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先代公式寵姫 イベール夫人 その1

 ガッリア王国の王都リュテス市は、非常に洗練された大都市である。

 先々代国王が推進した都市計画により街並みは一新され、加えて先王時代には国立歌劇場をはじめとした荘厳華麗な建築物がいくつも造られた。


 現在、リュテス市こそが近隣諸国随一の先進都市だということは、誰の目にも疑いようがない。


 そんなリュテス市で生まれ育ったメリザンドにとって、アルバス王国の王都リンディムはあまりに旧態依然としているように思えた。


 道が狭いせいですぐに馬車が渋滞するし、舗装が不十分でガタガタするし、緑あふれる公園なんてものは存在しない。

 あちこちに浮浪者がいるし、所構わず街娼が商売しているし、子供が物乞いしているし、下品なビラがあちこちに貼られているし、コーヒーは女が飲む物じゃないなんて時代遅れな風潮がまかり通っている。

 加えて、臭いし暗いし、じめっとしている。

 目につく欠点を挙げれば、枚挙にいとまがない。


 ──美しく華やかなリュテス市が恋しい……。


 馬車の窓からリンディムの街並みを眺めながら、メリザンドは小さく嘆息した。 


 しかしすぐに心を改める。


 ──生まれて初めての外国旅行だというのに、もうホームシックになるなんて情けないわ。それに、他国の都市をせっせと貶めている自分の性根の悪さが嫌になっちゃう……。


「リュテス市と比べたら、リンディムは実に猥雑な都市でしょ~?」


 メリザンドの心の中を見透かしたかのような言葉を投げかけたのは、イベール夫人。メリザンドの正面に腰かけ、くっきりした二重の目を愉快そうに細めている。


「あっ、ええ、まあ……」


 メリザンドは慌てて居住まいを正し、取り繕った笑みを浮かべる。馬車がちっとも進まないからすこぶる退屈で、心の内をありありと表情に出してしまっていた。


「でも、食事はおいしかったですわ」


 唯一の長所を挙げると、イベール夫人は白い喉を反らせ、けらけらと笑った。


「あなたがアルバスへ来てから食べたものはすべて、エスパナ料理よ!」

「…………そうですか」


 メリザンドはがっくりと肩を落とす。アルバスという国に対し、称賛すべき点がことごとく消滅した。


 何度目かの嘆息を漏らしながら、どうしてこんな状況になっているかを思い返す。


 ──プルヴェ夫人に、『先代国王の公式寵姫だったイベール夫人に会ってみないか』と提案されて……。


***


 王妃の喪が明ける二週間前。メリザンドは王の許可を得て、隣国アルバスへとやって来た。


 王への名目は、見聞を広めるための国外旅行。

 交渉にあたってくれたプルヴェ夫人の話では、比較的あっさりと許してくれたらしい。


 メリザンドを公式寵姫として飛躍させるため、様々な経験を積ませたい。王は以前からそう考えていたらしく、今回の件は渡りに船だったようだ。どうせメリザンドを手元に置けないのなら、その時間を有効活用するべきだ、と。


 ただし、王にはイベール夫人と会うことは伏せてある。

 先王が亡くなった折、王は問答無用でイベール夫人を修道院へ叩き込んだ。表立って対立はしていなかったようだが、好感情を抱いていなかったことは疑いようがない。


 アルバスの王都リンディムまでは馬車と船を使って一日半。

 メリザンドにとっては初めての船旅で、船上ではおのぼりさんのごとくはしゃいだ。プルヴェ夫人は船酔いで青い顔をしていたが。


 アルバスでは、プルヴェ夫人の従妹であるエリントン夫人宅に滞在しながら観光をする予定になっていた(・・・・・)


 エリントン夫人はメリザンドのためにささやかな夜会を開いてくれた。メリザンドが隣国の公式寵姫であることは伏せられており、『ただの外国人旅行客』あるいは『一介の侯爵夫人』として、のびのびと過ごすことができた。


 ……会場に、イベール夫人が姿を現すまでは。


 夜会の招待客の中に、たまたまイベール夫人が混ざっていたのだ。そう、あくまでもたまたま(・・・・)

 彼女と相見(あいまみ)えた瞬間の衝撃は、強く印象に残っている。

 

 見目麗しい青年にエスコートされてやって来たイベール夫人。彼女が姿を見せた瞬間、会場中の人間が一斉に視線を向け、しっとりした夜会の雰囲気が一変、まるで祝いの場のようにワッと盛り上がった。

 大勢の人間が、吸い寄せられるようにイベール夫人の元へと向かう。


 イベール夫人はひとりひとりに笑顔を向け、声をかけ、抱擁し、手を振っていた。

 その大人気ぶりに、メリザンドは息を吞む。


 ──あれが、先代国王の公式寵姫、イベール夫人……。あらかじめプルヴェ夫人から聞いていたとおり、気さくで陽気な人柄みたいね。


 没落貴族出身の彼女が、かつてのリュテス宮殿で先王妃を凌ぐ人気を誇っていたのは、その性格によるところが大きいという。驕らず、取り澄まさず、誰とでも話し、よく笑う。


 おそらく、彼女の生来の性格だろう。

 プルヴェ夫人がそうであるように、イベール夫人もまた怪物級のコミュニケーション能力と、大勢の人々を引き寄せる魅力を(そな)えている。


 ただし、イベール夫人はプルヴェ夫人とは異なり、一部の人間にはひどく忌み嫌われるタイプだろうと思った。


 たとえるなら、プルヴェ夫人は冬場の太陽。ぽかぽかと温かく、心地よい。

 一方のイベール夫人は、真夏の太陽のような女。強烈な存在感ですべての者を日陰へ追いやってしまう。


 現に、何人かは隅っこでイベール夫人を睨み付けていた。扇で口元を隠し、ひそひそと囁いている。十中八九、悪罵のたぐいだろう。

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