道行く人々は、興味津々といった様子でこちらをうかがっている。旅装の若い女が、あからさまな要人待遇を受けているのだから。突き刺さる視線と囁き声に、頬がかっと熱くなった。
投げやりな気分で、用意されていた馬車へ乗り込もうとしたとき、背後にいたはずのプルヴェ夫人がいなくなっていることに気づいた。視線を巡らせると、若い騎士に別の馬車へと導かれていた。
どうして、と声をかける間もなく、腕を引かれて箱の中へと引きずり込まれる。すぐさま、扉が閉められた。
「なんっ……!」
驚き戸惑うメリザンドの身体を、力強い抱擁が締め付ける。顔を胸板に押し付けられる格好になり、額のあたりに服飾品が当たって少し痛い。
鼻腔に届くのは、さわやかな香水の匂いと、隠し切れない男性の体臭。決して不快ではなく、古巣に戻ってきたような懐かしさを覚えた。
「会いたかった、メリザンド!」
「……ユージェーヌさま」
胸元に顔をうずめたまま名を呼ぶと、王は至極満足そうに喉を震わせた。
「そうだ、その声が聞きたかった。わたしの名を呼ぶお前の声を。早々にその願いが叶うとは、わたしはなんと果報者だろう」
うきうきと弾むような声は少年のよう。王の腕の力が緩むのを待って、メリザンドはゆっくり顔を上げ、尊顔を拝する。見慣れた男の面部が、いかにも喜色満面といったふうに輝いていた。
――わたしとの再会を、こんなにも喜んでくださって……。
王から向けられる、噓偽りない純粋な愛情。それに心打たれた瞬間、休暇を縮められた悲しみや、急に馬車へ押し込められた怒りなどどうでもよくなってしまった。
「ユージェーヌさまには、本当にびっくりさせられてばかりですね」
ここは、嫣然とした女の笑みよりも、『してやられた』というような苦笑を浮かべるのがふさわしいだろう。そして今度はメリザンドから王へと身を寄せる。
「わたしもお会いしたかったです。数か月の別離の間、ユージェーヌさまのお気持ちがほんのわずかでも揺れ動くことはないだろうと信じておりましたが、また宮廷人たちがいらぬ世話を焼いているのではないかと思うとすこぶる不愉快で……」
本音を吐露し、奥歯を嚙む。先の件のような勘違いとぬか喜びをさせられるのはまっぴらごめんだ。ましてや王妃の喪中に、王へ愛人候補を紹介するような愚臣がいたとは思いたくない。
「廷臣とはたいがい不愉快なものだ」
王はそう笑い飛ばしたあと、少し目を細めた。
「まあ前回の件できつく言い含めたこともあって、お前が気に病むようなことはなにもなかった。なにも、な」
物言いからして、多少のなにかはあったのだろう。もしかすると、早々に再婚の話が出たのかもしれない。だが、王が気にするなというのなら今はそれに従うべきだ。再会の喜びに水を差してしまう。
「いとしいメリザンド。わたしの愛が揺らがぬと、信じていてくれたのだな」
「ええ、神と母の名に誓ってくださったではありませんか」
王から向けられる熱い視線を、メリザンドは真っ向から受け止めた。わずかの見つめ合いののち、王が顔を寄せてきたため、メリザンドは目を閉じる。
挨拶のような軽い口づけが数回だけだったのは意外。肩透かしに目をまたたかせていると、王は杖でごんごんと床を突き、遅れて馬車が動き出す。
――そっか、いくら密室とはいえ、周囲を騎士団が固めているのだから……。
むさぼるようなキスが降ってくるだろうと思い込んでいたメリザンドは、頬を赤らめた。再会の喜びにのぼせ上っているのは、王ではなく自分のほうなのかもしれない。
ならば、とメリザンドは座ったまま王にぴったりと身を寄せると、彼の肩口に頭を預け、誘うように膝の辺りを撫でる。王も満足そうにメリザンドの腰を抱く。揺れる馬車の中では、このくらいの触れ合いが適切だろう。
「ユージェーヌさま、遅ればせながら、新たな王女殿下の誕生おめでとうございます。そして王妃殿下の件、まことに残念でなりません。殿下のお墓へ詣でることをお許しいただけますか」
御子と王妃の話題を出すと、王はわずかに白けたようなそぶりをみせた。実に薄情なことだが、もう慣れたというか、あきらめた。
「……無論だ、好きにするがいい。ああ、子にも会ってみるか? 乳母の乳の出がよいようで、丸々と肥えている。最近、ふにゃふにゃしなくなって抱きやすくなったぞ」
おもちゃのような物言いだが、それでも定期的に抱いてやっているのかと思うと微笑ましい。同時に、我が子の教育をしたいと言っていた王妃の無念を思うと、胸が痛む。
「ところでメリザンド……」
王が顔を覗き込んできたため、はっと目を見開く。彼の黒々とした瞳には、ぞくりとするほど真剣な光が宿っていた。
「此度のアルバス旅行……十二分に羽を伸ばせたか?」
含みを持たせた、緩慢な物言いだった。視線はメリザンドを捉えたまま、揺るがない。
「……はい、存分に。陛下のご温情に感謝いたします」
「そうか、不埒な輩に不快な思いをさせられはしなかったか?」
「ええ、なにも問題ございませんでした。アルバスでお会いした方々はみな、わたしに親切にしてくださいました。おかげで、本当に良い経験を積むことができました。きっと今まで以上に、公式寵姫として陛下のお役に立てることでしょう」
柔らかく微笑むと、王は「そうか」とくちびるをつり上げてから、車窓へ目を向けた。指先でわずかにカーテンを開き、景色を眺め始める。
――この御方は、すべて知っているのだわ。アルバス旅行の真の目的を。わたしが誰と会ったのかも……。
メリザンドは王の横顔を眺めながら、ごくりと喉を鳴らす。
――監視がいたのでしょう……まあ当然ね。
むしろ、いないなと思うほうが愚かだ。
あるいは、メリザンドがアルバスで出会った誰かが、逐一王へと情報を流していたのかもしれない。それはイベール夫人かもしれない、アルフレッドかもしれない。双方、王とは不仲だと聞いたが、真実は本人たちのみぞ知る、だ。もちろん、プルヴェ夫人もちょっと怪しい。
それでも、王はメリザンドを責めたりせず、けれどゆめゆめ油断するなと遠回しに念押ししただけ。寵姫への愛にのぼせ上っているだけの暗君ではないと、改めて思い知らされる。
***
国王と寵姫の一団はまっすぐ王都へ戻らず、数日かけていくつかの都市を巡った。公務をほっぽり出してメリザンドを迎えに来たわけではなく、視察も兼ねてのことだったらしい。
さらに、公式寵姫メリザンドの地方お披露目も兼ねていたようで、滞在地では歓待を受けた。
だが公式寵姫として紹介された以上は、休んでばかりもいられず、地方領主の夫人らと茶会、食事会、夜会と多忙な日々を過ごす羽目になった。
唯一の救いは、プルヴェ夫人も一緒についてきてくれたことだ。彼女も旅疲れしているだろうから、申し訳なくもあったが。
ちなみに、最初の宿泊地で王と同衾することになり、求められるまま身を任せた。




