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リュシアンへの想い

 屋敷へ戻ったメリザンドを迎えたのは、家令だけではなかった。

 リュシアンが腕組みして階段の手すりにもたれかかっており、なにか言いたげにこちらを眺めていた。

 偶然部屋から出てきたというより、馬車が到着した音を聞いて待っていてくれていた、という風体である。


 しかし、相変わらずニコリともせず、緑の双眸にはほんのわずかな温かみすらない。


 ──(ねぎら)いにきてくれたわけではなさそうね。


 メリザンドは小さく息を吐いた。


「心配は不要です。あなたに恥をかかせるようなふるまいは、決してしておりませんので」

「……そうか」


 先手を取って口を開くと、リュシアンは静かに目を伏せた。

 このまま彼の横をすり抜けて自室へ戻ろうかと迷ったが、念のため、『あのこと』を報告しておこうと思い至る。


「そういえば、宮廷ではこんな噂話が流れておりました。リュシアンさまは国王陛下に妻を寝取られたのだと。まったく、くだらな……」

「くだらないな」


 吐き捨てるようなリュシアンの物言いに、メリザンドはびくりと身を震わせる。


「有象無象の愚か者たちのように、そんなくだらない噂を真に受けたのか」

「な……ちが……」

「宮廷で生活していくのなら、流言飛語に惑わされぬようにしろ。噂好きの、頭の弱い女だと思われる」


 氷の刃のような言葉が、メリザンドの心をえぐっていった。しかしそのまま打ちひしがれたりはしない。血が激しく沸き立ち、きりきりと(まなじり)がつり上がっていく。


「夫のある身で、他の男性になびいたと思われている時点で、周囲はわたしのことを『とびきり頭の弱い女だ』と(さげす)んでいるでしょうね!」


 感情のままに叫んだあと、はっとして相好を正した。口元に淑女然とした笑みをたたえ、何事もなかったかのようにリュシアンへと告げる。


「おやすみなさいませ、旦那さま」

「……ああ」


 てっきり無視されると思ったが、短いながらも返事があったことには驚いた。

 だがこれ以上交わす言葉も見つからない。メリザンドはさっさと階段を上り、自室へこもった。


 ──わたしの馬鹿。あんなひとのことなんて、知らんぷりすればよかったのに。


 女中たちに就寝の支度をさせながら、激しい後悔に苛まれる。

 余計なことを言おうとするのではなかった。

 

 リュシアンだって、もっとメリザンドの話に耳を傾けてくれたってよかったのに。

 本当なら、『こんな噂が流れているのですが』と警告して、『まったくくだらないですわね』と笑い飛ばす予定だった。

 そしてリュシアンにも、『ああ、くだらないな』と一笑に()して欲しかった。

 夫婦として最初から破綻していたにもかかわらず、一時(いっとき)の親交を求めた自分が愚かだったのだ。


 ──でも、リュシアンさまも馬鹿だわ! わたしをダシにして甘い汁を吸いたいなら、わたしにもっと優しくするべきでしょう!


 そんな子供じみたことを思いながら、寝台へ向かうと……。

 寝台脇のテーブルに、深紅の椿が一輪だけ飾られていた。大輪の花は寝台の方を向いており、これから就寝するメリザンドを見守ろうとしてくれるようだった。


 ──偶然、よね。


 女中が花瓶を無造作に置いた結果、こうなっただけだろう。しかし、国王から花の贈り物があるのは久方ぶりだ。


 ──たった一輪だけ、というのも(いき)だわ。


 メリザンドは寝台に潜ったあとも蝋燭(ろうそく)の炎を消さず、しばらく赤い椿を眺めていた。そうしながら、ふと思う。


 ──本来なら、わたしがリュシアンさまに媚びないといけないんだわ。陛下の寵愛がいつまで続くかわからないんだもの。お役御免になったあと、わたしはリュシアンさまの元に戻らなくてはならない。そのとき、少しでも温かく迎え入れてもらえるようにしないとダメなんだわ……。


 『公式寵姫』なんて、しょせんは都合の良い愛人。王が心変わりすれば、そこでおしまい。

 だからメリザンドは手紙を書くことにした。リュシアンに向けて、己の想いを記した(ふみ)を。


 ずっと以前、歌劇場で見かけたときから憧れていたこと。

 結婚が決まったとき、本当に嬉しかったこと。屋敷で一人待つ間、ずっと想っていたこと。

 上辺だけでも、仲良くしたかった。

 いつか公式寵姫のお役目を解かれることがあったら、笑い飛ばしてくれて構わない。夫婦に戻ろうなんて望まない。

 ただ、今よりほんの少しだけでいいから、(なご)やかにお話できる関係になれたらいいと思う。

 結婚した以上は、死がふたりを分かつまで夫婦なのだから。


 こんな感じのことをしたためた手紙を、家令へと託した。メリザンドが王宮へ発ったのちにリュシアンへ渡してくれと。

 封さえ開けず、破り捨てられるかもしれないけれど。

 それでもメリザンドの心情の一部でもわかってくれたらいいな、とわずかな望みを抱いて。

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