先代公式寵姫 イベール夫人 その3
「ようやくくだらない演技も止めにできるわねぇ」
客室へ移動してすぐ、イベール夫人は肘掛け椅子にどっかりと腰を下ろし、さも疲れた様子で首を回した。
椅子は、丸いテーブルを囲むように四脚用意されていたため、メリザンドはイベール夫人の隣に座し、真正面から視線を向けられないようにした。プルヴェ夫人がイベール夫人の正面に座る。
「手間を取らせてごめんなさいね、オルガ。あなたとメリザンドの出会いは、あくまで偶然の産物だと周囲にアピールしておきたくて」
「ちょっとわざとらしい気もするけどねぇ。ユージェーヌの坊やの耳に入ったら、問い詰められるんじゃなぁい?」
「そこは知らぬ存ぜぬを貫きますよ」
「ガッリア国王に対しても肝が太いわねぇ~」
「あなたに言われたくありません」
プルヴェ夫人のぴしゃりとした返しに、イベール夫人は「あらやだ~」と言ってけらけら笑った。
――やっぱり、すごく仲がよさそうだわ……。
いかにも『気の置けない女友達』といった雰囲気の二人を目の当たりにして、メリザンドは嫉妬と疎外感を覚えた。これ以上会話に取り残されないためにも、すかさず尋ねる。
「プルヴェ夫人は先代王妃さまの侍女だったのでしょう? それがどうして、当時公式寵姫だったイベール夫人とそんなに親密そうなのですか?」
「べつに、特段に親密というわけではありませんよ」
プルヴェ夫人はつんと澄ました顔で答える。想定外のことに、メリザンドはぽかんと口を開けた。
「……とても親しそうに見えます」
「オルガは誰にでもこんな調子ですよ」
「でも、プルヴェ夫人はイベール夫人とずっと手紙のやり取りをしていたのでしょう?」
だからこそ、今の状況があるのだ。プルヴェ夫人は、イベール夫人が宮廷を放逐された後も交流を続け、所在や動向を把握していたという。
そしてイベール夫人も、プルヴェ夫人の頼みに従って、メリザンドとの対面を快諾してくれた。
そんな二人の間にあるのが『友情』のたぐいでなければ、いったい他のなんだというのだろう。
「わたくしがオルガと文通を続けていたのは、そうしておけばいつか役に立つだろうという打算からです」
淡々とした調子で言い放ったプルヴェ夫人に、メリザンドはますます混乱する。
「え、えええ?」
「やだ~! ロクサーヌったら相変わらずねぇ~!」
イベール夫人は扇をひらひらさせながら大笑いする。彼女を見つめるプルヴェ夫人の目には、冷たいものが宿っていた。
「あなただって同じでしょう、オルガ。わたくしとの縁を維持しておいて、いつかガッリア宮廷へ返り咲く足掛かりにしようと……」
「んもう、そんなこと考えてないわよ! こっちでの生活、気に入っているんだから」
「あら……そうですか?」
プルヴェ夫人は疑わしげに眉根を寄せた。その隙のない眼差しに、メリザンドはわずかに震える。
「アルバスへ流れてきてすぐは、郷愁に駆られることもあったわよ。でもねぇ、ここはガッリアほど伝統やしきたりに雁字搦めじゃないの。あたくしは今、本物の自由を満喫しているのよ」
「それはよかった。ではなぜ、『現公式寵姫と会わせたい』というわたくしの要望をあっさり吞んでくださったのですか?」
「そりゃあ、面白そうだからに決まってるでしょ! あたくしの『後輩』がどんな子か、ずっと気になっていたんだもの。それがこんなに若くて可愛い子で、あたくしはその子に対してこれでもかというほどに先輩風を吹かすことができるのよ! こんなに愉快なことってないわ!」
と、イベール夫人はメリザンドに向けて片目を瞑ってみせた。コミカルな仕草だったが、要するに『若輩者に上から目線で指導できる快楽を堪能したい』ということだろう。俗な思考だが、理解はできる。
「あまりおかしなことを吹き込んでもらっては困りますよ」
睨みを利かせるプルヴェ夫人に、イベール夫人は相変わらずの調子で笑う。
「怖いわねぇ、そんなにこの子が大切なの?」
「ええ、そうですとも」
「あらあら、誰か一人に肩入れするようになるなんて、あなたも年を食ったわねぇ」
イベール夫人の揶揄にもプルヴェ夫人は動じない。イベール夫人は根負けしたように肩をすくめると、メリザンドへ視線を向けた。
