王の孤独
「ユージェーヌさま……あの……」
王の腕に包まれながら、メリザンドはなんとか言葉を絞り出す。
はっきりとした答えを聞くのが恐ろしくもあったが、有耶無耶のままでは笑うことも泣くこともできない。
王は、「なんだ、どうした?」と抱擁の力を緩めた。声はうきうきと弾んでおり、メリザンドと会話できることがこの上なく嬉しいといった様子。ゆえに、ますます戸惑う。
「おそれながら……オルドリッジ卿から女性を紹介されたと聞きましたが……」
「やはりお前の耳にも入っていたか!」
怒号と共に、王はメリザンドの肩を強く掴んだ。驚きと痛みに「ひっ」と声が出る。
何度もまばたきしながら目線を上げ、王の表情をうかがうと、端正な顔をいかにも悔しそうに歪めていた。
「ああ、疾く駆けてきてよかった。お前はその件を、なんと聞いている?」
「かの御仁から紹介された女性を、ユージェーヌさまがたいそう気に入られたと……。わたしはお役御免になるのだと……」
すると、王は太い眉をこれでもかと吊り上げ、鋭い怒りをあらわにした。
「事実無根だ! 宮廷人どもめ、まったくけしからん!」
──事実無根。
メリザンドはその言葉を心の中で何度も噛み締めた。さまざまな想いが飛来するが、今は深く考えないようにして、できる限り冷静さを保った。
「それで、お前にその話をもたらしたのは誰だ?」
「……プルヴェ夫人です」
正確にはリュシアンなのだが、彼と会ったことは誰にも話してはいけない。その最たる存在は王だ。
「やはりな。さしものプルヴェ夫人も、宮廷を離れていたせいで話の真偽を取り違えたとみえる。たまには彼女を宮廷へ戻してやるべきだったな」
王は苦笑しながらメリザンドの頬を撫で、メリザンドは腹の底からその言葉に同意した。
「ええ……おっしゃる通りにございます……」
王の御前でなければ、己の迂闊さにくずおれていただろう。
──ほんとうに愚かなわたし。休暇をもらった気分で浮かれて、宮廷の情報を遮断して、夫人と遊び惚けて。そのせいで……。
そのせいで、無駄な夢を見た。
昨夜の一連の出来事を『無駄』だと断じた途端、スッと心が楽になった。
そしてこの瞬間、メリザンドは王宮に置いてきた公式寵姫の仮面を、再び顔面へと乗せた。
その仮面は何種類も存在しており、今かぶるべきはわずかにしなを作った女の仮面。
今、王の目には、久々の逢瀬を遠慮がちに喜ぶ『公式寵姫・メリザンド』の姿が映っているはずだ。
「やっと笑顔を見せてくれたな」
と、王は満足そうに目尻を下げた。彼からしてみれば、ようやく誤解が解けて万々歳、といったところなのだろう。
「わたしの愛しいメリザンド!」
王は感極まったように、再びメリザンドを強く抱きしめる。
「戯言を吹聴して回った宮廷人どものせいで、さぞ辛い思いをしたことだろう」
「はい……」
逞しい男の胸に埋もれながら、メリザンドは万感を込めて首肯した。
王の心変わりを聞いたときの哀痛は、『辛い』の一言で済むようなものではなかった。
けれど、リュシアンやプルヴェ夫人のおかげで、一夜もかからずに立ち直ってしまえる程度のものだった。
メリザンドは震える声で言葉を続ける。
「悲しみのあまり、一晩中枕を濡らしておりました。プルヴェ夫人に温かい言葉をかけていただいたおかげでなんとか立ち直り、今後の身の振り方を考えていたところです」
すらりと口から流れた虚言に、内心で恥じ入る。
だがこれは必要な嘘。罪の意識なんて抱かずともよいと、己に言い聞かせる。
しかし……。
「そのようなこと、もう考えるな! そんな悲しいことを……! ああ、お前がいかなる辛苦を味わったか想像するだけで、胸が張り裂けそうだ!」
「ユージェーヌさま……」
痛切な王の嘆きに、メリザンドの良心が強く疼いた。
──陛下はこんなにもわたしを案じてくださっている。愛おしんでくださっている。にもかかわらず、陛下の心変わりを聞かされたとき、わたしは即座にそれを信じた。『そんなまさか』だなんてこれっぽっちも疑わなかった……。
支配者とは気まぐれで移り気なもの。そんな先入観に囚われ、ユージェーヌという男性の気持ちを顧みていなかった。それは、彼に対してあまりにも不誠実。
そればかりか、王の幼馴染であるリュシアンも、王から厚く信頼されているプルヴェ夫人さえも、あっさりと噂を信じ込み、宮廷へ乗り込んで直接確認しようとしなかった。
──『王』とは、孤独な存在なんだわ……。
大勢の臣下に囲まれていても、誰も彼もが遠巻きに見上げるばかり。心に寄り添い、理解しようとする者はいない。
──そんな王の孤独を癒せる唯一の存在が公式寵姫。わたしは陛下にとって必要不可欠な存在……。
メリザンドは己の立場の重要さを改めて認識した。一国の王の愛人になるということは、一国を支えるに等しいのだ。メリザンドの振る舞い次第で、王は名君にも暗君にもなるかもしれない。
それを証明するかのように、王はあらゆる公務をほっぽり出し、たった一人の護衛と共に変装までしてメリザンドの元へ駆けつけた。想い人の誤解を解くためとはいえ、その行動力はあまりに向こう見ずで、危ういように思える。
──いえ、さすがにそれは自惚れ過ぎよ。陛下はわたし程度の存在から影響を受けて、やすやすと道を踏み外したりはしないわ。型破りだけれど、気骨のあるお方だもの。
自らに言い聞かせるように強くそう思う。
──どのみち、わたし自身には公式寵姫の座を辞す権利がない。ならばよりいっそう、その務めに励んでみようかしら。陛下のお心に寄り添い、御代が素晴らしいものになるようお助けするの。陛下が本当に心変わりされるときまで……。
責任の重さに押しつぶされそうになるが、王妃も味方でいてくれるし、なによりプルヴェ夫人という貴い友がいる。メリザンドは孤独ではない。
──昨夜の出来事は……見た夢のことは、忘れてしまおう……。
少し鼻の奥がツンとしたが、強く一息吸い込んでなかったことにした。




