朝の井戸は大変危険
フワッと浮遊感に襲われ頭から真っ逆さまに落ちるのと同時にバケツが、ボチャンと水面を叩く音が耳に響く。
あ、これはダメな奴だ…!
一気に目が覚め、焦ったがもう遅い。
水の冷たさと落ちた時の衝撃を想像して背筋が凍りつく。
「ひっ…!」
その刹那、井戸の底へと向かっていた身体はピタリと静止し、右足が何か生暖かいものに掴まれた。
いや、正確には咥えられた。
ラーシャが首だけを動かし、上を見ると自分の足を竜が咥えているのが見えた。
「アイシャ…ありがと…」
ラーシャの言葉にアイシャと呼ばれた竜は目を細めて笑みを浮かべると、ゆっくりとラーシャを井戸から引き上げ、外で仁王立ちで待つ少年の前に下ろした。
「…ゼン兄、おかえりなさい」
地面に座り込む自分を睨みつけてくる兄にそう言って、引き攣った笑みを浮かべるラーシャ。
ゼンはラーシャの兄で、竜の国を守る十ある騎士団のうちの一つ、第八騎士団に所属する騎士であり最年少竜使いである。
そしてラーシャを助けた青竜はゼンと生涯共に生きる契約をしたパートナーのアイシャ。
「えっと、助けてくれてありがと…」
「寝ぼけながら、井戸に近寄るなって言ったよな?」
ゼンはニコッと笑いながら怯えるラーシャに言う。
笑みが物凄く怖い。
怖すぎて内容が頭に入ってこないが、とりあえず何度もコクコク頷いておく。
「お前は何回、落ちそうになれば気が済むんだ?夜勤明けで今帰ってきたからすぐに助けられたからいいものの。落ちたら死ぬんだぞ?」
「だ、だって顔洗わないと目が覚めないし…」
「お前って奴は…いいか?今度寝ぼけながら井戸に近づいて落ちても俺もアイシャも絶対助けないからな」
ゼンに冷たく言い放たれ、しゅんっと項垂れるラーシャ。
アイシャは大きなその身体を光らせて、一瞬で肩に乗るほどの大きさに身体のサイズに変えるとラーシャの膝の上にちょこんと乗る。
【大丈夫よ、ラーシャ。なんだかんだ言っても、ゼンは貴女を愛してるもの。何度落ちそうになっても絶対助けるわ】
アイシャはそう言ってラーシャの頬をザラザラとした舌でぺろりと慰さめるように舐める。
「アイシャ…ありがとう…!」
ラーシャはそう言ってアイシャをギュッと抱きしめた。
そして、心の底から竜の国に生まれて良かったと思う。
竜の言葉はこの国の人間にしかわからない。
竜の国の民だけの特殊な能力であり、他の国の者が聞いてもただの鳴き声にしか聞こえない。
もし、竜の国に生まれていなかったらアイシャという姉のような存在の竜に出会い、こんな風に慰めてもらえないのだから。
ゼンはため息をつくと、井戸から水を汲み鞄から使ってないタオルを取り出すと水で濡らした。
「さっさと、顔を洗え。ばあちゃんが朝メシ作って待ってるんだから」
「うん!」
アイシャのお陰でお説教タイムが終わり、ラーシャは慌てて顔を洗う。
ゼンはぴょんぴょん跳ねたラーシャの銀色の髪を濡らしたタオルで押さえつける。
「寝る前にちゃんと乾かせって言ってるよな?」
「乾かしてくるけど跳ねるんだもん」
二人がそんな会話をしていると、ゆっくりと日が出てきた。
朝日は二人の銀色の髪をキラキラと照らし出す。
「眩しい…」
「夜勤明けにはきついな」
二人は目を細め、朝日を見つめた。