「じゃ、予定通り観光でもしながら、ゆっくりお話しましょ、バルテ夫人。いえ、メリザンドとお呼びしても構わないかしら?」
一瞬、『いやです』と口から出そうになったが、辛うじてこらえる。
「ええ、構いませんわ、イベール夫人」
寛大さを示すようににっこりと笑い、「よろしくお願いいたします」と殊勝な態度で頭を下げた。プルヴェ夫人の面目を立てるためだと思えば、どうってことない。王に嘘をついてまで用意してくれた、貴重な機会だ。
「ああそうだ、ユージェーヌの坊やは元気かしら?」
イベール夫人は足を組み直しながら話題を変えた。
「ええと……」
即答できず、メリザンドは視線をさまよわせた。
なにせ、最後に王と会ったのは約三カ月前なのだ。変装し、離宮へ尋ねてきたとき以来、顔を見ていない。
手紙のやり取りはしているし、病気やケガをしたなどという話はついぞ聞かないが、だからといって『元気だ』と答えてしまうのも違う気がする。
「……わたしはここ数か月ほどお会いしておりませんので」
「わたくしが拝謁したときは、壮健そのものでしたよ」
代わりにプルヴェ夫人が答えてくれた。彼女は足繁く王宮へ通っていたため、比較的最近のことだと思われる。
「そりゃあ結構なことだわ」
イベール夫人は声を立てて笑った。
「坊やが即位したときは、王として若すぎやしないかって心配したけれど、悪い噂はちっとも聞こえてこないから、なーんの問題もなさそうね。あーあ、つまらないわぁ~」
――つまらない、ってどういうことよ……。
暗君として、国を傾けでもしたほうが愉快だ、ということか。外国という安全圏に住んでいるからこそ、好き放題言えるのだろう。
軽く睨みつけていると、イベール夫人は痛ましそうに眉尻を下げた。
「ああそうだ……ついこの間、アンヌちゃんが亡くなったんですってね」
──アンヌちゃん……。亡き王妃殿下のことだわ……。
「まだ若かったのに……かわいそうに……」
目を閉じ、うつむくイベール夫人は、心の底から王妃の死を悼んでいるように見えた。
「坊やとアンヌちゃんの結婚は、あたくしが推し進めたのよ。本当はアンヌちゃんのお姉さんをお嫁にもらう予定だったんだけれど、絶対にアンヌちゃんがいいって直感で思ったの。すぐに男の子を生んでくれて、あたくしも鼻が高かったわぁ。あまりお話はできなかったけど、いい子だったのに……残念ね」
「ええ、本当に……」
メリザンドは心の底から同意し、故人を偲んで涙ぐむ。けれど哀惜の念とは異なる思いが脳裏をよぎったため、はっと身を固くした。
――お二人の結婚は、このひとが取りまとめたというのは本当だったのね。いくら公式寵姫とはいえ、たかだか愛人にすぎない存在が、幾度も戦火を交えた国と国とを結びつけた……。先代国王も、廷臣たちも、エスパナ帝国でさえ、彼女の案を呑んだ。彼女はいったい、どれだけの権勢を誇っていたというの?
イベール夫人は、実に軽い調子で当時のことを語ったが、女の気まぐれや勘で、王太子と皇女の結婚が決まるはずがない。彼女には確かな政治的手腕が備わっており、周囲もそれを認めていたということになる。
メリザンドの横に座っているのは、ただの陽気な貴婦人ではない。そう思うと、緊張に汗が吹き出る。
――イベール夫人と話すことで、得られるものはたくさんあるかもしれない。でも、わたしは決して彼女のようには振る舞えないわ……。
メリザンドの心は、再び暗く沈んでいく。だが、底まで沈み切る前に、急浮上した。
――でも、せっかくプルヴェ夫人が設けてくださった機会だもの。できる限りの収穫を得て、ガッリアへ帰りたいわ。公式寵姫として十全を尽くすと決めたんだから……!
そしてこの翌日からさっそく、メリザンドはイベール夫人と共にアルバス王都・リンディムの観光をすることになったのである。
裏設定になりますが、イベール夫人がアンヌの姉との結婚を反対したのは、肖像画を見て「障害を持っている」と見抜いたからです。エスパナ帝国の近親婚の影響です。
もちろん、障害を理由にすると大問題なので、公式寵姫としてのコネを使い、あちこちに根回しして、ユージェーヌとアンヌを結婚させました。ですがそれゆえに、アンヌは悪印象を持たれて、ガッリア宮廷でいじめられる原因になりました。




